40話 飛べない翼
土壁からのぞくのは、琥珀色と夕日色の瞳。
「ジェニファ、ギザール……?」
間違いない。
反対方向へ行ったはずのふたりが、なぜか私たちを遠巻きに見ている。
「ねぇ、こっちに――」
「今は僕との時間だろう?」
視界を、金薔薇のローブに遮られた。
この勇者の息子――エリアスをうまく利用すれば、少年も天使も見つかるかもと伝えたいのだが。
鋭い目で睨んでいるジェニファに対し、エリアスは爽やかに微笑みかけている。
「これでも僕、彼女のことは気に入ってるんだ。とりあえず歩こうか」
ジェニファの名前も覚えていないくせに。
呟く間にも、彼は私の手を引いたまま往来へ足を踏み出した。
チラッと後ろを振り返れば。
後をついてくるギザールが、手帳をこちらに見せている。
「……一時、休戦?」
どうやら、ジェニファとギザールのことらしい。
「ミュウルさん奪還作戦を立ててます!」と、続けて殴り書きしている。
「ええと……」
こちらも「エリアスと一時休戦中」だと伝えたいが、書く物がない。
「わぁ……見てよミュウル! 綺麗なオアシスだ」
隣にいるのが、仲間ではなく彼というのが微妙だが――本当に、鮮やかな青だった。
白壁の丸い屋根が立ち並ぶ中、緑に囲まれた泉が広がっている。
「はい、どうぞ」
「これ……」
エリアスが差し出してきたのは、薄紅色の大きな花だった。
同じ花が、二股に分かれた巨大樹の上で狂い咲いている。
「それ取っちゃダメなやつでは……」
「えっ? そうなんだ。名前書いてないし、良いのかと思ったよ」
悪気もなく、「でも綺麗でしょ?」と私の頭に花を飾るエリアスが、何だか少し幼く見えた。
やっぱりだ。
彼が何事に対しても悪びれていないのは、「本当に知らないから」に見える。
「……それより、人探しは?」
頭の上の花を、そっと砂に埋めながら言うと。
「ああ、そうだったね!」
彼は「銀髪の少年だけじゃ情報が足りない」と、案外まともなことを返してきた。
「何か、他に特徴はないのかい?」
「ええと……とっても良い足をしてた」
正直、私でも追いつけなかったのは予想外だ。
それほど、彼の脚力は並外れていた。
「ふぅん、君でもねぇ……」
珍しく言葉を濁したエリアスは、遠くからでも近く見える塔を振り返った。
そういえば。
彼にも、あの塔を覆う“隠された聖力”が見えているのだろうか――。
仲間たちには見えなかった。仕方なくでも、彼に尋ねようとしたところで。
「それって人間じゃないかもね」
「え……?」
エリアスは地面に片手をつき、聞き取れない言葉を発した。
「これは……」
たぶん、私が知らない古い魔法。
大聖女様が使っているのを見たことがある。
「“魔力感知”さ。僕のは街ひとつ分調べられるよ」
風を起こす彼を中心に、じわじわと光の円が広がっていく。
それは予告通り、一瞬でオアシスの外にまで到達した。
「……っ!」
やっぱり、すごい。
勇者の息子というのも、彼が修道国で権限をもつ理由も、この桁違いの聖力を見れば分かる。
「どうだい、惚れ直したかな?」
予定通り、エリアスは役に立っているけれど――。
また格の違いを見せつけられた気がして、胸の奥が重くなっていった。
「君の聖力じゃ、こんな真似はできないだろう?」
「そっちも、ひとりで壁壊せないくせに」
選抜隊がいないとここまで来られなかったということは、きっとそういうことだろう。
そう指摘したところで、彼は目を閉じたまま口角を上げた。
「……ああ、見つけたよ」
立ち上がったエリアスが指したのは、黄土色の塀に囲まれた市場とは違う、白壁の住宅地だった。
「あそこらへんの誰かさん、魔力量が桁違いだ。オーリウス兄さんほどじゃないけどね」
「え……あそこって」
反物屋で聞いた、富裕層の住むアブダバル区。
天使の家があると聞いたところだ。
「人間じゃないかもって言ってたけど……それも分かるの?」
まだ、地面に片膝をついたままのエリアスに問いかけると。
「うん、あそこにいるのは人間じゃないね」
純粋な人間とそれ以外では、魔力の流れ方が違う――そう言って、エリアスは立ち上がった。
でも、私がエリアスに話したのは、銀髪の少年の特徴だったのだが。
スリの少年が、なぜあんな高級住宅街に入れたのか。
「そんなことって――」
「あり得ませんわ!」
横からの声は、息を切らしたジェニファだった。
いつの間にか、塀の後ろから出てきている。
「あーあ。今は新婚旅行中だから、邪魔しないでほしかったんだけど」
「はい……? 誰の許可を得てそのような蛮行におよんでいらっしゃるのです!?」
「ジェニファ、どうどう」
エリアスに噛み付きそうなジェニファの肩を押さえ、「今は利用してる最中」と囁くと。
彼女は小さくため息を吐き、エリアスから顔を背けた。
「あのー。もしかしたら、アブダバル区にも換金所があるかもっすよ?」
ギザールも諦めたのか、こちらに寄ってきた。
ここに来るまでにジェニファともめたのか、少し元気がない。
「価値のあるものをぶら下げてたら、また例の少年が盗みにくるかも」
「おおっ、さすがギザール」
そうはいっても、私にとって一番価値のあるものは拳くらいだ。
何かないかと、身の回りを漁っていると。
「しょうがないですわねぇ」
ジェニファが渋々、自分の薬入れポーチに手をかけた。
彼女の指先から生まれた、小さな煙の鳥。それがポーチの周りを飛んでいる。
「これ、私にくれた手紙と同じ……追跡魔法?」
「その通りですわ!」
ギザールの案を受けて、ジェニファが考えついた作戦に――エリアスは「悪くないね」と頷いている。
「仲間面しないでほしいのですが……ミュウル様、獲物が引っかかった時はお願いいたします」
「任せて」
まずは、釣り餌を撒くところから。
これも“新婚旅行”の一環だと信じ切っているエリアスも総動員して、「高価な魔法薬」のウワサを市場で流すことにした。
「『軽傷から重傷まで、どんな傷も塞がる“異国の秘薬”だよ~!』……って、ほんとに傷薬が欲しい人には詐欺になっちゃうっすね」
「まぁ失礼な! 手足が千切れていなければ、私の傷薬はどんな傷にも効きます!」
きりきり宣伝しろと、強気なジェニファ。
「うへぇ」と声を漏らしながらも、宣伝文句を翻訳するギザール。
こちらへ注目する人々に、笑顔で手を振るエリアス。
彼らを、少し遠くの屋根の上から眺めるうちに――ジェニファの側に、異様に近い影が現れた。
「あれ……」
気づくと同時に、足が走り出していた。
土造りの屋根は、修道院の固い屋根より蹴りづらい。
それでも、今回は絶対に逃がせない――。
白髪の少年が、ジェニファのポーチに手をかけた瞬間。
「ふっ……と」
「うわっ!?」
真ん丸な、赤い瞳が私を捉えた。
間違いない――あの時、砂漠で目を合わせた少年だ。
「身体が動かないっ、クソッ! どんな馬鹿力だよ!」
「……あなたも大概」
普通の子どもに見えるけれど、やっぱりおかしい。
手加減すれば、抜け出されてしまうほどの抵抗力だった。
周囲に集まる人の声をかき消すように、少年は「離せよ!」「冤罪だ!」と叫び続けている。
でも、彼の手にはジェニファの薬瓶が握られていた。
「ドロボー、よくない」
この期に及んで逃げようとする少年を、ひょいっと頭上へ持ち上げると。
「マジかよ……」
一瞬、彼の力が抜けた。
と――思ったが、違う。
彼の身体が、異様に軽くなったのだ。
「えっ……飛んだ?」
青空に浮く少年から、思わず手を離しかけた――その時。
赤い瞳と目が合った。
「……っ!」
一瞬、何かが頭の中を撫でた気がした。
でも――すぐそこの塔を前に、少年は地面へ降りて行った。
「どうして……」
何が起こったのか分からない。
彼が本当に飛んだのか、どうしてそんなことができるのか。
そんなことより、ひとつの疑問が胸に染みた。
あのまま飛んでいれば、私から逃げられたのに。
どうして飛ぶのをやめたのか――細い腕を固く掴みながら、俯く少年へ問いかけたところで。
「ちょっと、あの羽!」
遮ったのは、少年を指さすギザールだった。
「あ……」
必死で気づいていなかったが。
彼の背中には、真っ白でふわふわな翼が生えている。
触れたら溶けそうな、淡い光に包まれた羽。
対になって少年の背中に伸びるそれから、目が離せなかった。
「ミュウルさん、フィレフィレさんが話してた“鳥人”って、もしかして……!」
「……うん」
魚と人が交じった外見の彼らが言う“鳥人”は、きっと彼に違いない。
でも、そうすると――。
「では、彼が天使……なのですか!?」
ジェニファの甲高い声が、耳を通り抜けた。
あのエリアスですらも、「へぇ」と興味深そうに彼を観察している。
でも――私の頭に残ったのは、やっぱりひとつだけ。
彼は、その翼で私から逃げられるはずだったのに。
どうして飛ぶのをやめたのだろう。




