38話 混沌のバザール
熱砂を走る白髪の少年なんて、相当目立つはずなのに。
目の前に広がるのは、鮮やかな反物の下がる市場と人混みだった。
「はぁ、はぁっ! ミュウルさ~ん! ドロボー、捕まえてくれました!?」
追いついてきたギザールとジェニファに、「ううん」と返すことしかできない。
「たぶん、この中に紛れたんだけど……」
文字の彫られた塔が立ち並ぶ、土造りの都――フィレフィレが教えてくれた、貿易中継都市“ラヒムザード”。
迷路のような市場に入られたら、もう追うことはできないだろう。
「それにしても、すごい熱気ですねぇ。ミュウル様、後で少し観光いたしません?」
「はぁ!? どうしてアンタは余裕なんっすか?」
ロマンティア金貨の入った魔導袋が無ければ、今夜泊る場所さえないと吠えるギザールに対して――ジェニファは余裕の顔で、自分の腰ポーチから薬瓶をチラつかせた。
「これを売れば、いくらかお金になりますわ。『異国製の傷薬』が、この都でどれくらい価値があるかによりますけれど」
当初の目標である『天使』を探しがてら、ココナッツジュースでも飲もうとジェニファは言う。
さすが、幼い頃から苦労してきたからだろうか――旅の資金をそっくり盗まれたのに、彼女はいつもと変わらない。
一方、路銀の管理を任せていたギザールは、往来で四つん這いになっている。
「……はぁ。オーリウス、いる?」
耳元で揺れる宝石に話しかけると、すぐにザザッと雑音が響いた。
『ええ。これまでの流れは断片的に拾っていました』
魚人族のピラミッドを出て以来、久々の声。
勇者について口を閉ざしていた彼は、いつも通りに戻っていた。
「魔導袋を盗まれちゃったんだけど……追跡する方法ないかな?」
オーリウスの魔力を流して造った物ならば、足飾りのように足跡が残るかと思ったのだが――。
『残念ですが、あの袋には追跡魔法を付与していません』
「……そっか」
やっぱり、地道に足跡をたどる他なさそうだ。
『ちなみに、現在地は修道国の南東。白地図にも変化がありますが……今は袋の方ですね』
「……うん。また後で聞くね」
いつにもまして事務的なアナウンスを切った後。
まだ地面に膝をついているギザールの肩を、ポンと叩いた。
「ギザール、大丈夫だよ。あの子は絶対捕まえるから」
「……でも、どうやって? ここ、ロマンティアの首都より広そうっすよ!?」
「ええと……」
たしかに、見渡す限りの大市場だ。
ラクダを引く商人たち、鮮やかな衣を巻き付けた買い物客たちが、塔の下を忙しなく行き来している。
「ん……?」
ここまで来て、ようやく気づいた。
あの塔、白い光に包まれている。
「聖力……? ジェニファ、ギザール、魔力感知できない?」
念のため、ふたりにも確認してもらったが。
「注意散漫なオレには、もう何もないっすよ……」
あの明るいギザールが、まだ肩を落としたままだ。
「私も簡単な魔法しか使えないって、ミュウル様ご存知でしょう? 走り過ぎてお疲れなのでは~?」
ジェニファにも、あの光は見えないみたいだ。
ふつう聖力は、魔力の少ない人間にも見えるはずなのに――。
「隠されてる……?」
でも、誰が何のためにそうしているのか。
それに。
あの塔が立っているせいか、なんだか空の色がくすんで見えた。
「今は塔なんてどうでもいいっすよ! とりあえず、聞き込みましょ」
一瞬で復活したギザールは、「ココナッツジュースなんか飲んでる暇ないっす」と、反物露店に向かっていった。
気味の悪い塔も気になるけれど――確かに今は、銀髪の少年を追うのが先だ。
「あの殿方、自分の不注意で盗まれたくせに……ミュウル様のお手を煩わせるなんて許せませんわ!」
「まぁまぁ。どうせ天使についても聞いて回るつもりだったから」
仮に、天使がこの都に住んでいたとしても。私たちと姿かたちが同じに見える住民が、亜人族について知っているとは限らない。
薬を売り歩く気満々のジェニファと一緒に、かなりの長期戦を覚悟していたのだが――。
「『あぁ、天使? たしかアブダバル区に住んでるよ』……って! ミュウルさん!」
店の前のギザールが、こちらにも聞こえるほどの大声で通訳してくれた。
「えっ、じゃあ……!」
天使はそんなに有名な存在なのか。
まさか、一発目で引き当てるとは思ってもいなかったが。
「ギザール、そのアブダバル……がどこか聞いて」
すると、反物屋のお婆さんが指差したのは、一番高い塔のある方角だった。
丘の上一帯が、黄土色の塀で囲まれている。
「『富裕層が住む場所だから、観光客のアンタらじゃ入れないよ』……だそうっす。えぇ……どうしましょう?」
天まで伸びる塔が立つ丘。
別に、防御魔法で覆われているわけではなさそうだ。
それに、あのくらいの塀、私なら越えていける。
「……ちょっと行ってくるから、ふたりは銀髪の少年探し続けて」
「あら、でもミュウル様!」
もし少年を探し出せたとしても、残ったふたりで捕まえられるか分からない――ジェニファの不安げな声に、足を止めた。
「そっか……」
二手に分かれた方が早いと思ったが、ロマンティア金貨を換金されてしまったらアウトだ。先に全員で少年を見つけるしかない。
「そうだ、換金所っす! 古物商でも何でもいいんで、片っ端から行ってみましょう!」
「はぁ……この方、本当に偉い考古学者さんなんですか?」
ジェニファのため息に「まぁまぁ」と答えつつ、市場を流れる人の海の中へ混ざっていった。
「この市場って露店の東西に、一か所ずつ換金所があるらしいっす」
ただし、それは都認定の店。違法店を含めたら、いくつあるか分からないらしいとギザールは付け加えた。
「まぁ! それでは、永遠に見つからないこともあり得ますわよね?」
「……その可能性も、ゼロじゃないっす」
それを聞いたジェニファが、往来で足を止めた。
薬入れのポーチに手をかけている――何だか嫌な予感がする。
「私、あっちのスパイス屋さんで、薬を卸せそうなところを聞いてきますわ」
「あっ……ジェニファ、ちょっと!」
勝手に進んでいくジェニファに対し、ギザールはムッとしている。
「そうっすか。じゃ、オレは予定通りあっちに行きますんで」
「ギザール、待って……!」
ふたりが、それぞれ反対方向に進んでいく。
どっちを先に追うべきか――足を止めている間にも、通りがかりの人が割り込んでいた。
(まずい、はぐれる……!)
「ジェニファ……!」
腹から声を出したつもりでも、市場の客引きの声に負けてしまう。
人の波に溺れる間にも、ふたりの背中が見えなくなっていた。
「……っ、オーリウス!」
こんな時に限って、彼からも反応がない。
このまま全員迷子になってしまうのか。
「ジェニファ! ギザール! ふたりとも……」
いっそ、屋根に飛び上がって移動しようか――少し疲労の溜まった足に、力を入れた、その時。
「おや? まさか、今の声は……」
雑踏にも負けない声に、全身が固まった。
「この声……」
少し甘みのある、ゾクッとするような声――私はそれをよく知っている。
「最悪だ……」
そう、呟いた瞬間。
「待って!」
「……っ」
声を振り返るより早く、腕を掴まれた。
ちょっとの聖力を込めた、痛いほどの力で。
「ミュウル、君じゃないか」
嘘だと思いたかったけれど――もう、振り返るしかない。
「…………エリアス」
厚着をした褐色肌の人々が行き交う中で、彼の病的なまでに白い肌が光っていた。
そして相変わらず、頬を染めている。
「いやぁ、選抜隊の人たちとはぐれちゃってさ。でも、代わりに君と会えた……!」
「なんて幸運なんだ」と、歌うように言う彼に対し、深い溜め息がこぼれた。
なんて不運なんだ――と。




