37話 天使は都会にいるらしい
『ぼくらが魔族と関係してるかは、分からないけどね』
自分たちと近い種が存在すると、フィレフィレは分析モニターを消しながら言った。
「それって、獣人族のこと?」
『ううん、彼は飛ぶんだ』
「飛ぶ……?」
それはまさか、羽が生えているということか――。
私が言うより先に、「鳥人がいるんっすか!?」とギザールが割って入ってきた。
『東からくるお客さんたちは、“天使”って呼んでるよ』
「天使……」
魔族が今も存在するなんて、信じられない。
でも――獣人、魚人、最下層の魚。ここまで“あり得ないもの”を見てきた今、存在しないとは言い切れない。
「地図のために歩く予定だったけど……」
閉ざされていた国の外には、まだ私たちの知らない世界が広がっている――想像するだけで、全身が震える。
「ミュウル様、もしかして……」
「うん。天使が何者なのか、確かめに行こう」
この旅は、私たちの後に続く“測量士の拠点”を見つける意味もある。
ジェニファにそう話す間にも、またギザールが割り込んできた。
「周辺の地理を聞きがてら、フィレフィレさんと“拠点契約”を結んでおくっすね!」
ライガ・マナ村でギザールが出していた、あの割符石のことか。
ルーツ研究をする魚人族が何を対価に要求するのか、何となく分かる気がする――。
「うん、その辺は任せるよ」
「あいあいっす〜!」
“天使”と聞いてから、ギザールはいつになく上機嫌だ。
「あの殿方、な~んかムカつくんですよねぇ」
「まぁまぁ」
ギザールが絡めば、やっぱりジェニファは顔をしかめてしまう。
そんな彼女をなだめていると、透明なヒレに肩を叩かれた。
『砂嵐、過ぎた』
フィレフィレと瓜二つの魚人――ヌルカに案内されて、久々に地上へ出てみると。
「わぁ……」
肌を焦がすような晴天が、私たちの真上に広がっていた。
「砂嵐の後の砂漠って、こんな感じなんですねぇ」
「うん……なんだかキレイに見えるね」
じんわり汗がにじむ気候なのに、ここを訪れた時よりずっと気分が軽い。
でも――このピラミッドにも、そろそろ別れを告げなければ。
『出発する?』
今度はヌルカの隣に、フィレフィレが並んだ。
彼は『東の方まで送るよ』と、砂の中にもぐっている。
「あれ? ギザールは……」
「お待たせっす!」
手帳を片手にやってきた彼は、私より早くフィレフィレの背に乗り込んだ。
「魚人族と、“観光ルート”契約を結んだっす。国が許可するかはまだ分かんないっすけど」
「……そっか」
研究資金そのものではなく、資金を生むルートを選んだのは、さすがフィレフィレだ。
「方角的にはちょっと国の方へ戻るかもっすけど……天使のとこ、行くっきゃないっすよね?」
「もちろん」
ギザールの後ろに乗り込むと、ジェニファもため息を吐きながら私に掴まった。
「んじゃフィレフィレさん、よろしくっす」
『うん、じゃあ出発〜』
素早く砂を泳ぐフィレフィレの背に乗りながら、遠ざかるピラミッドを眺める間。
足首で光る『コンパス・アンクレット』に触れて、執務室の白地図を想像した。
「……ライガ・マナからここまで、線が繋がってるのかな」
たとえ一本の線でも、今この瞬間、私の足跡が刻まれている。
そう思うだけで、もっと遠くへ行ける気がした。
「ミュウル様、あれ……!」
ジェニファが指す正面には、揺らめく建物の群れが見えていた。
「あれは……」
修道国のレンガ建築と違って、黄土色の粘土できているみたいだ。文字の彫られた塔が、広い範囲にひしめいている。
『東の“中継貿易都市”さ。キミたちと同じ形の人間が、いっぱい集まって暮らしてる』
「貿易都市……」
同じ人間が住む都市でも、まるで雰囲気が違う。
修道国とは交流がなかった都市。
「地理的には近くにあったのに……」
ギザールは首を傾げているが――確かにその通り、本当に、あの国だけが閉ざされていたみたいだ。
“穢れ獣”を生む壁によって。
「あっ、あれラクダ……?」
ゴリラがいたのだ。ラクダがこの世界にいても不思議ではない。
『うん、彼ら砂漠の商人のパートナー……じゃあ、この辺かな』
フィレフィレは私たちを下ろし、砂から出て二足歩行になった。
『ミュウル、よい旅を。ぼくは勇者よりキミを応援するよ』
「ええと……ありがとう」
冷たいヒレをしっかり握ると――指先に、かすかな鼓動を感じた。
やっぱり。姿形が違っても、彼らは私たちと同じ鼓動を刻んでいる。
この温かさを連れて――私はもっと、遠くまで歩くんだ。
『ギザールは、ぼくらと一緒にいる?』
「えっ、えー……? 正直、超魅力的なお誘いっすけどぉ~」
獣人族の村で女性たちに引き止められた時とは違って、ギザールは本気で彼らの研究が気になっているみたいだ。
「今度こそ置いてく?」
「冗談じゃないっすよ! ここまで一緒に歩いてきた仲でしょう!?」
もちろん冗談だったのだが――ギザールも、フィレフィレと固く握手を交わした。
「じゃあ、今度こそ――」
いよいよ、砂に潜る彼を見送ろうとしたところで。
「お待ちください!」
ずっと俯いていたジェニファが、フィレフィレの前で膝を折った。
「……ジェニファ?」
それでも、なかなか口を開かない彼女を見守っていると。
「ごめんなさい」と、か細い声が響いた。
「貴方たちの研究を、『意味がない』などと言ってしまって。お魚さん……いいえ、フィレフィレさんと私は違うと、分かっていたのですが」
『ジェニファ……』
今も眠る故郷のこと。彼女は最初、忘れたかったのかもしれない――だからあの時、フィレフィレに言ったのだ。
『知らない方が救いになることだって、あるのです』
でも、彼女は今、自分から彼のヒレを握った。
壁を砕いた直後、私の手をとった時みたいに。
『いいんだよ。“分かり合えない”も、面白かった』
相変わらずのフィレフィレの感性に、思わずジェニファと顔を見合わせた。
「じゃあ、今度こそバイバイだね」
『うん。道だけじゃなくて、「何でそこに道があるのか」も見てくるといいよ』
最後までゆったりなフィレフィレの言葉に、胸がトクンと鳴った。
「なんで道があるのか……」
ルーツ研究にすべてを注ぐ、彼らしい言葉だ。
「……うん。またいつか、きっと会いに来るね」
砂漠から飛び出たヒレが、少しずつ遠ざかっていく。
それが完全に見えなくなるのを見届けた後――。
「じゃあ、非公式選抜隊……行きますか」
公式選抜隊の姿も見当たらない。
今のうちに、選抜隊より先に東の地図を完成させてしまいたいところだが。
「いだだだだ! ミュウルさん、この人どうにかしてくださいっ!」
「さっきの、“一緒に歩いてきた仲”って何です?」
相変わらずなふたりに、溜め息が出てしまった。
「仲良くしてほしいって言ったのに……」
すぐ目の前にそびえる土の塔を指して、「もう着くよ」と声をかけると。
「……やり辛いな」
「え……」
低い声に、一瞬頭が真っ白になった――。
「……うぉ! 大商隊っすよ、ミュウルさん」
すぐに彼は、いつもの調子に戻っている。
とりあえず、成り行きを見守るべきだろうか――今はどうしても、反物や服飾を背負っている商人たちに目を引かれてしまう。
「ミュウル様! あの殿方たち、あんなに分厚い布を身体に巻いてますけれど……暑くないのでしょうか?」
「聞いてみる?」
言葉が通じるかは分からないが、こういう時こそ頼れる通訳さんの出番だ。
後ろをついて来ているギザールを振り返った、その時。
「いでっ!?」
ギザールの悲鳴が響いた。
振り返った先に見えたのは、砂の上に転んだギザール。
それから、彼に覆いかぶさる白髪の少年だった。
彼の真ん丸な瞳――血のにじむような目が、大きく開いた瞬間。
「……っ!」
彼は飛ぶように駆けていってしまった。
魚人ほどではないが、砂地をあそこまでの速さで走るなんて――。
「今のは……地元の子?」
惚れ惚れするほどの脚力だった。
いっそ、地面から浮いているように見えたが――さすがに気のせいだろう。
足の回転が速すぎて、止まって見えただけかもしれない。
「ちょっと……待ってください……!」
人混みに消える少年から、ギザールへ視線を戻すと。
彼は「ウソっすよね?」と繰り返しながら、ポケットだらけの服のあちこちを漁っている。
「オレが管理してた路銀袋……ないんすけど」
「え……?」
冗談ではなさそうな声に、全身が軽く痺れた。
オーリウスから預かっていた、旅の資金――魔道具だという袋の中には、相当な額のロマンティア金貨が入っていたはずだ。
「まぁ! 転んで砂の中に落したのではありません?」
「でも、周り見てもないんっすよぉ……」
膝をついて砂をかき回す二人を眺めていると。
「あ……」
さっきの、白髪の少年。
突然ギザールにぶつかったかと思うと、飛ぶように逃げて行ってしまった。
「もしかして、さっきの子が……」
「おっかしいなぁ……って、ミュウルさん、どこ行くんすか!?」
返事をするより早く、砂を蹴った。
いくらあっちに地の利があるとしても――“ゴリラ聖女”の仲間から財布をすろうとしたこと、必ず後悔させてやる。




