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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
3章 砂を泳ぐ賢魚 ―カル=ナバル―
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36話 謎魚ヴォジャイ

 勇者はどうして、この巨大魚を殺したのか。


 フィレフィレの返事を待つ間、結晶の壁で沈黙する干物を眺めていると。


『先へ進むのに必要だったからです』


 帰ってきたのは、子どものような魚人族の声――ではなく、オーリウスの低い声だった。


「必要って……?」


 勇者がここでしたことについて、ずっと言いたくなさそうだったのに。


『それは……』


 しばらく、水晶の川が流れる音だけが響いた後。

 オーリウスは、『その魚が障壁を守っていた』と呟いた。


「それって……」


 壁を壊すために、この魚を殺したというのか。


 震える声で訊き返せば、『はい』と消えそうな声がした。


「でも、この壁は地下にあったんでしょ。魔王討伐に関係あったの?」

『それは……ええ』


 やっぱり、彼はすべてを言わない。


 世界各地に存在する壁。

 その中でも、この壁は勇者パーティーが進むのに壊す必要があった――どういうことなのか。


『あのさ、ちょっといいかなぁ』


 破裂しそうな頭が、間の抜けた声で萎んでいった。


『すると、ぼくたちの“ヴォジャイ”の死は、勇者が魔王を倒すために必要なものだったんだね』

「え……?」


 ヴォジャイ――この魚のことを、そう呼んだのだろうか。


 フィレフィレは怒りも悲しみもない声で、ただ、『どっちが大切だったんだろう?』とこぼした。


『ぼくたちのルーツを探るのと、勇者がキミたちの世界を救うの、どっちが正しかったんだろう』

「それは……」


 比べられる問題ではない、なんて答えられない。

 15年前に勇者が魔王を倒したことで、私たちが平和に生きてきたのは事実なのだろうから。


 ただ、分からないことがある。


「フィレフィレ、この魚は何なの?」


 この世界の魚にしては巨大すぎる。それに、どこか人のような面影がある。

 ヒレも魚人族と似て、手足のように発達していた。


 私が最初、無意識に「魚人?」と言ってしまったこの生き物は、いったい何なのか。


「この魚が、あなたたちのルーツじゃないの?」

『それは……』


 フィレフィレは、珍しく言葉を途切れさせた後――『分からない』と苦し気な息を吐き出した。


『ぼくらの「DNA修復器」は進化してる。でも、前はヴォジャイをうまく解析できなかった』


 ただ、彼が死んだ後は解析していない。

 そう言って、フィレフィレは砂混じりの音を鳴らした。


『せっかくだし、少しばかり持ち帰ってくれないかな? 彼のヒレを』

「えっ、うん……」


 結局、フィレフィレたちも分からないのか。

 ここで壁を守っていた魚が、いったい何者なのか。


 ただ、彼が生きていた頃から存在を知っていたのならば――何か、言葉を交わすことはできなかったのだろうか。


「……戻ったら聞いてみよう」


 オーリウスは、まだすべてを教えてくれる気はないらしいから。


 深く目を閉じた魚のヒレを、「ごめん」と少し千切った。

 それを口にくわえて、100階分のハシゴを戻っていくと――。


「あぁ、ミュウル様! ご無事でよかったです~」


 B100の昇降機で待っていたのは、こちらに薬膳茶を差し出すジェニファだった。


「うん……往復はさすがに疲れた」


 彼女の笑顔とお茶に癒されながら、フィレフィレの研究室へ戻ったところで。


「ミュウルさん、お疲れ様っす! んじゃさっそく、そのヒレをこっちに渡してください」


 すっかり研究者モードに入ったギザールに、ヒレの干物をひったくられた。


 機械の箱に入れたヒレが、透過されてモニターに映し出されている。


『うーん、やっぱりかぁ』

「えっ……もう何か分かったの?」


 黒い筒をのぞき込んでいたフィレフィレは、ゆっくりと首を横に振った。

 ギザールも、「やっぱりっすかぁ」と肩を落としている。


「百パー“魚”なんっすよねぇ、分析結果は」

「それじゃあ……」


 ヴォジャイは、ただ、この世界の珍しい魚なのだろうか――でも、どうして魚が壁を守っていたのだろう。


「ねぇ、フィレフィレはあの魚が生きてたって言ってたけど」


 何か話をしたのか。


 そう尋ねると、彼は別の機械をいじり始めた。

 やがて、その箱から聞こえてきたのは――ギギギィ、と、ガラスを引っ掻くような音だった。


「なに、この音……!」

『これが彼の肉声さ』


 思わず耳を塞いだが、聞き逃さなかった。


 つまり会話をしなかったのではなく、できなかったのか――。


「動物言語でどうにかならない?」


 サメと話せるギザールも、「こればっかりは」と肩をすくめた。


「……そっか」


 勇者の殺した魚は何だったのか。

 フィレフィレたちのルーツと関係があるのか。


 結局、何も分からないということか。


 ただ、この生物が人でも魚でも、亜人族でもないとしたら――。


 思い浮かぶのは、もうこの世界にいないはずの存在だった。

 でも、その存在を口にしていいものか。


「あの……そのお魚さんって、ふつうに泳いでいたのですか?」


 静寂の中、声を上げたのはジェニファだった。


 ずっと、彼らの研究に対して苦い顔をしていたのに――。

 フィレフィレも驚いたのか、こちらをチラチラ見ている。


「……フィレフィレ、教えてほしい」

『うん。もちろんだよ』


 彼は地下の障壁に張り付いた、生きたミイラだった。


 フィレフィレは画面を見つめたまま、そう言った。


「ミイラ……っすか?」

『ぼくらがここに発生するずっと前から、彼はたぶん生きてた。動かなかったけど、心臓は動いてたんだ』

「じゃあ……!」


 勇者は戦って倒したのではなく、あの魚の心臓をただ止めただけだったのか。


 ギザールに耳飾りを返してもらっても、オーリウスの声は聞こえてこなかった。でも、たぶん通信は繋がっている。


 時々、ザザッと雑音が響いていた。


「……オーリウス、今は答えなくてもいい」


 ただ、話せる時が来たら教えてほしい。


 勇者の本当の顔を――。


 そう囁くと、震える息だけが返ってきた。


 もしかすると、彼は私たちを純粋な善意で送り出してくれたわけではないのかもしれない。


「でも……」

 

 そうだとしても。


『貴女が語った夢に自分の“もしも”を重ねた』


 オーリウスが旅立ち前にくれた言葉を、私は忘れられない。


「……信じてるから」


 最後にそう囁くと。

 聞こえないくらいの細い声で、名前を呼ばれた気がした。


「ミイラになって、何年も生きてた……もしかして、それって!」


 魔族だったのではないか――。


 あえて、口にしないようにしていたのに。

 ギザールのためらいのない言葉に、「あっ」と声がこぼれた。


「ギザール、罰則くらうよ」

「なーにらしくないこと言ってんっすか! ここは修道国じゃないんすよ?」

「そうだけど……」


 あの場所が嫌で仕方なかったはずなのに。

 幼い頃から身に染みた規則は、外へ出ても抜けないらしい。


『魔族のことを口にしてはいけない』――大聖女様のお怒り顔が、今も目に浮かぶ。


「ギザールさん、ミュウル様は聖女様なのですよ? こればかりは仕方ありませんわ」

「あれ? アンタって聖女だったんでしたっけ」


 狂戦士じゃなかったのか――と、こんな時でも冗談を言うギザールに、ムッとした顔で返すと。「頼むから殴らないで!」と懇願された。


 本当に、彼は私を何だと思っているのか――。


「……そんなことより、ヴォジャイが“魔のつく族”ってほんと?」

『まぁ、その可能性はゼロじゃないよ』


 ただ、フィレフィレが確信しないのは、彼ら自慢の機械で解析できないからだという。


「ミュウルさん、妙だと思いません?」

「え……?」


 もしヴォジャイが、魚の姿をした魔族だとして。

 彼が眠る場所のすぐ上に、魚と人の混じった姿の亜人が発生した――。


「これって、偶然なんですかね?」

「それって……」


 ギザールは、獣人の時も今回も、彼らに異常なまでの興味をもっていた。


 そんな彼が、もし「魔族と亜人族が関係している」と言うのならば――私はそれを、完全には否定できない。

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