3話 勇者の息子を殴った日
「勇者の息子って、どうやったら落とせるかな?」
薬草の葉をちぎりながら首を傾げると、ジェニファは葉を刻む手を止めた。
「ミュウル様。あのご子息……エリアス様を絞め落とせるのは、勇者様だけでは〜?」
「いや、物理じゃなくてさ」
どうしたら、あのキザっぽい男の心を射止められるのか。
そう尋ねた瞬間、ジェニファの持つ包丁がこちらを向いた。
「私という恋女房がありながら! あんな自信過剰男のどこが良いのです!?」
「違うって。ただ、外に出るのに利用させてもらおうってだけで」
外。
その言葉に肩を震わせたジェニファは、再び葉を刻みはじめた。
「……とにかく、あんな方はミュウル様にふさわしくありません」
「あんなって?」
本当に、彼の恋人や妻になりたいわけではない。ただ、ここを出るための足がかりにするだけ。
そう言っても、ジェニファは眉根を寄せるだけだった。
「すみませんが。今回ばかりは私、ご協力できません」
「あっ……」
止める間もなく、ジェニファは調合室を出て行ってしまった。
“あんな方”――ジェニファは、彼を元から知っていたのだろうか。
「……とりあえず、パーティーの準備するか」
狭い自室に戻るなり、窓にぶら下がった。
「ふっ、ふっ! 身体、温めとかない、と!」
勇者の息子は、影を倒した私の強さに興味を持っていた。鍛えておけば、さらに惚れ込んでくれるかもしれない。
でも、いざ式典用のドレスを着て出ようとすると――扉の向こうから、ガチャリと音が響いた。
「え……?」
「勇者像の首を折る“けもの”には、パーティーへの参加権は与えられません!」
この枯れた声、大聖女様だ。
外から鍵をかけられたらしい。
「そんな、待ってオババ……大聖女様!」
足音が、容赦なく遠ざかっていく。
「窓にも封印魔法をかけた」と言い残して。
「そこまでするんだ……」
窓がだめなら、扉を壊すしかない。
ベッドの上で助走をつけた、その時。
「ミュウル様」
今度は、ふんわりした高音が響いた。
「ジェニファ……?」
「しっ、いま錠を開けますから」
金属の擦れる音が、しばらく聞こえた後。
錠と針金を手にしたジェニファが、部屋の中へ入ってきた。
「閉じ込めるなんて、さすがにやり過ぎですわ」
「でも、いいの?」
昼間の彼女は、私が修道院を出ることに反対していたはずだ。
「仕方ありません。外の世界を見ることが、ミュウル様の望みなら」
でも、パーティーに出ればきっと後悔することになる。
そう言って、ジェニファはエプロンを翻した。
「ねぇジェニファ、こっちって礼拝堂だよね?」
「……ええ」
日中、影の獣に傷つけられた建物は、何事もなかったかのように修復されていた。
私が破った扉も元通りになり、隙間からオレンジ色の灯りがこぼれている。
「行きますよ、ミュウル様」
ジェニファが扉を開いた、瞬間。
男女の笑い声に包まれた。
「わ……」
礼拝堂が、立食パーティーの会場になっている。
勇者像の前には白い布をかけた長机。
祈りの席には花と料理。
いつもは聖女たちが膝をつく場所で、知らない男の人たちが笑っていた。
「ミュウル様はご存じなかったでしょう? こんなパーティー、興味すらなかったでしょうから」
これは実質、官僚と聖女のお見合いパーティー。
ジェニファのため息に、胸の奥が冷えていった。
ここは、祈りを捧げる聖女が、閉じ込められている籠だと思っていた。
でも――ここは、私たちを並べる場所でもあったらしい。
「ああ、君!」
こちらに手を振っているのは、聖女たちに囲まれていた勇者の息子。
ワインみたいな赤い飲み物を手に、こちらへ近づいてくる。
「これ、ぶどうジュースなんだ。お酒はちょっと無理なんだけど……都に行ったら、美味しい食べ物なら教えてあげられるよ」
遠慮しろ、と言いたげな彼の視線に、ジェニファは離れていってしまう。
「あ……」
「大丈夫、僕が楽しませてあげるから。そういえば、まだ名乗っていなかったかな?」
「勇者の息子、エリアス……様?」
こちらから口を開けば、彼の笑顔が一層輝いた。
「さすがに知ってたか。僕を知らない人なんて、この国にいないだろうし」
「はぁ」
言葉を交わすほどに、彼の放つキラキラが鬱陶しくなっていく。でも、ここを出るためには彼に見初められなくてはならない。
穏便に、誰にも邪魔されずに出ていくには。
それにしても。
この人、私の名前を聞こうとしない。
「……ところで。エリアス様は、どうして私を気に入ってくださったのですか?」
差し出されたグラスを受け取り、できる限りの愛想笑いを浮かべる。
すると、彼の空いた片手が白い光を放ち始めた。
「……っ!」
昼間見た彼の力は、やっぱり本物。
肌をひりつかせるほどの濃い聖力が、彼の手に集まっている。
「僕は、どうも母の血が濃くてね」
魔王を討伐した勇者パーティーの聖女。
その血を継いだ彼は、あの影を複数縫い留める力がある。
さらに時間をかければ、自分だけでも焼き払えるのだと言った。
「影を、ひとりで……」
私の拳だけでは倒せなかった、あの影を。
「でもね、僕は丈夫な器が欲しかったんだ」
エリアスの楽しげな目が、私をじっくりと見下ろした。
「君は、あの影に触れても壊れない身体を持っているからね」
彼の視線が、私の手、腕、肩、胸元へと滑っていく。
「君の器の強さと、僕の聖力。そのふたつを継いだ子なら、きっと父にも負けない存在になる」
「は……?」
喉が締まった。
「……そんなことのために、この修道院に来たの?」
「そんなこと?」
エリアスは、本気で不思議そうに首を傾げた。
「それが聖女の役割だろう?」
そう言って、彼はパーティー会場と化した祈り場を振り返る。
他の聖女たちは、仰々しい格好の男性たちに愛嬌を振りまいていた。
選ばれるのを待つ笑顔に、胸の奥が冷えていく。
「そんな……」
「君は聖力があまり強くないみたいだけど、大丈夫。影を殴れる器の強さがあればね」
彼が必要とするのは、私の丈夫な器だけ。
私だって利用するつもりだった。
それでも、血は拳に集まっていく。
「ミュウル様!」
震える拳に触れたのは、小さく硬い手だった。
「ジェニファ……?」
いつも薬草を刻んでいる、見た目よりも頑丈な手。
それに触れて、少しだけ息が吸えた。
「お部屋に戻りましょう。ここはお気持ちを抑えて――」
「君は何だ?」
笑顔のままのエリアスが、今度はジェニファを見下ろした。
「話の邪魔をする気?」と。
「見たところ、聖女ですらなさそうだが……君の外見なら、まだもらい手がありそうだね」
「なっ……!」
軋む拳を握り直した、その時。
「ミュウル様、ダメです!」
ジェニファに手を握られ、足が動かなくなった。
「……っ」
彼女が一番悔しいはずなのに。
唇を噛み締め、必死に耐えている。
でも。
拳は止まっても、喉が震える。
「あなたはまるで……人の役割を、自分が決められるみたいなことを言いますね」
「ん? その通りだけど」
生まれ持った力と役割が、人のあるべき場所を決める。
英雄の子である自分には、それを操作する権限がある――。
彼は、何でもないことのように言った。
「じゃあ、私は……外へ出ても、あなたの決めた役割を与えられるだけなの?」
震えを抑え、問いかければ。
エリアスはにっこりと微笑んだ。
「所詮、聖女は籠の鳥だ。飛び方を覚える必要はないよ」
温度のない声だった。
「……籠の、鳥?」
「僕と結婚してくれれば、何でも必要なものを籠に運んであげるよ」
そう言って、彼は手を差し出した。
「あぁ……」
目の前の白い手が、歪んでいく。
真っ青になった頭に浮かぶのは――。
“灰色の窓”。
私は、あの地図の答えを自分で確かめることすら許されないのか。
目の前に浮かんだ窓すら、歪んでいく。
やがて。
頭が、ドクンと脈打った。
「私は……!」
息を吸うと同時に、拳が痛いほど熱くなっていく。
「ミュウル様!」
必死なジェニファの制止を振り切り――気がつけば、目の前の男を殴っていた。
賑わっていた礼拝堂が、しんと静まり返る。
「……? ああ、そうか」
口から血を流しながらも、彼の瞳は私から離れない。
「ははっ! 痛いって、こういうことなんだ」
「あ……」
怒らせた、というより。
もっとまずいものを、目覚めさせてしまった気がするけれど――それでも、ようやく分かった。
修道院を出るのに、選ばれる必要なんてない。
鳥籠の扉が開かないなら、殴って壊せば良かったのだと。




