表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
1章 閉ざされた地図 ―ロマンティア―
PR
3/8

2話 殴れない影

 黒い獣へ向かって、駆け出した瞬間。


「ミュウル様!」


 背後でジェニファの声がした。

 けれど、振り返っているヒマはない。


 半透明の影が、逃げ遅れた参拝客へ飛びかかろうとしている。


「みんな下がって!」


 地面を滑るように蹴り、影と参拝客の間へ滑り込んだ。


 まずは一発。


「ふっ……!」


 振り抜いた拳は、たしかに影の頭を捉えた――はずだった。


「……っ!?」


 手応えがない。

 拳が、黒い獣の身体をすり抜けたのだ。


 冷たい霧に腕を突っ込んだみたいな感触だけが、肘まで這い上がってくる。


「どうして……」


 やっぱり、最初に影を見た時感じた通り——殴れない。


 でも、存在しないわけではない。

 影が通り過ぎた芝には、黒く焼けた跡が残っている。

 逃げる人の腕には、赤い傷も刻まれている。

 実体があやふやなのに、殺意だけははっきりしていた。


「なんなの……アレ」


 得体の知れない、悪寒を放つ生き物。

 その姿が、さっき見た“灰色の窓”に重なる。


 どこへもいけないと嘆いていた、細い手。

 窓の向こうに閉じ込められていた、誰かの声。


「……いやだ」


 こんなものに、閉じ込められたくない。


「ミュウル、下がりなさい!」


 大聖女様の声が飛んだ直後、光の玉が頬をかすめていった。


「うわっ……!」


 中庭は、光の嵐になっていた。

 大聖女様に従い、聖女たちが一斉に祈りの光を放っている。


 光が当たるたび、影の動きは鈍った。

 けれど、倒せてはいない。

 輪郭が少し削れても、すぐに黒い霧が寄り集まり、もとの獣の形へ戻ってしまう。


「拳はすり抜ける……でも、光は効く?」


 だったら――。


「“ゴリラ(わたし)”にしかできないこと、やってみよう」


 頬をかすめた魔法の光が、まだ肌を焼いている。

 その熱を拳で拭い取るようにして、黒い獣へ向き直った。


 痛い。

 熱い。

 でも、拳の表面に薄い光が残っている。


「これなら、どうだ!」


 地面を蹴り、開いた影の口めがけて一直線に。

 濡れた牙の奥へ、焼けた拳を突っ込んだ。


「……っ!」


 冷たい霧を裂いたはずなのに、今度は骨まで響くような手応えがあった。


『ギギ……ギ……』


 軋む音を立てながら、影は日の光に溶けていく。


「……よし!」


 拳と光の合わせ技、通った。


 拳に残った感触は気持ち悪いのに、つい頬が緩む。


「すごいよ」


 低く弾んだ声を振り返ると。

 霧散する影越しに、黒髪の男性と目が合った。


 深い青の瞳が、瞬きもせずにこちらを見つめている――というより、固まっているみたいだ。


「大丈夫ですか?」


 私より頭ひとつぶん大きい彼に向けて、手を差し伸べると。


「……どうやったの?」

「はい?」


 宙に置いていた手を、痛いほどの力で掴まれた。


「あの影、どうやって壊したの?」

「……は」

「大聖女ですら無理だったのに、どうやって!?」


 掴まれた手から、波打つような聖力が伝わってくる。

 この赤いローブの人——ただものではなさそうだ。


「聖力を拳に纏わせて、ぶん殴っただけですけど……」


 とりあえず、ぜんぶの影をどうにかしてから話さないか——そう提案すると、彼は背後を振り返った。


 影が薬草畑を踏み荒らし、逃げ遅れた人たちへ迫っている。


「おっと、すまないね。周りが見えなくなっていた」


 繋いだ手を通して、痺れるような魔力が背筋を駆けあがった、直後。

 彼の足元から、矢印(ベクトル)型の光が伸びていった。


「……!」

「動かないで。君の拳が届くようにしてあげる」


 光の矢が地面を這い、影たちの足元へ突き刺さると。見えない杭に縫い止められたみたいに動きを止めた。


 すごい——あれだけの魔法を使っているのに、この人、息ひとつ乱していない。


「僕なら、影の動きを止められる。でも、壊しきるには少し時間がかかるんだ」

「……じゃあ」

「うん。君が壊して」


 状況が分かっていないのでは、と疑うほどに、爽やかな顔だった。

 でも、やるしかない。


 光の矢が縫い止めた影へ、全力で駆けた。


 一匹目。

 二匹目。

 三匹目。


 飛び回る影を捉え、焼けた拳でぶん殴る。


 そうして最後の影が消えた頃、中庭にはようやく静けさが戻った。


「……終わった?」


 拳を下ろすと、指の関節から焦げた匂いがした。

 ひりひりする。けれど、問題なく動く。


 そんな私の拳を、黒髪の男性は熱心に見つめていた。


「君、いったい何でできているの?」


 舞台で演じているかのような声が、頭の中を通り抜けていく。


「僕は、あの影を聖力で縫い留めることはできるんだけどね。素手で触れた人間は初めて見たよ」

「……」


 澄んだ瞳が逆に怖い。


 私の拳に興味津々のこの人は、いったい何者なのだろうか——。


「あのローブの薔薇紋章、勇者様のご子息ではありません?」


 背後からの囁きに、ハッとした。

 いつの間にか、他の聖女たちが集まっている。


「じゃあ、あの方がエリアス様?」

「ミュウルが見初められたら、玉の輿でここを出ていくの?」


 誰かの声に、トクっと胸が鳴った。


(ここを出ていける……?)


 勇者の息子だという彼を改めて見上げると、自信満々の顔が輝いていた。


「今夜、こちらのご厚意で歓迎パーティーを開いてくださるそうで」


 またその時に――そう言って、彼は私の手を持ち上げた。


 何をする気かと思えば。


「……っ!」


 手の甲へのキスに、思わず「うわっ」と言いそうになった口を塞いだ。


 冷たい青の瞳が、こちらを見下ろしている。

 まるで値踏みするかのように。


「うん、味はちゃんと人間だ。じゃあ、またパーティーでね」

「味……?」


 言葉に合わない爽やかな笑みを残して、彼は去っていった。


 まだ鳥肌が止まらない――こっそり手を法衣で拭いていると。


「なんで問題児(アナタ)が気に入られてるのよぉ〜!」


 私たちを囲んでいた聖女が、一斉に寄ってきた。


「みんなには分かんないのかな……」


 どう見てもヤバそうだったのに。


「ほら、どいてくださいませ〜!」


 群がる聖女たちを押しのけ、ジェニファが走り寄ってきた。


「ミュウル様のお手に雑菌を擦りつけるなんて、あの男〜!」

「ジェニファ……?」


 彼女は私の手を取り、軟膏をすり込んでいる。


「……火傷よりそっち?」

「聖力の焼け跡なんて、もうとっくにありませんわ」


 そうだった。

 聖力の熱は派手に痛むけれど、傷跡は残りにくい。


 でも——冷えた唇の温度が、まだ手の甲に残っている。

 その手を眺めるうちに、さっきの誰かの言葉が浮かんできた。


『玉の輿でここを出ていくの?』


「ねぇ、ジェニファ。もし外の人間と結婚することになったら……」


 ここを出られるのか――そう尋ねると。

 彼女はため息を吐きつつ、「ええ」とつぶやいた。


()()()は引く手あまたですから」

「……そっか。そうだったんだ」


 知らなかった。

 脱走しなくても、そんな方法で外へ出られたなんて。


「だったら……」

「ミュウル様……?」


 門へ向かう、勇者の息子を見据えた。


「あの人、いいかも」

「……え?」


 彼の背負う金薔薇から、修道院の外にそびえる壁へ視線を移した。


 人としての温度を感じないし、できれば近づきたくないけれど。


「外に行くなら、ちょうどいい」


 あの壁画の地図が、どうして私の中にあったのか。

 壁の向こうに、何があるのか。

 灰色の窓で泣いていた誰かは、何者なのか。


 それを確かめるためなら――勇者の息子だろうと変人だろうと、利用してやる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ