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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
3章 砂を泳ぐ賢魚 ―カル=ナバル―
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32話 眠る村について、薬師は。

『本音を言い合え』と試練を課した、スフィンクスが見守る中。


「これが、私の秘密……」


 床に座り込んだジェニファは、腰のポーチから小瓶を取り出した。

 中には、青白い綿帽子のようなものが入っている。


「それは?」

「苔です。私にとって、もっとも身近で……憎らしいもの」


 憎い。


 彼女の声は、聞いたこともないくらいに冷えていた。


「……どうして?」


 目線を合わせるように、ジェニファの前へ腰を落とすと。

 彼女は瓶を強く握り、ため息を吐いた。


「私の生まれたところは、花畑の広がるのどかな村でした」


 薬花の村、ケルノ。

 聞いたことはないけれど、修道院から離れた田舎だという。

 都へ卸す薬用の植物を栽培していた――ジェニファの家も、それを家業にしていたと。


「でも、ある時……コレが村を襲ったのです」


 ジェニファの、瓶を持つ手が震えている。


「……苔が?」


 苔に意思などないはずだ。


 そう言うより早く、彼女は地面を這う小さな甲虫に目を留めた。


「見ていてください」


 少しだけ開いた瓶の口を、虫に近づけると――瓶の中の苔が、青白い胞子を吐き出した。


 いったい何が起こるのか。

 少しずつ動きが鈍くなる虫を見ていると、息が苦しくなってくる。


「あっ……!」


 ついに、虫が動かなくなった。


 ただ、ジェニファがそっと背中を叩くと――虫はまた、ノロノロと歩き始めた。


「いま、この子は眠っていたんです。とても強力な睡眠胞子で」


 それでも、少しだったから永眠せずに済んだ――ジェニファの声は、かすれていた。


「じゃあ、ジェニファの村の人たちは……」


 口に出すのも恐ろしい言葉を、飲み込んだところで。


 ジェニファは瞼を閉じ、瓶を元の場所へしまった。


「ある日突然村を覆ったのは、これの何万倍もの苔でした」


 そして、誰も目覚めなくなった――。


 ジェニファの言葉に、たくさんの疑問が湧き上がった。


 でも、いま確かめたいのはひとつだけ。


「ジェニファは大丈夫だったんだ?」

「たまたま、その日は私だけ都へのお遣いに出ていたのです。でも、帰ってきた時には村が封鎖されていて……」


 謎の苔の胞子が、外にまで害を及ぼすかもしれない。

 そのため国の防災機関は、村ごと包むように結界を張ったという。


「父と母は、今もその結界の中で眠り続けています。でも私だけじっとしているなんて、できなかったから……」

「そっか、だから……」


 ジェニファが薬師見習いをしていた理由が、今になってやっと分かった。


 苔を駆除する方法を求めて、彼女は修道院にやってきたのだ。


「ご存知の通り、あそこは“回復魔法の専門家”が集まる場所……大聖女様に習い、私なりに勉強したつもりでした」


 細かい傷のついた手を見つめるジェニファは、やがて、ふっと諦めたように笑った。


「でも、苔を駆除する方法は見つからなかった……コレが何者かさえ、分からないままなんです」

「ジェニファ……」


 知らなかった。


 そんな思いを抱えたまま、あの場所で私と笑い合っていたなんて。


「ごめん、私……」

「謝らないでくださいませ! そんなミュウル様だからこそ、私は救われたのです」


 苔への対処法は見つからなかった。


 でも、代わりに見つけた大切な存在を失うことが、今は恐い――ジェニファは、か細い声を上げた。


 視線を壁に向けたまま。


「ミュウル様だけでした。見習いの私にも、人として平等に接してくださったのは」


 聖女は希少な存在。平民とは住む世界が違うと思っていたと、ジェニファは言う。


「でも、そうじゃないんだって。私たちが当たり前に出入りできる塀の中で、ミュウル様は苦しんでいらっしゃったのですよね」

「それは……」


 だから、私が外に出たいという気持ちはよく分かっていた――そう、ジェニファは続けた。


 大人しく籠の中にいられなかったのは、私だけ。

 彼女はいつも、脱走する私を、やんわり諦めさせようとしていた。


「私の旅を止めるのは……それ以上に、ジェニファが私を大切に思ってくれているから?」


 無理やりに笑うジェニファの手を取り、それを両手で包むと。


「……」


 彼女は無言のまま頷いた。


「もう村のことは、どうにもならないかもしれません。でも、新たに見つけた私の希望……あなた様すら失ってしまったら、私は!」

「ジェニファ……」


 目に溜まった涙が、嘘だとは思わない。


 でも――手の震えを感じるたびに、灰色の思いが膨らんでいく。


(本当に、そうなのかな……?)


 ジェニファは告白を始めてから、一度も私をまっすぐに見ていなかった。

 それどころか、再会してからずっと、彼女は私を見ているようで遠くを見ていた。


 ジェニファの心の底にいるのは、私ではない。


 本当は、彼女の故郷なのではないか――。


「ジェニファ、本当は……」


 私への、彼女の想いを疑うわけではない。

 でも、過去を“見て見ぬふり”をしている彼女を放っては置けない。


 冷えた手を握り返し、重い言葉を吐き出そうとした――その時。


「……っ!?」


 あと少しのところで、下から突き上げるような地鳴りに遮られた。


 こちらを見守っていたスフィンクスが、大きく揺れはじめている。


「なにごとです!?」

「分からない、でも……」


 とても嫌な感じがする。


 そう言うより早く、スフィンクスの目が黒く光った。


『言えない本音は暗闇へ』

「え……?」


 淡々とした声が、鳴りやんだ瞬間――。


「キャア……!」


 目の前のジェニファが、宙に浮いた。

 石床が開き、跳ね上げられたのだ。


 つい反射で、自分だけスフィンクスの足に避難してしまったが――。


 まずい。ジェニファが落ちる。


 「ジェニファ……!」


 もう、顔が見えない。

 とっさに伸ばした指先は、ジェニファの金髪をかすめただけだった。


「……っ!」


 ジェニファの姿が、完全に消えてしまう前に。


 突然開いた奈落へ、迷わず飛び込んだ。

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