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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
3章 砂を泳ぐ賢魚 ―カル=ナバル―
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30話 ピラミッド・ダンジョン

 地下を跳ね回る、魚型の影。


 それらを一刻も早くぶん殴るため、研究室を出ようとしたところ。


『たいへん! ぼくのお嫁さんが、地下ダンジョンから戻って来てないんだ』


 フィレフィレの珍しい大声に、足を止めた。


「え……?」


 影が出ているのにヌルカが行方不明だと、彼は水かきのついた手をバタつかせている。


「フィレフィレ、大丈夫だよ。私がいくから」


 今だって、「行ってほしい」と言われる前に身体が動いていたところだ。


『でも、ほんとにいいの?キミたちが影と戦ってきた話は、ギザールから聞いたけれど』


 出会って間もない自分を、どうして助けてくれるのか――合理的な行動ではないと、フィレフィレは尾びれを私の腕に絡めた。


「ただ助けたいから」というのでは、彼は納得しないだろうか。


「砂漠でヒレを貸してくれたでしょ。あれで十分」


 エリアスから逃げ延びることができただけでも、助かった。

 ぬめる尾を引き剥がしながら、そう伝えると。


『……そっか』


 フィレフィレは、今度はジェニファの方を向いた。


『キミはこのままでいいの?』

「え……?」


 いったい何を言い出すのか。


 突然話を振られたジェニファも、口を半開きにしたまま固まっている。


「フィレフィレ、今回は狭いところだし……」


 魂を取り込んでいた巨大影はキツいが、あれくらいの小型影ならばひとりで対処できる。


 そう言っても、彼はジェニファを見つめるだけだった。


「私は……」

「ジェニファ、大丈夫だから、ここで待ってて」


 フィレフィレの言いたいことが分からないけれど――ヌルカが行方不明ならば、なおさら時間との勝負になる。


 ぬめぬめになった腕を拭い、今度こそ研究室から出ようとすると。


「お待ちください!」


 弾かれたように、ジェニファが駆け寄ってきた。


「一緒に行きます……!」


 彼女は、私の腕に薬瓶の中身を吹きかけた。

 腕についたぬめりが、一瞬で溶けていく。


「その……私も、薬での治療くらいならばできますから」

「ジェニファ……でも、危ないよ?」

「待っているだけは、もう嫌なんです!」


 強い声に、思わず肩を揺らした。


 正直、守りながら戦うのは大変だけれど――今ジェニファを置いていけば、彼女はもう何も言ってくれなくなる気がする。


「……分かったよ」


 揺れる耳飾りを外し、ここで待機するというギザールへ預けることにした。


「ごめん、オーリウス。ちょっと大事な話をするから」


 ジェニファに聞こえないよう言い残し、今度こそ研究室から駆け出した。

 少し震えている、ジェニファの手を握って。


「ミュウル様……」

「大丈夫、何があっても守るから」


『未探索えりあ』の看板があるフロアまでは、昇降機が通っていた。でも、さらに下の部屋へ行くには、石のハシゴを降りなければならないみたいだ。


「ふっ……!」


 小さな影を滅しながら、ヌルカの姿を探した。


 下に降りるほど天井が低くなっていく。石の壁に描かれた魚の壁画だけが、同じ顔でこちらを見ている。


 そして――ハシゴを降りる間にも、小型の魚影が次々と湧き出てきた。


「ミュウル様、体力回復薬をお飲みになりますか!?」

「ううん、まだ平気だけど……なんか、この影変な感じ」


 そもそも影の感触は、冷たい霧を殴っているようなものだった。

 でもそれ以上に、今回の影は手応えがない。


 まるで空気を殴っているみたいで、少し気持ちが悪い――。


「また大群を倒してしまわれるなんて……ミュウル様、すごすぎますっ!」


 少し元気になったジェニファが、薄暗い石の部屋に拍手を響かせている。


「修道院でも、光魔法を宿した拳で影を殴っていらっしゃいましたよね。アレも驚きましたけれど……」


 今では、自前の聖力を拳に宿して、難なく影を消している。

 ジェニファの指摘に、思わず「そっか」とこぼれた。


 たしかに。いつの間にか、意識しなくても拳へ聖力が宿るようになっていた――。


「行こう、まだヌルカが見つからないから」

「それ、本当なんですかねぇ」

「え?」

「……いえ、参りましょうか」


 少し煙が出た拳に息を吹きかけ、次のハシゴを目指した。


 もう、何階――何十階降りただろう。


 下に降りるにつれ、部屋のランプが減り、どんどん薄暗くなっていく。

 どこかで水を叩くような音がしたが――ヌルカかと思って耳を澄ませても、返ってくるのは部屋の軋む音だけだった。


「ジェニファ、辛くない?」

「はい、足手まといにはなりません……!」


 そうは言っても、今の速さではヌルカのところまでどれくらいかかるか分からない。


「ミュウル様!?」

「こっちの方が早いから」


 少し息の切れたジェニファを抱えて、いっそハシゴを使わず飛び降りることにした。


「あぁ……」


 息を感じるほど近いジェニファから、歯を噛み締める音がする。


「ジェニファ、怖い?」

「……怖いですよ、ずっと」


 暗さや狭さが怖いのか、この先にある未知が怖いのか。

 それとも――。


 考える間にも、ジェニファは少し息を吐いて、私の首に腕を絡ませた。


「……ごめん。できるだけすぐに、ヌルカを見つけ出すから」

「…………」

 

 抱える力を少し強めても、ジェニファは何も言わなかった。


 もはやジェニファの表情が見えないくらい、部屋は暗くなっていく。

 飛び降りてから地面に着くまでの感覚も、少しずつ長くなっているみたいだ。


「……すみません、一回下ろしていただけませんか?」

「うん」


 声まで低く暗くなったジェニファを、床へ下すと。


「わっ……!」


 突然、柔らかい身体に体当たりされた。


 表情はよく見えないけれど――頬に、熱い息がかかる。ジェニファが至近距離で、私をじっと睨んでいるのを感じる。


「ミュウル様は先日、『自分だけの思いで進んでるわけじゃない』とおっしゃいました……でも!」


 どうして、何も恐れることなく進んでいけるのか――。


 かぼそい声に、息が止まりそうになった。


「どうして、今そんなことを聞くの?」

「大切なものが知らない間に失われてしまったら……私は、今度こそ……!」


 震える手が、私の胸を叩き続けている。

 彼女の恐れるものが、幻なんかではないと訴えるかのように。


 でも――。


「今はフィレフィレが……私たちを助けてくれた彼の、大切なものが危険にさらされてるんだ」

「……っ」


 それが彼女への答えになっていないことは、分かっていた。

 でも、今は足を止められない。


「……行くよ」

 

 立ち尽くすジェニファを、再び腕の中に抱えれば。


「……どうして……っ」


 彼女の腕が、痛いほどに私の身体へ巻きついた。


 ジェニファが本当に恐れているのは、私が危険にさらされることなのだろうか――?

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