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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
3章 砂を泳ぐ賢魚 ―カル=ナバル―
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27話 賢魚の家で、笑わない彼女。

 エリアスと選抜隊の姿は、完全に見えなくなったはずなのに。

 背中に回るジェニファの腕だけは、逃げている間よりも強く私を掴んでいた。


「ジェニファ……?」

「……」


 彼女の様子も気になるけれど、いま目の前にそびえるこれは――。


「ピラミッド……?」


 しかもさっき、ここが“家”だとフィレフィレは言った。


「うぉぉっ!? なんっすかこの建造物! 石の階段が100……いや、200?」

「……ミュウル様。なんですか、このうるさい殿方は?」


 いつも通り騒ぐギザールと、なんだか辛辣なジェニファのことはひとまず置いて。


『終点ですよ、お客さん』


 フィレフィレはピラミッドの四角い入り口をくぐろうとしている。


「待って。エリアスたちから逃げられたのはいいけど……この辺、屋根のある場所ってある?」


 どう見ても、ここは砂漠のど真ん中。

 地平線の向こうに、巨大な夕陽が沈もうとしている。


『……じゃ、ぼくの家来る?』

「えっ、なか入っていいんすか!?」


 一番に飛び込んでいったギザールに続いて、ぽっかり開いた入り口をくぐると――。


 そこはまるで、“宙に浮くアリの巣”のようだった。


 天井まで続く螺旋階段の途中には、いくつもの透明な部屋が枝分かれしている。


「ピラミッドの……集合住宅?」


 プライベートは筒抜けみたいだけれど。


『今度は宿泊費、なにくれる?』

「え……?」


 いつの間にか、こちらにヒレを差し出したフィレフィレが隣に立っていた。


『骨はもういいよ。他のもの』

「まぁ! ミュウル様、このお魚まだ物をせびる気ですよ」


 何が欲しいというのか。

 興奮気味のジェニファを押さえながら、訊ねると――うねる水かきの先がジェニファを指した。


『彼女のつかった丸薬の仕組み、知りたい』

「え……眠り玉の、ですか?」


 ジェニファがエリアスを撒くのに使った、あの玉のことか。


『強力な催眠作用だったね。キミたちの仲間を乗せていた子が、まだいっぴき寝たままだよ』


 子どものような口調で言うフィレフィレに、ジェニファと顔を見合わせた。


「このお魚さん、なんかぼんやりして見えましたけれど……」


 思っていたより賢そう。


 ジェニファの囁きに、フィレフィレのギョロっとした目が動いた。


『ぼくらは人族の知能に合わせて、言葉を選んでるんだ』

「……へぇ」


 それは遠回しに、人族より自分たちの方が賢いと言っているのだろうか――。


 彼は『バカにするつもりはないよ』と言いながら、腰につけていたマスクを口に被せた。


 透明なマスクの中に、細かい砂が回っている。


『防塵ますくの逆……“砂ますく”さ。これがないと、うまく肺呼吸できないんだ』

「誰がこんなすごい物を作ったんすか?」


 いつの間にか、ピラミッドの内装に釘付けだったギザールが戻ってきていた。


『もちろん、ぼくたちの共同研究さ』


 フィレフィレたちは、各家庭にひとつ研究室(ラボ)を持っているという。


 みんなが博士みたいな種族なのだろうか。


『ぼくの家、こっち』


 案内されたのは、外から丸見えの部屋のひとつ――でも、不思議だ。

 中に入ると、想像よりもずっと広い。おまけに部屋がいくつも分かれていて、中から外は見えなくなっていた。


『こちら、ぼくのお嫁さん……ヌルカと息子たち』

『よろしく』


 紹介された魚人たちも、フィレフィレと見た目が変わらない。それでも息子たちはまだ小柄で、お嫁さんはフィレフィレよりも頭ひとつ大きかった。


「妻帯者だったんすね……」

『今度は、キミたちのことも教えてくれる?』

「もちろんっす!」


 手帳とペンを構えたギザールは、もっとフィレフィレの話を聞きたいと目を輝かせている。


「これまでのこと、フィレフィレに話していいっすか?」

「うん、もちろん」


 魚人の子どもたちに囲まれて、嬉しそうなギザールを見送ると。フィレフィレのお嫁さん――ヌルカに、『女の子はこっちで遊んだら?』と手招きされた。


 部屋の奥にあったのは、巨大な水槽だ。


「え……プール?」

「個人宅、それも屋内にプールだなんて。ここのお魚さんたちはセレブですねぇ」


 顔にも声にも(トゲ)のあるジェニファに、思わず首を傾げた。


 やっぱり、いつもと雰囲気が違う。


『そこのスイッチは乾燥機だよ。服着たまま泳いでも、すぐ乾くね』

「えっ……すごい!」


 さっそくジェニファを抱えて、服のまま水槽へ飛び込もうとすると。


「ミュウル様、私泳げないのです……!」

「絶対離さないから」


 ジェニファを肩に乗せ、バタ足で高速移動してみせれば。「わぁ速いです!」と、ようやく笑顔を見せてくれた。


「でもジェニファ、無茶したね」


 いくら私を探すためとはいえ、国を出るのにエリアスを利用するなんて――。


「それは……私にとって、ミュウル様は欠かせない存在ですから」


 嘘を言っているとは思えないが、笑顔がなんだかぎこちない。


 慣れない長旅で疲れているのだろうか。


「ごめんなさい……一度、水から出してくださいませんか?」

「うん……」


 水槽の縁に腰かけたジェニファは、濡れた髪をそのままにして、私をじっと見つめている。


「あの男……エリアスから聞いたのですが」

「うん?」

「ミュウル様は、地図を作るための旅に出たそうですね」


 感情を削ぎ落とした声が、胸に刺さる。


 この感じ――ジェニファは私の旅に対して、言いたいことがあるのだろう。


「でも、ジェニファ……」


 私はこれからも、地図を作る旅をする。


「もう決めたことだから」


 水に浸かったまま宣言すると、ジェニファは俯いた。


「それは……私を置いて?」

「え……」


 ジェニファの唇が止まった、その時。

 耳元でザザッと音が響いた。


『笑い声が聞こえてきましたが、無事奴を撒けたということでしょうか?』

「男性の声……?」


 そうだ、ジェニファにはまだ、オーリウスを紹介していなかった。


「彼は私の……ええと、上司?」

『……国土省長官のオーリウス・グレイヴと申します』


 いつもより不機嫌増しの早口で、オーリウスは応えてくれた。


「国土省長官……では、ミュウル様は……!」


 非公式とはいえ、本当に認められて旅をしているのか――消えそうな声を最後に、ジェニファは口を閉ざしてしまった。


「ジェニファ……?」

『……話を進めても?』


 ジェニファと乾燥機に当たりながら、オーリウスの報告を聞くことにした。


 このピラミッドの所在地は、修道国の南西あたり。最初に出発した“勇者出発の地”――あの崖の反対側に見えていた陸地にあるという。


 それにしても――。


「オーリウス、なんか元気ない」

『は……?』

「エリアスに酷い目に遭わされたの?」


 ずっと気になっていた。

 私たちと別れた後、オーリウスが本当はどうなったのか。


『……私の方は問題ありません。ただ、奴は異様なまでに貴女にこだわっているらしく……』


 エリアスの出発を止められなかったこと。

 耳飾りの奥から、「すみませんでした」と低い声が響いた。


『今後も、貴女を追い続けるかもしれません』

「……っ」


 また、あの人が追ってくる。


 でも――。


「後ろをついて来てもらう分には問題ないでしょ?」


 今はただ、彼から逃げ回っているわけではない――この一歩が、オーリウスの部屋の白地図に刻まれているのだから。


「私たちの方が早く進んでるなら、先に地図が作れるよね」

『……貴女はそういう人でしたね』


 ため息の後。

 少しだけ、オーリウスの声が柔らかくなった。


「ミュウル様……」

「ジェニファ?」


 ようやく口を開いたと思いきや。

 彼女はいつもよりフワフワに仕上がった髪を振り乱し、顔を上げた。


「考古学者だけでなく、官僚までたらし込んでしまうなんて!」

「えっ」


 たらし込む――?


「出会う人を魅了する厄介な特技があるのですから、気をつけてくださいませ!」

「ええと……」


 これは褒められているのか、それとも怒られているのか。

「どう気をつければいいのか」と聞き返すより早く、耳元のオーリウスが二度目のため息を吐いた。


『また面倒そうな……いえ、個性的な方ですね』

「ジェニファはいい子だよ?」


 外に出てから、少し様子が違っているだけで――と、余計な言葉は飲み込んだ。


「旅……」

「ジェニファ?」


 やっぱり変だ。

 再会して、まだ一度も目が合わない。


 さっきは笑ってくれていたけれど――。


「ジェニファ、私なにか……」

「ちょっと来てください!」


 弾むような声に、肩が揺れた。


 水槽の部屋に駆け込んできたのは、息を乱したギザールだった。

 ペンのインクが頬にまで飛んでいる。


「ギザール……?」

「いいから、ほら! 世紀の大発見っすよ!」


 ギザールの声に引かれながらも、ジェニファの曇り顔から目が逸らせなかった。

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