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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
3章 砂を泳ぐ賢魚 ―カル=ナバル―
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26話 砂泳ぎレース

『手がいらないなら、ヒレを貸そうか?』


 魚――いや、砂からこちらを覗く顔は、人みたいだった。でも髪の毛は生えていないし、手足は水かきのようになっている。


 いったい何者なのか――?


『ぼくらは“砂漠たくしー”の……あれ? 言葉が通じてないのかな』


 首を傾げながら、尾ひれの長い魚は私たちの周りをぐるりと泳いだ。

 ヌメヌメした身体が砂をまとって、砂中を滑らかに移動している。


「なんっすか……この生き物は」


 獣人を知っていたギザールも、今回は「文献で見たことがない」と固まっている。


「知らないなら、聞いてみよう」


 見慣れない姿だけれど、ロマンティア語を話したのだ。

 砂の中の生き物に、「名前は?」と声をかければ。


『“魚人族ナフメル”のいっぴき――フィレフィレ』


 フィレフィレは膜に覆われた目で、私をじっと見つめた。


 初めて見る瞳の形に、肌の色――不思議だけれど、怖くはない。


「魚人……?」


 光魔法を展開寸前だったエリアスも、今は腕を下ろしている。

 砂煙を上げて泳ぎ回る魚に、気を取られているみたいだ。


(今なら、エリアスから逃げられるかもしれない……)


「その砂漠タクシー、お代は後でもいい?」

『……うん、いつもは先なんだけどね』


 フィレフィレのゆったりした返事を待つ間もなく、半透明のヒレがうねる背中に飛び乗った。


「ふたりも、早く!」


 観察モードに入っていたギザール、私の背に隠れるジェニファを、巨大魚の背に引っ張り上げると。


『行き先は?』

「とりあえずここから離れて!」

『りょうかーい』


 ゆっくりな返事と同時に、頭がガクンと揺れた。


「……!」


 口を閉じていないと、舌を噛みそうになる――私たちを乗せた巨大魚は、みるみるうちに平原の緑から離れていった。


「へぇ、面白いこと始めたね」


 こちらに気づいたらしいエリアスの声が、あっという間に遠くなっていく。


「ううう速いいいっ……み、ミュウルさん、やったっすねっ!」

「うん……」


 相変わらず乗り物に弱そうなギザールの腰をしっかり掴み、背中にくっついているジェニファを振り返ると。


「ミュウル様、このお魚さんチョロそうでは?」


 ぼんやりしているし、あとで乗り逃げしても気づかなさそう――と、ジェニファは余裕の顔で言った。


「……さすがにそれはダメだけど」


 どうやらジェニファは、こういうのが平気らしい。

 ならばギザールだけしっかり見ていなければと、震える身体を抱えたところで。


『あっ、お連れさんも利用してくれたみたいだね』

「え……?」


 フィレフィレの指す方を振り返ると――。


「あははっ、これは愉快だね!」

「エリアス……!?」


 別の魚人に乗ったエリアスが、私たちの後から迫っていた。


 選抜隊を置き去りにしてでも、私を追ってくるなんて――!


「ほら、追いかけっこはもう終わりだ」


 隣に並んだ彼は、また、私に手を差し伸べた。

 自分が正しいと、信じて疑わない笑顔で。


「どうして私にこだわるの……!?」


 分からない。

 優秀な子を産む聖女が欲しいなら、他にもいるはずだ――震える声を吐き出すと。


「そりゃ君は、“僕が初めて好きになった人間”だからさ」

 

 彼の白い頬が、赤く染まった。


「……え?」


 暗い瞳の奥に、ゾクっとするような熱を感じる。


「たしかに、壁を越えられるほどの力を持つ聖女は他にいないけどね。でも今はそれ、どうでもいいんだ」


 瞼を閉じた彼は――やがて、とびきりの笑顔をこちらに向けた。


「僕を傷つけられるのは、君……ミュウルだ!」


 だから、手に入れたい。


 何のためらいもなく放たれた言葉に、周りの音が止んだ。


「どう、して……」


 ふたりを抱える手が震える。


 以前の彼は、私の力しか見ていなかったのに――。


「ミュウル様! あんな意味不明クソヤロウの言葉、お耳に入れてはいけませんっ」


 背後からの声に、震えが止まった。


「ジェニファ……?」


 腰に回る腕が、温かい。


「そうっすよ。ミュウルさんはこれからも、オレと世界を回るんっすから」

「ギザール……」


 重なった手が、力強い。


「そうだ、私は……」


 ここまで来て、鳥籠の中へ戻る選択肢はない――!


「ジェニファ、ギザール、しっかり掴まってて!」


 ふたりの身体から手を離し、耳元で揺れる石に触れた。


「オーリウス、どっちの方角に行けばいい!?」


 少しの沈黙の後、耳元で「ゴホン」と咳払いが響いた。


『……現在、ライガ・マナ村から直線距離で北上中。最初に南下した海を、元の方角へ戻っています』

「えっ、じゃあ意味ないってこと……!?」


 地図を新たに広げるなら、方向を変えてもらったほうが良いのではないか――そう提案するより早く、「とにかくエリアスを撒け!」と荒い声が返ってきた。


『……奴に関して、こちらの弁解は後です。今は逃げ切ってください』

「あっ」


 ブツッと、通信の切れる音がした。


 確かに今は、並走するエリアスをどうにかしなければ――。


 笑いながらこちらの様子を伺うエリアスを、睨みつけていると。


「なんか、向こうの魚人よりノロノロ泳いでないっすか?」


 すっかり調子が戻ったギザールの声がした。


『そりゃお客さん、先払いの方が速いのはとーぜんだよ』


 ギザールが、フィレフィレと交渉をはじめたらしい。

「報酬でやる気が違ってくる」と言うフィレフィレに、ギザールは謎の骨ネックレスを差し出した。


「これ、獣人族の貴重なアクセサリー。一点ものっすよ?」


 魚人にとって、あれは価値があるものなのか――前を向いたまま泳ぐフィレフィレを、見つめていると。


「あっ……!」


 袋のように広がった大きな口が、ネックレスをパクッと飲み込んだ。


『しっかり掴まってて』


 口調はゆったりなのに――砂を泳ぐ速度は、瞬きのたびに加速していく。


「これなら……!」


 エリアスとの距離が、少しずつ開いていく。

 でも――。


「じゃあ、こっちも追加で」


 エリアスが魚人の口へ金貨を入れれば、あちらも生き返ったかのように速度を上げた。


「……!」

「ミュウル、競争は十分楽しんだでしょ? 帰ろう」


 籠の中へ、と、あの手が再び差し出された。


「そんな……っ!」


 このままでは、エリアスを引き離せない。

 もし彼と正面から戦っても、今の私では勝てない。


 それでも、やるしかないのか――。


 汗と魚人の粘液で滑る拳を、握り直した直後。


「……もう、コレをやるしかないですね」


 ジェニファの手のひらの中にあるのは、葉っぱに覆われた玉。


「それは……」


 答えを訊くより早く、彼女は葉っぱを剥がした玉を振りかぶった。

 それを力いっぱい――エリアスへ向けて投げつけたのだ。


「ミュウル様、目と鼻を塞いでくださいませ!」


 青白い煙が周囲に広がった。


 さっきの“めくらまし”より煙の量は少ないのに、何だか頭がくらくらする。


「なんだ、この煙……」


 鼻と口を覆ったエリアスが呟く間にも、ジェニファは玉を投げ続けているが――距離が開くにつれて、届かなくなっている。


「貸して!」


 こういうのは“ゴリラ”の仕事だと、玉を握った手を振りかぶれば――。


「……っ!?」


 よし、直撃だ。

 後頭部に思い切りいったが、あの人なら平気だろう。


「ナイスヒット! さすがミュウル様ですわ」

「でも、なんか……」


 乗せてくれているフィレフィレが、揺れはじめている。


『このケムリは、ぼくもだめだ……一回もぐる』

「えっ、それってオレらは――」

『目と口と耳、ふさいで』


 両耳をおさえ、目を閉じた瞬間。

 ごうごうと流れる砂の音に包まれた。


 フィレフィレが砂の中に潜ったのだ――。


 何も見えない。

 息が苦しい。

 でも、前と後ろにふたり分の熱を感じる。


『もうちょっと〜』


 フィレフィレの声が、砂の外よりはっきり響いた、その時。

 肌に触れる空気が変わった。


「はぁっ……!」


 砂だらけの頭を振り、瞼を開けると――。


 夕日に照らされる、三角形の山がそびえていた。

 レンガのような四角い石が、三角形に積み上がっている。


「これって……」


 “前の私”が何度も読み返した、旅行雑誌のミステリー特集が頭をよぎる。


 でも、いま目の前にあるそれは、写真よりずっと大きくて鮮やかだった。


「フィレフィレ、ここは……?」


 興奮で震える唇を押さえ、問いかけると。


 二足歩行になったフィレフィレが、石の建物を誇らしげに仰いだ。


『これがぼくらの家、ピラミッドさ』

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