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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
2章 踊り唄う獣 ―ライガ・マナ―
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22話 装束をまとう夜

『――ル、おい、ミュウル!』


 強い声に、身体が弾かれた。


「今のは……」

『何があった!? 大丈夫か?』


 オーリウスの声――そう気づいた瞬間、ようやく目が開いた。


 目の前には、月を映して歪む壁。

 隣には、まだ気絶したままのザラが転がっている。


「オーリウス、私は大丈夫だから、ちょっと待って」


 ザラの胸に耳を当てれば、ちゃんと力強い鼓動を感じた。


「良かった……」


 それにしても、遺跡から壁の前へ吐き出されて、どのくらい眠っていたのか。

 もう日が沈みかけている。


『地図上の点がまったく動かなくなり……正直、焦りました』

「ごめん。ちょっと、色々あって……」


 村の子どもたちがさらわれた、遺跡の奥。そこで待っていた「影の獣」の話をした。

 再生した影に負けたことも、正直に。


『そうですか……その土地の壁の“穢れ”は、そんなに溜まっていたのですね』

「オーリウスは、この壁が何か知ってるの?」


 壁が影――“穢れ獣”を生む。

 そして壁が、土地の穢れを吸い取っている。


 オーリウスの話は、前にギザールから聞いたことより一歩進んでいた。


「土地の穢れ……?」

『ええ、そう伝えられています。ですが、なぜ壁が存在するのかは、旅をした後も分かりません』

「そっか……」


 壁も影も穢れだというのなら、光魔法を帯びた拳で消せるはず。それは証明してきた。

 でも、あの巨大な影は、瞬く間に再生してしまったのだ。


『その影、何かおかしなところはありませんでしたか?』

「うーん……お腹の中に、丸い光の玉がゴロゴロ入ってたけど。あと、ずっと踊れって」


 しばらく黙ったオーリウスは、やがて、小さく咳払いをした。


『その影の言葉は、耳飾りを通して聞いていました。“踊り”に関しては、その土地のことですから、あの有識者に再度話を聞いてみるべきかもしれません』

「それって……」


 ザラの祖母のことか。

 今の話をすれば、影の倒し方が分かるかもしれないと、オーリウスは言う。


「ン……」

「あっ」


 ザラの寝ていた尻尾が、ゆっくりと立ち上がった。


「またね、オーリウス」


 早口に言って、ザラの側に寄ると。

 彼女は細くなった目で平原を見渡した。


「ダコドハココ……?」

「ザラ、村に戻るよ」

「…………あア、ミュウル、カ」


 まだ頭がはっきりしていないみたいだけれど、完全覚醒を待ってはいられない。

 自分よりも一回り大きな彼女を背負い、立ち上がった。


「オイ、オレは走れるゾ……!」

「いいから、この後に備えといて」


 戦いはまだ終わっていない――。


 そう言って走り出せば、すぐ耳元で、牙を擦り合わせる音が響いた。


「ザラ……?」

「……子どもラ、救えなかっタ」


 泣いているのかと思ったが、違う。


「あの影に勝てなかった」と呟きながら、ザラは身体を震わせている。


「うん……私もだ」


 ふたりで影を殴っていた、あの時。ふわふわした高揚感の中で、「絶対に勝てる」と確信していた。

 でも――実際は、「楽しい」に引っ張られていただけだった。


 私たちは、“敵が何者か”をちゃんと知らなかったのだ。


「ザラ、村はこっちで合ってるよね?」

「……あア」


 戻ったら、もう一度ザラの祖母に会いに行く。

 そう告げると、ザラは無言のまま、私の肩に軽く爪を立てた。


「……ザラ、タキテッエカ!」

巫女(シビ)!」


 村に着いた瞬間、みんながこちらに駆け寄ってきた。

 でも、頼りになる相棒の姿はない。


「……待っててね、ギザール」


 遺跡の方角に囁き、まずは村の奥へ足を運んだ。


 月明かりの照らす小屋の入り口で、ザラの祖母が待っている――まるで、私たちが来ることが分かっていたかのように。


「来たカ」

「あの、聞きたいことが――」

「分かってル」

「え……?」


 ここで話すと言って、ザラの祖母は玄関口の階段に腰かけた。


 ザラはまだ、私の背に隠れたままでいる。


「遺跡、何を見タ?」

「……実は」


 獣の影が出たことだけではない。

 オーリウスに話した、ふつうの影とは違う見た目について話すと。


「……“魂送り”待つ魂、穢れた影(アンブラ)の中にいル」

「魂……?」


 祖母の言葉を繰り返せば、背後のザラがビクッと揺れた。


「あの巨大な影は、壁が生んだ穢れとは違うの?」

「同じダ。だガ……」


 ただの影だったものが、送られなかった魂を取り込んだのかもしれない――。


 祖母の言葉に、今度はザラの喉が鳴った。


「オレが、魂送りをしなかったから……なのカ?」

「ザラ……」


 ついに口を開いたザラを振り返り、震える手をとった。


 ザラが踊らないのは、“魂送り”が迷信だから。意味がないことだと、あの夜言っていたはず。

 でも――。


「本当に、それだけ……?」


 月を映した瞳を、じっと見上げていると。


「……っ」


 ザラの視線が、地面へ逃げていった。


「オレは……」

「村の外、出られなくなル。だからだろウ?」

「え……?」


 祖母の言葉に、ザラの手の震えが大きくなった。


 外に、出られなくなる――?


「それは、巫女を継いだら……」

「巫女は村の(おさ)、長は村を出ること、できなイ」

「そんな……!」


 手の震えが、ザラのものなのか、自分のものなのか分からなくなってくる。


『所詮、聖女は籠の鳥だ』


 頭の奥に染みついた言葉が、こだました。


「……ザラ。ワシはもう踊れなイ。留まる魂、解放できるのは、お前だけダ」

「……」


 いつまでも、ザラは答えない。


「ザラ……」


 私だって、何も言えない。


 ただ、握った手だけは離さずに、ザラの選択を待っていると。


「ザラ!」


 息を切らし、目の前に滑り込んだのは――。


「ザナド……?」


 ザラの婚約者だ。


「ザラ、ベラエ」

「……!?」


 言葉は分からない。

 でも、ザラの表情が一瞬で変わった。


「『自由か巫女か、選ベ。巫女だからではなイ、自由だから惹かれタ』……ザナド、そう言ってル」

「おばあちゃん……」


 ザラの手が、私の手をすり抜けていく。


 ザナドに正面から向き合ったザラは――少し穏やかになった表情で、何かを呟いた。


「……『婚約者のオマエに申し訳なイ。だかラ、外出られなかっタ』」

「え……?」


 今になって、やっと分かった。


 ザラは、ただ外に憧れていたのではない。

 本気で村を出ようとしていたから、頑なに踊らなかった。


 でも――彼女はザナドを捨てられなかったのだ。


「……ザナドはなんて?」

「『ザラの好きにしてほしイ』ト」


 ライガ・マナの若者は、ザラを縛るつもりはない。

 ただ、子どもたちを救うためには“魂送り”が必要だ。


「ザラ……」


 笑顔のザナドに背を向け、彼女は私を振り返った。

 無言のまま。私に委ねることも、自分で選ぶこともできずに、じっとこちらを見つめている。


 もし、私がザラだったら――?


 自由と村の未来、どちらかひとつだけなんて、選べるのだろうか。


 今にも泣きそうな顔を見つめたまま。

 そっと、ザラの手をとった。


「……どうして私まで踊っちゃうのか、ずっと考えてたんだ」


 初めてこの地に踏み入った時、あの音楽に誘われた。楽しいのに抗えない、不思議な力で。


「あれは、聖女だった私を巫女と勘違いしたからかも」

「……?」


 もし、ザラの祖母の言うことが本当だとすれば。

 私を呼んでいたのは、“魂送り”を待つ魂だ。


「でも、私じゃダメだった。ザラじゃないと」


 影は私に、『似ているけど違う』と言った。

 影は最初から、ザラを呼んでいたのだ。


「でも……自由は巫女にだってある」

「……!」


 自分自身に縛られる痛みは、もう知っている。

 でも、どこへでもいける身体があるのなら――。


「場所や他人の決めたことなんて、関係ない」


 ザラがどうしたいか。


 それだけだ。


「ミュウル……」


 ザラの瞳が揺れた。

 瞬間――沈んでいた瞳に、あの燃えるような光が灯る。


「行くゾ。遺跡ヘ」

「……うん!」


 ザラの祖母から受け継いだという、巫女の装束。

 褐色の肌を焦がすような、赤い宝石のドレスを纏う彼女の手を引き、遺跡を目指した。


 今度こそ、あの巨大な影をぶん殴らなければ。

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