18話 濁った壁
暗闇へ落ちたはずだった。
なのに次の瞬間、空が広がっていた。
「え……?」
草の焦げた匂い――どうやら外にいるみたいだ。
細い木々だけが立つ、平原の真ん中に放り出されている。
背後には、ムッとした石の巨像が口を開けていた。
(ここから吐き出されたの……?)
「う〜……息がっ」
「あっ、ごめん」
倒れたギザールが、私の下で潰れている。
すぐに退いて手を差し出せば、「見た目の割に重いっすね」と、ギザールはこちらを恨めしげに見上げた。
「それにしても。ライガ・マナ村とは、随分違うところに出たみたいっす」
「うん……あっ」
進もうとしたら、目の前の景色が歪んだ。
めまいではない。
これは――壁だ。
この土地の壁が、青空と平原に溶けるようにそびえている。
「こんなところに壁っすか!?」
「でも、なんか変だ」
一枚目とは違う。
空気を濁らせるかのような壁。
すぐ前まで近づくと、獣のうなり声まで聞こえてきた。
遺跡の中で聞いた、あの声。
『オマエハ……近イガ、チガウ』――あれによく似ている。
「修道院に出たみたいな、獣の影は近くにいないけど……」
「“穢れ獣”のことっすか?」
ギザールと出会った時は、虫の形をしていた影。修道院に出現したのは、獣型だったことを話すと。
「地図作り的には、このまま次に行っても問題ないっすけど……」
この数日で海岸線は一通り歩いたし、マナ村の文化や歴史もある程度は記録できた。
そう言って、ギザールはこちらを振り返った。
「でも、村の子どもたちが消えたままなんて」
それに、ザラとこんな風に別れるのは嫌だ。
「……まぁ、そうっすよね」
「うん。もう一度、村へ戻ろう」
「そうは言っても、どっちが村なんでしょうね?」
少なくとも、壁に背を向けて歩き出すしかないわけだが――それにしても。
どうして遺跡は、私たちを壁の前に吐き出したのか。
壁を見ていると、あの遺跡の音楽が聞こえてくるような気がする。
「遺跡と壁……なにか関係してる?」
ぽつりと呟いた、その時。
背後から、覚えのある遠吠えが聞こえてきた。
「あ、アンタは!」
シマウマのような動物が、こちらに駆けてくる。その背にまたがり、やって来たのは――ライガ族の男性だ。
「たしか……ザラの婚約者の、ザナド?」
焦茶のたてがみに、あの無邪気な笑顔、間違いない。
極彩色の鳥たちに囲まれながら、彼は私たちの前へ降り立った。
「ええと? 『鳥たちのおしゃべりをたどってきたら、お二人がここにいると分かりました』……ですって!」
彼はギザールと同じで、動物と話せるみたいだ。
それが悔しかったのか、ギザールは少し肩を落としている。
「……『ザラや村にはあなたが必要です。一緒に戻ってくれませんか?』……ですって」
ザナドの真っ直ぐな瞳を見つめ返し、ただ頷いた。
私にできることがあるか分からないが、壁をぶん殴れる拳の力ならいつでも貸せる。
「でも、どうやってその馬に3人も乗るんです?」
「道案内さえしてくれれば全然いけるよ」
「それはどういう……わぁっ!?」
イキの良いギザールを肩に背負い、地面を蹴った。
走り出したシマウマと並んでも、意外といけそうだ。
「ミュウルさん降ろしてくださいぃぃ~!」
ギザールの悲鳴に混じって、ザナドの笑い声が響いた。
「『男を担ぐなんて、あなたはザラに似てる』……って! それどころじゃないっす!」
「こっちの方が早いから」
「でも、オレのちっちゃなプライドがぁ……」
走りながら、まだ笑っているザナドの横顔を見た。
ザラは彼が寝てばかりいると言っていたが、実際は頭も回るし行動力もあるみたいだ。
「カスデンナ?」
「え?」
気絶したように沈んでいるギザールが訳さないので、「何となく」でザナドと話すことにした。
柔らかくも、意志の目が光っている。
「あなたは、ザラをどう思ってるの?」
ザラという単語を聞き取れたのか。ザナドは村の方を見つめながら、声を高くした。
「ええと……」
やっぱり聞き取れないけれど、彼がザラを尊敬しているのは伝わってくる。
「『ボクにはもったいないメスです』……って、言ってるっす」
「……そっか。ギザール、気持ち悪いなら寝てていいよ」
「アンタはなんでそんなに余裕なんっすか!」
せっかく縁のあった村のことも心配だが、このままでは公式の選抜隊に先を越されるかもしれない。
ギザールはそこを心配しているみたいだ。
「うん、やるべきことは分かってるけど」
ただ海岸線をなぞることだけが、地図を作るということなのだろうか――。
巫女の役目を疎みながらも、子どもたちの行方を心配するザラのことが思い浮かぶ。
「……きっと彼女は、自分の役目に縛られてるだけじゃない」
彼女が村の外に憧れながらも村を捨てないのは、きっと故郷を愛しているからだ。
ザナドのことも、本当は――。
「行こう、ギザール。きっとあの遺跡にヒントがある」
「たしかに、遺跡の調査はまだしたいっすけど……うっぷ……ミュウルさん、もっとゆっくり走ってくれません?」
早く村の方へ戻らなければ、子どもたちが危なくなるかもしれない。
隣を走るシマウマより速く、足を駆った。
「うわぁぁぁ!」
ギザールの叫びを響かせながら、平原を疾走していると――やがて、村の目印である大木が見えてきた。
「やった、着いた……!」
でも、女性が少ない。ザラの姿もない。
「……『ザラはミュウルさんを追うため、遺跡に入ろうとしている』って、そこのご老人が」
「……!」
しかもそれを、若い者たちが必死に止めようとしているという。
「早くザラのところへ……」
息を切らしながらも走り出そうとした、その時。
「ちょっと待ってください!」
ふらふらのギザールに行手を阻まれた。
「村のご老人たちが、ミュウルさんに話したいことがあるらしくて」
「でも、今は!」
「『ザナドを向かわせました。ふたりはここにいると、巫女へ伝えるでしょう』……だそうっす」
地面にめり込ませた足を、いったん止めた。
ザラが無闇に遺跡へ入らないのならば安心だが――子どもたちの安否が知れないのに。
「その話って、今しなきゃダメなの?」
「子どもたちの行方に心当たりがあるらしいっす」
「……!」
また遺跡に飛び込んだって、壁の前へ吐き出されるかもしれない。
ならば――。
「分かった。話、聞く」
頭を下げるお年寄りに導かれるまま、村の奥へ入っていくと。
そこはまだ、見たことのない場所だった。
「ここは……」
身体よりも大きな葉に隠された、木製の小屋。
『ここは族長の家だ』と、お年寄りは言っているらしい。
「ザラさんの祖母……『盲の賢者』と呼ばれてる人が、ミュウルさんをお呼びらしいっす」
「もうの賢者……?」
『燃やした煙デ、巫女だったオレの祖母は目を患っタ』
昨晩火のそばで聞いた、ザラの声がこだました。
「そっか、巫女だったザラのおばあさんなら……」
あの遺跡について、何か知っているかもしれない――。
震える息をのみ込み、澄んだ空気の漂う小屋へ足を進めた。




