17話 誘う遺跡
タン、トン、タン――と、深淵から音が迫る。
そんな穴へ引き込まれそうになった、瞬間。
「ミュウルさん!」
強い力に腕を引かれ、我に帰った。
音楽も鳴りやんでいる。
「ギザール? 酔ってたんじゃ……」
「それどころじゃないっすよ、大事件っす!」
彼は眉根を寄せ、息を切らしている。
「とにかく一緒に来てください!」
「あれ……?」
私が遺跡の穴を覗いていたから、先を越される心配をしていたのではなかったのか――。
首を傾げる間に引っ張られていったのは、ライガ・マナの村だった。
かがり火は消えているのに、大人たちが、月明かりだけの暗闇を走り回っている。
「いったいなにが……」
人が集まっているあの場所は、鍵がかかっていたテントだ。
まさか、あの獣化した子どもたちが暴れ出したのか――。
おそるおそる、中をのぞき込むと。
「あれ……?」
誰もいない。
たくさんの爪痕が、枯草の床や壁に残っているだけだった。
「オイ、何があっタ!?」
「ザラ……」
彼女は私を見つけるなり、一瞬で距離を詰めてきた。
「オマエ! 突然でてったと思ったラ、ここにいたのカ」
「うん……」
そんなことより、今はこのテントの中身だ。
空っぽのテントを指すと、ザラはたてがみを持ち上げた。
「子どもたちガ……ダンタッイニコド!?」
ギザールは、ずっとここにいたはずだ。
何か知らないかと振り返れば――村の女性たちが、私をいぶかしげに見ていた。
「マズいっすよミュウルさん……『子どもたちを逃がしたのは、宴の途中で急に消えたヤツじゃないか』って」
「そんな……!」
お前たちが来る前は、こんなことは一度もなかったと。
彼女たちの剥きだした牙に、全身がピリッと痺れた。
「私たち、そんなこと――」
言いかけた、その時。
横から伸びてきた赤い腕に、肩を引き寄せられた。
ザラが私を抱えたまま、女性たちに何かを話している。
「『こいつは今まで、オレの腕の中で寝てたんだ』って……ええ!?」
素早く訳してくれたギザールは、「アンタほんと人たらしっすねぇ」と目を丸くした。
「だって、寒かったから」
私を離そうとしない腕を軽くつつき、ザラと視線を合わせると。
「オマエはオレの家にずっといタ……そうだナ?」
有無を言わせない圧力に、頷くしかなかった。
ザラは、私が秘密基地から一時離脱したことを言わないつもりらしい。
彼女が庇ってくれると、女性たちは牙をしまった。
「でも、おかしいっすねぇ。壊れてないなんて」
ギザールは木製の鍵を眺めながら、ブツブツと呟いている。
「閂は外から開けるしかないはずなのに」と。
「誰かが外したんじゃないの?」
「でも、誰が外すんっすか? オレら以外に新しい人は増えてないんっすよ?」
『お前たちが来る前は、こんなこと一度もなかった』――確かに、誰かがそう言っていた。
「私も、家の中見ていいかな?」
爪痕を見るだけで、胸が変な音を立てる。
昨晩の異様な光景が浮かんでくる。
それでも一歩踏み出し、乱れた枯草を見下ろすと。
「……あれ?」
弧を描くような爪痕ばかり。
あの踊りの足運びと同じような跡が、いくつも床に残っていた。
「うーん、無難っすけど、周囲にある足跡をたどってみますか?」
でも、獣の足跡しかない。
ギザールがそう口にすると――。
「……っ」
ザラをはじめ、村の人たちがソワソワと動きはじめた。
ギザールは気にしていないが、何だか妙だ。
激しい尻尾の動きが気になって、彼らの後ろをのぞき込んだところ。
ザラに、一瞬腕を引かれた。
「……なに?」
「いヤ……」
ふだんは堂々としている彼女が、一切目を合わせようとしない。
「えいっ」
純粋な力比べならば、野生児のザラにだって負けない自信がある。
止める腕を引きすりながら、前へ進むことにした。
「あっ、オイ!」
「どれどれ」
後ろの人たちが、いったい何をしているのか――近づいた先で、女性たちの尻尾が足跡を消す瞬間が見えた。
獣化した子どもたちの足跡を消す、村の人たち。
少し様子のおかしいザラ。
絶対に、何か隠している。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」
本当に、あの子どもたちは未熟なせいで夜に獣化していたのか――。
「えっ、獣化!? 人が完全な獣になってたってことっすか?」
そんなことは書の中でも見たことがないと、興奮気味のギザールを横目に。
ザラの目をじっと見て訊ねると――ついに彼女は、耳と目を伏せた。
「実ハ……」
夜になると、子どもたちが獣化する。
それが、ここ一年ほど続いていると言う。
「じゃあ、獣化は普通じゃないんだ」
「アア……オレたちは本来、完全な獣に変身はできなイ」
ザラの告白に、ギザールは「でも」と首を傾げた。
「子どもたちの手掛かりになるっていうのに、どうして足跡を消そうとしたんっすか?」
「それハ……」
変身は不吉、獣への回帰とされている――ザラは難しいことをぽつぽつと言った後、黙り込んでしまった。
「客人に知られたくなかったんダ」
儀式は拒むのに、そういう「言い伝え」は信じているらしい。
「でも、足跡があれば後を追えるかも」
ここで止まっていても仕方がない。
足跡をたどるように、歩き出すと。
「あー……お手上げっすねぇ」
フラフラした足跡が重なり合っているせいで、方角がいまいち分からないとギザールは嘆いた。
でも――足跡以外にも、彼らを探す手がかりはある。
「……まただ」
「こっちだ」と誘うように、またあの音楽が鳴り始めた。
「ええ? また例の音っすか?」
「オレには聞こえないのに」と、ギザールは言うが。
ザラを振り返れば、彼女は耳を伏せていた。
「行こう、ザラ」
獣化した子どもたちは、昨晩あの音楽に合わせて踊っていた。
もしかしたら、彼らは音の方へ向かったのかもしれない――。
「……あア、分かっタ」
また、足が動き出す。
踊りながら自動的に、森の奥へと誘われていく。
「なぜ、その踊りヲ……!」
「え?」
ザラや村の人たちは、目を見開いていた。
それは“魂送り”をする巫女の踊りだと。
「この音を聞いてると、勝手に身体が動くんだ」
「ミュウルさんのその踊り、即興じゃなかったんすね」
「うん、でも……」
疲労などお構いなしに動くせいで、身体が重くなっていく。
それでも、ため息を吐きつつ進んでいった。
獣人たちを引き連れて。
やがて見えてきた遺跡は――あの時のまま、私の帰りを待っていたみたいだ。
蓋の開いた岩の塊が、今は朝焼けに照れされている。
「あれ? この穴……この間は開いてなかったっすよね!?」
「さっきギザールが呼びに来た時には開いてたけど」
そういえば、どうしてあの時ギザールは私の居場所が分かったのか。
訊ねれば、ギザールは「踊るミュウルさんが見えたから」とこちらを見ずに言った。
すっかり遺跡の穴に夢中だ。
「子どもたちが消えた騒ぎで、ミュウルさんを探しに森へ入ったんすけど」
「あれ、でも……」
私はこの場所で、子どもたちを見ていない。
入れ違ったのだろうか。
それとも、彼らが向かったのはこの場所ではないのか――。
「ん……?」
頭の中のごちゃごちゃを晴らすように、太鼓の音が大きくなっていく。
「……これは、“魂送り”のための音楽ダ」
昨晩聞いただろうと、ザラが耳を伏せたまま言った。
「この踊りに誘われて踊ってたら、扉が開いたんだ」
儀式の踊りは、私と子どもたちに共通するもの――やっぱり、この遺跡が無関係だとは思えない。
「とりあえず、子どもたちを探してくるよ」
今度こそ迷わず、先の見えない穴へ飛び込もうとしたところ。
「待ってください! どんな危険があるか分からないっすから……っぁああ!?」
「あっ」
私の肩を掴んだギザールが、先に転がり落ちていった。
「うわぁぁぁぁ――」
かなり深いのだろうか。叫び声が、すごい勢いで遠くなっていく。
「おイ、アイツ大丈夫なのカ?」
「うん、いつもの不運だよ」
今度こそ、穴の中へ。
「……なんか冷たい」
それでも迷わず、足から飛び込もうとすると。
『オマエハ……近イガ、チガウ』
「え……?」
吠えるような声が響いた。
穴の底からだったのか、それとも――頭の中だったのか。
ブルっと身を震わせた、瞬間。
影のようなものに手を引かれた。
「えっ……?」
「ミュウルー!」
ザラの声が遠くなる中。
真っ暗闇に落ちていく。
それから――少しずつ、楽しげな音楽が近づいてくる。




