16話 獣乙女の秘密基地
踊る獣の子どもたち――あれは、悪い夢だったのだろうか。
訊ねることもできないまま、ザラは「オレだけの家があル」と、森の奥へ進んでいく。
「ほら、ここダ」
「……木の上?」
葉のテントではない。二股の大木に、木の小さな家が乗っていた。
そして、部屋の中には――。
「宝の山だロ?」
「これは……!」
修道国の言葉で書かれた本、止まった腕時計、まだ動いている魔法のラジオ。
自然と共に生きる彼女たちが、本来持ち得ないものが転がっていた。
「ひいひいババの頃から集めてル。オレも森で拾ってきタ」
「そっか、だから……」
ザラが修道国の言葉を話せるのは、“外のものに興味を持っていたから”ではない。ここにあるものや、祖母たちの声を拾って身につけたのだ。
「私たち以外にも、外から森に来る人はいるの?」
「昔はいたらしいガ、祖母の代からはいなイ」
実際に私たちの姿を見て、ザラは驚いたという。
「昔は壁が無かったのかな……」
修道国だけではなく、まだ見ぬ土地の人たちも、世界を自由に旅できたのだろうか。
でも、修道国に世界地図はない。
「そういや昔、その“壁”の周りによその本がいっぱい落ちてたナ」
「壁!?」
この地にも、やっぱり壁があるのか。
壁は世界を隔てているだけではなく、影を生む――絶対に壊さなければ。
「壁に興味あるのカ?」
「うん。ぶん殴……ちょっと確認したくて」
慌てて言い直せば、「後で案内する」とザラは言う。
「どうしタ? オマエ、さっきから大人しいナ」
「え……ええと」
言うべきだろうか。鍵のかかるテントで見た、あのことを。
少なくともザラは、子どもを閉じ込めるような人ではない――。
「実は……」
完全に獣の姿をした子どもたちが、テントの中で踊っていた。
正直に話せば――ザラは一瞬、動きを止めた。
「あア……見たのカ」
うなるような声。
でも、どこか寂しげだった。
「ザラ……?」
「“獣化”は、未熟な子どもなら珍しくなイ。獣化しやすい夜は閉じ込めてるんダ」
淡々と言う彼女の尻尾が、低い位置で揺れている。
「……そうなんだ」
獣人についてよく知らなくても、なんとなく納得できる答えだけれど――。
小さく深呼吸して、そっぽを向いたザラに向き直った。
「あの音楽に合わせて、踊ってたみたいだったんだけど……」
村で奏でる音楽ではない。
あの遺跡から聞こえる音はなんなのか。
ずっと聞きたかったことを、ついに口にすると。
「さぁナ。オレはあの音がきらいだかラ……」
ザラの丸い耳が伏せられた。
「やっぱり、ザラには聞こえてるの……!?」
ギザールには聞こえなかった音楽。
私だけだと思っていた。
でも、「それ以上答えない」と言うかのように、ザラは枯れ草の床へ寝転がった。
「ん」
彼女はこちらに向けて、腕を伸ばしている。
「え……なに?」
「夜は冷えル」
「毛のない人族は凍えるから」と、ザラは私を腕の中へ招いてくれた。
恥ずかしいけれど――確かに、夜は昼と比べものにならないくらい寒い。
「……じゃあ、遠慮なく」
背中を向けて、彼女の広い胸に収まると。温かい身体に強く抱きしめられた。
森の爽やかな香り、それと焦げた炭のような匂いが混じっている。
「良いにおい」
「……オマエは不思議な匂いダ」
「あ……」
どうやら、声に出ていたらしい。
「オマエたちは、あの本にあル、石の塔の都から来たんだロ? みんな、こんな甘い匂いがするのカ?」
「どうだろう」
ここは、修道院や都の夜とは違う。
目を閉じると聞こえてくるのは、風と夜鳥の声だけだ。
「……ザラは、外へ出たい?」
ライガ・マナ村にあるものは、私にとって全部が新鮮だった。でも、ここはザラにとってどんな場所なのだろうか――部屋の隅に転がるラジオを眺めながら、問いかけると。
「巫女は継がないガ、結婚はすル」
そうなれば、村を出られない。
ザラは囁くように言った。
「それは……」
『所詮は籠の鳥だ』
あの言葉がこだまして、頭がズキっと脈打った。
ザラはここにいることを望んでいるのだろうか。
それとも、村の決まりに縛られているだけなのか。
「……ザラ、あのさ」
もし私が壁を壊せたら、一緒に外へ出ないか――そんな言葉を飲み込んだ、瞬間。
「ひゃっ」
耳がくすぐったくて、変な声が出てしまった。
ザラが耳飾りをいじっているみたいだ。
「オマエは、これをくれた奴と番うのカ?」
「……え?」
これを通して、男と話しているところを聞いた――そう言って、ザラはさっきよりも声を高くした。
「自分で手に入れたにしては大事にしてル。そいつにもらったんだロ?」
「いや、彼は……」
旅の仲間だけれど、一緒にはいない。
同志というのもなんだか違う。
「長官……上司?」
「長みたいなもんカ?」
「それ! あ、でもあの人はそれ以上というか」
一緒に道を開いてくれた人。
改めて口にすると、勝手に頬が緩んでしまう。
「オマエはいいナ」
「え……?」
「変わった道具を使ウ、耳も尻尾もない奴……オマエたちには、どこにでもいける身体と自由があル」
「羨ましい」と、彼女は腕の力を強めた。
「ザラ……」
やっぱり、彼女は外の世界へ行きたいのだ。
少し前の私と同じで。
「ザラ、やっぱり私と……」
“壁を壊した未来”を口にしようとした、その時――耳元で咳払いが響いた。
「えっ……?」
『念の為忠告しておきますが。話、筒抜けです』
オーリウスの声に、カッと頬が熱くなった。
「じゃあ、さっきの上司以上も聞いて……」
だめだ。
全身がムズムズして、じっとしていられない。
「オイ、どこへ行ク!?」
「ちょっと夜のトレーニングへ!」
窓から飛び降り、あてもなく走り出した。
「ミュウル……!?」
ザラの声を振り切り、気づけば、最初に上陸した海岸線へ着いていた。
「……っ!」
耳飾りを外し、黒い海に向けて振りかぶったところ。
『突然、地図上の点が揺れ始めましたが。大丈夫ですか?』
「大丈夫じゃない! これ捨てる!」
『はぁ!?』
いつも通信が繋がっていたとしたら、今までの言動すべて筒抜けだったのではないか――考えるだけで汗が出てくる。
『こら、やめろ! 安否確認のため2時間に一度は魔力を流しているだけだ!』
「え……?」
応答がなければ通信を切っている――早口な弁解に、振り上げた腕をいったん下ろした。
「ほんと……?」
『ああ、本当だ。だから落ち着け』
ぜんぶは聞かれていない。
ようやく言葉を飲み込めたところで、浜辺へ腰掛けた。
静かな波の音だけが残っている。
『はぁ……本当に、貴女の行動は予想がつかない』
「あの、上司以上だと思っているっていうのは……」
『分かっています』
穏やかな声が響いた。
『貴女にとって、初めての外の世界。こうしてお役に立てることは……私も嬉しく思います』
「……そっか」
そういえば、どうしてオーリウスは選抜隊を組織しようとしたのか。
肝心なことを聞いていなかった。
『……国内外の地理を把握することが、国土省の使命ですから』
ちょっと濁した気がするけれど。
「本当は自分が旅に出たいんじゃないか」なんて、もう聞けない。
彼の想いは、私が連れていくと約束したのだ。
『ところで。その土地には、獣の特徴をもった人型種族が住んでいるそうですが』
「他に気づいたことはあるか」と訊かれ、水平線上に浮かぶ月を見上げた。
遺跡から響く音楽。
獣になった子どもたち。
巫女を継ぎたくないザラ。
気になることは、いくつもあるけれど――。
「外の人間が出入りした跡はあるのに、どうしてここにも壁があるんだろう?」
頭に浮かぶのは、世界を隔てる“壁”。
「“勇者出発の地”にあった壁みたいに、やっぱり壁は復活してるのかな?」
『それは――』
声を落としたオーリウスが、何かを言いかけたところで。
「あれ……?」
頭に響くのは、トンタンという音――また、あの音楽だ。
『ミュウル、どうしましたか?』
「……分からない。でも、踊らなきゃ」
何度も踊ったせいか。
リズムが身体に染みついて、動きがどんどん大きくなっていく。
波打ち際で、砂を蹴りながら足を運んだり。つま先で月を掬うように、飛び跳ねたり。
見えない糸で操られているみたいだ――分かっていても、身体は勝手に遺跡に導かれていく。
『急にどうしたんですか? 歌まで歌って』
「え、私歌ってる?」
『知らない言葉で……う……た……』
「オーリウス?」
雑音が入り込み、通信が途切れた。
ここは――大岩が積まれた、遺跡の前。
音楽が止まり、踊る足も止まる。
やがて、大岩のそばに積まれた小石が、カラカラと崩れはじめた。
「え……?」
屋根のように被さっていた大岩が、かすかに浮いた。
『岩の紋様は1000年前の浮遊都市に似た形跡……』
ここに初めて来た時の、ギザールの言葉がこだまする中。
浮いた岩が、自ら地面に横たわった。
てっぺんの岩が退いたことで現れたのは、底の見えない大きな穴。
「これは……」
背筋に、ゾクっと何かが走った瞬間。
足が動いていた。
再び鳴り始めた音楽が、私を呼んでいる気がする――あの穴の中から。




