15話 踊らない巫女
村へ持ち帰った巨大イノシシは、あっという間においしい串焼きへと変わってしまった。
「イマウ! ゾイマウ~!」
「なんて?」
隣に座り込むギザールに耳打ちすると。
「『おいしい』です……って、皆さんの様子見れば何となく分かるでしょ!」
それどころではないと、ギザールはせっせと肉を串に刺している。
「なんか順応してる?」
「まさか! いいように使われてるだけっす」
この村――“ライガ・マナ”では、狩りが女性の仕事なら、肉の解体と料理は男性の仕事。
そう言って、ギザールは赤い生肉を焼きはじめた。
「ミュウルさん、この部位食ってみてください!」
「狩りで一番活躍した人が、一番噛み応えのある部分を食べられる」――そう聞いたというギザールに進められるまま、分厚いステーキをかじると。
「んむっ」
あまりに野生的な旨み、それに噛みごたえ。それでも香草と岩塩のおかげか、クセになる味だ。
「キノコの時もそうだったけど。たったひとつの食材をおいしくするの、上手だよね」
「これでも長旅の経験アリっすから――」
「ギザル!」
胸を張るギザールに近づいてきたのは、村の女性と子どもたち。
「げっ! ミュウルさん、助けてくださいっ!」
「えっ、なんで?」
モテているところを邪魔しては悪い。
そう思って離れようとすれば。
「子守と料理のうまいオス、ここのメスは好きだからナ」
「あっ」
手元の肉をひったくったのは、すっかり毛並みを整えたザラだった。
彼女の牙は、私が噛み切れなかった肉を簡単に裂いている。
「アレはオマエの番カ?」
「え、ギザールが?」
「助けて」と繰り返すギザールの方を見れば。
尻尾を絡める女性たちに、今にも食べられそうになっていた。
子どもたちには、すでに手足を甘噛みされている。
「……“私の夫”ってことで紹介しておけば、狙われないかな?」
「イヤ、オレら一夫多妻ダ。関係ない言うメスも出てくル」
オスは外で働かず、子どもの世話と家のこと。気の利くオスは重宝されると、ザラは言う。
「へぇ。男の人は、ああやって寝てるだけじゃなかったんだね」
「……寝てばかりの奴もいるガ」
ザラが指したのは、みんなが料理をする中、木陰でスウスウ眠る男性だった。ギザールのように小柄で、穏やかな顔つきだ。
こちらの視線を感じたのか、彼はふっと目を開けた。
「ザラ!」
彼はいそいそと肉を持って、ザラの前に恭しく差し出した。
それでもザラは、笑顔の男性から目を逸らしている。
「ザラ、どうしたの?」
「『ザラの親友も一緒に食エ』だト」
「ラフィキ?」
「……いヤ。悪いナ、ザナド」
肉を運んで来てくれた彼は、ザラの言葉にパッと笑顔になり、去っていく。
それでもザラは、彼を最後まで見なかった。
「あの人は……」
「オレの夫になる奴ダ」
ザラは小さくため息を吐いた。
あれは従姉弟で、結婚まであとひと月だと。
「優しそうな人だね」
「ああ。だガ、一族で決めた相手ダ。オレは選んでなイ」
ザラは耳を伏せているが――それ以上、私には踏み込めない。
「……そっか」
いつの間にか、ザラの頬が夕暮れ色に染まっている。
気がつけば、村の真ん中の広場に、巨大な火が灯されていた。
「ザラ、あれで肉を焼くの?」
離れていても熱く感じる火を指しても、ザラはあちらを見ない。
「……あれハ、“いただいた獣の魂”を天へ送るための火ダ」
儀式用――そう言って、ザラは地面に寝転がってしまった。
ザナドのこともそうだが、あの火のことも、ザラは見ようとしない。
「……ザラ」
尻尾だけが、私の前にふわふわ浮いている。
そんな中。
お年寄りたちが、細長い太鼓を持って集まってきた。
「あれ? この音楽って……」
遺跡から聞こえてきたものと、まったく同じリズムだ。
踊り出したくなるけれど――アレとは違い、勝手に身体が踊るほどではない。
「巫女ザラ」
奏者のお年寄りたちが、ザラに声をかけている。
彼らが言葉を切る前に、ザラのたてがみが少しずつ立ち上がっていった。
「ダダムノキ!」
「……ザラ?」
私への視線すら泳いでいる。
それでも「知りたい」と言えば――彼女はため息混じりに、「踊らないと言っただけダ」と吐き捨てた。
「オレは巫女ダ。『魂を送る踊りと唄を奉納しロ』ト、年寄りたちが言ウ」
「踊りと唄……」
「燃やした煙デ、巫女だったオレの祖母は目を患っタ。こんなの意味がナイ」
たしなめる人たちを無視して、ザラは寝転がり続けている。
「ザラ、またなんか言われてるよ」
「……『儀式を軽んじたラ、獣の祟りが起こル』だト。そんなの迷信ダ! いつまで意味のないことをさせる気ダ?」
火が害になるから踊らない。
今の話はそういう流れだったが、本当にそうなのだろうか。
ザラ自身が堅い意志で拒んでいる――そんな気がした。
「……ギザール、どうしてるかな?」
さっきから、言いたくないことをザラに訳してもらっている。
頼りになる通訳さんへ、さっき聞いた儀式のことを伝えに行こうか――。
「ミュウルさぁん、助けてって言ったのに……」
「あ……」
足をふらつかせながら近づいてきたのは、迎えに行くつもりのギザールだった。酒樽を担いだ、屈強な女性たちを引き連れている。
「わぉ、モテモテ」
「からかわないでください! この人たち、牙と爪をチラつかせながら『夫になれ』って脅してくるんっすよ」
飲まされているのか、すでに顔が赤い。
ただ、「手足ガブガブ」からは解放されているみたいだ。
「子どもたちは?」
「う〜ん、酒の席が始まりそうになったら、連れて行かれちゃったんっすよね〜」
「子どもは寝かされたのでは?」と、ギザールはすっかりほろ酔い気味だ。
「……そっか」
「あれ、ミュウルさん、どこ行くんっすか〜!?」
「トイレ」
火の側が熱い上に、酒の臭いで頭がぼうっとする。
「ミュウル。便所は東ダ……迷うなヨ」
ザラは曇天の夜空を仰ぎながら、そう言った。
「……? うん」
東と言われても、今どちらを向いているのか分からない。
こんなことだけにオーリウスを呼び出したら、さすがに叱られそうだ――あの鋭い目を思い出しながら、テントの隙間を歩いていると。
「あれ……?」
タントンと、遠くから聞こえてくるのは――あの音楽だ。
でも、広場の方からではない。
「これは、あの遺跡から……?」
また、足が勝手に踊り出す。
つま先に糸がついているみたいだ――。
「ん……?」
あの奥のテントだけ、なぜか揺れている。
しかも他のものと違って、枠組みに木が使われているみたいだ――まるで、何かを閉じ込めるかのように。
「……まさかね」
暗いところでひとりになると、悪い想像ばかりはかどってしまう。
でも。
揺れる葉っぱ。何人もが足踏みをするような、バタバタという音。
「……」
引き寄せられるように、足が奥のテントへ向かっていった。
ドクン、ドクンと鼓動が跳ねる中。
大きな葉っぱを、少しだけめくってみると――。
「……っ!」
何かが踊っている。
小さなそれらは、同じ動きで手足を動かし――時々、入り口の鍵を、ガチャガチャと鳴らしていた。
「なに、これ……」
足が固まって動かない。
でも――。
もっとよく見ようと、なけなしの聖力を目へ集中させると。
「……え?」
子どもだ。
ただ、おかしい――彼らは“獣人”ではなく、“完全な獣”の姿になっていた。
『ザラ……』
「……!?」
あの子も、他の子も。
ザラの名前を呼んでいる――そう気づいた、瞬間。背後から声が聞こえて、弾かれたように走り出した。
「……っ!」
走るたびに、胸が軋む。
頭が、鈍く痛む。
気づけば、焚き火のところ前まで戻っていた。
「おイ」
「……っ!」
振り返った先では、相変わらずザラが寝転んでいた。
「……なに?」
「遅かったナ。便所、分からなかったカ?」
「ううん……」
今は何も言えない。
ザラから視線を逸らし、こっそり奥のテントを振り返った。
あの子どもたちは、どうして獣の姿で踊り狂っていたのか。なぜ閉じ込められていたのか。
あの踊ってしまう音楽のせいなのか――。
今も広間には、あの音楽と同じリズムが響いていた。
「楽しいのに……ここ、なんか変だ」
ザラから「もっと食べロ」と串を差し出されても、もはや肉の味が分からない。
「……オマエ今夜、オレのとこに泊まレ」
「え……?」
頭がまだ回らないうちに、ザラに手を引かれた。
熱いほどに温かい手が、私を村の奥の、さらに奥へと引っ張っていく。
あの森の音楽は、もう鳴っていなかった。
でも――頭の中の音は、やまない。




