12話 サメ・クルーズ
地図作り最初の一歩は、紺色の海へダイブ。
そして――。
「うううう寒いいいい!」
「ギザール、こっち」
崖の側にあった、灰色の小さな島へ上陸した。
震えるギザールを小脇に抱えて。
「あああ……歴史的第一歩を踏み外すなんてえええ」
「空でも海でも、最初の“点”には変わりないでしょ。それに……」
切り立つ崖を見上げれば。
薄ら笑いを浮かべた勇者の息子――エリアスがこちらを見下ろしていた。
「……とりあえず、彼は追ってこないみたいだ」
何を言っているかは聞こえない。でも、オーリウスが危険な目に遭わされている様子はない。
「ミュウルさん、今は……」
「うん、分かってる」
前に進むしかない。
「でも、勇者はどうしてこんなところから旅立ったの?」
港から船を出すのが普通ではないのか。
そう尋ねると、ギザールはプルプル震える指で水平線を指した。
なんだか、羽の生えた魚のようなものが跳ね回っている。
「あれ、イルカ……モドキ?」
ヒレが羽のように広がって、かなりの距離を滞空している。
「勇者は彼らに交渉して、あちらの大陸まで運んでもらったらしいっすよ」
「へぇ」
人懐こい動物なのか、ギザールが人語で「おーい」と声をかけるだけで、彼らは島へ近づいてきた。
「よしっ、こっからは本格的にオレの出番っすね」
すっかり寒さから回復したギザールは、海水で張り付いた前髪を避けた。そして、イルカたちをまっすぐ見つめ――キュイキュイと、喉の奥を締めるような声を上げる。
「……なんて?」
「『あっちの岸まで運んでくれ』って、頼んでみたっす」
今のが動物言語だと、ギザールは簡単に言うけれど。ただの「音」にしか聞こえなかった。
「でも、ちゃんと通じて――」
「イルカ、遠ざかってくけど」
「えぇっ!?」
イルカたちは、島に近づくなり飛び上がって後退していった。
ギザールが「なんで」と声を上げた、瞬間。
足元の島が揺れはじめる。
「地震!?」
でも、こんな数メートルもない島で起こるのだろうか。
「いや、そもそも……」
こんなに滑らかな地面の島が、この世界には存在するのか――そう言いかけた、途端。
島だと思っていたそれが、海中から顔を上げた。
巨大な口と、ノコギリのような歯を覗かせて。
「ひいっ、サメだぁ……!」
海へ飛び込もうとするギザールを抱えながら、巨大ザメの様子をうかがっていると。
彼はつぶらな瞳でこちらを見つめた。
「ギザール、この子と話してみてくれない?」
「うえぇ……ええと、『大陸を渡りたいなら良い場所を知ってる。ちょうど暖かい海まで行くところだ』……って!」
私たちは、目の前に見えている西の大陸を目指すはずだった。
でも、サメは南の方に鼻先を向けている。
「ちょっと待っ……うわっ」
サメが飛び跳ねた勢いで、身体が宙に浮いたと思えば。そのまま背に乗せられ、ジェットクルーズが始まってしまった。
「あはははっ! すごい、速いよギザール!」
初めての塩水を浴びながら、飛ぶように過ぎ去る島々を眺めていると。
本来の予定よりも、「これでいい」と思えてしまう。
「おおお落ちるっ……!」
サメの背びれに、必死になって掴まるギザールの腰を抱え、後ろを振り返った。
「行ってくるよ、オーリウス!」
もう、私たちの飛び降りた崖は見えない。
それでも。
『羽目を外して、使命を忘れないように』
耳元から、オーリウスの低い声が響いた。
「え……?」
『貴女たちの一歩一歩が、地図に残るのですからね』
そうだ。
耳元で揺れる紫の宝石に触れ、思い出した。
たとえ一緒に行けなくても、私たちはいつもそばにいる。
「うん……いっぱい歩いてくるよ」
私たちは本来、非公式な選抜隊。
その出発がエリアスにバレた以上、オーリウスも無事では済まないかもしれない。
でも――。
『政府の方はうまく騙す』
余裕の顔でそう言ったオーリウスを、今は信じるしかない。
「うううう風が痛いいいい」
「ギザール、見て! 海が透き通ってるよ」
穏やかで暖かい海を、巨大ザメが疾走していく。
やがて彼の泳ぎが緩やかになったのは、入り組んだ海岸の手前だった。
この辺りで降ろしてくれるらしい。
「ありがとう、サメさん! お礼は……」
ギザールの鞄に詰め込んだ、非常食を漁ろうとすると。「ちょっと待って」と、ふらふらのギザールに手を取られた。
「なになに……『お前たちを連れていたら、肉の匂いで肉食魚がたんまり獲れた』……ですって!?」
巨大ザメと同じ背びれが、ひとつ、ふたつと海面に増えていく。
彼の家族が、後についてきていたのだ。
大口を開いた彼らの身体の中で、大量の魚が跳ねている。
「ええと……『お前たちは良い匂いがする。ぼくらと手を組まないか』……って! お、お断りっす!」
震え上がるギザールが、私の背に隠れた。
自分たちを食べなかったのは、釣り餌にするためだったんだと。
「まさか外海のサメの知能がこんなに高いなんて……この辺には人もいなさそうなのに」
「でも、初めての航海、楽しかったよ」
大きく手を振れば、彼らは海へ潜っていった。
「アンタが楽しそうで、サメ酔いからすっかり醒めたっす」
「それは良かった」
それにしても、ここはいったいどこなのか――。
幅の狭い砂浜、葉のない木々の立つ道が延々と続いているだけで、周囲に人の気配はない。
ただ、植物と土の焦げるような匂いが漂っていた。
『こちらグレイヴ』
「え……」
何の前触れもなく、耳飾りから声が響いた。
「オーリウスさん、大丈夫っすか!?」
ギザールの問いかけに、一瞬の間を置いて――オーリウスは、「あの後すぐ執務室へ戻った」と言った。
「エリアスは……」
『ご安心を。いくら彼の権限が強かろうと、証拠のないものを今すぐ「ある」ようには見せられませんので』
私たちが旅立ったという証拠は、エリアス本人の証言しかない。
そう言って、オーリウスは溜め息を吐いた。
『そんなことより、貴女たちの現在地ですが』
執務室の白地図を確認したところ。私たちは、修道国を300キロほど南下したところにいる――オーリウスの言葉に、胸が小さく鳴った。
「えっ! オレたち、そんなに移動してたんっすか!?」
「そっか……」
いま私は、壁の外を――世界を歩いている。
そう実感すると。胸の奥で揺れる“灰色の窓”のカーテンが、少し色づいた気がした。
「どう? アンクレットで描いた点、動いてる?」
試しに、海岸線を走り回ってみたのだが。
『……いえ、同じ場所が何度も光っているだけです』
地図はまだ少しも埋まらないという。
(この世界も、前と同じで丸いのかな……?)
見慣れた地球儀を思い出していると。
「ミュウルさん、とりあえず海岸線を歩いてみません?」
漁に出ている人に交渉すれば、今夜の宿を確保できるかもと、ギザールは歩き出した。
「サメが人を利用するなんて、やっぱおかしいっす。いっそこの辺に人がいるって思う方が自然じゃないっすか?」
「……うん、そうかもね」
やっぱりギザールは、抜けているように見えて、いつも難しいことを考えている。
ブツブツと呟く彼に続いて、歩き出したところで。
「あれ……?」
トンタンと響く、太鼓のような音が聞こえてきた。
「ギザール、音楽だよ」
「波の音しか聞こえないっすけど」
「こんなにはっきり鳴ってるのに?」
気づけば、足が勝手にステップを踏んでいた。
身体が動いてしまうような調べに誘われ、踊りながら歩いていると。
「この貝、昼飯に良さそうっすよ……って、ミュウルさんどこへ行くんですか!?」
「いや、身体が勝手に」
両足で砂を蹴ったり踏んだり、太鼓のリズムをなぞってしまう。
首を傾げながらついてくるギザールを置き去りにする勢いで。音のする森の方へ、身体が引き寄せられてしまう。
「さっきから、音って何のことっすか? ミュウルさん!」
私にも分からない。
でも――太鼓の音が心臓の音と重なりあって、どんどん大きくなっていく。
音楽の方へと誘うように。




