11話 非公式の第一歩
執務室に、ギザールも呼び出したところで。
「貴方たちにご提案があります」
オーリウスが個人的に雇った冒険者として、私たちを旅へ送り出したい。
彼の言葉に、身体の芯が脈打った。
「そしたら私たち……外へ行けるの?」
「ええ、勿論」
真剣に頷くオーリウスに対して、頬が緩んでいく。
あの男に通行証を剥奪された時は、もうダメかと思ったのに。
私、本当にあの壁の外へ出られるんだ――。
「でも、選抜隊はどうなるんっすか?」
「あちらは公式。こちらは私用。出資元が、国か私かの違いしかありません」
ギザールの穴は、勇者の推薦者で埋めておいた。
元々ふたり一緒に旅をしたかったのだろうと、オーリウスは言う。
「そりゃ、オレは願ったり叶ったりっすけど」
「けど?」
俯くギザールに問いかけると。
「オーリウスさんの立場は大丈夫なんすか?」
「あ……」
さすがギザール。
私では、そこまで考えが及ばなかった。
「もちろん公にはしない。ただ、そんなことを貴方たちに心配させるつもりもありません」
政府の方はうまく騙すと、オーリウスは眼鏡を引き上げた。
「ミュウルがその力で道を拓き、ギザールさんが旅先での便宜をはかる。完璧な構成でしょう」
確かに、それができたら最高だ。
でも――。
「本当にいいの?」
今更ながら、お金は大丈夫なのかと心配すれば。オーリウスは「思わず」といった様子で、ふっと笑った。
「この10年で、人生10回分の金は稼ぎました。貴女がたに投資して差し上げます。ですから……」
公式の選抜隊より、先に地図を作ってしまえ。
オーリウスの強い眼光に、身体が引き締まった。
「……!」
そんなこと、できるのだろうか。
あの白地図が埋まるところを想像するだけで、指先が震える。
「やるしかないよ、ギザール」
「はい! やるしかないっすね」
互いの手をパチンと打ち鳴らしたところで。
「それにしても、アンタたち」
「ん?」
ギザールが、からかうように口角を持ち上げた。
なんだか急に仲良くなっていないか、と。
「いつから呼び捨てになったんです?」
「……」
ギザールの指摘に、オーリウスは「時間がない」と言って背を向けた。
また、照れているのだろうか。
そんなオーリウスが引き出しから取り出したのは、先日の足飾りだった。
「これは開発したばかりの魔導具、『コンパス・アンクレット』です」
使用者が歩いたところに、オーリウスの魔力マーキングが発動する――説明を受けたギザールは、「なるほど!」と拍手をしている。
「テストは済んでいますから、実戦あるのみです」
「……オーリウスは?」
本当に一緒に行かないのか。
そう問いかければ。
「私は……」
オーリウスは口を閉じ、寂しげに笑い返しただけだった。
それでも、彼の手は車椅子の肘掛けを強く握っている。
「……分かったよ、オーリウス」
彼の叶えられない夢は、一緒に連れて行く。
今の私には、そう約束することしかできない。
「……では、早速ですが。明日の夜明け前にご出発願います」
公式の選抜隊より、少しでも先に出発する。
オーリウスの作戦に深く頷き、早々に宿へ戻ることにした。
「ミュウルさん! 荷物はオレが背負いますけど、5キロ以内に収めてくださいね」
「私の荷物はないけど」
ギザールは、その本の山をどうするつもりなのか。
問いかけようとした時、懐がじんと熱くなった。
「あ……」
修道院のジェニファから送られてきた、魔法の手紙。
「ごめんねジェニファ。あなたを待てないけど……一緒に行こう」
手紙をお守りの形に折って、もう一度胸元に入れた。
『もうそろそろ追いつきまぁす』
「え……?」
どこからか、覚えのある高音が響いた気がしたけれど。
きっと幻聴だろう。
手紙に、そんな一文は書いてなかったのだから。
私が追放された森――“勇者旅立ちの地”の壁にたどり着いた頃、まだ空は紫色だった。
「……空気、澄んでる」
育った修道院はあちらの方角か。
勇者の息子を殴った大聖堂。
前世の病室にあった、灰色の窓。
頭を巡るすべてに蓋をして、深呼吸した。
「いけますか? ミュウル」
「うん、オーリウスたちは離れてて」
世界を遮る壁。
ヒビが入ったまま、ここで私を待っていた。
「ふぅ……」
初めてこれと向き合った、ひとりの時とは違う。
私をここまで導いてくれたギザール。
そして、旅への道を開いてくれたオーリウス。
彼らを振り返り、そして。
光纏う拳を振り抜いた。
瞬間。
パキッと――半透明の壁が、崩れていく。
「あ……」
壁越しでは分からなかった、海の青さが目に染みる。それに、爽やかな潮風が頬を打った。
「本物の壁も壊しちゃうなんて……ミュウルさん、やりましたね!」
降り注ぐカケラを見て、ようやく実感する。
「やったんだ……」
私が、世界への道を作ったのだ。
「これもついでに持っていってください」
ふだんより声が明るいオーリウスが差し出したのは、耳飾りだった。
アンクレットと同じ色の宝石が揺れている。
「これは?」
まさか、壁を壊した記念というわけではないと思うけれど。
「え〜っ、あのオーリウスさんが女性に装飾品の贈り物っすか?」
「違う! いや違わないが……とにかく、これも魔導具です」
ギザールの茶化しをかわしながら、再度差し出された耳飾り。
それを言われた通り、両耳へつけると。
『貴女がどこまで行こうと、遠隔通話ができます』
オーリウスの声が、すぐ耳元で話しているかのように聞こえた。
「すごい……」
「これでも、外を歩いたことがある身です。助言くらいはできますから」
眼鏡の奥の瞳、今は私を見ていない。
そんな彼をまっすぐに見つめた。
「どれくらいかかるか分からないけれど、世界をぜんぶ見てくるよ」
約束したからではない。
ただ、私がそうしたいから。
影を落とした横顔に、そう告げれば。
「期待しています」
今度こそ、彼の視線が私に向けられた。
「あ……」
いま気づいた。
私は彼へ、何かを重ねていたけれど――。
この人はまだ、諦めたわけじゃない。
ただ、託してくれただけだ。
「オーリウス」
気づけば、手を差し出していた。
彼はその手を見つめ、そして。
ためらわずに握ってくれた。
「やっぱり、温かい」
「……そうですか」
みんなの温度を連れて、行くんだ――。
壁の向こうへ。
「オーリウス、そろそろ」
「ああ……」
それでも手は緩まない。
「えっと……?」
振り解くのも悪い気がして、そのままでいると。
「いつまで手、握ってんすか?」
からかい交じりのギザールの声に、とうとう手が離れていった。
そっぽを向いたオーリウスは、少しずつ車椅子を後退させている。
「もしかして名残惜しかった?」
「……さっさと行け」
離れた指先を握りしめている手に、頬が緩む。
「じゃあ、ほんとに行ってくるね」
「……油断はしないように」
胸が高鳴ると同時に、身体が震える。
そんな矛盾に襲われていると。
「ミュウルさん?」
ギザールが、眉根を寄せてこちらを振り返った。
「……大丈夫だよ」
いまは、壁の向こうへ。
「この一歩が、地図の最初の点になるんだね」
「うぅ……緊張してきたっす」
鞄を背負ったギザールと一緒に。
最初の一歩を踏み出す――が。
「どこへいくんだい、ミュウル!」
聞き覚えのある声に弾かれ、振り返れば。
「え……?」
一点の曇りもない笑顔が目に入った、瞬間。
時が止まったような気がした。
「どうして……」
森の木々を薙ぎ倒すようにして、こちらへ向かって来るのは――。
「エリアス……なぜだ!」
オーリウスが、いつもの余裕を捨てて声を上げた。
ここにいるはずのない彼――勇者の息子エリアス。
彼は確かに、私の名前を呼んだ。
「僕、人の名前はいらないんだけどね。君のは残ってる」
「え……?」
だから迎えに来た。
そんな意味不明な告白を聞く間にも、踏み出しかけた足が前へ進んでいた――もう、止まらなかった。
車輪を崖っぷちギリギリへ寄せたオーリウスが、私の背を押している。
「行け、振り返るな!」
「……でも!」
私が今逃げたら、彼がオーリウスに何をするか分からない。
「逃さないよ。君は僕の唯一無二なんだから……!」
それが真実だと信じて疑わない声に、固まった足を震わせていると。
「ミュウルさん、行きましょう!」
オーリウスの押す力。
ギザールの引く力。
それらに導かれて、足が滑った。
「……っ!」
足は空を切って――下へ、落ちていく。
目の前に迫るのは、紺色の水面。
「ミュウルさん、息止めて……!」
ギザールの叫びを最後に、こわばった身体が海へ沈んでいった。
――決して、追われて落ちたのではない。
これは私が初めて望んで落ちた、第一歩だ。




