9話 勇者の息子、逆襲する。
「試験ナンバー353、合格です」
最終面接まで残った8人の視線が、一斉に私へ集まる。
「え……?」
「ですから、ミュウルさんは合格です。次」
いつもの不機嫌顔から発せられたのは、私の名前だった。
「やりましたよミュウルさん!」
「……うん」
次に名前を呼ばれたギザールに肩を叩かれても、オーリウスの淡々とした横顔を見ても、まだ実感できない。
それでも。
「そっか。私、外を歩けるんだ」
執務室の壁にかけられた白地図。
あれを、私がすべて埋める未来があるかもしれない――想像するだけで、両手が震える。
「ちなみに。『一緒に旅したい受験者』の投票は、すべてミュウルさんの名前でした」
「たった一票の無効票を除いて」と、オーリウスは私から視線を逸らした。
「あ……」
私の入れた“彼への票”は、もしかすると彼を怒らせてしまったのだろうか。
淡々とした口調で「首席合格ですよ」と告げられても、少しも喜べない。
「おい、アンタ!」
いつの間にか、背後に凸凹の男女が立っていた。
「アンタと一緒なら、どこまででもいけそうだ」
旅メンバーになるという彼ら。
大剣背負ったゴツい鎧と、杖より小さなおさげの女性。
「この人たちは、勇者から推薦を受けた優秀な騎士と魔術師さんらしいっす」
「へぇ……勇者から」
でも――今は目が、勝手に車椅子の彼を追いかけてしまう。
「改めて合格者の皆さま、おめでとうございます。これより3時間12分5秒後、勇者より賜った馳走が振る舞われます」
懐中時計を握りしめるオーリウスの手は、かすかに震えていた。
そのわけを訊ねる間もないまま。「早めに行ってみましょうよ!」と弾むギザールに手を引かれ、国土省内の式典ホールへ入った。
「ここで、選抜メンバーへのパスポートが授与されるらしいっす!」
ご馳走も良いけれど、メインはそちらだとギザールは言う。
「ミュウルさん、せっかく合格できたのにどうしたんっすか?」
「……え? 別に――」
広間を車椅子で横断するオーリウス。
その背後に続く人物へ、ふと目が留まった瞬間。
「ミュウルさん?」
ギザールの声が遠くなっていく。
あり得ないと思う一方、確信してしまった。
「僕が初の選抜隊へパスポート授与できるなんて、光栄だなぁ!」
金薔薇のローブを引きずる、胸を張った男。
黒と白の髪をなびかせ、近づいて来る。
勇者の息子、エリアスが。
「ん? 君は……」
目が合ってしまった。
そして。
身を翻すより早く、無遠慮な手に腕を掴まれた。
「間違いない! 君、あの時の聖女じゃあないか?」
「……っ」
仰々しい口調に、どこか遠くばかり見ている青い瞳。
もう二度と、彼に会うことはないと思っていたのに――。
身体が震えて、手を振り払えない。
「……エリアス様、彼女をご存知なのですか?」
オーリウスの固い声が、くぐもって聞こえる。
「ああ! 僕に痛みを教えてくれた人さ。ほら、もっとよく顔をみせて? 殴ったことは怒ってないから」
「……それ以上触ったら、また殴る」
「ああ、構わないよ! それより驚きだ。いくら探しても居なかったから、もうダメかと思ったんだけどね」
追放してもやはり生きていた。
そう言って、彼は私の腕を掴む手に力を込めた。
「これで証明されただろう? 君は、英雄の血を一緒に残すのに相応しい女性だ」
「……まさか、わざとあんなことしたの?」
震える声で、訊き返すと。
「うん! さぁ、結婚しよう」
久々に見た顔は、一点の曇りもない笑顔だった。
「……っ」
呼吸すらできない中、拳だけが小刻みに震える。
「……あなたは、私の名前すら知らないくせに」
「そんなもの、後でいくらでもお話できるだろう? 初めて血を流したあの夜から、君のことが忘れられなくて――」
彼は私に構わず、腕を引こうとする。
たとえ今度こそ死罪になったとしても。
私は、今ここで、彼にこの拳を叩きこむべきだ。
今度こそ、ありったけの力で――。
「ん? もしかして、今度は本気で殴ってくれるの?」
音がするほど拳へ力を込めた、瞬間。
「ミュウルさん……!」
しんとしたホールに、ギザールの高い声が響いた。
でも――私たちの間に入ったのは、彼ではない。
「え……?」
杖を支えに腰を浮かせた彼、オーリウスが、ギザールよりも早く動いていた。
彼の筋ばった手が、エリアスの腕を強く握っている。
「オーリウスさん……」
彼はこちらを見ない。
「……エリアス」
オーリウスが声色を低くした、瞬間。
刃のような魔力の波に撫でられ、肌がゾクッと粟立った。
「なんですか? オーリウス兄さん」
「ミュウルさんは私の管理下にある測量士だ……手荒な真似はやめろ」
初めて聞く乱暴な口調。
それでもエリアスは、まだ私の腕を離そうとしない。
「まさか、僕と彼女を取り合う気ですか?」
「違う……お前はいつからそんなに偉くなった?」
刃のような魔力の圧が増していく。
会場に用意されていた、空のグラスすべてを震わせるほどに。
「ははっ、兄さんはそれと引き換えに、もうすべてを手にしたでしょう?」
これ以上何が欲しいのです――そう言って、エリアスがオーリウスの足を見下ろした、瞬間。
「……それ以上、口を開くな」
パリン――と、高い音が会場を満たした。
グラスだけではなく、窓ガラスまでもが割れたのだ。
冷や汗を浮かべるエリアス。
凍てつく魔力を放つオーリウス。
一歩も動けなかった。
それでも、もしもの時はまた右ストレートを叩き込めるように――拳を握ったり、開いたりしていると。
やがて、エリアスの手が腕から離れていった。
「今は引きましょう。でもね……翼を手に入れたって、所詮は籠の鳥だ」
聖女はこの国を出られない。
そう残して、エリアスは金薔薇のローブを翻した。
最後の瞬間まで、彼から目を逸らさなかったせいか。乱れた呼吸が治らない。
「ミュウルさん、大丈夫っすか?」
「ギザール……」
彼の手が肩に触れると、身体の力が抜けていった。
オーリウスは私を一瞥するだけで、出口へ向かっていく。
「予定を早めましょう。パスポートは私が授与します」
「あ……」
突然の宿敵との対面で、動けない私を助けてくれたのに。
「……お礼、言えなかったな」
金薔薇のあしらわれた、革細工のパスポート。
オーリウスから受け取った“外の世界への通行証”を、宿の窓辺に置いて眺めてみると。
『ミュウルさんは、私の管理下にある測量士だ』
彼の声が、空っぽの頭に反響した。
せっかく魔導測量士になれたのに、なんだか胸が落ち着かない。
『翼を手に入れたって、所詮は籠の鳥』
きっと、あの言葉のせいだ。
「……やっぱり、一発殴っとけばよかったな」
今回は出番がなかった拳を見つめ、そう呟いたところ。階段を駆け上がる、けたたましい音が聞こえてきた。
「ミュウルさん、大変ですっ!」
扉を破る勢いで飛び込んできたのは、髪を乱したギザールだ。
「じっ、実は……」
その通行証が、紙も同然になった。
暗い窓辺のパスポートを指して、ギザールは言った。
「は……?」
「ゆ、勇者の息子が……選抜隊のメンバーを、勇者が直々に選抜した候補者だけにして……っ」
新しいパスポートが、勇者の息子権限で付与された。
息を切らしたギザールの言葉を、ようやく理解した途端。
『聖女はこの国を出られないよ』
去り際に残した、エリアスの言葉がこだました。
冷たい声が、指の跡が残ってしまった腕に響く。
「……そんなの、絶対に許さない」
「あっ! ミュウルさん、どこへ――」
夜だろうと構わない。
オーリウスの執務室を目指して、力のこもる足を駆った。




