213/590
雲の峰 その9
「昨日なんて家帰ったの、二時ですよ。と言うか昨日祝日でしたよね、それ知ったの出社してからでしたから。明日から有給取るならその分働いてから帰れって。と言うか、え? 労働基準法? 何ですかそれ。と言うか私、入社して四年ですかね、初めてですよ有給取らせてくれたの。と言うか…」
彼女は神保町にある中堅出版社に勤めていると言う。
大塚にある国立大学を卒業した後、元々本が好きだった彼女は希望通り出版社に就職するも、自身の夢と仕事の現実とのギャップに慣れるまで三年、四年目の最近ふと気がつくと俗に言う『社畜』に成り果てた己の顔を鏡の中で呆然と見つめる今日この頃なのだそうだ。
そんな彼女の唯一の慰みがこの犬だとか。
犬のことは全くわからない俺なので、その犬が豆柴という種類の犬だと言われてもああそうですか、としか言えない。パドスちゃんは調子が悪いせいか、思ったよりも大人しくしているのだが、それは助手席のクイーンに怯えているに違いないと俺は思っている。




