くろはえ その7
「専務。もしも遠慮なさっているなら…」
鳥羽社長は覗き込むように俺の顔を眺めながら言う。同時に、この人頭おかしいのでは、的な表情も垣間見れる。まあ確かに、一泊お一人様十万円近くの名旅館への宿泊を渋る中年オヤジの脳構造は如何なのか、と俺も少しは思う。
「いや… わかりました。善処しましょう…」
すると山本くんがトレードマークのギョロ目を更に大きく見開き、更には大粒の涙を浮かべながら、
「全く… あの『あおば』ですよ! 日本人が一度は行ってみたいが到底無理な旅館七年連続一位の『あおば』ですよっ 予約も一年先まで埋まってんですよっ それを僕がどんだけ苦しんで… 何度電話掛けて… 知り合いの知り合いに土下座して… 最後には仕方なく三ツ矢部長に土下座して… うっうっうっ…」
「わかったわかった、申し訳ない、すみませんでした、喜んで仕事させてもらいます」
「山本さん、これ使って」
社長がハンカチを渡し、山本クンがそれで涙を拭く。やっぱり本当はキミが行きたかったんじゃ…… おい、昨日と言ってる事が違うのは、お前もだろが…
「鮎… 山葵… ちくしょう」
社長は咳払いをしつつ、
「えー、それでは専務、出張よろしくです。山本さん、いい企画書でした、ありがとう。」
そう言いながら、社長も遠い彼方を眺める仕草… だったら、アンタが行けばいいじゃねえかよ! とは言えず、頭をペコリと下げ社長室を後にする。




