第164話 ここから先は、あなたたちの風
第163話では、地下から戻った冷気によって石原に水滴が生まれ、村の上空には「雨待ち」と呼ばれる薄い霞が現れました。
そして、小さな雲が一つ生まれます。
さらに石原には、誰もまいていない芽が一本だけ現れました。
台帳には、
石原に芽が返る時、雨を待つな。
地の種が先に起きた印。
北の種を開く前に、その芽を見よ。
とあります。
これまでなら、リリィたちは次の謎を追ったでしょう。
けれど世界は、風待ち村だけではありません。
第164話。
リリィは初めて、「最後まで直さない」という選択をします。
石原に、小さな芽が出ていた。
たった一本。
細くて、頼りない。
それでも、乾いた石の隙間から確かに伸びている。
ナジがしゃがみ込む。
「これ、何の芽かな」
オルガも覗き込んだ。
「調べてみる?」
「うん!」
リリィも一歩、近づいた。
その時だった。
「待ってください」
ラサの声。
リリィが振り返る。
ラサは記録板を抱えて立っていた。
「その芽は、私たちが見ます」
「ラサ?」
「ここから先は、風待ち村の仕事です」
静かな声だった。
けれど、はっきりしていた。
リリィは芽を見る。
調べれば分かるかもしれない。
地の種とは何か。
北の封印壺との関係。
地下水とのつながり。
まだ謎はいくらでも残っている。
「でも、まだ終わってない」
リリィが言う。
ラサは頷いた。
「はい」
迷いのない返事だった。
「南の灰受けは仮のままです。西の砂留め布も直さなければなりません。白耳石も拾っていません。共同畑も、根渡しはこれからです」
オルガが苦笑する。
「言われてみれば、未完成だらけだね」
「だからです」
ラサは記録板を開いた。
そこには、びっしりと文字が並んでいる。
南。
西。
東。
北。
中央。
灰読み。
砂聞き。
井戸見。
種守り。
風車読み。
止め役。
さらに、
土読み。
道守り。
共同畑。
根蔵。
土水槽。
石原。
「もう、私たちは知らなかった頃の村ではありません」
ラサが言った。
リリィは黙った。
確かにそうだった。
最初は、風車がなぜ回るのかすら分からなかった。
危険な場所は塞ぐ。
分からないものは隠す。
古い記録は忘れる。
そうして、この村は自分たちの風を見失っていた。
今は違う。
「灰読み、異常なし!」
南から声が届く。
「砂聞き、西も安定!」
別の声。
井戸見のマレが水面を見る。
「中央井戸、問題ありません」
ミナも北から通信を入れる。
『封印壺、静かです。今日は開けません』
そしてナジが紙風車を掲げた。
「風車読み見習い! 東から細い風!」
オルガが笑った。
「ちゃんと仕事してる」
「見習いだけどね!」
セナも石原の芽を見た。
「土は、私が見る」
リリィは彼女を見る。
少し前まで、セナは村の畑へ戻ることさえ拒んでいた。
今は違う。
「根渡しも?」
「急がない」
即答だった。
リリィは笑った。
「それなら大丈夫そう」
セナも、ほんの少し笑った。
「急がないことなら、得意だから」
ラサがリリィの前へ来る。
「あなたたちは、この村を完成させるために来たんじゃないですよね」
その言葉に、リリィは顔を上げた。
コピは何も言わない。
オルガも黙っている。
ラサは続けた。
「世界を見に行くのでしょう?」
風が吹いた。
紙風車が回る。
くる。
くる。
その向こうに、村の外へ続く道があった。
リリィは、いつの間にか忘れていた。
ここへ来た時、自分たちは旅の途中だった。
世界は広い。
この村の向こうにも、人がいる。
町がある。
国がある。
違う暮らしがある。
そして、違う問題がある。
「全部直してから行こうと思ってた」
リリィが呟いた。
コピが答える。
「それは不可能です」
あまりに即答だった。
オルガが吹き出す。
「そこはもう少し優しく言おうよ」
「では修正します」
コピは少し間を置いた。
「リリィ一人が、世界のすべてを直す必要はありません」
リリィは目を丸くした。
今度は、誰も笑わなかった。
ラサが頷く。
「この村の風は、私たちが見ます」
マレが言う。
「井戸も」
セナが続ける。
「土も」
ガル老人は杖をついた。
「今度は、隠さない」
ナジが紙風車を高く掲げた。
「僕も見る!」
オルガがすぐ言う。
「一人では見ない」
「分かってる!」
リリィは、みんなの顔を見た。
そこで、ようやく気づいた。
風待ち村で自分がやるべきことは、壊れた仕組みを全部直すことではなかった。
この村が、自分たちで風を見ることができるところまで戻すこと。
それでよかった。
いや。
その方がよかった。
リリィは石原の芽から離れた。
「じゃあ、この芽をお願いします」
セナが頷く。
「任された」
「北の種も」
ミナが答える。
「急いで起こしません」
「井戸も」
マレが笑った。
「底を勝手にさらいません」
「砂丘も」
倉番が手を上げる。
「布を全部閉じたりしません」
オルガが笑う。
「みんな、ちゃんと覚えてるね」
ラサは最後に言った。
「そして、急ぎすぎたら私が止めます」
リリィは頷いた。
「お願いします」
その日の午後。
旅支度は驚くほど早く終わった。
もともと長く滞在する予定ではなかったのだ。
村人たちが、少しだけ食料と水を分けてくれた。
受け取りすぎない。
それも、この村で覚えたことだった。
村の出口。
ナジが走ってくる。
「リリィさん!」
手には、いつもの紙風車。
「これ、持ってって」
リリィは驚いた。
「ナジの大事なものじゃない?」
ナジはもう一本取り出した。
「作った」
オルガが笑う。
「増えてる」
「風車読みだから!」
リリィは紙風車を受け取った。
小さい。
少し歪んでいる。
でも、よく回りそうだった。
「ありがとう」
ナジは胸を張る。
「違う風も見てきて」
リリィは紙風車を見た。
違う風。
そうだ。
世界には、この村とは違う風がある。
山の風。
海の風。
森の風。
都市の風。
そして、人が作る風。
「行こう」
リリィが言った。
オルガが荷物を背負う。
「やっと旅に戻るね」
コピが地図を表示した。
「次の主要居住圏まで、東へ約四日」
「どんな場所?」
リリィが聞く。
コピが答える。
「情報不足です。ただし、風待ち村とは大きく異なります」
それだけでよかった。
分からないから、行く。
村を出る。
振り返ると、風車が回っていた。
ぎい。
ぎい。
四つ数えて、一つ休む。
ナジが遠くから手を振っている。
ラサも。
セナも。
ガルも。
リリィは一度だけ頭を下げた。
そして、前を向いた。
***
四日後。
景色は完全に変わっていた。
砂は消えた。
乾いた畑もない。
目の前にあるのは、巨大な壁。
白く滑らかな外壁が、地平線まで続いている。
その向こうには、高い塔。
整然と並ぶ建物。
水路。
緑。
遠くから見ても分かるほど、完璧に整えられた巨大都市だった。
オルガが目を丸くする。
「……すごい」
道路には砂一粒ない。
水路には澄んだ水。
街路樹は同じ高さ。
建物も、一定の間隔。
入口には大きな文字が掲げられていた。
統整都市アルケイア
その下に、もう一つ。
不足なき都市。
争いなき都市。
すべての市民に、最適な暮らしを。
リリィは立ち止まった。
「問題……なさそう」
コピが都市を測定する。
「水不足なし。食料供給安定。大気汚染低値。犯罪発生率も周辺地域より低いと推定」
オルガが笑った。
「じゃあ、今回は観光?」
「それなら嬉しいけど」
リリィも少し笑った。
その時。
都市の門から、一人の少女が出てきた。
荷物は小さな鞄一つ。
門番が少女へ告げる。
「再配置手続きは完了しました」
少女は何も言わない。
「あなたの適性値では、中央区での生活継続は非効率です」
リリィの表情が止まった。
少女は門の外へ出る。
扉が閉まる。
重い音。
少女は、しばらく動かなかった。
オルガが呟く。
「……追い出された?」
コピが答える。
「詳細不明です」
少女が、こちらを見た。
泣いてはいない。
怒ってもいない。
ただ、諦めたような顔をしていた。
「あなたたちも、再配置されたの?」
リリィは首を横に振った。
「旅人です」
少女は少し驚いた。
そして、巨大都市を振り返った。
「なら、気をつけて」
「何に?」
少女は答えた。
「この街には、困っている人はいないことになってるから」
リリィは、もう一度都市を見た。
水はある。
食料もある。
街は美しい。
争いも少ない。
風待ち村とは、何もかも違う。
壊れた風車もない。
詰まった井戸もない。
忘れられた台帳もない。
それでも。
門の外に、一人の少女が立っていた。
世界は、また違う問いを用意していた。
第164話では、風待ち村編に一区切りをつけました。
石原に現れた芽や、北の種、共同畑、根渡しなど、村にはまだ多くの課題が残っています。
しかし、リリィたちは全てを解決してから旅立つのではなく、その続きを村の人々へ託しました。
灰読み、砂聞き、井戸見、種守り、風車読み、止め役、土読み。
風待ち村は、自分たちで自分たちの風を見るところまで戻っています。
そして物語は、新しい土地へ進みました。
次の舞台は、統整都市アルケイア。
水不足も食料不足もなく、街は清潔で、争いも少ない。
一見すれば、何も問題のない都市です。
しかし門の外には、「適性値が低い」という理由で再配置された少女がいました。
彼女は言います。
「この街には、困っている人はいないことになってるから」
次回から、風待ち村とはまったく異なる「完璧に整えられた都市」の物語が始まります。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




