第126話 風のない夜に回る風車
第125話では、北方高原の季節水公開確認会が開かれました。
春戻りの泉、逃がし道、影橋、戻し石、中置き台、青火の水門、貯水池、牧草溝。
それぞれはまだ応急状態ですが、現地の人々が同じ地図を見て、勝手に動かさず、記録を共有しながら判断する体制が整いました。
北方高原の水は完全に直ったわけではありません。
しかし、現地で見て、聞いて、記録し、判断する仕組みが戻り始めました。
リリィたちは次の巡回へ向かいます。
届いた通信は、東の乾燥平原からの短い一文でした。
「風車が、風のない夜に回り続けている」
第126話から、第5部が始まります。
東へ向かう道は、乾いていた。
北方高原の草地を抜け、山脈の低い鞍部を越えると、景色は少しずつ変わっていった。
柔らかな草は減り、背の低い灌木が増える。
土は赤みを帯び、風が吹くたびに細かな砂が足元を流れた。
オルガが外套の襟を押さえる。
「水の次は砂かあ」
ファルコンが上空を旋回する。
「東側、視界良好。ただし地表の砂塵が局所的に動いている」
リリィは空を見上げた。
雲は薄い。
風は弱い。
それなのに、地表だけが時々ざわめいている。
コピが測定結果を表示する。
「地表付近に不規則な上昇流があります。通常の風向とは一致しません」
「上昇流?」
オルガが聞き返す。
「はい。地面から空気が押し上げられているような動きです」
「地面から風が出てるってこと?」
「現時点では断定できません」
オルガは肩をすくめた。
「また断定できないやつだ」
リリィは前方を見た。
乾燥平原の奥に、小さな集落が見える。
低い土壁の家。
砂よけの柵。
そして、数本の風車。
そのうち一本だけが、ゆっくり回っていた。
空は静かだ。
周囲の草もほとんど揺れていない。
なのに、その風車だけが、ぎい、ぎい、と音を立てて回っている。
通信を送ってきた集落。
風待ち村、アラム。
リリィたちが村の入口へ着くと、数人の村人が待っていた。
先頭にいたのは、背の高い女性だった。
褐色の肌。
砂色の外套。
頭には薄布を巻いている。
彼女はリリィたちを見ると、深く頭を下げた。
「巡回調律者の方々ですね。私は風待ち村の記録係、ラサです」
カナタとは違う、落ち着いた声。
だが、その目の下には疲れが見えた。
リリィも頭を下げる。
「リリィです。通信を受けました。風車が回り続けていると」
ラサは頷いた。
「あれです」
彼女が指した先で、風車はまだ回っていた。
ぎい。
ぎい。
一枚、また一枚と羽根が空を切る。
だが、周囲の旗は垂れたままだ。
オルガが目を細める。
「本当に風がないのに回ってるね」
コピがすぐ測定する。
「風車周辺の水平風速は極めて弱いです。ただし風車基部周辺から上向きの気流を検出」
ファルコンが上空から報告する。
「上から見ると、風車の周りだけ砂が円を描いている」
ラサは苦い顔をした。
「最初は、良いことだと思ったんです。風がなくても風車が回れば、水汲みも粉挽きも助かると」
「でも、違った?」
リリィが尋ねる。
ラサは頷いた。
「はい。三日前から、風車は夜になると止まらなくなりました。昨日は昼も少し回りました。そして今朝、井戸の水が温かくなりました」
オルガが眉を寄せる。
「井戸の水が?」
「はい。飲めないほどではありません。でも、明らかにぬるいのです」
コピが表示を切り替える。
「地下熱、または地中空気の移動が関与している可能性があります」
その言葉に、北方高原のことが一瞬よみがえった。
青火の水。
地下湖。
下層抜け谷。
水の下に水があったように。
この平原の風の下にも、何かがあるのかもしれない。
リリィは言った。
「まず、風車と井戸を見ます」
ラサはすぐに案内した。
村の中央には、風車が三本並んでいた。
そのうち二本は止まっている。
問題の一本だけが、ゆっくり回っている。
ぎい。
ぎい。
近づくと、足元から微かな熱を感じた。
リリィは風車の基部に手を近づける。
触れない。
ただ、空気を感じる。
下から、ふわりとぬるい風が上がっていた。
「風車の軸が、下の空気を受けている?」
コピが頷く。
「可能性があります。通常は水平風を受けて回転する構造ですが、基部の通風孔から上昇気流が入り、内部の羽根を押しているようです」
オルガが風車の足元を見た。
「通風孔なんてあるの?」
ラサが答える。
「古い型の風車にはあります。砂が詰まらないよう、下から空気を逃がすための穴です」
「それが逆に風を入れてる?」
「そう見えます」
コピが風車の周囲を測る。
「基部温度、周辺より高い。地下に空洞または乾いた通気層がある可能性」
リリィは地面を見た。
風車の足元の砂は、わずかに震えている。
地面が呼吸しているように。
その時、村の子どもが一人、近づいてきた。
十歳くらいの少年。
手には、小さな紙風車を持っている。
「ラサ姉ちゃん、また回った」
少年の紙風車は、横からの風を受けていない。
下へ向けた時だけ、くるくる回った。
ラサが眉を寄せる。
「ナジ、近づきすぎないでと言ったでしょう」
ナジと呼ばれた少年は、少しむっとした顔をする。
「でも、下から風が来る場所、分かるよ。夜だともっと分かる」
オルガがすぐに身をかがめた。
「夜に来たの?」
ナジはまずいと思ったのか、口を閉じた。
ラサの顔が厳しくなる。
「ナジ」
「……ちょっとだけ」
リリィは怒らずに尋ねた。
「どこで風が出ていたの?」
ナジは村の外れを指した。
「古い乾き井戸のところ。水のない井戸。そこ、夜になると笛みたいに鳴る」
コピが反応する。
「乾き井戸?」
ラサは説明した。
「昔使われていた井戸です。今は水が出ないので、砂よけの蓋をしています。子どもが落ちないように」
「その蓋が?」
「昨夜、少し浮いていたと聞いています」
オルガが顔をしかめる。
「浮く蓋、嫌な予感しかしない」
リリィは頷いた。
「行きましょう」
乾き井戸は、村の外れにあった。
周囲には砂よけの低い柵。
中央に、丸い石組み。
上には木と布を重ねた蓋が置かれている。
その蓋が、わずかに揺れていた。
ふう。
下から空気が押し上げる。
ふう。
もう一度。
ナジの紙風車が、勝手に回った。
ラサは息をのむ。
「朝なのに……」
コピが井戸の縁を測定する。
「井戸内部から上昇気流。温度は周辺より三度高い。微細な砂粒を含んでいます」
ファルコンが上から言う。
「井戸の周囲に放射状の砂筋。夜間に吹き出した跡だ」
オルガがロープを取り出す。
「中を見る?」
「人は入らない」
リリィが即答した。
オルガは頷く。
「聞くと思った」
コピが小型観測機を準備する。
「観測機を投入します。ただし、上昇気流で姿勢が乱れる可能性があります」
ラサが心配そうに言う。
「井戸が崩れませんか」
「接触しない範囲で観測します」
小型観測機が、井戸の蓋の隙間から入る。
内部は暗い。
石組みは古く、ところどころ砂が入り込んでいる。
水はない。
底も見えない。
代わりに、下から砂混じりの空気が吹き上がってくる。
観測機の映像が揺れた。
コピが調整する。
「深度十。石組みの亀裂を確認」
さらに下へ。
「深度二十。横穴反応」
ラサが驚く。
「横穴?」
「井戸の側面に人工的な通気路があります」
ナジが言った。
「風の道だ」
全員が少年を見る。
ラサが厳しく尋ねる。
「どこで聞いたの?」
ナジは紙風車を握りしめた。
「じいちゃんが言ってた。昔、この村には風の道があったって。風がない日でも、下を風が通るんだって」
ラサは困惑した顔をする。
「私は聞いたことがありません」
ナジは小さく言う。
「じいちゃん、記録には書くなって言ってた。危ないからって」
その言葉で、リリィは少しだけ目を伏せた。
北方高原でも聞いた言葉だ。
危ないから記録しない。
危ないから隠す。
そして、必要な時に誰も条件を知らなくなる。
コピが横穴の奥を映す。
そこには、古い文字が刻まれていた。
ラサが目を細める。
「風待ち古語です」
「読めますか?」
リリィが尋ねる。
ラサはゆっくり読み上げた。
「風なき夜、地の息を聞け。
地の息強ければ、火を使うな。
砂が鳴れば、井戸を閉じるな」
オルガが即座に顔を上げた。
「井戸を閉じるな?」
ラサは井戸の蓋を見る。
蓋は今も、下から押されて揺れている。
ふう。
ふう。
コピが警告を出す。
「上昇気流が増加。井戸蓋が圧力を受けています」
リリィはすぐに言った。
「蓋を全部外さない。少しだけ逃がす」
オルガが動く。
「周囲、下がって! ナジも離れて!」
ナジは慌てて下がる。
村人たちが柵の外へ移動する。
ラサは焦りながらも指示を出した。
「布蓋の重しを一つ外して! 全部外さない!」
男たちが石の重しを一つだけ外す。
蓋が少し浮く。
ふううっ。
砂混じりのぬるい風が、細く吹き出した。
風車の方で、ぎい、と音が強くなる。
コピが測定する。
「井戸圧、わずかに低下。ただし風車基部の上昇気流が増加」
ラサが顔を青くする。
「井戸を逃がしたら、風車が強く回る?」
「通気路でつながっている可能性があります」
オルガがため息をつく。
「水の次は、風の地下道かあ」
ナジの紙風車が、また回った。
くるくる。
今度は速い。
リリィは井戸の奥を見た。
風がないのに、風車が回る。
それは風車の問題ではなかった。
地面の下で、空気が動いている。
しかも、井戸を閉じれば圧が上がり、少し逃がせば風車が回る。
開けても閉じても、別の場所が反応する。
北方高原の水と同じだ。
ただ、今度は水ではなく風。
いや、風だけでもない。
ぬるい空気。
砂。
地下の熱。
コピがさらに解析を続ける。
「井戸内部の空気成分、通常と大きな差はありません。ただし湿度が低く、温度が高い。地下の乾燥空洞を通ってきた空気と推定します」
ラサが尋ねる。
「危険ですか」
「急な開放は危険です。砂塵噴出、井戸崩落、風車破損の可能性があります」
ナジが小さく言った。
「でも、閉じても危ないんでしょ」
コピは頷いた。
「はい。閉じすぎると、別の通気孔や井戸から噴出する可能性があります」
ラサは顔を伏せた。
「では、どうすれば……」
リリィは井戸の蓋を見た。
揺れている。
でも、壊れてはいない。
「まず、風を止めない。全部出さない。通る場所を決める」
ラサが顔を上げる。
「通る場所を?」
「はい。今は、どこから出るか分からないから危ないんです。井戸、風車、砂筋。全部を地図に戻しましょう」
ラサは少しだけ目を見開いた。
「地図に……」
ナジが紙風車を持ち上げる。
「僕、風が出る場所なら知ってる」
ラサがすぐに言う。
「ナジ」
「危ないから一人では行かない」
ナジは先に言った。
「でも、知ってる。夜に鳴る穴も、砂が温かい場所も」
オルガが感心したように頷く。
「先に安全条件を言えるのは偉い」
リリィはナジを見た。
「案内してくれる? でも、近づくのは私たちが確認してから」
ナジは大きく頷いた。
「うん!」
ラサは迷った。
記録係として、子どもの勝手な行動を認めるわけにはいかない。
だが、今はその子どもの記憶が、村の地図にない風の道を知っている。
北方高原でカナタがそうしたように、ラサも飲み込む必要があった。
「分かりました。ナジの話を、正式に記録します」
ナジは驚いた顔をした。
「いいの?」
ラサは少し苦く笑う。
「今まで記録しなかったことも、記録します」
リリィは小さく頷いた。
第5部の最初の地図は、ここから始まる。
風車ではなく。
乾き井戸でもなく。
記録されなかった風の道から。
その時、ファルコンが上空から急に声を上げた。
「村の南側、砂地に円形の沈み跡」
コピが映像を受け取る。
「直径約十二メートル。中心部に上昇気流。周囲の砂が内側ではなく外側へ流れています」
オルガが眉をひそめる。
「穴が開きそう?」
「可能性があります」
ラサが息をのむ。
「南側には、穀物倉があります」
ナジが顔を青くした。
「そこ、夜に一番あったかかった場所だ……」
その瞬間、風車が大きく鳴った。
ぎいいっ。
それまでゆっくりだった羽根が、急に一回転する。
乾き井戸の蓋も、同時に跳ねた。
ふうっ。
砂混じりの風が吹き上がる。
コピの端末に警告が出る。
「南側沈み跡で圧力上昇。地下通気路の一部が閉塞、別地点へ噴出しようとしています」
リリィは南を見た。
風は吹いていない。
空は静かだ。
それでも、村の下では何かが動いている。
地面の下から、風が吹こうとしていた。
第126話では、第5部の導入として、東の乾燥平原にある風待ち村アラムへ到着しました。
通信にあった通り、村では風がないにもかかわらず、一本の風車だけが回り続けていました。
調べてみると、風車の基部から上昇気流が入り、下から風車を回している可能性が出てきます。
さらに、村外れの乾き井戸では、蓋を押し上げるほどのぬるい風が吹き上がっていました。
井戸の中には人工的な横穴、つまり「風の道」と思われる通気路が残されており、古い警告文も見つかります。
「風なき夜、地の息を聞け。
地の息強ければ、火を使うな。
砂が鳴れば、井戸を閉じるな」
今回の異常は、ただの風車故障ではなく、地下の乾燥空洞、熱、砂、通気路が関係している可能性があります。
終盤では、村の南側、穀物倉の近くに円形の沈み跡が見つかりました。
そこでも地下から圧力が上がり、地面の下から風が吹こうとしています。
次回は、風待ち村の地下にある「風の道」と、南側の沈み跡を調べます。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




