プロローグ:次なる野望へ
聖国での類を見ない内戦から暫し経ち、肆の月も中頃。
アノール領は豊穣の季節を迎えていた。
大小21存在する村々からは例年に勝る収穫の報が寄せられ、微量送られてきたサンプルの評価試験としても出来栄えは二重丸。
ユスティーアの秘伝を流用して学生時代の僕が構築した術式により病気や毒に強い遺伝子を持って生まれたそれらは力強く成長した結果、実る程に頭を垂れてくれたのだ。
植物すらもが僕の治世に頭を下げるが如く、ね。
「―――。……」
収穫もひと段落して、では全体の生産高を前回と比較して今後の売買について決定する。
力の仕事ではなく頭のお仕事を行う執務机の僕、その向こう側ではこの世界でも一般に普及しているメガネをかけたお嫁さんが凄い速度で帳簿を確認中。
そう、肆の月だ。
彼女の目はまた今年も光を取り戻している。
「北部都市カウントへのメークン出荷量300キロ、キシリスへの出荷量200キロ……現時点のコーツ麦の相場は帝国市場でキロ単価211オロ……。前年比13%減。市場の飽和を避けるには……」
一定の速度で整然と刻まれていく文章はまるでプリンターが出力しているようで。
彼女はまさしく人間コンピューター。
帝国広しといえども夫婦二人だけで会計を行ってるのは僕らくらいなものだろう。
平和とは、スローライフとは恐らくこんな感じ……。
「―――あなたさま」
「……………」
「あなたさま」
スピネル、或いはピンクダイヤのような瞳が光を捉える。
穏やかに笑う彼女を見ているとそれだけで一日が過ぎそうなバグ、仕事も手に付かない―――。
「手が止まっていますよ。よろしいのですか?」
「休憩だ」
本当にずっと手止まってた。
彼女が声を掛けてくれなかったら僕は本当に日がな一日ずっとマリーの顔を眺めているだけだっただろう。
ウサギとカメ。
僕が作業を止めている間にも手を止めない彼女がいつしか顔を上げ、書類を整理すると次の事柄に取り掛かる。
「成程、次はビジネスメールと」
「お友達とのやり取り、ですよ。お手紙の件―――機会があれば是非、と。お会いできるのはそう遠くないお話なのですよね?」
「間違いはないさ。元より、そういう取引の元で話し合っているのだから」
「うふふっ。脚の事はありますけれど、どちらかというと直接お会いできるのが楽しみです。とても丁寧な字で……、セレスティン様の性格が伝わってくるようですね」
ところで、マリーと水の聖女はメル友になったらしい。
期間で言えばまだひと月と経っていないのだから、街道を往復する速達の方は非常に大変な毎日を送ってるだろう。
僕としても直接両者が会って話をするのには興味が……。
「むぅ。けれど聖国にはもうあの御方はいらっしゃらないのでしょうね」
「……あー。まだ根に持ってらっしゃる?」
「知りません」
で、僕だけ【竜宮】サクラバさんに会ったことを話したらこうなったわけだ。
「そうでした、あなたさまにもお手紙、来ていましたよ。セルシオ・レライトさまから。あとはアインスベルクさまから。聖銀騎士団のラディア副騎士長、ガルニエ正騎士と―――」
「多くない?」
国が違うとはいえ、お隣の距離感だし行先も一緒なのだからついでに届けてもらおうというのもおかしな話ではない。
聖国とのつながりを大事にしたい僕としても願ったりで。
けど団体で送ってくるくらい暇ならこの帳簿処理手伝ってくんないかないややっぱ国際問題になりそうだから来るな。
さて。
流石に言葉だけに時間を使いすぎるのも良くないと、いそいそと机に向かって判子職人に戻る。
結局マリーの確認業務が完璧すぎて追加の検分が必要な個所も丸裸にしてくれてるから、僕はただ役人を送って確かめるかどうか判断して処理していくだけで。
「承認―――、承認……。オウルとは、承認―――どうだ。最近は上手くいってるのか承認」
「そうですね」
別に僕とオウルはそういうアレではないけど、貴族としては同居してる女性同士の仲を良好にしておくのは急務。
不幸な行き違いで浮気とか誤解されて劇作のように刺されたくもないし。
そもそも、慣れたと思っても実際のところオウルがうちにやってきてから半年と経っていないのだ。
彼女が僕の影になってすぐの頃、マリーはずっと心配そうな顔をしていた。
夫が二度も殺されかけたのだから、当然と言えばそうだけど……。
「信じてみます。あの時、そう決めましたから」
「はは。まだ複雑そうだな」
「あなたさまは逆に嬉しそうですね」
「それはな。君ほどに理知的であり物事を客観的に明らかにする女性でも、感情が先行する事はある。それは、私にとってはこの上なく嬉しい事なんだ」
「……………」
「無論、私は信じているとも。彼女を。オウルならば、君を守ってくれると」
「―――ふふ」
「リィナさん」
「はい、奥方様」
「聞きましたね?」
………うん?
え。
「まて、オウル。君はいつから聞いて……」
「レイクさまの本音ですよ」
「確と。私が傍にいるときはそのような話、欠片とて言わないのですが。困った主だ」
「レイクさまは素直じゃないんです」
いや仲良いじゃん。
フォローしようとしていたはずが自分がされる側になってる不思議……共謀して僕を陥れようとしていたのか?
マリーのあの複雑な感情が交じり合ったような言葉すらフリだったっていう可能性。
「女は集まると怖いものだな」
「勝手に喋っていただけだろうに」
「では、これで……。私のお仕事は終わりですね。―――奥の村へ参ります。リィナさん。護衛を、お願いできますか?」
「は。お任せください」
「―――待て。今更だが……」
「許可をくださいますよね? あなたさま。そういうお約束ですよ」
「あぁ、そこに関しては了承してる。気を付けていくんだぞ。今アンナを―――」
「お呼びですか、旦那様」
「……まだベル鳴らしてないのだが」
「いついかなる時でも駆けつけるのが侍従の務めです」
侍従ってすげー。
まるで部屋の扉に耳を付けて四六時中僕とマリーの会話を盗み聞きしてるような速度だ。
真面目メイドの彼女に限ってありえないんだけどさ。
けど何で鼻抑えてるのかな。
呼び鈴を鳴らすと同時に現れたアンナさんに連れられてマリーが外出用の着替えをするために出ていく。
あとに残されたのは僕と裏切者。
「……流石だな、マリーは」
「何に関してだ?」
「まずはそれ。何故主である私ではなくマリーに対して言葉遣いが丁寧なのかが非常に気になるな、裏切者」
「気にする性分でもないだろう」
裏切りは気にするが。
僕が最も気を付けてる二つが痴情のもつれと仲間の裏切りだ。
どちらも実に貴族的? 結構。
「主よ。アノール領を紡いでいるのは貴方だぞ。結局のところ奥方様も、他の者たちも。私やカーリャを含めた者たちまでも。皆、貴方がいるからここにいる。―――といえば満足だろうか」
「あまりに一言多い」
言葉の毒も一級品とは恐れ入った。
本当に、家臣になってからのオウルは黒めのユーモアが満ち満ちている様子だ。
「時に、何かあったのか。マリーに呼ばれていた? まさか最初からいたわけではないだろう」
「いや。貴方が欲しがっていた件の続報があったので持ってきただけだ。仕事があるのなら……私も用事が出来たので、後でもいいが」
そう言いつつモノだけがトサと机の空きスペースに。
大陸ギルド経由で流通してる簡易的な新聞か。
記事は……。
「―――話題の彼女か」
載ってるのは写真、それもカラー写真。
光の当たり加減によっては金色にも見える茶髪。
瞳の色も茶色。
長髪ながら中性的な、いわばボーイッシュな感じがある年頃の少女が映っていて。
彼女もまた勇者である。
神々の地上代行者?
あるいは単に寵愛を受けた者?
この世界における彼ら彼女らの在り方としては様々あるだろう。
この記事の内容に曰く―――勇者セシルのこれまで。
僕が聖国に出征する暫し前から帝国にも話が届き始めた、今代の武戦神の勇者。
彼女は大陸ギルドに登録するや否や人助けと称して各国を回り色々と話題の尽きない存在となっているらしく。
現在のギルドランクは上位であるB級……あまりに速いペース。
魔物に対し振るう刃のきらめきは、まるで聖剣の光を灯していた、と。
……。
載っている逸話に関して脚色こそあるだろうが、異例の速度で昇級を果たしている事実は変わらない。
大陸ギルドという組織は地域差があったとしても所属する冒険者のランクに関しては金や物で売り買いできるようにはならない絶対の尺度を敷いているという。
そこに一切のコネなどはないとされる―――いつものヴァレット情報だ。
彼女は六大神の中でも英雄神として称えられる【武戦神】ペンドラゴンの勇者。
戦いに特化した加護を与えるとはいえ、授かって幾ばくも経っていない少女がこの話題性とは。
仮にだが、もしもマリーの足が治ってアノール領から出て……うーむ。
そもそも、どうして僕は毎度も勇者という言葉にここまで惑わされているのか。
前世で勇者だったとか? ねーな。
「だって現代日本だぞ。職業勇者は詰まる話無職ではないのか?」
「?」
「―――オウル。彼女は……。マリーは私以上に……いや。君の気配が分かるのか」
「あぁ」
ああじゃないが。
「何らかの手段で、私が空間に存在している事を把握しているようだな、奥方様は」
「大陸最強の暗殺者、その隠形を……」
「秘めたる才能が違い過ぎる。貴方自身が今言いかけていたことだが、主以上に人を扱う才能があることだしな」
「……………」
逆に僕が勝ってる要素何処よ。
生まれも、育ちも、知恵も才能も……前世で積み上げたものすら。
強いて挙げるなら世継ぎで男だったくらい。
「歴史をさかのぼるに、地母神の加護も叡智神のそれも非常に強力な力だ。もしあの御方が五体満足のままに生まれ流浪の旅を志していたのなら、間違いなく大陸に名を轟かせるほどの勇者になっていただろう」
「―――それは確かだ」
帝国の頭脳であるオクターヴ老をして、特別と言わしめた才女。
ツギハギの僕とは違い、純正の人生2週目で……聞いた話前世はお医者さんだったり。
が、オウルの言葉には誤りがあるのも事実。
「だが、もしではないな。数年も経つ頃には、我が領の名と共に彼女の名は知れ渡る事になるだろう。私より仕えるべき主として優れているのは否定しないが」
「……ふ」
「おかしかったか」
「―――いや。先程の話は、冗談だ」
どの辺から?
「奥方様が私の気配を把握している事。人を使う才。それは真実、確実な物。だがあの方はきっと冒険者としては大成しない」
「―――それは……そういうものか?」
「単純な能力値で決まる、と。そう単純なモノでもないのだ、流浪者とは。そして、主として。先ほどの言葉通り、我々は貴方がいるからこそ此処にいる。奥方様も例外ではない。私の主は、貴方のみだ」
………。
「私が死ぬまでは、だな」
契約は、僕が死ぬまで。
あるいは僕が道を踏み外すまで。
後者ならば最終的に僕の命を奪うのはこの目の前の―――姿見えないけど多分目の前の死神に他ならないのだ。
「準備が終わったようだ。行くとする」
「あぁ、気を付けて―――聞いちゃいないか」
もとより姿は見えなかったが、急に背後に感じていた圧迫感が消えた。
マリーとアンナさん、三人で共にエルフの森に出かけたのだろう。
僕も切り替えてペンを握りなおす。
「もう少ししたら帝都から直接呼び出されるかもな」
聖国の一件で大いに戦功をあげたつもりだ。
正直、帝国においての功績者のひとりが僕であるのは疑いようもない。
どう曲解して伝わっても、大きな褒美はある……筈。
だけど、その前にやることは山積み。
主にはお嫁さんが会計して訂正・裏取りした報告書に判子を押したり役人を送るかどうかを考えたり。
あるいは売りに出しているスクロールの近況を確認したり……。
「グルシュカの売り上げが低減してるか」
そろそろ話題性や流行も落ち着いてくるころだし不思議じゃない。
ブランドとして確実に定着させるには……。
「……成程、南部産のアンマンと枠を喰らい合ってるな。大方レヴァンガード派の妨害工作が……、ぬ」
仕事に戻ったのもつかの間、僕にも分かる気配が近づいて来る。
昔から、感じ取れるかギリギリのラインで警告を送ってくるのが彼流の教育だったりする。
「―――気付けたぞ、耄碌執事」
扉が開く。
「ほっほ。虫の居所でも悪いのですかな」
「そろそろ私達も独自戦力を保有する頃合いじゃないのか?」
「そして唐突だ」
プリエールでの内乱の折、実感したこと。
これに関してはサクラバさんにも話したけど、結構急務だと僕自身は考えている。
「世間への認知と練度。アノール領を取り巻く環境を考えれば戦力の保有は急務であり、体制が固まるまでには時間がかかる以上準備は早ければ早いほどいい。簡単ではないだろうが」
「えぇ、仰る通り。兵というものは穀潰しであり、訓練をするにも大変なものがあります」
一から用意すればどれだけ大変か分かったものじゃない。
ゆえに。
「昔、話してくれただろう? 黒騎士―――主を持たない、流浪の騎士というのを」
「ほほっ?」
詰まる所は。
「何処かの傭兵団を引き入れて、褒美と栄誉、規律で縛る。独自の戦力として矯正していくというのは? 叩いて潰してジャンケンポン」
「―――ほほっ。また、奇態な事を考えますな」
再利用ね、これ。
一から全てを作るのはきっぱり諦めて、いっそのこと既にあるものを魔改造して使ってしまおうという考えだ。
「ごろつきどもを騎士団に。どうせ取りまとめる騎士もごろつき上がりだ」
「けっ」
ヴァレットの開けた扉の隙間から覗いていたアルベリヒ。
彼のように、無理やり騎士に加工する。
「いずれはただ食材を出荷するのではなくある程度の加工まで請け負うつもりだったのだ。人材とて、同じ。試すなら早いうちが良い。私は一代でこの領を仕上げるつもりなんだ」
「……………」
「厳しいか?」
ヴァレットの冒険者時代のコネクションとかでどうにかならないかなーーとか考えてたりしたけど。
難しそうな顔してる辺り、彼の引き出しとて全てがうまくはいかなそうだ。
なら、もう一つの当たりを試すか。
「アルベリヒ。お前の意見も聞きたい」
「―――え。私っすか」
冒険者時代の彼の出会いや感覚、コネクションがあるのならばそこを利用するのも良い。
当然知識も経験もヴァレットには周回遅れだが、彼には若さゆえの鮮度があり。
「―――あ」
「今の俺なら……」
何か思い当たったところがあったとみる。
「……。あー、もしかしたら無駄足になるかもしれませんが」
「構わん」
「冒険者時代、依頼先でちょっとばかし親交があった連中なんですが。実力的にはいける口かも……」




