第21話:調停の司祭
「神に仕える者。聖国騎士とは何か―――上位の命令に従うだけの、人形……」
あの日、彼は知った。
「神を、代行者を信じているからではなく、己の意思で考えていなかっただけ。意思持たぬ、暗愚よりも汚らわしきものッ」
己が正義には。
かつて信じていたはずの騎士の誇りには、何の意味もなかったのだと。
くすぶった残骸は、当の昔に燃え尽きていたのだと。
あの日、己は既に死んでいたのだと。
「誇り? 栄光? 守るべき、命……? ほほほ、はははッ。何が使命か、何が、何が! この聖都を、この国の今を! これを見てまだその欺瞞が紡げますか? セルシオ!?」
「ぬぐッ……、ッ、ぅ」
軌跡を描いて振るわれる細剣。
細身のそれが一振りで岩を裂き、空間をも削るのではないかと思わせる。
人体など、布の鎧などひとたまりもないだろう。
剣を振るう男の攻撃を防戦一方で受けていた騎士の身体は全身が傷と血に塗れていた。
真皮が削がれ、血がしぶきとなって噴き出す。
「結局のところ、あなた達にはそれしかないのですよ。全てに優先されるのは従う事、ただそれだけ。それだけの……。あの時も。あのとき、もッ」
「あの時ッ! 貴方は私を裏切ったのだ!」
「……ッ」
「反逆―――先に裏切ったのはどちらだというのですか!? どちらがッ」
纏う瘴気、大司教ワルダックの異質な力は増していくばかりだった。
かつて星芒法衛の第二位に君臨し、術士としてはまぎれもなく第一の実力者であった男が無限にも思える力をもって襲い来る。
その恐ろしさを元近衛の長として、何より共に戦地を駆けた戦友として、セルシオは再認識していた。
そして、男がどれ程過去に吞まれていたかも。
「貴方が―――あなた達が、……私が―――あの時、私がその場にいればッ」
「変わっていた」
「……!」
巻き起こる暴風。
細剣の質量とは思えない剛の力が崩落のように加わり、今に押しつぶされようとしていた騎士の足が、軋む骨が、それでもとどまった。
当のワルダックにはそれが不可解に映った。
既に満身創痍の男に、この一撃を留める余力がある筈がないのだと、そう思っていた故に。
だが、事実として自身の攻撃は止まったのだ。
互いの剣が火花を散らす中で頭部から血を垂らしたセルシオの瞳がまっすぐに男を見据えている。
「変わっていた。あぁ、そうだったかもしれない。君が居ればどれ程心強かったかと。私にもっと力があればと。そうだったのならばあの御方は生きていたかもしれないとッ。何度……、何度夢に」
「―――今更……!」
「―――そう、今更。今更なのですよ、ワール。全て」
「友よ。私は君に許されないことをした。死ぬよりも余程、何があっても許されぬことを。君が最も大切だったものを奪ったのは国の意思でも騎士団の総意でもなく、私です」
セルシオは知っていた。
国戦力ですら壊滅する程の大妖魔―――地殻吸樹プランネット。
討伐の為、あの時ワルダックが共に来ていれば、確かに先代聖女ルクレツィアが生き残る可能性は十分にあったことを。
「だがッ」
セルシオは知っていた。
あの時ワルダックは、先代聖女は―――。
「あの御方は君を治した、その上で君が我々と共に来ることを許さなかった」
「君は死に場所を求めていた……。違いますか!?」
「……!」
全身を刻まれ、足はふらつき。
身体のどこに余力が残されているのか、頭上から振るい落とされたセルシオの長剣がワルダックの細剣を叩き折る。
「ぬぐッ、そのような言葉で―――”晶剣生成”」
「だから……、だからッ、だからこそッ」
「ぐくッ……!?」
続き、瞬時に生成された二本目もまた直後にへし折れる。
「だからルクレツィア様は腕を奪ったのだ! 分かるだろう!? 分かる筈だ! 全てを合理性によってのみ採択する水の聖女の果て! にもかかわらず、あの御方はより確実な方法であるはずのそれをしなかった! 己が生き残ること、それもまた国家にとって最善の道であったにも関わらず……!! 君が共に来ていれば己が助かる可能性が確かにあったにもかかわらず!」
真に至った水の聖女は己自身をも手段の一つとして見ている。
己の死が多くの未来につながるならば、あっさりとその身、命すら捨て去る。
が、己が生存していれば可能となることもまた多く。
当然に、死ななくていいならば他の人間の死もまた手段の一つの筈だった。
国家という大を生かすために凡百の命と己の命、天秤にかけて前者を捨てることも当然にあった。
『セルシオ―――、アイン。お願いが……あるの』
あの時は。
あの場所では。
「私を殺して気が済むのならそれもいいでしょう、それで気が済んだのなら喜んで首を差し出したでしょう。だが、我々は誰一人死とてななかった……」
「何より、君が!」
「―――――」
「あの御方は君を。たとえ感情を失ったとしても、誰よりも君をッ」
「黙れッ」
「黙れええええぇぇぇ!!」
「ぐがッ、ご……」
武器が砕かれ攻守が逆転したころ、既にワルダックは細剣を呼び出すことさえしなかった。
セルシオの剣を掌でつかむ。
肉が裂け、骨に達し、どす黒い血飛沫が舞う―――しかし、それ以上が進まない。
セルシオがもがくも、まるで剣は動かない。
巨大な岩に突き刺さったが如く、武器を怪力のみで固定し。
「足も! 腕も! どうでもよかったのだ! 私は……。私は……ははは」
「皮肉なものではありませんか? 誰も死を望まなかった彼女が死に、今ここに聖国を滅び同然に追い込んでいる私が生き残った。そして、今回も。私が生き残るッ!! ――――”爆衝”」
「――――」
剣を掴んだままのワルダックが、掌に宿した瘴気をセルシオと己の間で放つ。
内側から弾けたワルダックの腕とともにセルシオの身体が後方へ吹き飛び。
「か―――ァ!?」
「セルシオ!」
「爽やか騎士さん! かなり駄目なやられ方しましたー!」
「……、ッ……」
「大事、りませ、ん。これ、は当然、の……ぐッ」
「何が―――。当然なことがありますか! 貴方に何の非が……」
騎士服は焼き尽くされ、上半身に大火傷を負ったセルシオは立ち上がれない。
駆け寄ったセレスティンと竜司祭など危険分子としてすら見ていないのか、ワルダックは骨と筋繊維の露出した腕を再生させながら悠々と歩む。
「ワルダック!」
「……ふ」
セレスティンは立ちふさがった。
策などなく、ただセルシオを守るようにして前に出て手を広げ。
男が一度立ち止まる。
「殿下。貴方は―――。許せますか? 私たちが。母を奪った私たちが」
「過去の、事です」
「強くあり、護ることが責務。そんなものたちが、護るべきものに逆に守られ、生き恥を晒している。もっと力があれば。今の私のように力があれば助けられたのですよ」
「その力は、あってはならないもの! 命を冒涜するものですッ」
「はは……まこと、子が大きくなるのは早いというわけだ。しかし、この力はいずれ死者にさえ届く……救える。あの時、我々に少しでも己が意思というべきものがあれば。我々騎士が操り人形同然の腑抜けでなければ救えた命を、今度こそ救えるのです。本当に殿下は今の選択に後悔―――」
「うるせー!」
「―――ごぼォ!?」
「「!」」
「わあ……野性的」
完全な意識外。
横から飛び込んできたアルベリヒの裸足の蹴りがワルダックの顔面に吸い込まれた。
「さっきから、なーんか訳ありだと思って、空気に徹して、静かに、聞いてりゃぁ!」
「ぅが!?」
「過ぎた過去の事でいっつまでもメソメソと! 見てってイラつくっつうか! ただの後悔だし、長ぇし―――結局てめえは姫様に同意してほしいだけなんだろ!? 他人に、年端も行かないようなレディに……誰かに自分の答え合わせを求めてんじゃねえよ!!」
蹴りが終われば拳、それが終われば武器の柄。
殴る、殴る。
床に倒れ込み鼻筋から血を噴き出すワルダックにかまわずアルベリヒは馬乗りに殴り続け。
「お偉いだか何だか知らねえけどな! 俺らみたいなクズはな……、俺らはみたいなのはなッ!? 人から生きろって強制されてようやく動くんだよ。気力もねーのに動くんだよ!!」
「ごはッ、やめ……ッ」
「大切な女寝取られて逃げ出して、生きろって強制されて、それでも嫌だ嫌だって駄々こねて。新世界、永遠!? 少しは現実見やがれや!! 今のお前はその人に少しでも胸張れることやってんのか!? あぁ!?」
「ッ……!? ”爆衝―――」
「せぇぇぇ!!」
「ゴァ!?」
隙を縫い術を放とうとしたワルダックの腕を素早く飛んだ回し蹴りがへし折る。
「ぐ、がッご……不死の肉体がこの程度、で!」
へし折れた腕がそのまま爆裂の術を放つ。
先のセルシオと同じようにアルベリヒの上半身を爆裂風が覆い、飛ばし。
「―――てぇな……」
「なんッ……ごあ!?」
「ハゲぇぇぇ!!」
何故なのか。
爆風から飛び出した男は衝撃が存在しなかったかのように再びワルダックの顎を蹴り上げる。
アルベリヒの身体能力は既に異形であるワルダックのそれともそん色がなく、漲り続ける莫大な魔力。
ワルダックは理解が追い付かないかのように蹴られ、殴られ。
セルシオやセレスティンもまた思考が追い付いていない。
「あれは、彼は一体……。錆騎士の、剣が?」
「どうしてアルベリヒさまは……」
「ぅーむ……」
強かに打たれたワルダックが吹き飛び、先回りしたアルベリヒに更に殴り飛ばされる。
とっさに生成した武器は砕き折られ床を転がり、蹴り上げられ。
「ぅぅぅぅぅ、らああああァァァ!!」
「がァ!?」
「どうしたよ駄々っ子! お疲れかァ!? 自慢の脂肪でも燃焼してちったァ頑張ってみろよ、男の子ですかァ!?」
「ふざけ―――」
「てんのは、てめぇだろうがよォォ!」
抜き放たれた天銀の錆剣がワルダックの頬をしたたかに叩く。
「―――ぅ、ァ」
受け身を取ったワルダックが片膝をつく。
息を吐き出し、震える手を見やる。
「こ、れは……」
「千切れりゃ治る、粉々にしても速復活……。ならなんで今は治さねえ? もしかして自分の意思で治せねえのか? 大司教サマァ」
「……痴れ者、が」
「少し、遊びが……。過ぎた!! ”晶海生成”」
「「!」」
「上位魔術……!」
空間内が巨大な水晶洞穴になったように、鋭い刀身を持つ幻想の鋼が咲き乱れ。
己が魔力を解き放つワルダックが手を振るうたび、各所で爆裂し飛散する剣山。
貫かれれば致命。
セルシオとアルベリヒがセレスティンらを守るために塞がるのを尻目にワルダックが再び剣を握る。
「依然変わらないのですッ。あなた達を殺し、私はこの国を、再構築するッ! 余さず、全てを一つにするのです! あなた方の魂もいずれ理想郷に導きましょうぞ!」
「―――させないッ」
「いいえ! 必ずッ」
満身創痍のセルシオが閃光のように飛び出し放った斬撃をワルダックが真っ向から受け止め、逆に百の刺突を放ち。
その中でセルシオは先のワルダックのように己が掌を貫通した細剣を掴む。
「ぐがッ、グぐぐ! ダインス卿!!」
「しゃあ!」
「帝国騎士よ……真なる脅威は貴方であった! ゆえに―――第一に……」
瞬時に武器を捨てたワルダックが新たな剣を生成。
ワルダックとアルベリヒ、互いの武器が交差する。
火花が散り、弾かれ合い―――ワルダックは細剣ゆえの手数でアルベリヒを斬りつけ、白閃が左腕を掠める。
「おお残念、そっちは元々ない」
本来であれば腕を切断していたはずが、肘を掠める刃、千切れた旅装。
隙間から覗き落ちる、黒く丸い陶器。
「魔術じゃねえよ!」
「!」
煙幕弾にまぎれ、アルベリヒの姿が視界から消える。
「ワルダック!! ぐぅッ!?」
「煙幕など……何を馬鹿なッ、今更そのような児戯が―――」
煙中からとびかかったセルシオの胴に一文字の裂傷が刻まれる。
ワルダックは術士として優れた騎士だった。
魔力から敵の位置を読むことなど当然の技術。
当然、強大な魔力を保有する錆騎士の剣を持つアルベリヒの気配も―――新たに大きな力が移動したのも理解していた。
方角は。
「後ろを取ったと……ッ」
「じゃねーよ、アホ」
「―――!」
確かに気配は背後にあった。
逆に、声の方角には僅かばかりの魔力の流れもなかった筈だった。
「ば……!?」
大きな魔力の出どころはすぐに理解できた。
剣だ。
錆騎士の剣が、柄がめり込む形で床に突き立っていたのだ。
―――巨大な力は元々錆騎士のものであり、アルベリヒのものではない。
だが、まさか今の己を支える力の源泉そのものを手放すなど。
何より、姿を現した男に残されていた魔力は既に空っぽ同然だったのだ。
これでは感知など。
「とっくの昔にスッカラカンだっての」
「それに、武器は只の消耗品だろ? 手放して文句が?」
元騎士と元冒険者の視座の違い。
腰に帯びた一刀を命と同列に語り、たとえ死しても武器を離さないことを第一にする騎士。
対して、冒険者であったアルベリヒにとってどれだけの力を秘めた魔剣であろうと、アインスベルクが帯びているような聖剣であろうと、総じて消耗品である武器に違いはなく。
手放すことに何ら躊躇はなかったのだ。
「武器もなく―――」
「そらこういう、事だよォ!」
体当たり。
よろめいたワルダックとアルベリヒは諸共倒れ込むようにして錆騎士の剣の方へ倒れ。
「―――ばッ……がはッ!?」
深々と身体を突き刺さる剣。
柄を支えに突き立っていたソレはたやすく肉を貫き。
勢いのまま、アルベリヒがワルダックの腹部から突き出した刀身を掴む。
「試してみようぜ、大司教サマ。これやったらどうなるかってのを!」
「……!」
やはり錆の剣はアルベリヒの思考に反応した。
ワルダックの腹部を貫通した錆騎士の剣が光を放つ。
錆の光。
命を潰し、浸食する赤銅のそれがワルダックの肉体を内部から腐食していく。
「ぐがッおああああァァァァァ!?」
剣を中心として腹部に穴が穿たれ、再生し、また穿たれ、再生。
落雷に撃たれ続けるような痙攣を繰り返す。
「ぅ、ァ……ァ、命、が……解け」
ワルダックの肉体から瘴気があふれる。
錆の奔流が肉体とは別の穴を開けたかのように、助けを求めるように逃げ、漏れ出していく。
「は……、はっ、はぁ……」
息を吸うかのように口を開閉し、それでも何も入ってこない。
再生し、砕け、蘇生しては腐食し。
身体は乾いた土くれのようにひび割れていく。
「何故、この程度で力が―――。何故……? 全て、のっ……命を一つ、に……したはず。全てが、一つであれば……それこそが理想郷。聖国は私の中で完全な国家と……」
「無限なんてあるわけねえだろ。てか国民ごっそり残ってんぞ?」
「―――――」
ピタと止まったワルダックの呟き。
その事実を認識するかのように男の顔がアルベリヒへ向き。
やがてセレスティンへ。
「―――はい、彼らは生きています。アイン兄さまの力で地下の深くに固定され……」
「……」
「もっと言えば、他の都市もだろーな。俺らが通った場所にもおなじよーなでっけえ穴あったし」
「そちらは既に救出されているでしょうが、同じ手法があったのは確かですね。結果的に、プリエールの民の多くは生きている」
「ですーー。不完全な状態なんですよー」
聖都だけではないのだ。
聖銀騎士団、アインスベルクは内乱の最中に国中を駆けていた。
その目的の一つがまさにそれであったのなら。
大多数の国民の命を捧げ、己の力の根源として取り込んだ。
そう思って疑わなかったワルダックは呆けた顔を歪ませる。
術士として、彼らの論理にある歪さを感じたからでもあった。
「―――違う。いかに界剣と言えども。アインスベルクにそれ全てを成すほどの程の魔力は……。いや」
ひび割れた視線が彷徨う。
アルベリヒへ。
セルシオへ。
セレスティンへ。
―――竜司祭へ。
赤髪の、とぼけた顔の少女と目が合う中、男はがくりと顔をおとす。
「そういう……、ことでしたか」
「中央教会。アトラ教枢密院。名ばかりの、何の権限も持たぬ名誉職としての司祭を派遣してきたことで、神殿連盟にとって我が国―――聖女個人の自由意思などどうでもいいのだと、そう確信したはずだったのに……そういう事でしたか」
ひび割れる皮膚。
既にワルダックの不死の要が崩れているのは明白だった。
「は、は……。道理で。私の魔族化は―――最初から不完全な状態であった、と」
「はんッ。お得意の気付かねえフリ、だろうが」
アルベリヒが毒づく。
ここまでを成した男が本気で理解できなかったわけがないのだと。
目を背けていたのだろうと。
「……帝国騎士。貴方は随分と私に理解が」
「勘弁しろよ、お偉いさま。おらァあんたみたいなハゲデブじゃねえ」
「―――ほほ」
結局のところ、かつてと同じ。
国、自分の本音など―――何故彼女が自分を連れて行かなかったのかなど。
分かっていたのだ、ずっと。
「―――ワルダック。そこから助かる術は、あるのですか」
「……はは。何を」
その時。
セルシオが身体を庇い引き摺るようにして立ち上がる。
彼の言葉に誰もが耳を疑ったが、セルシオはセレスティンへと向き。
「殿下。どうか。この男の生存は中央教会の未来に……いいえ。それは本音ではない。私は頼まれた。ルクレツィア様に……。二つの事を。セレスティン様を、……友を。二人分を、頼まれたのです……!」
「「―――――」」
「私とアインスベルクはあの場所に居ました。確認を取ればいいでしょう、ワルダック! 今度こそ、共に……殿下をッ」
「生きて、償いを―――。貴方を―――死なせたくはないッ。何故ッ、何故、主君を、民を……。友をッ、本気で死なせたい騎士が居るでしょうか!?」
……。
セレスティンは言葉を紡げなかった。
母の願い、国の現状。
全てを見たうえで、唇を震わせ。
「ワルダック。私は貴方を―――、……!」
結局、倒れ伏した大司教へ、彼女は駆け寄ろうとし。
しかし、脚は止まった。
制止するように突き出されたワルダックの手が、ボロリと風化し崩れていく。
「これは今日出会った者の受け売りなのですが、ね。答えは誰かではなく、自分にこそお聞きください、殿下。感情なのです。理屈と、感情。どちらを優先すべきか。それを決めるのは自分自身。貴方は貴方の……やりたいことを。私も、彼女も―――そうしたのですから。立場など、地位など……関係ないのですから」
「私は、既に決めている。真に自分の意志で、決めている。天秤ですよ、殿下。私一人を救う力で、きっと貴女は多くを救える。きっと……きっと。殿下と、アインスベルクならば」
「―――ワルダック」
「反逆者として死ぬ。それが……私に与えられた罰。それこそが、救い……」
……。
「ルクレツィア……。僕は君に合わせる顔なんて―――ない……よ」
ひとりごとのように静かに呟き、やがて錆に崩れて消える肉体。
聖国を揺るがした内戦の首謀者、アトラ教大司教ワルダックは確かに死亡したのだ。
………。
終わりを見届けたのち。
アルベリヒが倒れ込み、セルシオも再びその場に崩れ落ちる。
「セルシオ! アルベリヒさま!?」
「……ぅ」
「動かん、ね……ッ」
「大丈夫、命に係わる怪我じゃないですよー」
共に倒れ伏したまま身体を上げられない二人。
全ての力を使い果たし、セルシオは切創や裂傷、上半身の大火傷。
アルベリヒに至っては己の魔力すら死に至らないギリギリのラインでの欠乏状態。
立ち上がれる道理もなく。
「どこに―――。猊下―――ワルダック大司教猊下!!」
だが。
響く多くの足音が緊張を断たせてはくれなかった。
「猊下……、猊下ぁ!? 何処に―――どちらにおられるのですか!! 七支卿が―――使徒が……錆騎士殿が、!!? こ、これは……」
「これまたタイミングのいいこって……」
「悪い、ですよ……。最悪に近い。グ……、ぅ。アモン司教。ワルダックの腹心らですか……」
やってきたのは味方ではなく、ワルダック派の者たちだった。
10以上の兵が金属質の足音を響かせ、中心にいた祭服の男がセレスティンらを見つけ立ち止まる。
状況を認識し、すぐさま武器に手を掛ける兵士たち。
明らかな敵対心、その上で祭服の男は主の姿を探すように視線を彷徨わせていたが。
「アモン司教。あなた達が探しているワルダックは死亡しました」
「―――な」
倒れる騎士や背後に身を隠す竜司祭を庇うように、セレスティンが静かに呟く。
心臓は大きく震え、身体も竦む。
その上で声だけは震えない。
……或いは、竜司祭は隠れているのではなく、今にへたり込みそうになっているセレスティンを支えているようにも思えた。
「―――感じ、理解しています。錆騎士……かの異形は、オルトルシア卿によって討たれたのですね?」
「「!」」
「であれば、今この時をもって内乱は終わりです。これ以上の犠牲者は女王である私が許容しません。皆さん、降伏してください」
「な、何を……終わってなど」
「ある筈がない!!」
「いいえ、終わったのです」
「どうか。これ以上の犠牲を、命が消えていくのを見たくないのです。騎士たちも、あなた方もプリエールの民であるゆえに。かつて先代の聖女もまた、最後の瞬間には誰一人として死なせなかった。今回とて同じです……!」
「私は、この国の女王。セレスティン・エアージェラス! あなた達の事も守らねばならないのです! 武器を、捨ててくださいッ」
……。
「終わって……終わってなど! 終わってなどいるものですか!? 皆!」
「「―――――」」
「セルシオらは既に虫の息です! 護衛さえいなくなれば……聖女と竜司祭さえ捕えれば、我らは―――。我々は……」
たとえこれからのビジョンが何一つなくとも、彼らにとって今この場で己らがすべき行動は一つしかないように思えた。
人とはそういうものであり、行き過ぎてしまえばもはや退くに引けない。
何より敵は戦闘など知らない聖女と、魔力すら殆ど持ちえない司祭が一人。
僅かにでも再起の光があるのなら、逆転の芽があるのなら―――。
「ふぅー、はぁーー」
………。
「大勢のいい大人が、重篤なケガ人とそれを庇うたった一人の女の子に向かって虚勢の脅しをかける……。それがどれだけ馬鹿な話ってコトね。―――アホなん? アンタら」
「「!」」
「“雲蒸龍変”」
「「―――――」」
変化は起こった、光は確かに見えた。
ただし、彼らが見たのは朱の光。
そして、空間を埋め尽くさんばかりに巨大な龍―――。
水で形作られたソレが出現し、たちまちの間に兵士たちを呑み込む。
「―――な……ぁ!!?」
「ごぼッ!?」
飲み込まれ、しかしすぐに床へと投げ出された者たちは気付く。
魔力が練れない。
全てを簒奪されたかのように、身体に力が入らないのだ。
今に水によって形作られた幻想の龍種がとぐろを巻き、聖女たちを守るように敵である彼らを睥睨する。
「魔力、欠乏……。何故……!? な、何、を……何が―――」
「戦いは終わりました。最早、あなた方が入り込む余地はありません。無論……我ら神殿連盟もです」
祭服をまとう彼女は、容姿だけを切り取るのならば一切の戦闘能力を感じさせなかった。
何より、当初から魔力すら殆ど感じなかったのだ。
ゆえに、油断というわけでもない。
彼女が紅の刀身を持つ短剣をかざすまで、彼等は気付かなかった。
短剣から湯水のように、或いは津波のように溢れ出す宝石の如き純粋な魔力が、ほかならぬ彼女自身に飲み込まれていく様を。
中央教会すら飲み込んでなお余るほどの力が、小さな体に余さず飲み込まれていく様を。
今の彼女が、彼らの知る最高位の術者でさえも霞むような力を持っていることを。
想定できるはずがなかった。
逆に、彼らは知っていた。
知らないはずがなかった。
彼女の手に握られ輝く、朱の刀身を持つ武器は―――。
「トルキン、三聖剣―――、焔刃イグニス……、だと!?」
「まさか……! 竜司祭とは!? ―――貴女は……!!?」
……。
「竜司祭、さま?」
「ふふ……。頑張りましたね、セレスティン様。あとはおねーさんにお任せっ、ですよ」
髪は茶に。
背はわずかに伸び、容姿は完全な別人へと切り替わる。
少女―――女性が腰を伸ばし前へと歩む。
「さて。重ね、戦いは終わりました。まだ命を弄び足りないという方が居るのであれば前へ」
「アトラ教神殿教会連盟【竜司祭】サクラバの名において、あたしがこの場を調停しましょう」




