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忘却伯の勿忘草  作者: ブロンズ
第四章:忘却伯と躍進の幕開け

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第19話:いつかの約束




『もっと大きくなる時には、今よりずっと強くなる。多分、同世代には敵は居なくなるくらいに強くなるよ、アイン君は』



『だからこそ、強くなった時にこそ、ね。奪う為じゃなく、護るために。正しいことを知ってる君には、正しい強さを持っていて欲しい。守る為の強さを』



 ………。



「私には私の護るべきものが……」



 約束だった。

 かつて出会った……世界一つを救った真の勇者との約束。


 果たして、今の自分はどうか。

 大切なもの、そしてその約束を守れるほどに強くなれただろうか?

 プリエールに存在する真なる聖剣たる界剣ウェセラと心を通わせ、一年。


 その力を振るうまでに。

 だが、セルシオ騎士長やワルダック副騎士長とも互角以上に戦えるようになった今でさえ、二人はいう。

 世界にはもっと強いものたちが星の数ほどいたのだと。



「そろそろ……、……!」



 思考を締めるように、また武器も収める。

 訓練の終わりの刻……妹、セレスが来る時間だと。

 そう思っていた。

 しかし、現れたのは―――。



「アイン」

「―――! 王妃殿下……!」



 気配すらなくその場に現れたのはこの国の王である聖王陛下の妃たる、ルクレツィア様。

 すぐにその場に平伏しようとして制される。



「自然体の貴方で構いません。私たちは家族でしょう。それに、平伏しているあなたの様子なんて寝起きのこの子が見たら―――ね?」

「すう、すう……」

「………は」



 彼女が言う家族だが、血縁はない。

 あくまで、彼女の夫である聖王と私につながりがあるだけで。

 しかし、あえて口にする必要もないことだとこれまでもそれを否定したことはなく。  



「母と呼んでも良いと何度も言ってるのに―――。今日、休みの日だったわよね、そんな日にも稽古なの? 身体を壊さないかしら」

「は。むしろ身が入りやすいところがあります」

「偉いわね。もう貴方と渡り合える相手なんてセルシオ卿かワルダック司教くらいなのに」



 会話の中で私を覗く、青空のような瞳。

 その眼には何処か感情の光がない。

 ……。

 喜怒哀楽……彼女は一種の上位存在にでもなってしまったかのように、人としての当たり前の感情を感じさせない。

 波紋一つない水面のような、或いは心を持たない鉱物のような。

 出会い頭のように、そもそもの気配すらなく、こうして話していても同じ人間と話している気がしない。

 彼女こそ、プリエールの歴史が求める統治者の具現。

 

 よく言えば相手に差異を付けない、万人に平等を与える。

 もう一つの言い方ならば……全てを同じ駒とみている。


 驚くことに昔の彼女は良く笑い、快活で、明るい少女だったと。


 同じなのだという。

 歴代の水の聖女は、皆がやがてこのようになっていくのだと。

 国を導く者として、一時の感情に左右されない精神性を儀式によって身に着けるのだと。

 癒しの力を行使すればするほどに彼女は人間としての精神性を失い、やがては合理のみで動くまことの上位存在、真の聖女になる―――。



「ん、ぅ……。ぅ?」



 何故だったのか。

 当たり前の事、素晴らしいことと教えられてきた概念に対し、思考が言いようのない暗雲に包まれ始めた時だった。

 彼女の背で寝入っていた7歳の少女が薄く目を開けた。



「ははさま。―――あに……さま?」

「えぇ」

「ここにいる」

「ぅぅ……、あにさま……。あにさ、……すぅ」



「―――。ふふ」



 再び寝入ってしまった娘を背負いなおすまま、彼女が笑う。

 違う、笑ったように顔を作っている。



「セレスは本当に兄さまが好きなのね」

「は。名誉なことと……」


「他ならぬ兄さまにはずっと前から想ってる人がいるのに」

「!」

「小さいころに出会った、本物の勇者さまに、ね」

「殿下、それは……ッ」

「うふふ。冗談よ」



 軽いやり取りの後、彼女は冗談っぽく笑う。

 ワルダック司教も言っていた、やはり昔の彼女は良く笑う女性だったのだと……。

 あるいは、当時の名残か。



「……殿下。やはりここは危ないです」

「護衛もいないからってこと? 大丈夫。そっちで待たせてるもの」



 無論、遠目でこちらを見ている騎士たちが居るのは気付いていた。

 だが、それでも万が一は……。



「今私とセレスの前にいる人こそ、プリエール最高の騎士になる子。天銀の後継者。違うの?」

「……」

「それとも、貴方は妹との約束を守れない悪い兄なのかしら」

「―――いえ。決して」



 セレスを護る。

 約束したのは真実。



「良い子ね、アイン」



 今一度背中の娘を背負い直し、バランスを取った殿下は細い手を汗に濡れた私の頭にのせる。

 身長は既にこちらの方が高く、しかし彼女はそれを気にしていない様子だった。


 

「―――護ってあげて、この子を」



「けれど、忘れないでほしいの。人はそれが約束だから守るのではなく、自分にとって正しいことだから守るのよ。皆、自分の信念があるからこそ、護るの。約束はあくまで外からきたもの。信念は、自分の内側にある柱……。柱が折れてさえいなければ、何度でも立ち上がれる。……きっと勇者さまも同じだと思うわ」

「……殿下も」

「えぇ。私も」



「自分の柱がある。それだけは変わらない。こんな風になっちゃっても、ね?」



 全ての臣民を平等に愛することしかできなくなってしまった母はそれでも娘を大切に思っている。

 何よりも、誰よりも、きっと。 

 その確信が、いつしか私の胸の中の暗雲を晴らしていた。



「これからも癒しの権能を使われるのですか」

「えぇ。きっと、何度でも」

「……。失うのが、怖くはないのですか?」

「―――。ふふっ」



「怖いわよ。とっても。けど、貴方も知ってる、アイン」



「何であっても戦うことと、向き合う事は怖いこと。そのうえで、貴方も逃げてない。大切な約束がやがて信念になり、貴方の中で一本の大樹となっているから。その頑丈な根が、葉が。その下にいる人たちを守っている。貴方はこの国……。いいえ。私の誇りよ」




 彼女の手が私の手を包む。




「この子を―――お願い……。お願い」



 離れる瞬間、彼女の手は確かに震えていた、震えていたのだ。

 プリエールに生きる全ての民にとっての母親である女性には、まだ人としての暖かさが残っているのだと、確かに理解した。


 同時に、私は騎士の生き方を。

 民を、全てを守れるだけの果てなき力を、相棒たる界剣に願った。



 ………。

 ……………。




「右翼! 樹根が接近、爆裂式で薙ぎ払え!!」



「再生が速く追いつきません!」

「術師隊は一度下がってください、私が対処しますッ」


「伝令―――火車轟殿、熊襲殿、撤退……!」

「大陸ギルドより追加の救援は!? 最上位冒険者は来れないのか!」

「セフィーロの竜喰い、黒刃毒師……、剣王国の神槍―――。いいえ! 現在周辺国家の動員戦力は間に合いません!」



 プリエール南の村落が5つ、都市が2つ飲み込まれた。

 だが果たして、魔素の影響が一定である大陸中央部にそれ程の破壊をもたらす大妖魔が出現するなど誰が予測できたか。


 その魔物は、成長したのだ。

 極東から飛来した最上位妖魔……植物型の魔物が芽吹き、地下で最大の成長を遂げた個体―――或いは、群体にして個たる生命。


 A級妖魔ディザスティイータにも、特A級アビサルトレントにも似た植物に近い貌。

 その上で森のように無数に広がる個体群。


 また、ソレは周辺国家に高位の冒険者らが存在しないタイミングを見計らったように現れた。

 今や数十キロにも及ぶほどの森そのものが魔物なのだ。



「前線は私とセルシオ卿が食い止めますッ」

「アインスベルク殿は砦の指揮を! 頼めますね!」


「はッ」



 常に劣勢の状況が続いた。

 薙ぎ払う魔術嵐。

 神官にして騎士、星芒法衛が放った大規模な術の数々が敵を磨り潰す。

 天銀の武装に全身を包んだ聖銀騎士の斬撃が根を裂き砕く。

 しかし、薙ぎ払う武威も、大規模な儀式方陣によって放たれたそれらも、数千と重なり合う樹根に阻まれ、広がらない。

 

 侵攻を押しとどめるので精いっぱいであり、全滅は時間の問題に思えた。

 兵士たちは次々に斃れ、星芒法衛と聖銀騎士団双方も半壊状態。

 戦いの中で騎士長セルシオは腹部に穴を穿たれた状態で帰還し、副騎士長ワルダックも大魔術の展開中に両腕を潰されるという致命的な重傷を負い、戦線を離脱。

 


「火車轟モルト殿の調査によって、この現象は最上位妖魔【地核吸樹(プランネット)】が齎す森林厄災の一種と断定されましたッ。やはり内部に核となる個体が存在する……! それを殲滅することができれば」

「しかし、大陸ギルドの指標で言うのならばこれは既にS級殲滅任務と同義だ。我々とて深層まで踏み込み戻ってこれる可能性は……!!」



 死が。

 国家最高の精鋭である騎士たちをして、生還は絶望的に思えた。

 一時退避した砦に迫る影。


 誰もが息を整え始める。

 定めを覚悟した騎士たちが立ち上がり、運命を受け入れるように息を吸って―――。




「準備は出来ていますね。では、共に参りましょう」

「「―――――」」




 誰もが息をのんだ。


 そして、誰もが膝を折った。

 懇願するように、祈るように。 

 彼女の言葉に、誰もが「否」と、言葉でなく行動で示した。



「なりません……。なりませんッ、王妃殿下。それだけは―――。ここにいる者たち、皆の総意です」

「私にしか出来ないことがあります」

「なりませんッ!! どうかご再考を」

「セルシオ騎士長。貴方が最も知る筈です。己らの力、私の力。どの方法が最も完全に近いか……。貴方までもがそのようなことを言わないでください」

「納得できるわけがッ―――」

「これは命令です」



「私にはパーシュースの聖女のような浄化の権能もなく、ギルド総長のような武力もありません。それでも、女王。プリエールの聖女ルクレツィアとして、民を護る責務があります。そしてその民にはあなた達も含まれている。象徴たる二大騎士団総員が生還することなく倒れるなど。そのような犠牲は許容しません」


「重ねて言いましょう。私ならできます。出来るのです。たとえ致命傷を負っても、命さえそこに在ればあなた達を万全な状態に蘇生することが」



 上位存在となった彼女は決して言葉を翻さない。

 発された時点で、ソレが最適解であることに疑いがなくなるからだ。


 誰も、もう異議を唱えなかった。

 私もだった。

 彼女はまるでなんてことはないようにそれを告げる。

 今までと何も変わらないように淡々と。



「誇らしき騎士たちよ。私を魔物の核へと護衛してください。そして、たとえ私が倒れたとしても……、倒れることがあればこそ、私の命と引き換えに民を護りなさい」

「「―――――」」

「セルシオ騎士長。撤退以降の判断の一切をゆだねます。つらい役を任せてしまいますが、必ず生還してください。新たな聖女を護ること、法衛の長としてお願いします」

「―――、ぁ……」

「お願いします」



 自力の回復では立ち上がれなかった者、既に重傷を負い横にさせられていた者たちは「自分を治してほしい」という声すら出せなかった。

 それは己らの不甲斐なさ。

 たとえ戦力が増えるとしても、今この場で彼女の力を使わせる愚こそ理解していたゆえに。


 彼らには共に死地に向かう権利さえなかった。

 騎士としての名誉を果たせず、戦死さえ許されず、どころか真に守るべき女性を止める機会すら、永遠に失った。



「今ここで重傷者を癒す利点はありません。私も、消耗した魔力までは癒せません。今この場で随行する余力のある者たちのみ―――」

「どうか! 陛下……!!」



 だが、ひとり。

 身体を引き摺り、這いずる様にして前に出る騎士がいた。



「陛下が行く必要などないはずだ! 私たちならば! たとえ壊滅しても―――そうでしょう!?」



「ワルダック副騎士長。一人の命と、全体の命。どちらを取るかなど……」

「その天秤が既に! 決めつけてしまっている! 疑問に思わぬのですか!? おかしいと、本当にそのほかに道があるのではと疑わぬのですか!?」

「―――。卿」

「ならばルクレツィア陛下! 私を! ならば、私が! 私が共に!」

「……………」



「そうでしょう!? セルシオ殿! アインスベルク殿! 私がいた方がいいはずだ! 私ならば魔物の核諸共周囲も、活路も拓くことができる!」

「……殿下」



 完全に潰れた両腕、重体の身を引き摺るように叫ぶワルダックを見下ろす聖女と騎士長。

 両者の瞳が僅か一瞬に交差し。

 聖女ルクレツィアは倒れ伏す騎士へと膝をつく。



「芽吹きと恵み、果てなる旅路に。御使い―――汝、楽園の守護者であれ。我が手に水と光を。守護者の炎と旅人の風」



 青白い光。

 最高位の治癒魔術ですら及ばないまことの奇跡が包み、完全に潰れていたワルダックの両腕を元通りの形へと戻す。



「陛下―――感謝します! これで……はははっ! 私も、貴女と。あなた達と共に……、ぁ」



「―――な。これ……は」



 瀕死の重傷から立ち上がった騎士は、生傷一つない腕で迷わず武器を取った。

 取ろうとした。

 だが、これまでのように当たり前に持ち上げることは出来なかった。

 重さに耐えきれないと言わんばかりに掌が細剣を取り落す。



「握る力。腱を別のものと変質させ繋げました。ワルダック司教……これより先、貴方が武器を取ることは許しません」

「……ぁ、あ。陛下……?」

「ワルダック司教―――約束してください。誓ってください。武器を取らぬと。私が居なくなる以上、プリエールのアトラ教分派を纏められるのはあなた以外にいないのですから」

「―――。馬鹿、な……」



「出来るわけがないッ!! 護れと命じたのは貴方だ! 国を、民を……貴女を!? 剣で守れと!」

「過去の事を謝罪します。あなたの騎士としての任を解きましょう」



 淡々と。

 感情なき聖女はただ事実と指令のみを述べ、ただ言葉が過ぎ去る。

 ワルダックの言葉は虚空に消えていくばかりだった。



「だめだ! だめだだめだぁ! 私、もっ共に―――」

「セルシオ騎士長」



「……ッッ。友よ―――御免ッ、ッ!!」

「ぐあぁぁ!!?」



 不意にセルシオがワルダックの足を切り裂く。

 彼は再び膝を折り、その場に倒れ。



「……君は強い。居てくれればこれ以上に心強かったことなど……。だが、ハッキリ言おう。今の貴公は―――足手まといなのだ」

「セル、シオ……」

「正しい判断です。では参りましょう、皆さん。あなた達の誰一人、死なせるつもりはありません」



 ………。



「アインスベルク殿」

「―――、は」




「まって―――待ってください! 待ってくれ! 陛下……陛下ッ! ルクレツィア様!!」



「セレスティン殿下は!? あの子はどうなるのですか―――!!」

「……………」



 背後からの叫びに彼女は答えなかった。

 或いは、騎士たちもが感情を失った人形のように前へとただ足を動かした。

 ……。

 結局その日、聖国を揺るがした大妖魔は討伐された。

 核となる個を討ち取ったのは自分とセルシオ騎士長だった。


 ……。

 犠牲者はたった一人、残留した中で傷が悪化し死亡した騎士すらいなかった。

 人数で見れば、奇跡としか言いようがないほどの歴史的な勝利だった。  



 ―――本当に?



 セルシオ騎士長の選択は正しかった。

 もしもあの時彼がワルダックを止めていなければ、確実に死んでいた。

 教会の屋台骨たる聖女、司教、その双方が一度に命を落としていただろう。

 

 だが、ワルダック副騎士長の言葉も正しかったかもしれない。

 もしもあの時彼が万全な状態で回復していれば、ルクレツィア様に代わり死地に赴いていれば、騎士の大多数が死んだとしてもルクレツィア様は今も生きていたかもしれない。



 結局、選択とは正しさと正しさの擦り合い。

 何を取捨選択するかの違い。 



「……。救えない。国は、力だけでは……」



 ―――アイン。セルシオ。

 ―――最後、に……。



 衰弱した彼女が命を落としたその場に立ち会ったのは己と騎士長だけ。

 最後の彼女を知っているからこそ、私は。 



「―――水の聖女の到達点……女神の精神性。それは……祝福なのか? 今のこの国の在り方は、本当に唯一の正しい形なのか?」

  


 皆が素晴らしいことと語った、誰もがそう教えられ育った。

 聖国は神の代弁者たる聖女の元で、全ての民が平等に愛された完全な国なのだと。

 だが、果たしてあの場にいた騎士の中でその事実に喜色を浮かべていたものは只の一人でもいたのか?


 ワルダックは騎士団を去り、アトラ教本教の職に復職した。

 セルシオ卿は最後の言葉を淡々と実行するように動き続けている。


 もしも、次に選択を迫られた時。

 あの子が選択を迫られた時―――自分は?


 ……。

 結局、力があるだけでは何もできない。

 あの日、自分はその選択の何一つにも意見することが出来なかった。

 あの日以降、頭の中には一つの確信がこびりついて離れなくなった。


 疑問は、ついに確信になったのだ。



『約束だよ?』


『約束、ですよ』



 私のすべきことは固まった。

 生きること、護ることとは正しさの擦り合い。

 互いの中の信念、柱をぶつけ合い、勝者の正しさが残るだけ。


 もしも自身が、私が選択の当事者になった時。

 大切な個か、或いは国か……そのどちらかしか選べないのだとしたら。

 彼女が……セレスが、ルクレツィア様と同じように感情のない統治者としての道しか存在しないのならば。

 そこに天秤があるのなら、自身がすべきことは間違いなく。




「―――約束だ、リクさん。必ず護ります、ルクレツィア母上」

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