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忘却伯の勿忘草  作者: ブロンズ
第四章:忘却伯と躍進の幕開け

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第18話:過去にとらわれて




 巨大国家ジルドラード帝国、剣王国グラディスと隣接し、自国も先進国家として発展を遂げている聖国プリエールと言えども、僻地となれば発展は他の雑多な小国と変わらない。

 家屋は脆く村々の守りは薄く。

 魔物の脅威があり、日常の中で臣民が襲われ、命が潰れる。

 違いなど信仰の程度くらいなものだったろう。


 だからこそ、そんな敬虔でしかし弱き人々を助け導くのが国家、そして信仰の護り手たる聖国騎士の在り方であった。

 たとえ中央と聖女の力が及ばぬ土地であろうとも、そこにアトラ教の教徒がいて信仰が存在するのであれば護り手たちは必要とされた。




「ルクレ―――、ッ。女王陛下!? どうしてこんな国境境などに!」




 ……。

 そうだ。

 男にとって、目の前の現実はあまりに信じがたいものだったのだ。



「何故……、と。えぇ、そうですね」



 聖国の貴族家の出身、元アトラ教司祭、元星芒法衛団員。

 まぎれもないエリートであったはずの男が先に待つであろう途方もない栄誉を捨ててまで末端の僻地に志願し、民のために骨をうずめる覚悟をもって戦っていた。

 あるいはこれはその褒美……。


 ―――違う。

 飾り立てられたそれらを名分に、只日々を抜け殻のように過ごしていた男の元に、彼女は現れた。

 昔と変わらない美しさで、立っていた。 


 多くの護衛に護られた女性はまっすぐに彼だけを見ているようで。



「女王であればこそ、聖国の全ての民を知り、護りたいと国家の隅々を遊覧するのは当然の事―――違いますか? 騎士ワルダック」

「……」

「―――ふふ」



「実のところ、もう一つ……。貴方に、無性に会いたくなっちゃったの」



「ね。ワール。昔みたいに名前で呼んで?」

「「……………!」」

「さっきあなたが言いかけたように、呼んでほしい」



 最初から辺境に生まれ育ち、このような場所に国家の象徴がいるという事実をいまだ受け止め切れていない村民や末端の兵士たち。

 彼らの前で行われていたのは絵物語のようなやり取りだった。

 国家、それも大国プリエールの象徴たる聖女が、中央から辺境に配属されたただ一人の男と親しげに語り、笑顔を見せている。


 逆に、彼女が中央から伴ってきた選りすぐりの精鋭。

 星芒法衛、或いは天銀騎士団の騎士たちもが何よりどよめいたのは村民らとは全く異なる理由。

 彼女、聖女ルクレツィアが幼い少女のように笑う姿というものを今まで一度たりとも見たことがなかったからに他ならず。



「……………」

「都合が悪いといつもだんまり。変わらないわね、ワール」



 国家の要として申し分なく、最強の使徒たち。

 しかし、その警護があってさえ国家の至宝とされる聖女を中央から離れた、それも他国との国境に出すなどあっていいはずがないのだと彼は思った。


 それも―――。



「さ、貴女も挨拶しなさい、セレス」

「あー」


「……この子、が」

「私の娘。私の宝物……。私の、子供なの」

「あーーぅ!」



 娘。

 女性の、薄い青空のような瞳より余程も澄み渡った青の瞳を持つ赤子だった。

 まだ意味のある言葉さえ発せない命が、彼の前できゃいきゃいと笑う。


 腕の中の赤子をまさしく慈母のように優しく撫でる女王。

 しかし、その言葉はまるで自身に言い聞かせているかのような。

 憐憫も悲壮感もなく、疑いようもない慈愛に満ちたものであるはずが、そのうえで何かが決定的にズレている様子に。


 男は誰に知られることもなく鎧小手に覆われた自身の手のひらを強く握り、鎧を軋ませる。



「恐れながら、女王陛下」

「ルクレツィア」

「しかし」

「だめ。名前を呼んでくれるまで返事はしません」

「―――ルクレツィア……、さま。今の貴女は……、何処まで感情が残っているのですか?」



「……ふふ。そんなこと気になるの?」

「ッ! そんなこ―――、……」

「大きな声出さないで? 泣いちゃうわ」



 女王という名前以上に感情を感じさせない女性。

 ルクレツィアは男に名を呼ばれたことに気を良くしているようだったが、結局男の言葉に応えることはなく。

 暫し、沈黙があった。

 やがて切り出したのは彼女だった。



「ね、ワール。どうして私がここに来たのか、わかるかしら」



「プリエールの聖女候補たちは皆いなくなってしまったわ。だからこの国の未来に希望を残すために探してるの。聖女を守護する真なる聖剣の担い手と、ソレを導く―――えぇ、そうね。かつて異界の勇者様たちを指導した、導き手になれるような存在を。夫も、喜んで同意してくれた。怖いのでしょうけどね」

「…………」

「だから私が話したの、それなら適任がいるって。導くことと説くこと。口先だけなら天下無双の説法者にして、また武術においてもセルシオ卿にも並ぶ、もう一人の天才。閃影の騎士の事を」



「ワール。国民を、彼らを守ってあげてほしいの。私たちの傍で、この子たちの未来を、護ってほしいの」

「中央から逃げ出した腰抜けにそんな度胸が……」

「私も、怖いの」

「!」

「全員を横並びに愛するのが女王の在り方であっても、ソレを本当に受け止めるのが恐ろしくてたまらない。この子を娘として愛することが出来なくなるかもしれないことが。それが、たまらなく怖い」

「……―――、ぁぁ」



 握りこぶしは鎧が大きく軋むほどだった。

 彼は口を開いていた。

 しかし、その先を続けることは結局できなかった。

 

 選択肢などなかった。

 もとより騎士としてこの国を守るのが彼の使命で、指令に盲目的に従うのも騎士の在り方。


 幼少期から共にあった幼馴染、世界の誰よりも大切な存在。 

 彼女が逃げてきた己をそれでもと必要としているのならば。

 こんな己の剣を頼みにしているというのならば、彼ワルダックに断る理由など只の一つもなかった。


 彼は再認識したのだ。

 幼少期から何一つとして変わってはいない。 

 彼女の為ならば、他の魂すら無限に入ってしまいそうなほどに空っぽの抜け殻となった己が命など、欠片も惜しくなどないのだと。




   ◇




 荒れ果て、既に倒壊寸前にすら思える床が更に軋む。

 暴風が吹き荒れ斬撃の余波でまた吹き荒ぶ。

 この時点ですべてが崩落していないことの方がよほども不思議な事象だとも言えただろう。



「ダインス卿、合わせますよ!」

「おぉぉっすッ!!」


「おおおおぉぉぉぉぉ!! う、らァ!」

「参の段、百招刃」

「ム……」



 セルシオの正確無比な斬撃と、アルベリヒの型を外れた剛の剣。

 相反する二つは却って型通りの防御を許さず。

 ワルダックは瞬時に生成された二本目の細剣ともう一刀をクロスさせて防ぎ切り、破砕したそれらを放り出す形で再び武器を生成。

 魔力で構築したそれらを幾重に使い捨てにする形で対抗する。



「―――っしゃァ!!」



 連撃の中でアルベリヒの剣の一振りが暴風の一撃を生み、またワルダックも風が木の葉を巻き、木枯らしに収束させるかのように受け流す。 



「―――、粗削りながら良い腕だ。多少の修羅場もくぐっていると見える」

「毎日死が間近なんで―――じゃねーよ! その体形でどんな動きかましてやがんだ! 10年ちょっと同じ型稽古してたくらいじゃ身に付かねーようなギルド教官共みてえな練達の動きしやがっ―――」

「術士としての力量もある戦士との戦闘経験は?」

「……なッ」

「天滅ッ」



 細剣の切っ先に宿った光が爆裂し、周囲を巻き込む。

 アルベリヒが顔から黒煙を上げ後ろに転がり。


 

「派手な攻撃ですね、ワルダック」

「ぐッ、ぉ……」



 爆風の中から現れたセルシオの斬撃が伸びる、百に及ぶ銀の刃がワルダックを襲った。

 今度はワルダックが後ろへ飛ぶ。

 その姿は数十の銀片の衝突で粉微塵の血煙と砂を巻き上げるまま見えなくなり。



「ダインス卿!」

「けほっ、ごほッ……けむっ! 喉がタバコに!」

「……流石、ご無事で。さて、あちらは普通の人間ならばとっくにハチの巣、出血多量で死に至っている筈ですが」



「ほほほ……」



「やはり一戦闘者としての戦い方で練達の使い手二人を同時に捌くのは無理なようですね。ブランクもある」



 死霊の大司教は瓦礫の中から姿を現す。

 体中に刃の穴、ことさら丸い頭部の損傷が目立つも、男はまるで頓着することも膝を屈することもなく言葉を放つ。

 血にまみれた細剣に粘つく鮮血をふるい落として歩を進め。



「これもダメ―――。ダインス卿も、怪我があれば私が治しますが」

「元気いっぱいで……。むしろ、なんか身体がバカ軽いっていうか―――、錬気とも違うような、変な力が纏わりついてくるんすけど。なんすかね? こりゃ」

「魔力纏い。―――よもや初めてですか……?」



 己の魔力を一時的に活性化することで身体強化を行う”錬気”

 元冒険者であった彼アルベリヒには基本的なものだったが、その力が身体を常に覆い続ける現在はそれとは感覚が異なり。

 が、己が問題なく動き回れているのはこのオーラのおかげであると理解もしていた。

 セルシオがその正体を知っていることも。



「身体強化は様々な派生を持つものです、帝国騎士殿」

「あ?」



 答えたのは体中の穴が完全に塞がったワルダックだった。



「武を志す者の入門として身体強化術の錬気が編み出されたのは冒険者ギルドの創始者が始まりと言われています。多くの説では、至高の勇者ソロモンの持っていた神降ろしの果てなる身体強化をもとにしたと」



「オンオフを切り替え、いつでも力がみなぎるスイッチ……”錬気”を作り出し。そのうえで、只押すボタンではなく、切り替えるレバーを構築する。それこそが”錬技”。強化倍率は通常の錬気とは比べ物にならず、また途切れもしない。一握りの強者は皆この力を使う。その修得に個人差があれど、基本は同じ」



 ワルダックの放つ瘴気の質が変わる。

 直前とは比にならない、圧。



「魔力は純度が高ければ高いほどに早く、多ければ多いほどに堅くッ!!」

「おお!?」

「これはッ、グッ!?」

「錬技・閃影―――。これぞ極点ッ。五体を、もはや天銀さえ不要な鎧へと化す!!」



 最早人間の枠を超えた動き。

 ワルダックの攻防は最早武器を必要としてさえいない様子だった。

 手で引き裂き、脚で受け止め、往なし、そして破壊する。 

 衝動的に戦っている、頭に浮かんだ瞬間に行動をしているように。



「これこそが万の魂を飲み込んだ彼らの高みッ、素晴らしい力だ! 精神のタガもが外れているようです! この高揚感、全能感……! 絶頂の強者たちが見ていた景色とは斯様なまでに美しかった!!」

「くッ……、ふふ、ワルダック。貴方がそのような野望を持っていたとは意外でした、ねッ」

「―――!」

「ふ、ぅ……。力を手に入れて、そんなにも心躍りますか?」

「って感じには全く見えねーんだけどな、大司教さま。おー、いてて」



 言葉とは裏腹に、問いかけた彼らに瞳を向けた大司教は笑ってなどいなかった。

 弾むのは声ばかりで、その青白い顔に張り付いた表情には何の感情もなく、今ある事実のみを淡々と飲み込みそして利用している。

 ただ、淡々と負傷した彼らを処理すべく足を前へ。



「芽吹きと恵み、果てなる旅路に」

「「!」」



 戦いの中、聞こえてきたセレスティンの声が彼らの注意を引いた。

 強いと表現するべきでない、しかし目を向けずにはいられない力の波動。

 やわらかで、あたたかな……まぎれもない聖女の権能。



「御使い―――汝、楽園の守護者であれ。我が手に水と光を。守護者の炎と旅人の風―――」

「いけません!!」

「え―――?」



 止めたのはセルシオだった。

 戦いの激しさが増すほどに力を増していくワルダックに対し、定めのある只人として傷を重ねていく彼ら二人。

 しかし当のセルシオが水の聖女としての力を行使することを禁じ。



「ほほ、くくっ。セルシオ、やはり貴方は―――」


「よそ見してんなよ、大司教サマ」

「―――な」

「吹き飛べやァァァ!! 真・深斬ッ!!」



 セルシオと同じく、その場に固まっている様子だったワルダックを襲った圧縮された錆の魔力。

 底知れぬ魔力が湯水のように溢れ出す錆騎士の剣が凄まじいまでもの圧力でワルダックの死の瘴気を押しのけ祓い、大司教自身をも飲み込む。



「わあああーー」

「とばされっ、ちゃいま……」

「……えぇ。まこと凄まじいですね、ダインス卿。一体、その錆騎士の剣にはどれ程の力が……? 大いなる、真なる聖剣の中にはそれそのものに膨大な魔力を蓄積するものも存在すると。或いはこれもまたその一つなのやもしれません」

「錆っ錆だったんすが?」



「―――。まこと、おかしなものですよ、えぇ」

「「……………」」



 彼らとて大司教が今の攻撃で朽ちたとは思っていない。

 もとより、真なる聖剣の持ち主たるアインスベルクの攻撃さえ意味をなさず再生したのだ。

 その仕組み、構造というべきものを捉えるまでは決して倒せる相手ではないとさえ覚悟しなければならない。



「最初に武器を交えた段階で、これ程の使い手だとは思っていませんでした。いえ、正確にはその剣―――今の貴方は剣から供給される魔力を扱っている、或いは扱われているに過ぎない。しかし何故扱いきれているように見える……? まるで歯車がかみ合ったかの如く、錬技という本来ごく一部の強者にのみ許された力さえ修得し……」

「知るか。使えるもんは使うだけだ」

「……ふふ。さっぱりとしていていい。プリエールの騎士とは違うのですかね、帝国は」

「神官じゃねーんでね」



「ワルダック」



 交わされる会話の中。

 セレスティンが声を上げ、ワルダックが目を向ける。



「貴方は神官です。そして騎士でもあったと。―――どうしてなのですか? 貴方は誰よりも敬虔な使徒だった筈です。私も、貴方の事を尊敬していた。貴方は多くを教えてくれた……」



 初めてだったかもしれない。

 ここにきて、彼女は理由を聞いた。

 それがセルシオたちが回復するための時間稼ぎだったとしても、ソレを分かっていてか男は動きを止めた。



「どうして、何故……と」

「だって母さまは……確かに言っていました。本当に危ない時、貴方を頼ると良いと。誰よりも頼りになると! 国家に忠を捧げた使徒であったと!」

「……。愛するからこそ。大きな愛は、裏返った時より大きな憎しみとなる」

 

「私から力を奪ったのは彼女。何よりここまで来てしまって、どちらが止まれますか? 一方、他方? 両方でしょう。私もあなた方も既に止まれない。良いでしょう、殿下も癒しのお力を使われるがいい。それで、或いはフェア」

「なりません! セレス様!」

「……セルシオ卿? さっきから何でそんなに。あ、俺は個人的にはいてーんで治してもらいたい……」



 セルシオは彼女が力を使うのを決して認めない様子で。

 あるいはワルダックもその理由を知っている様子だった。



「過保護な保護者程面倒なものもありませんね。力を持っていて、それでなお護られるだけの方がつらい場合もある。そうでしょう? 殿下」

「……………」

「あーァ、そうだ。以前のように背負うものが。戦う理由とやらがあればいいのですかね? セルシオ。ならば、セレスティン様。先代聖女ルクレツィアを殺したのは私です」

「―――! ふざけないでください……! 母さまは病気で……」

「そう、ソレは誤りではない。ですが今まさにあなたの中で私への憎悪が大きくなったのも事実」



「はははっ、ほほほっ。愛しも憎しも、知恵と経験の産物。生まれた時から何かを愛する者がいない様に。生まれたその瞬間から世界を憎むものがいない様に。無知とはあまりに清らかであり、同時にあまりに罪深い」



「セレスティン殿下……。貴方はどれ程自分が外を知らない幼子であるかさえ知らない」



 男は得意になるでもなく淡々と呟いた。



「人は幾度も死に近付く体験をし、やがて本当に辿り着くもの。私とてかつて両の腕を失い、騎士としての死を経験した。治してくれた彼女は―――しかし形ばかり整え、私の腕の力を奪った。完全に治すことも出来たはずなのにあえてそうした。私が力を持つことを拒んだ。私の力を求めたのも、また彼女であったはずなのに……」



「セレスティン様。以前お話いたしましたね。殿下の生まれについて」

「……! ワルダック! 貴様―――」

「セルシオ」



 止まっていた戦闘を再開する勢いで叫んだ騎士を制したセレスティン。

 彼女の瞳には確かな光があり。



「ワルダック……。それを今更知りえたからなんだというのですか? それを知って、或いは私があなたの望みに協力できるとでも。その力でもって、今度は母さまを生き返らせることが出来るなどと吹聴でも始めますか?」

「………ほう」

「声が聞こえるからこそ。極限たる癒しの権能を行使したからこそ分かりました。死者は生き返りません。たとえ戻ってきたとしても、ソレは全くの別人。私は、今ある命を守るためにここにいる。私の力はそのために使う」

「「―――――」」



「殿、下……」

「こーれはプリエールの至宝―――。司祭さんの裾握ってるけど」

「ふーふふふ……」



 内乱は聖女の心に多くの感情を与えた。

 満ちたり得ていた全てを失い、その反面として彼女にはかつてない意志が宿っていて。

 ……しかし。

 まだ、小さく竜司祭の服を握るその様は外部からの勇気を必要としているようにも思え。



「幼子の成長は早い……と。ならばせめてこれだけは話しておきましょう―――と。セルシオ殿。止めなくても?」

「殿下が貴様の口を塞げとおっしゃれば、動くのみ」

「ほほっ。いずれは知ること。それを知っていて、結局責任だけは他人に、と。立派な騎士道だ」



 ………。



「殿下。貴女は―――」



「貴女は先代聖女ルクレツィアの子供ではありませんよ」

「―――、! ……」



 セレスティンは目を見開いた。

 その上で理解、認識するように瞳を閉じて。



「20年前。我々が悲劇と呼ぶ、聖女の血統がただ一人の女性を除き命を落とす事件があった」

「……当時の星芒法衛の団長が首謀者であり、自らの側に近い聖女候補と共謀して国を自らのものにしようとした事件、と。そう聞いています」



「ははは……。騎士に己が意思などあるものですか」



「最初に破ったのはあの男だった。貴女は聖王とその首謀者たる聖女候補の間に生まれた、プリエールの汚点。国家の仇敵そのものですよ」

「……プレイボーイだったつぅ……? 裏山ァ」

「逆ですよ、騎士殿。拒み切れぬ、まこと意志の弱い男で―――」



「セルシオ」



 彼女が答えを求めたのは自らを守護する騎士の一人だった。



「分かりますよ。事実なのですね?」

「…………」

「そう、ですか……」


「セレスティンさま? 私がおてて握り―――」

「ありがとうございます。けど大丈夫です、竜司祭様」



 セレスティンの頬には涙が流れた。

 しかし、それはワルダックが望んだものでは決してなかった。

 彼女は笑っていた。

 笑いながらに涙を流していたのだ。



「―――それでも。それでも母さまは私の事を愛してくださったのですね。それでも、実の娘のように愛情を注いでくれたのですね……。それでも、それでも……」



 竜司祭に手を握られている少女は、感情の揺れなどなかった。

 逆に、ゆっくりと手を解き前へ出る。



「動揺が見えます。それほどに意外ですか? ワルダック大司教」

「……!」

「なら、逆に教えます。貴方に聞いたことから、父聖王が私の記憶通りの御方でなかったこと、何より大切だった母さまとのつながりがなかったことは理解しました。それでも、私は今でも父と母を愛している。母さまと血で繋がっていなくとも。たとえ兄さまが私の事を本当は憎んでいたとしても……それでも、もう痛くはないのです」



「子供とは大人が知らぬ間に多くを知り、成長していくもの。言われなきゃわからない、直接伝えられなきゃ理解できない。そんな癇癪染みたことを言うつもりはありません。事実として兄さまは今でも私を護ってくれている。真実として母さまは確かに私を愛してくれていた。違えようなく父聖王は民の前では確かに立派な王だった―――それで充分」


「母さまは国のために生き、国のために命を落とした―――その事実に誤りはなく、またセルシオもあなたも母さまを愛していた。その事実だけで十分。―――セルシオ。アルベリヒ様」

「「!」」


「聖国プリエールの王として命じ、またお願い致します。彼に、救いを」

「全てを賭して」

「主の命令なのでね」



 再び彼らが武器を構える。



「古き友―――結局、護りたかったのは残された己の尊厳だけですか?」

「……………」

「ワルダック……。殿下は既にルクレツィア様の後継として立派に成長なさった。なのに貴方だけが過去に囚われ、貴方が彼女の死の尊厳を奪うというのですか!?」

「黙りなさい」



 セルシオは友であった男へと最後の別れを―――欠片とて揺るがないセレスティンの様子に僅かな動揺を滲ませたワルダックへと問いかける。



「人の感情を視る聖女でなくとも分かる。人の身でなくなったとしても、貴方の根底にあるのは恐怖ばかりだ。空っぽの、抜け殻の内側を埋めようと他の何かを求めているだけ―――」

「黙りなさい!!」



 初めて男が上げた絶叫は心からの叫びか。



「……ッ!! 生きてさえいてくれれば。ただ、そこに居てさえくれればそれでよかった……。私は、私たちは護れたはずだった! あの当時の私にこの力があれば、彼女も護れたはずだった!! 腕など惜しくはなかったのだ!」

「やはり貴公はあの時の―――」

「古き友よ。君のことだけは信じていた。だが、君は最終的に私を裏切ったのだッ!!」



 今まで決して真なる憤怒を見せなかったワルダックがまくし立てるように叫ぶ。



「セレスティン様! 貴方とて母と同じだ! いずれは国家を動かす歯車そのものになる! 感情などなく、全てを無常のままに動かす、プリエールの規範そのものとして動き続ける。この国に根付いた、この国そのものたる腐った仕組みの体現者そのものとして置き換わるのです!」



「全てを浄化するために! そのために国家は一つにならねばならないッ。一は全、全は一……全ての魂を一つに束ね、永遠となる。生も死もなく、国家は大いなる深淵の中で生き続けるのです。そのためには彼らの力が―――」



 爆発。

 この場に立つ一騎当千の傑物たちをして、思わず全てを止めずにはいられないほどの圧倒的な力の波動。

 それはまさに城下で激突している嵐だった。



「あれは―――伯爵……?」

「おいおい……何がどうなってそうなる……?」



 錆騎士の斬撃が区画そのものを吹き飛ばすと同時、展開された黒布が点で護り、アインスベルクの斬撃が一転集中の槍となって押し返す。

 巨大な津波同士が対面でぶつかり合っているかのような。

 

 アインスベルクの兜は砕け、端正な顔が露わになり。

 また共に戦っている帝国貴族の男も全身を覆う黒の外套は錆によって末端からボロボロになっている様子だった。 



「―――。錆騎士ベール・リッチ。彼は無敵だ」



「今こうして全ての民はいなくなり、象徴たる聖銀も、星芒も消えゆく定め。―――貴方がたの最後の頼みの綱ともいえるアインスベルクは錆騎士の前に膝を屈することになるでしょう」

「いいえ」



 鋭い眼光を宿した大司教の言葉に聖女は静かに首を振る。



「兄は負けません。彼はプリエール最強の英雄。天銀の騎士アインスベルク・オルトルシアです」

「補足しますがね、うちの領主は勝てない戦いには絶対に参加しないゲス野郎なんすよ。つまりは勝つ」

「双方を知る私も、今ならばそれが分かる。あの二人が共闘するとなると……。やはり勝てませんね、あなた方は」



「そして戦いが終われば民も、国も。全てを再び癒しましょう。私が、全て!」



「ならば―――。ならば問答は不要。立っていたものが全てッ!! こちらも定めましょうか。勝つのは我々であるのだから……!」



 大司教の身体が崩壊に向かうかのようにひび割れ、内側から瘴気が覗く。

 人の身でなくなった男と騎士たち―――再び彼らが眼前の敵へと歩を進めたのだ。

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