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忘却伯の勿忘草  作者: ブロンズ
第四章:忘却伯と躍進の幕開け

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第16話:血か涙か命か




 空間に満ちた緊迫は雫となり、今に滴り落ちる間際だった。

 反乱勢力であり、中央教会に侵入した近衛騎士セルシオ、帝国騎士たるローグベルクとアルベリヒ。


 本来であれば、彼らの戦力はどのような敵でも十二分だったのかもしれない。

 特に前者二人などは大国の中でも最高峰の使い手、国王の護衛とするにも何一つとして不足のない実力者だった。 


 が、対する大司教側。

 天銀の騎士アインスベルク。

 錆騎士ベール・リッチ。

 

 そして、……死から蘇りし大司教ワルダック。

 セルシオに心臓を貫かれ、苦悶の中で絶命したはずの男はしかし、あり得ざる回帰を見せた。

 立ち上がり、朱の瞳で彼らを捉えている。


 男の纏う、異質にして埒外に膨大な魔力。

 或いは濃密な死の瘴気。

 この場にいたアルベリヒはまだ先の影響で床が揺れているのかと思い、ソレを確認しようとして、気付いた。

 震えているのは自身の身体。



「こ、りゃあ……。ちっと無理ぽじゃねえか……?」



 立ちふさがる敵、その全てが桁の違う怪物に思えた。

 アインスベルク。

 ベール・リッチ。

 大司教を挟むそのどちらか一方だけですら、彼ら三人が死力を尽くして戦うに値する戦力だと。

 そして、疑いなくその双方が敵なのだと。


 攻撃どころか、行動の隙すら無い。

 現に、己より高みに存在しているセルシオ、ローグベルクの双方がいまだ動きを見せないことも―――。

 否。



「ぬおおおぉぉぉぉぉ!!」

「「!」」

「旦那!?」

「ローグベルク殿!」



 膠着は既に崩れていた。

 飛び出す金色……、聖盾の二つ名を持つ騎士が駆け。


 

「ベール・リッチ卿」

「―――いい、だろう」



 大司教ワルダックの言葉を受け、錆騎士が立ちふさがる。

 ―――が、ローグベルクはニヤと笑み。



「ならばよし!! これこそが本懐にて、兜を貸すがいい錆騎士! 共に死合おうぞ!」

「……!」

「セルシオ卿、ダインス卿! ここは任せ―――ぬおぉぉぉぉぉお」



 ローグベルク、彼は一時も立ち止まらなかった。

 巨大な円盾を交差した腕の前に構え、立ちふさがる錆騎士へと突撃。

 襲い来る錆の嵐と敵の身体を盾で弾き飛ばすまま、分厚い石の壁を突き破るまま、30メートルにも及ぶ距離を諸共落下していく。


 やがてその姿も声も届くものではなくなり。


 ………。



「ははは。中々愉快な仲間を引き連れてきた様子ですね、セルシオ殿」

「――――」



「なぜ生きている? ワルダック」

「ふふ、ほほ……。愚問……! 答えは既に出ていて、殿下もそれを理解しているではありませんかッ!」

「……。―――答えろ……!」



 僅かばかりの沈黙。

 ちらと、いまだ震え膝を折っていた聖女を伺ったのち、言葉を崩したセルシオは再度問いかけた。

 ふつふつと、煮えたぎる熱が今に彼の纏う布鎧を突き破るようで。



「古き時代……もはや歴史に名を残さぬほどの文献の中に、それは記述されております。数多の叡智を求め、手に入れた大賢者。或いは、全ての術を収めし大魔術師。彼らが最後に手にいれんと願ったのはまさに永遠」


「膨大な魔力をその身に秘め、かつ今世に大きな未練を持つものは神の定めすら超越する。死を拒絶する秘法。……元来私自身にそれ程の力はありませんでしたが、己が力のみで定めを超えられぬのなら、逆に神に許しを得ればと―――、ぬ、ぅ」



 雄弁に語っていたワルダックの動きがピクリと止まる。



「ぐ……、ぅ、……」



 ワルダックがよろめき、顔を覆う。

 アルベリヒの目には男が暴走する力を押さえつけているようにも見えた。

 


「ははは……、慣れていないゆえ? いえ、これは。力が、不完全。完全な魔族化ではない、と?」



「……セルシオ卿」

「えぇ。どうやらすべてが思いのままというわけではないようですね」



 ワルダックにも想定外の要素があるのかもしれないと。

 しかし、それが何であるのかを確認する必要を彼らは感じなかった。


 セルシオが武器を構えなおす。



「私は学者ではなく、難しい話は理解できません。しかし、これだけはわかる。問いましょう、膨大な魔力を得た……と。その源は何処から!?」

「分かるというのなら……むっ、答えは既に……出ているのではありませんか」



 聖女セレスティンがうずくまっている理由。

 彼女の絶望。

 「声」、「民の叫び」……それらが聞こえなくなった理由とは。



「―――民を。守るべき、民を……!」

「えぇ」

「なれば、私たちが見てきた都市も」

「その通り」

「永遠の命。その為だけに、貴方はプリエールの全ての民を生贄に捧げたというのですか……!?」

「その通りです」

「であれば……。で、あれば!!」



「もはや聞くことはない! 今、この場でッッ」



 かつてプリエール最強であった騎士が白刃を煌かせ、死霊の大司教へ躍りかかる。

 しかし、城壁すら切り裂いて余りあるその刃は止まった。



「それは許容できない、騎士長」 

「……ッ! ……いえ。ならばかつての稽古の続きと参りましょうか? アインスベルク!!」

「勝つのは私だ」

「否ッ。全ては心ひとつ、我らはワルダックを打ち砕く! そのゆるぎなき意思を持つ私に貴公が勝てる道理なし!!」



「二の段―――風巻!」

「銀閃ッ」 



 かつての最強と現最強。

 プリエールの最高位に君臨する使い手同士の激突、その様子を伺っていたワルダックはセレスティンらに目を向け小さくほくそ笑む。

 


「ほほほ……。まっこと、騎士という生き物はどこまでも救えない……。共に見物と行きませんか? 殿下、竜司祭殿。卿が彼相手にどこまで食い下がるのか、これは実に―――、!」


「透明化―――只の汎用魔術ではない。固有―――!」

「ご名答!! もうおせぇ!」



「いっかな異質な気配っつっても! 一度殺してしなないっつっても! 戦闘能力持たねえ大司教サマくれえなら、俺でもッ―――」



 アルベリヒが握る錆銀の剣が膨大な魔力を吹き、跳ねる。

 彼本来の実力以上を無理やりに引き出した最強の不意打ちは、死を超えしものの全てを奪い去る。


 筈だった。

 舞うは血でも命でもなく、銀の閃光。



「二の段、風巻」

「……。ら?」



 剣、細剣だった。

 元々存在していたものではなく、今まさに形作られたような細い刀身が彼の一撃を捌き、風にほどくように流す。

  


「なんっ!!?」



 血が噴き出す、アルベリヒの額を横一文字に削る斬撃。

 奇しくもそれは先の完全回復する前、錆騎士によって切り裂かれた部位と同一。

 が、よもやそれを成したのが目のまえに存在する肥満体の男であるなど。 



「騎士さーん! 知ってたか分かりませんけど、舐めてかからないほうがいいですよー! 彼、元々あなた達側ですっ」

「……え? へっ?」

「昔、司祭時代の彼は他の役も兼任してたって聞いてますっ」



「星芒法衛の元副騎士長ワルダック!」

「は―――?」

「ご存じでしたか、竜司祭殿。えぇ、もう10年近く前のお話―――。あの日失った腕力で二度と武器を振るえなくなったのは事実。しかし、今の回帰した肉体であれば」

「―――なん!!? ぐぉ!?」

「反応してきますか。中々強いではないですか、帝国騎士」



 ワルダックが細剣を振るう中で、全ての斬撃に極小の台風が付随する。

 また単純比較こそできないものの、その斬速はセルシオらのそれに全く劣ってはいない様に見え。


 血霧が舞う。



「おか、おかし―――冗談じゃねえぞ!? 何でデブでハゲの典型的権力者型聖職者様が白兵戦バリバリなんだよ! せめて魔術使えよ!?」

「だーかーらー。逆なんですー。元々が白兵戦バリバリーなんですー」

「知るかぁ!!」



「余裕ですね」

「……ッ!! ―――らぁ!」

「……おや、腕が」



 突風、刺突雨。

 襲い来る猛攻の中でアルベリヒが後方へと宙を舞い、下がる。

 同時に剣を握っていたワルダックの腕に切創が生まれた。



「―――あまりに鋭い切り口。透明……裸足。ははぁ、足に何か持っていますか。曲芸の域だ」

「てめぇ……魔術、じゃぁ、ねえんだよな?」



 ワルダックの腕に生まれていた傷は瞬時に再生した。

 回復魔術の兆候すらない。

 肉体に備わった本来の機能だと言わんばかりに、当然の権利のごとく蘇生するのだ。



「クソがッ。んの化け物野郎――――魔人だか死霊だか知らねえが、お前は絶対にぶっ倒す! ローグベルクの旦那と、セルシオ卿が! そのために俺が時間を―――」

「稼いだとて勝てませんとも。あなた達とて、分かっている筈ですよ。―――殿下」

「……………」


「貴方の兄は……天銀のアインスベルクは。この国最強の騎士」

「―――ぐ、ォ……」


 

 ワルダックの連突が確実にアルベリヒを削る。



「敢えて提示するのならば、技術的根拠。決してセルシオ殿は彼には勝てません。セルシオのそれが60半ばなのに対し、天銀のアインスベルクの適合率は―――82です」

「あ? ……あ!?」



 適合率82%。

 帝国最高位の使い手、英雄グレイソーンが68。

 ローグベルクが64、セルシオも同水準。

 適合率がわずかに数%異なるだけで、特に互いの適合率が低ければ実力には埋めることのできない差が現れる。


 そんな中で、82。

 その領域は違うことなく最上位。 

 少なくともアルベリヒはそのような桁外れの数値は逸話や物語以外で聞いたことすらなかった。

 両者を隔てる世界の法則、圧倒的な性能、能力差―――。



「創流を生め、ウェセラ」

「……! こ、れは! 聖剣の深奥を……」



 アインスベルクが聖剣を振るうたび、全てが固定されたように静止する。

 否、動いてはいる。

 動いていて、しかしセルシオは己の身体が完全に静止してしまっているかのように感じるのだ。


 そこに存在するのは圧倒的な性能差であり、彼が放った全ての攻撃は銀閃に飲み込まれるのみ。

 打ち合う間も、競り合う時間も過去に。

 本人の意思に反し再びセルシオの動きが固まり、そして。



「残念だ、騎士長」

「―――か……、は」



「セルシオ卿!!」

「ぁ……、ぁ……! セルシオォォォォ!」



 今にアルベリヒとセレスティンが目にしたのは、アインスベルクの繰り出した聖剣の一撃がセルシオの腹部を深々と貫いている光景。

 この状況から勝利できる可能性がないことなど、誰もが理解できたのだ。



 ………。

 ……………。



 ………。

 ……………。



 星芒法衛。

 聖国プリエールにおける近衛、個々が剣術魔術共に秀でた神官にして最高峰の騎士団。

 そんな彼らが?

 


「―――ぁ……、ぁ」



 ここも。



「……ッ」

「―――――」




 ここも。



「あるじよ」

「……、? 違う。であれば、やはりあの現象は……」

「主よ」



 誰が―――?

 道理で襲い来る数が少ないとは思ってたが、中央教会の警備に回されていたはずの彼らを纏めて相手にして戦闘不能に、かつ命に別条のない範囲で意識を刈り取る実力。

 単純に殺すよりも生かして捕える方が難しいという、よくある話。

 それは真実的を射ている。


 誰が。



「………脱げ。見せろッ」

「ぅ……、ぁ」

「肋骨、第6から8まで損傷。身長は180後半程……痣の角度から、犯人(ホシ)の体格と身長は……」

「ほし?」

「臓器も多少痛めてる……。が、適合率の高さゆえの治癒力で踏みとどまってるか。……もう一人も見ておくか」

「貴族が当たり前のように身ぐるみを剥ぐのか……。一人脱がせれば十分ではないのか?」



 およそ、彼らの適合率の平均値は30から40程。

 僕の知る指標で言えば中位から上位冒険者の間程度だろうか。

 こちらとしては昏倒しててくれて非常に助かるのだが。


 

「今この状況で追剥の真似事が重要なのか? 確かにセルシオ殿やローグベルク殿ではないと見るが」

「アルベリヒでもな。……次だ。お前、脱げ。見せろ」

「……主よ。今はこんなことをしているより―――」



「いたぞ! 侵入者だ!」

「よくも我が盟友たちを……!! な―――騎士の、気絶した者らの身ぐるみを剥ぐなど! この外道が!?」



 ………。



「あらぬ誤解も受けているぞ、主。いや、誤解ではないのか? そもそもここは邪魔が多すぎる。隠れるか戦いに加わるか、どちらかを選んでほしい。私も、殺さず昏倒させるというのは得意ではない」

「……………」

「そろそろ後ろから刺してもいい」

「―――聞いている」



 ずっと呼びかけていたのを聞いちゃあいる。

 が、やっとつながりそうだったからね。


 ようやく分かったんだ。



「……。違うな、オウル」

「―――何がだ。追い剥ぎの真似事がか?」

「ワルダックらとあの現象は、完全に無関係だったのだ。……いや、この言い方は正確ではないな。奴はそれそのものを利用した……!!」

「話が見えてこない。毎度のことだが勝手に理解し勝手に納得するのが貴族なのか?」



 途轍もない食わせ物がいるって話さ。



「一刻の―――、一国に猶予なし。戦況は非常にまずいのだろう? 勝利の絶対条件は依然変わらずだ」



「まずは奴を獲るッ!! 確実にだ! 手を貸せオウル」

「はぁ……」



「了解した。貴方の命に従う、不本意だが。お前も脱げと言われないうちにな」

「誤解だ。……誤解ではないが」




   ◇




「ぐ……が……ッ」



 血を吐く。

 当たり前に臓器を貫通、損傷している証明。



「セルシオ卿ォ!」

「セルシオォォォォ! いやぁぁぁ!!」



 アインスベルクによって腹部を貫かれたセルシオの膝がガクンと曲がる。

 瞳の輝きは陰り、力なく垂れさがる両腕。

 取り落された剣が床にぶつかり金属質の音を鳴らした。



「騎士長―――。恩師であった貴方を死なせたくはなかった……」

「死……、これが」

「新たな国家の夜明けを、見ていてほしい。私が必ず……」



「!」



 言葉とともにアインスベルクはセルシオに付き立った己が剣を引き抜こうと手を引き。

 それが動かないことに気付く。



「アインスベルク。君は―――昔から、ははは。少々、気が……早い、ようだッ」



 セルシオの瞳に輝きが戻った。

 自らの腹部に深々と突き刺さった聖剣をの鍔を掴み、逆に固定。



「………騎士長!」

「我ら星芒法衛……魔力尽きるまで戦い続ける殉星の欠片。その身燃え尽きるまで、最後の欠片まで、命を燃やして輝き続けましょう!! それこそ我らの存在意義」


 

 彼らは騎士にして神官、星芒法衛。

 かつてその最高位であった男がもつ回復魔術の力量。

 剣で腹部を貫かれている状態で術をまわし続け、致命を受けながら命を繋いでいる。

 偽りの膠着の中で、セルシオの瞳が最強の騎士をまっすぐにとらえ。


 今に、更に深く剣を引き摺りこむように彼我の距離を縮める。



「戦っていて理解しました、アインスベルク。貴公―――なぜそれほどまでに?」

「―――何が」

「手心を加える、貴公がそのような質ではないことは理解している。が、そのうえで貴公は全力を出し切れていない様に見える。―――既に疲弊しきっているようにさえ」

「……誤りだ、騎士長。私は……」

「無駄話は結構!」



 会話の中でワルダックの声が響き渡った。



「忠誠を見せるのですアインスベルク・オルトルシア! 共に目指したプリエールの夜明けを! その為に彼を! かつての師を殺しなさい!!」

「「―――――」」

「騎士は英雄にあらず! 欺瞞! 奇跡など起こらない! 騎士とは断じて英雄などではないのです! 鎧を纏った、只人! 己が意思でつかみ取ることを知らぬものたちだ!」



「神は救いなど与えない……! 我らのことなど見ていない。ゆえに……彼らに仕えて訪れる平和などないのだと! 我々が創るしかないのですよ、さァアインスベルク!」



 かつて騎士であった大司教は騎士を否定する。

 絞り出すように、吐き捨てるように騎士を否定し、神を否定し、己が意思だけを肯定し。 



「神が万人に齎す救いなど、ない。神は決して平等ではないのだから―――」

「平等さ」

「「!」」



「神は平等に与える。ただし、今回ソレを貴殿らに教えてやるのは死神だがな」

「……ぐく……!!?」

「ぬ、お―――この力は!?」



 何処からともなく発された知らぬ男の声。

 

 ワルダックが反射的に術を展開する間もなく身体を思い切りに蹴り飛ばされ、倒れ込み。

 アインスベルクの身体が弾かれ、自然セルシオに突き立っていた武器が離れる。

 

 貫かれていたセルシオ、今に命を落とすはずだった彼の身体から血飛沫が舞い―――。



「……ぅ、ァ……。こ、れは……!」

「術式励起―――”結紮(けっさつ)”」



 革製の魔道具、スクロールがセルシオの傷に張り付くように塞ぎ、そのまま効果を発揮する。 

 不可解なことに、この時点で空間に新たな乱入者の影はなかった。



「この隠形……」



 ここにきて、かつての師を手に掛けるという際にさえ表情を変えていなかった彼が。

 アインスベルクが初めて動揺の色を見せた。


 注がれる視線の先―――眼前に突き立つ黒い短剣。

 片手で持てるほどの小ささのそれがこの場で戦闘に立っていた全ての存在の歩を止めた。



「成程、なるほどー。まさかあの人を……おとと」



 竜司祭だった。

 これまでの緊迫の中でさえ波紋一つない水面のようだった彼女が倒れそうになっている聖女の身体を支え、ささやく。



「セレスティン様。それは?」

「……………」

「お気を確かにー?」

「……ぇ、あ…。こ、れ……」

「見たところ、手紙、ですかねー? 読んでみては?」



 顔を蒼白に、既に完全に己を見失いつつあったセレスティンは暫し逡巡しているようだったが、やがて震える手でその文字の列に目を落とし。


 手紙と呼ぶにも酷なごく短い、しかし達筆なる走り書き。

 しかしなぜか、何ら魔術的な力も存在していなかったそれを読んだ途端、セレスティンは弾かれたようにがばと顔を上げた。


 揺れる瞳。

 振るえる唇が開かれ、音が声となった。

 一筋の涙が喪失を押し流したかのように、セレスティンの顔に血色が戻っていく。



「民は―――」



「彼らは消えてなどいません! 今も、これまでも―――聖国の民は貴方を待っている!」



「彼らは既に避難できました!」

「「―――――」」

「地方都市も、中央も! 貴方が、あなた達が国中を巡り護ろうとした者たちは無事です! 貴方が護った民は地上を見上げて今も祈っています!」

 



「だから、助けてください―――」



 最早言葉に迷いはない。

 それは確信ではなく、最後の希望。

 純粋な祈りとともに流れた聖女の涙には僅かばかりの濁りもなく。




「お願い……助けて……!! アイン兄さま!!」



 ………。



 ………。




「聖剣―――、開放。海を照らせ、界剣ウェセラ」



「……! ”暗礁”……!! ぐ、ぅ、ぬおおおぉぉぉ!?」



 青の波動が、押し寄せる潮のように空間に満ちる。

 放たれた一斬が大いなる一撃となって、今にアルベリヒたちを追い詰めていた大司教を襲った。


 瞬時に反応し、死を超えた莫大な魔力をもって展開される魔術障壁。

 上位魔術に連なり、鉄壁の防御を誇る水属性のそれがあっけなく砕け散り、襲う斬撃の余波。


 壁に強く叩きつけられ、口端からどす黒い血を伝わせるワルダック。

 大司教はこの状況を極めて平静に理解していた。

 

 そして。

 あるいは、望んですらいたかのように笑む。




「―――やはり……、アインスベルク……、貴方は!!」




 彼はしかと理解していた。

 自身を襲ったのは、まぎれもなく。



「ワルダック大司教……。先の言葉は誤りではない。確かに、私の求める聖国は今のものでは決してない。その一点において、私の言葉に一片の偽りも曇りも存在してはいなかった」



「だが、貴様の謂(うた)う、永(・)遠(・)な(・)る(・)個(・)が治める新世界でもない……」




「私が求めるモノは、望むべき国家の形は―――もっと別の場所にこそ存在している……ッ!!」

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