第15話:幕開けの死闘
レヴァンガード、オクターヴ、ブルーバード……ギルソーン。
今日の帝国四大貴族の中で最大の武力を持つとされたギルソーン侯爵家は、帝室の剣として刃を振るい続けた名家。
擁する戦力もまた強大であり、そこに他ならぬ帝国の最精鋭たる中央兵団が二部隊。
最高位、大魔術師の位階に存在する長が率いる天弾部隊。
並び、残忍さと武勇によって名を馳せた長が駆る狩猟部隊。
……。
それでもこれからの戦局が芳しくなるかは誰にも分からない。
プリエールの仕掛けた破壊工作により兵糧面での支援を失った帝国軍の大部分は既に撤退。
残るはグレイバック・ギルソーン侯爵を筆頭とした軍勢に帝国中央兵団の第四・第五兵団を加えた僅かに300余人。
それだけの人数で、彼らは大陸でも屈指の軍事力を持つ聖国の都を攻めようというのだ。
率いる者らの空気など、兵卒が語れるものではないほどに―――。
「グレイ様。いっそのこと戦いの最中に後ろから誤射してしまうのはどうだ」
「成程、妙案かもしれない。どうです? 侯爵。聖銀騎士団は強かったということで中央に伝えれば禍根もすぐに消え去るかもしれませんね」
「却下だ」
余裕だった。
軍勢の最前線を行く侯爵とその腹心二人。
帝国建国時、初代皇帝に仕えた剣士を始祖とする狼の一族の当主は背を反り、堂々と馬上に。
控える派閥の貴族らもまるで夜の街に繰り出すが如く獰猛な笑みを崩さない。
そこに戦いへの恐怖はみじんもなく、あまつさえ仲間であるはずの存在に対する暗殺計画すら立案する緊張感のなさ。
配下の提案に長は目を細め。
「派閥、倫理、主義趣向―――。あらゆるものが異なるとはいえ、彼らは帝室の武の象徴が一つ。我がギルソーンもまた皇帝の剣、狼の牙であるゆえに。轡を並べる今なればこそ、それを成すことは決してあってはならない。矛先を誤ることもだ。分かるな? マレム、リアン」
「流石ぁ」
「連日駄々を捏ねていた馬鹿貴族とは思えませんね。これだからボスは……。と、見えましたよ」
まさしく対面。
既に肉眼の距離にまで接近した聖都エリアス。
しかし、その正面の行く手を阻むようにして配置されたものは。
「ほう? 中央の軍は軒並み揃っているようだが……、彼らもここで現れるか……」
「名物の潮酒を差し入れてくれるとでも思ってたのですか? ―――さて、あの旗は」
青地に銀糸で編み込まれた聖海種……死者の魂を運ぶ幻獣の文様。
あれを掲げることが許されているのはプリエール最強の軍団のみ。
「ここまで歓迎がなかったくらいだ。聖都も門を開き、乾杯でもって笑顔で歓迎してくれると思っていたのだが、ある意味で歓迎はしてくれているようだ。……天銀。失った足が疼くじゃないか……」
「さっきの言葉掘り返しますが、矛先がなんですって?」
「濡れ衣です。やったのはあくまで異界の者であって、彼らじゃありません。記憶改竄と被害妄想の域」
聖銀騎士団の登場。
並び、その他の軍を纏めるのであれば率いる軍勢の総数は5000にも届くかといったところ。
「数の上ではあちらが10倍以上。しかして練度ではこちらが圧倒的……と、言いたいところだが」
「聖銀騎士団と中央兵団の能力は同程度と考えていいでしょう。が、綿密な連携が取れ、かつホームグラウンドで戦う彼らと、仲がよろしくない我らとではややコンディションの差がある」
「やや、か? それは」
およそ、壊滅するのはこちらだろう、と。
言葉にせずとも皆が理解する。
そもそも、聖女を保護するまでの陽動とはいえ、仮の目的が都への突入と聖国民の保護である以上彼らはあの軍を突き破るほどの圧を見せねばならないわけで。
出方を伺うのは悪手。
「まぁ、良い。あいさつ代わりだ。天弾部隊。構えさせろ。まずは足切りだ」
「―――ギルソーン閣下の号令に」
「骨格固定・対飢餓術式励起。使用、予備カートリッジのみ」
「「術式励起」」
約30メートルほどに高さに巨大な円が生まれる。
大空に展開される多重術式。
本来多数の術者が数日単位で行う儀式としての魔術を彼らが装備する近代兵装が自動で展開した。
「対蝗害黒榴術式……照射!!」
天へ放たれる黒槍の雨。
それらがたゆたう雲と出会い、固まり―――やがて雲が裂け漆黒のザクロのように中身が零れる。
聖国兵の軍に降り注ぐ黒の雨。
それが身体に有害であると理解できても、雫のように微細で鎧の隙間に侵入するものを完全に防ぎきる術があるだろうか?
「―――、―――」
「「――――、――――」」
「メリナース師、あれって体にいいものですか?」
「いいえ、マレム子爵。神経に作用する毒雨の術。雲が晴れるまで絶え間なく降り注ぎ、敵を駆逐する。本来は収穫前の季節に大量発生した虫害を駆除するのに使用なさる」
((扱い虫……!))
(銀の甲虫であることに誤りはないのか……?)
「人の場合、死に至ることはほぼありません。ゆえに、足切り―――、……!」
敵方にも術を問題なく対処していた者たちは当然いる。
風で吹き飛ばす、蒸発させる、壁を作る……遠目であわただしく動いていた聖国軍の動きに変化が訪れたのはまさにその瞬間。
一直線に天へ伸びた銀の奔流が術の根源である黒雲そのものを吹き飛ばした。
「ギルソーン閣下。虫用であるゆえに術自体の耐久にはさほどリソースを割いておりません。しかし、それでも」
「生中な攻撃で崩壊するものではない。分かっているさ。つまり……」
「あれ程の術、使えるものとなると……」
「―――、っと。応射来ますよ」
二、三と銀の流星……彗星にも見紛う奔流が帝国軍へ目掛け曲射を描いて降り注ぎ、ソレを迎撃するように地上からの流星が空へと跳ね、過剰な熱量を伝えるままにぶつかり合うそれらは諸共四散。
降り注ぐのは僅かな礫と火の粉のみとなり、彼らは砂埃を払う。
「バルゴーか。やるな」
「空の獲物を狩るも狩猟部隊の本業。少しは働いてくれそうですね。しかし、中々にスペクタクルな流星のプレゼントで……」
儀式法陣もなく、しかし個人の放つ魔術とも到底思えない威力。
天弾部隊の長メリナースのように、大魔術師の域に達した存在のデータは国家間でも知れていることから敵の術者はすぐに推察が出来る。
「プリエール最高の術士にして聖銀騎士団副団長……、【彗銀】ラディア。しかしアインスベルクの姿がありませんね」
「妙、だな。ひとまず前線を上げましょうか? グレイさま」
「私が突撃した方が早く終わると思うが」
「ふざけ……、総司令官が動かないでください。重ね、ただでさえ数で劣っているのに陣形崩すような真似しないでください」
「むむぅ……。先っちょだけだから」
「だめです」
「声だけ! 声だけだから……!」
「―――はぁ……」
「実際声だけで戦局が変わるのがたちが悪いな、この方」
「ギルソーン閣下。……檄を」
「われ、帝国アルテシル領領主グレイバック・ギルソーンである!!」
「ここに存在するは我がギルソーン配下の精鋭、そして帝国中央兵団。しかし、目的が虐殺ではないことは先の術式で分かってもらえたはずだ。ここへは同盟国への義によって、内乱平定のために参った!」
「―――虫用の攻撃顔に噴射されたら私だったらキレるが?」
「同じく。そもそも攻撃仕掛けた後に言いますか? これ」
「プリエールのつわものよ、そなたらもまた我らが救うべき民である! ここに宣言しよう。我らはそなたらの味方である!! 武器を収め、対話の窓口を開くことを要求する。我々には諸君の言葉を受け入れる度量と用意があり、侵略という名は存在せぬということを証明したい。賢明なる諸君の、理性的かつ迅速な決断を期待する」
侯爵の透き通るような声が味方を鼓舞し、或いは敵を震わせる。
ジルドラード帝国に蝋剣グレイソーンあり。
かつて人魔決戦にも参加し、異界の勇者らとも肩を並べた英傑の名に敵軍には僅かな波紋が広がり。
「笑止! 帝国の放った侵略者の狼、否走狗どもよ! 我らが天銀の加護がある限り聖国の旗は堕ちぬと知れ!! 貴様らは聖都に踏み入れることなく果てるのみ!!」
拡声された言葉とともに銀の彗星が降り注ぎ、プリエールの兵が歩を進めはじめた。
………。
……………。
「―――帝国だ……」
「嘘! だって追い返したって―――」
「本当に侵略に来たんだ! 帝国軍が攻めてきたんだ……!!」
「「―――――」」
戦いは始まった。
恐怖と絶望が感情を統べる。
聖都の内壁からプリエールの民たちが確認したのは、まさに青空のもとに星降る光景だった。
◇
「ぬおおおぉぉぉぉ!! 破城・天明ッ」
山を砕くほどの膂力を全力に放たれた盾の投擲が床を縦に駆け抜け、錆騎士に肉薄。
錆騎士は重厚な鎧を纏っているとは到底思えぬ身のこなしで回避する。
「―――無為」
「無為かどうかはこれを見てからであろうッ、錆よ!」
回避された盾の動きは不可解だった。
壁に激突、突き抜けて消えるかと思われたそれはしかし、その流線形がつるりと衝撃を殺し、跳ねる―――今に意思を持つかのように縦横無尽に駆けまわり、回廊の中で更に加速度的に上昇していく。
金色の聖盾は物体にぶつかるたびにその光を増し。
「陽光・聖乱鏡」
「……!」
極光が如く煌めく。
吸収した威力全てを光に還元したかのように、錆騎士の視界全てを金色の光が呑み。
その段階で既にセルシオと盾を回収したローグベルクは距離を詰めている。
「金剛破城!!」
「七の段―――雲海斬波」
「すべて、無為……!」
「なッ!? これは」
「短剣を!」
大盾を剣で防ぎ、もはや防御の術がないと思われた錆騎士はセルシオの渾身である斬撃を短剣で軽々と防ぐ。
走る、大気を震わせるほどの大質量。
三者の激突が衝撃波が空間を震わせる中、瓦礫が降り注ぎ。
「やべぇぇぇ! ―――やっぱり俺いらねえかも!」
「い、いりますぅ! ぜったいいります!」
「まもってくださーい」
襲い来る瓦礫を軽々と剣で斬り裂き、払い除けていく騎士アルベリヒもまた、聖女の基準では人間を逸脱しているのだ。
彼女にとってこの場で唯一自身の側だと感じられるのは、同じく守られる側の竜司祭のみ。
「―――本当にこちら側ですよね!? 竜司祭様! そしてもう少し危機感持てないんですか!? 貴女!」
「そんなこと言ってもですねー」
「こーら! 喧嘩しないの!」
今のアルベリヒに出来ることと言えば、降り注ぐ瓦礫を祓うことと彼女たちの喧嘩を仲裁することくらい。
彼ら怪物の戦いに入ることなどどだい不可能に思え。
「大時化―――塵閃」
セルシオの魔力が浸透することで空間内では瓦礫が銀の煌めきを有し、無数の刃となっている。
彼の動き、剣の動きに呼応するように降り注ぐ斬撃嵐が錆騎士の甲冑を削るように轟音を放ち。
「無為、無駄……。全ては、無である」
が、錆の甲冑はまるで嵐の中を突き進む艦船のように。
襲い来る嵐をものともせず一歩、また一歩と歩を進め、ギシギシとした甲冑の音を鳴らす。
「俗海王の浮沈艦でも相手にしているかのようだ! まこと、あれは生きた人間、或いは生物なのでしょうね!?」
「我がやろうか!」
「いえ……! この中央教会の範囲程度であれば」
「……!」
「決して逃しはしません」
降り注ぐ銀刃の威力は留まらず、一層の強まりを見せた。
今に砕かれた瓦礫のすべてが刃の波となって錆騎士へと襲い掛かる。
【死海】のセルシオ
かつてプリエール最強の騎士と呼ばれた彼の真なる武器は数百の距離を効果範囲とする索敵能力、そして敵殺の間合い。
押し寄せる波のごとく空間の物質全てを己が剣の刃とする、果てなき海の間合い。
彼の敵にとって、視界に映る全てが死の海と化すのだ。
「ローグベルク殿ッ、私が留めているうちに」
「相分かった!」
「聖盾よ―――更なる力を」
「ぬ……!」
「錆騎士よ! 雷霆の裁きを教えてくれる!」
錆騎士の正面から飛び込んだ大盾の一撃が巨大な装甲車のように衝突、貯めに貯め込んだ力が爆裂する。
性質―――物理衝撃、魔術攻撃の吸収と放出。
朽ちず、曲がらぬ……不変の輝きを有するは太陽の真金。
穢れ知らぬ純潔の金属。
世界にも稀有な希少鉱石の性質を熟知した彼だからこそ、蓄積と放出の双方を自在に操れる。
今に錆騎士は大きく後方へ引きずられ、武器を握る腕も跳ね上げられる。
防御がなくなり、胴部がガラ空きとなったのだ。
「我が淀みなき海を見るがいいッ、聖海種よ! この一斬に一切のくもりなしッ、我が武威とともに悪を断ち、たゆたう命に救済を!!」
騎士セルシオ・レライトの武器たる長剣の材質は最高純度の天銀。
魔術的な力をはじき返す性質を持ったこの希少金属を十全に理解する者は大規模魔術すら切り裂くとされるが。
魔を祓う、月の天銀の一般に知られぬ特異な性質として、長く共に存在し続けた魔力性質とは逆に親和し、その力を増幅する点。
「銀波よ、禍津波を祓いて!!」
極限に高められた魔力、蒼の波動を纏った刃が錆騎士の身体に届く。
無理に防御へと間に合わせた錆だらけの剣が小手を離れて大きく飛び、床に落ちる。
「今です!!」
「相分かった……!」
決着をつけるべく、ローグベルクもまた飛び出す。
天銀と真金。
まさにこの戦場には二つの希少金属の特性が遺憾なく発揮されているだろう。
大陸における伝説級の鉱石であり、大国の力の象徴、或いは最上位冒険者が己が最終装備として採用する程の特異性質を有した絶対のきらめき。
地上の光を凝縮した、奇跡の結晶。
………。
「我―――、錆なり。我、全ての光を奪うものなり……」
彼らの武器が光の欠片であるからこそ。
まさに、その存在は彼らの天敵だった。
「”錆成り”」
「「―――――!」」
「ぐ……、ぉ、お」
「このッ……力は……!?」
錆色の雷電が走る。
武器を失ったはずの錆騎士が双腕で大気を叩き、発生した錆の嵐は磁力を伴うように彼ら二人の前進を妨げ、反発するように弾き。
また赤錆に晒された服、鎧が脆い部分から崩れ去っていく。
その中で錆騎士は悠々と床に落ちた己が武器へと手を伸ばし。
「さ、せるかぁぁぁ!!」
「アルベリヒ様!」
「なんとぉ!?」
錆騎士がそれを拾い上げるより早く、不可視の男が駆けた。
三者の怪物がうごめく戦場の中、本来届くべきではない能力差。
しかし彼はただ、落ちていたものを盗んだ―――この場の誰にも負けるつもりはない技術を披露しただけ。
「弱き、騎士……。それを―――、寄こせ―――」
「欲しけりゃ、くれてやらぁぁ、……ぁ?」
「「!!」」
ただ一つ、全ての根幹となる要素が交わりしかるべき処理が行われた。
知らぬものにとっては、あり得ざることだった。
アルベリヒの手によって、本来の持ち主である錆騎士へと振り抜かれた錆の一撃。
それは彼本来の膂力、魔力量、術……その全ての性能規格を逸脱した一斬。
剣に込められていた力が爆裂したように、錆の騎士を拒絶するかのように諸共散らす。
延長線に存在していた全てが吹き飛び、錆騎士もまた膝をつく。
「―――錆の天銀が……輝きを。ダインス卿?」
「アルベリヒさま、いま何を……」
「……え? おれ?」
偶然、という言葉で処理するにはあまりに酷。
アルベリヒの手にある錆騎士の所有物であったはずの長剣、ボロボロの、朽ちかけた、本来の光を失った刃の錆が剥離し、内側から白銀が姿を見せていた。
この場の誰もがその不可思議な光景を目の当たりに、一瞬の硬直を経て。
「騎士さーん! それ、あくまで一時的なものです……!」
「―――司祭さん!?」
「剣にため込まれ続けてた錆騎士の膨大な魔力が振り回すたびに溢れてるだけで、中身がなくなり次第終了の力なんです! 出るだけ使いつくして干しちゃうことをおススメ!!」
「……つまり」
「それって」
「なーる! 早い話が奴の分も食っちまえって―――よく分からんすが了解!!」
「食い潰すのは、得意分野にて!」
アルベリヒはただ力の嵐を放出する。
武器を振り回すだけ。
それだけだというのならば己でも出来ると、そう瞬時に理解した彼は天高く銀の刃を構え―――振り下ろす。
態勢を立て直そうとしている、錆騎士へと。
「くらい、やがれぇぇぇ!!」
「……!!」
爆発的な魔力の津波。
発生した一撃は城門すら突破するほどの威力で、また錆騎士に有効打を与えるにも十分だと思われた。
「―――ウェセラ」
が……。
その一撃を止めたのは第三の可能性。
「嘘……。―――兄さま」
「ム……天銀の騎士か!」
闖入者。
天銀の騎士アインスベルクその人が降り立つ。
錆騎士への攻撃を防いだのは、まさに彼の持つ聖剣の一撃だったのだ。
「これは……情報違いですかね。アインスベルク殿。貴公は今頃帝国軍と衝突している軍を指揮している筈」
「……セルシオ騎士長」
「賛同し、我らの窮地に駆け付けてくれた―――ただそれだけの事」
「「!」」
アインスベルクの来訪に遅れるようにして簒奪の大司教が姿を現す。
禿頭の聖職者は大きな腹を揺らし、対照的に線の細い腕を広げて笑みを浮かべた。
「侵入者は自然に姿を現す……その通りになりましたね。計画を揺るがしかねない不穏分子……。やはり貴方でしたか、セルシオ殿」
「大司教……ワルダック!!」
「どうやらお仲間も勢ぞろいされている様子だ。……不相応、不適格な者もいる様子ですがね」
「ぅぐ……」
「ぅ、ッ……ぅぅ」
「うぐー。……あれ? セレスティン様? どうかされたんです? 本当に体調悪そうに……」
「―――頭、が……。この絶望は……この恐怖は。ワルダックあなたは、何を……!?」
頭を押さえてうずくまる彼女に、大司教ワルダックは目を細める。
「人の感情を水面の波紋のように感じ取る力。水の聖女の能力―――中でも最も優れた貴女にはやはりおわかりになりますか、殿下」
「落差―――。それこそが最も大きな感情の爆発をうむ。聖都という、情報統制された籠の中。自分たちだけは絶対に安全だ、と。そう思い続けていた愚者が天を埋める大規模な術を見れば? 門の外で起きているだろう死に満ちた戦いを想像すれば? 当たり前の感情ですとも」
これこそが己の考えた脚本通りなのだと。
現状の全てを肯定する大司教。
「なんなのですか……? これは。何をしようとしているのですか!? 貴方は! 護るべき民へ恐怖を与え、国に混乱を引き起こし、一体この国で何を―――」
「終わらせる!!」
「……ッ」
「国家の仕組み、制度、血に濡れた歴史……。今の聖国はあまりに不完全であるゆえに。今ある偽りを壊し、真にすべてが完成された永遠の国家を。腐敗を知らぬ、本当の統制を」
「聖国のみに製法の伝わる至高の金属―――天銀。その製法を知るものは国家でも僅か。聖女であるあなた様ならご存じのはずですね? セレスティン殿下」
「……………」
「―――強き祈りの感情」
「まさしく。何より強く気高き祈りこそ感情の終局地点。強き祈りがきらめきを生み、浄化の炉にくべられ、それが至高の金属をうむ。それと同じですよ。純粋な願いは、力となる。あとは魔力―――枠と、魔素……それを可能とする根源」
「万人の真なる恐怖と祈り、そして命を!! ここにくべよう! さすれば全ての定命が目指した極致を! 全ての祈りの、願いの終局点を! 深淵の神!! 願わくば……!! 我に力を――――」
「話も口上も長いです、逆賊が」
「―――! 錆騎士どの―――がはッ!!?」
「「……!」」
錆騎士とアインスベルクが動く間もなく、その瞬間にはセルシオの刃が大司教を貫いた。
いや、そもそもその両者は動こうともしていなかったようにさえ見えて。
何故? と。
アルベリヒの頭に僅かな疑問が生まれ。
しかし、すぐにひやりとした冷たさが思考を埋める。
「ふふ……、はは。も、遅ぃ……。聖こく新た、夜明け、を。……時代の、終わり……、ぉヲ!」
聖国内乱の元凶たるワルダックが倒れる。
白い法衣に朱が広がり、更には瓦礫を染めていく。
……。
「ぅ、お……!?」
「床が……」
「皆さーん、今すぐその場に伏せてください!!」
到来する、これまでの全ての地響きを過去とする、巨大な、大地そのものが消失したと思うほどの衝撃。
しかしひっくり返ることはなかった。
やがて揺れは安定し、セルシオやアルベリヒは何が起きたのかを理解するために周囲に視線を彷徨わせ。
「あ―――」
頭を上げる間もなく、へたり込むようにしてその場に崩れ落ちた聖女の姿を見た。
「ぁ……、あ、あ、あ……あああぁぁぁッッ!? いや、いやぁぁ!!」
「殿下!!」
「姫さま!?」
「ワルダック―――貴方は、本当、に……。そんなはず、そんなはずは……!? ちが、そんなはずありません!! ―――どうして、声、が……声が、皆の声が聞こえないの!?」
………。
「失えば、聞こえなくなる。当然の事。死ねば、いなくなる。当たり前の道理」
「器を失えば、ソレは最早人ではなく」
「ですが、器が存在し続けるのならば―――そこに精神が宿り続けているのならば、ソレは人間であるゆえに」
「なぜ生きて……、確かに心臓を……」
「待て、セルシオ殿。そもそもあれは―――人なのか?」
「ありゃあ……なんだ?」
そこに在ったのは起き上がる大司教ワルダックの姿だ。
それはまぎれもない事実の筈だった。
「アトラ教に古くより伝わる伝承―――、果てを目指した定命のなれの果て、魔人。……ははは。そんなもの、あくまで不完全な器でしかなく。ゆえに、更なる深奥に位置するものを目指した」
血色を失った肌は青白く。
瞳は血のように朱く―――纏う力は完全な別物に成り代わっていた。
「これなるは彼ら七騎と根源を同じくする、深淵の神に仕えし使徒の究極体。人を超えしもの」
「或いは、極東の種族はこう呼ぶ―――」
「無限の魔力を統べるもの、定めを神より禁じられた亡霊。果てを持たぬ異端の魔族―――、死霊種……と」




