第12話:雫が落ちて波紋となる
「んしょ……、よい、しょ。はっ―――、はっ」
人目をはばかるように塀の下の穴をくぐって、中庭の草をそぅっと踏む。
青空の下を駆け、今日もまたそこへ行く。
中央教会に併設された、聖堂兵舎。
銀色の、太陽の光に照らされてきらめく鎧を着た騎士たちの中にはいつだって大好きな兄がいた。
「兄さま―――アイン兄さま!」
「セレス……」
私と彼は年が離れている。
実の兄ではあっても、彼は10歳以上も上で。
危ないと言いながらも、いつだって走ってきた私の前に片膝をついて目線を合わせて、困ったように笑ってくれる。
彼が殿下とか言ったり敬語を使うと私が怒るから、もう周りの人たちの誰もそれを咎めないんだ。
「訓練中だ。今は、危ない」
「あうっ。おでこ……。兄さまが守ってくれるから大丈夫っ。婆やもそういってたの!」
「いいや、ダメだ。僕だって常にセレスの側に居られるわけじゃないんだから―――、ッ!」
遠くから訓練を見ている分にはいいけど、すぐ傍に来るのは危ないって。
いつも彼は私の額を優しくつつく。
強くて優しくて……、誰よりも、どんな人よりも格好いい。
絵本の中で龍を倒した黒の騎士さまよりも、世界を救った破暁の勇者さまよりも……物語の中のどんなヒーローよりも格好いいのだ。
「警護に隙がありましたよ、アインスベルク殿」
「……!」
けど、そんな私と兄さまの会話にはいつも割り込んでくる悪者がいる。
片膝で立っていた兄さまが横に跳ぶ。
キン、って音が鳴った。
ギリギリで当たっちゃったんだ……話している最中だったのに、卑怯だと思う。
「ふふ……、真剣ならば危うかったですね」
「申し訳ございません、レライト騎士長」
セルシオだ。
私と兄さまが話してると、いつもセルシオが邪魔してくる。
それで、いつも皆が集まってきて兄さまとセルシオの「たちあい」を見るんだ。
「護ってみなさい。いつも通りに行きますよ。まずは星芒……壱の段―――、落閃」
「銀閃ッ!!」
「浅い―――陸の段、風巻」
「……くっ!」
技の名前を先に言って、その通りの技を出しているセルシオの攻撃が兄さまを削る。
私が見ても彼が押されてるってわかる。
皆が言うんだ。
セルシオは聖国の騎士たちの中で一番強いんだって。
一対一では誰も勝てないって。
「セルシオ卿……。流石だ……!」
「どの型が来るか分かっていて、避け切る自信がないとは」
「しかしアインスベルクも、既に師範の動きについていけるようになってる……。一体どれ程の才能が……」
「天銀を目指すもの。次は最高の技で来なさいッ」
「はいッ―――烈風一刃……、ぐ!?」
「はははっ、いかな大技でも出せねば意味がないですね。これは課題です」
「でばな」っていうんだ。
兄さまの剣が突き出されるよりも早く起こりの状態で撃ち落とされ、体当たりを受けて膝をつく。
吹き飛ばされて転がった兄さまが身体を起こすころにはセルシオは武器を振り上げている。
―――兄さまが危ない。
そう思って、思いがけず私は二人の間に入ってしまった。
私に剣が当たるよりずっと早くセルシオの動きが止まるのは、まるでこうなることが分かってたみたいだ。
「―――セレス!」
「だめ、セルシオ! 兄さまをイジメちゃだめなの!!」
「い、いじめ……? セレス……」
「ははっ。セレスティン殿下? 今の彼は既に防御と反撃の準備が出来ていたのですよ、実は。……まぁしかし、私も熱くなり過ぎましたね。やはり、殿下がいてくれれば私も止まりやすい。アインスベルク殿。ひとまずはこれで……」
「いえ、卿」
後ろからすぐに兄さまの手が伸びてきた。
「セレス。大丈夫、僕は大丈夫だ。僕が守るから。プリエールは、僕が守る」
「兄さま……」
「きっと、守って見せる。だから信じてほしい」
彼は立ち上がる。
呼吸を整える暇もなく―――、違う。
どれだけ飛ばされても、倒されても彼の呼吸は全く乱れてなんかなかった。
「―――日に日に増す、研ぎ澄まされる剣気。素晴らしきかな、武の申し子。さぁ、さぁ。界剣ウェセラに認められようというのならば、私程度の試練でしり込みしている暇などありませんよ、アインスベルク殿」
「―――はい!」
また、二人が武器を打ち合う。
もう二人の動きは私には見えない。
けど、目が離せない。
「わぁぁぁあ……」
………。
私には絵本なんていらない。
だって、目の前に物語があるから。
私はいつだって窓の向こうから、そして我慢できなくなって直接見に来るのだ。
「ははぁ……殿下はまこと彼を実の兄のように慕っていますなァ」
「やはり顔が良いからか?」
「であろうな、男は顔だ。そしてアイン坊は顔がよすぎる。顔も才能も持って生まれてくるとは」
「妬ましい……。しかも殿下に兄と慕われ、ウゴゴゴゴ」
「青いねぇ、若造たち」
「「ワイズ宰相閣下!!」」
「口を開けばそのような言葉ばかり。聖銀騎士の名が泣くよ」
「婆や!」
「セレス御嬢様。ワル坊の講義はともかく、お作法のお時間はまだ終わっていなかったはずですよ。―――また抜け出しましたね?」
「うぅ……。何で分かるの?」
「魔力です。少しは隠しなさいな。御嬢様は始祖様の再来とも言われるほどの御方。けど、才能だけでは倒れてしまいます。さて、殿下は何になるんでしたか?」
「おしとやかで立派なレディ!」
「そう、レディ。親愛なる兄様に自慢できる妹でありなさいな。彼ら騎士が命を掛けて殿下を護るように、御嬢様はあくまで言論をもって平和を作るのです。初代聖女様のように」
「はーーい!」
「「―――――」」
「ふ、……ふふ。セレスが……」
「くくくっ……殿下が、ふふ……レディッ? 淑やかな、はははっ」
「何笑ってんだいアンタら」
私と婆やのやり取りを見ていた皆が笑っていた。
いつの間にか、兄さまとセルシオも並んで笑ってた。
………。
兄さまも、セルシオも、婆やも……。
私の大切な人たち。
ずっとずっと一緒で、こんな平穏がずっと続いて。
みんなで守ってるんだ。
いずれは私もお母さまみたいに、守るんだ。
やり方がちょっと違うだけで、私は私のやり方、兄さまは兄さまのやり方で―――皆で、この大好きな世界を護る。
初代様みたく、剣ではなく、言葉と心で。
まずは私の大好きな人たちがいるこの国から……。
………。
…………。
「―――婆や……」
「婆や、お願い……! お願い……!! 返事してくださいッ、お願いだから起きてッ」
ありったけの魔力とともに、権能とともに命を注ぐ。
けれど、ソレはまるで無数に穴の開いた器を満たそうとしているみたいに。
聖国で一番大きな魔力を持つはずの私がどれだけ治癒の権能を行使しても、冷たい婆やの身体は動かない。
私の世界を構成する大切な欠片がほどけていく。
夢ではないのだと残酷に語り掛けてくる。
「もう仕舞いにしてはいかがですか、セレスティン殿下」
「…………!」
「まこと、強いお人だった。天銀の如き芯を持つ女性だった。瓦礫の中で見つかった時も、最後まで貴女と国の未来を願っていました」
「よくも……」
亡骸を運んできた騎士たちは幼少期からの知り合いばかり。
ワルダックもまたそうだった。
彼は婆やの教え子であり理解者であり友人でもあったはずなのに。
そうだったはずなのに。
「ひどく衰弱している。それ以上は身が持ちませんよ。きっとワイズ殿も殿下のそのような顔を見たくはないでしょう」
「よくぞそんな言葉をッ!! よくも、よくもッ―――”激流」
あくまで言葉で妥協点を模索するのだと、ずっと教わってきた。
だから帝国に助けを求めたし、セルシオや婆やにも私が戻るまでは決して戦わないでと言っていた。
けど、今この瞬間私はそれを放棄しようとした。
激情に任せ……護身のために、しかし決して使ってはならないと言われてきた相手を殺傷するための力を、まさに逆賊に向けていた。
「―――ぁ!?」
「言葉だけなら大司教の言う通りです、セレスティンさま。死者は蘇りませんよ」
「ぅ、ぁ……!」
「貴女がそんなことをしても、彼女は決して喜びません」
止めたのはワルダックを警護する騎士たちではなく、竜司祭だった。
ずっと静かに成り行きを見守っていた彼女が初めて動き、私を羽交い絞めにしている。
私より低い背丈、細い腕、ひやりとした体温のどこにこんな力があるのかと思うほどに強い力で、振りほどけない。
「放し―――、放してくださ……、放して!!!」
視界が赤く、怒りと悲しみに支配されて。
耳元でささやく竜司祭の言葉も何の慰めにもならない。
そんな中で、一室の扉が開いて。
「おや。珍しい。よもや卿が……」
「……!」
そこに居たのは彼だった。
疑うこともない、一切の疑惑を挟む余地のない、本人。
プリエール最強の騎士、天銀の騎士アインスベルク・オルトルシア。
銀の髪に私と同色の蒼い瞳を持つ彼が……兄が。
「ワイズ殿に挨拶を? アインスベルク殿」
「……………」
「兄さま……! 兄さま!!」
もう、縋ることしかできない。
プリエール最強の騎士であり、現在の戦況をも変えうる聖銀騎士団の長―――今の私が唯一縋ることができるだろう希望へ叫ぶ。
今まではずっとワルダックの計略によって出会えなかっただけだ。
でも彼なら。
兄さまなら、きっと……。
今にゆっくりと瞳がこちらを向く。
私と同じ、蒼い瞳。
けどその瞳が―――冷たい、感情を感じさせないそれが向いたのは私へではなかった。
「噂には聞いていた……竜司祭。貴女が、……そうか」
「初めまして、というわけでよろしいですか? それともどこかでお会いしましたか? 天銀の騎士アインスベルク様」
「いや……」
たった一言。
彼は私の後ろの少女へ目を向け、ただ短く言葉を交わして踵を返す。
「もういいのですか? 久方ぶりの再会、せめてワイズ殿に一言だけでも……」
「―――謎多き最高司祭。その実態を見てみたかっただけ。もう用はありません、ワルダック殿」
………。
彼は私の事を見てすらいない?
眼中にすら……。
「水の聖女―――」
「―――、ぁ!」
「私が見たいのは抜け殻となった空虚な絶望ではない。涙に濡れたお前の顔だ」
「そのような表情で私の視界に映るな」
………。
最後に放たれたソレは間違いなく私に向けられた言葉だった。
背を向け歩き出す姿。
もう、振り向きすらしなかった。
彼がいなくなるころ、やがてワルダックの顔がこちらへと向いて。
それすらもまた、私を捉えたものではない。
「ふぅ……相も変わらず情のない。……それは貴女もですな、竜司祭殿。悲しむことは出来ずとも、同室のよしみでせめて殿下に協力されてあげてはいかがです、寄り添う姿勢くらいは。貴方も高位の神官だ。治癒の心得くらいはあるのでは?」
「何度も言いますけど、死者は蘇りませんよ。それに、越権行為に当たりますので」
「……。はは。そうですか」
……騎士たちの手によって、棺に納められた婆やの遺体に布がかぶせられる。
それが安置されたまま、棺を置いて彼らは退室していく。
やがてワルダックが手を掛けるのを最後に部屋の扉が閉まり、残されたのは冷たい棺と、私と、もう一人。
「婆、や……」
今に顔の布を取り去って起きてくることもない、恩師。
兄も、騎士たちも……ワルダックですら私に興味を示さなくなった。
受け入れるしかない。
今ある現実。
全てを失った私には、もう何も存在してはいないのだという事実。
私が守るべきものは、守りたいものはこの国には……。
もう、すべてどうでもいい。
「―――それで本当に後悔しませんか?」
「…………!」
まるで全てを暴くように竜司祭が告げる。
けれど、結局彼女が何者なのか、敵なのか味方なのかさえ私は分からなくて。
「貴女に、何が。私の何が……ッ」
「そうですね。この国に来るのはあまりに久しぶりで、殆ど初めてみたいなもの。けれど、ワイズ様とはいくらか親交があった仲」
婆やに覆いかぶさるようにしていた私の背に肌の感触が加わる。
彼女が寄り添ったことによる、ひやりとした感触。
「私に出来るのは、せめてこの程度……」
「―――ぁ……、え?」
『セレス御嬢様』
『婆やの想いは、ずっと一緒に』
『だからどうか……、どうか……、希望を―――、信じて』
色。
感情。
彼女の冷たい肌の感触など関係なく広がる、温かさ。
私の、聖女としての力じゃない。
もっと別の何かが入り込んでくる。
まるで婆やが語り掛けてきてくれたような温もりが身体を包み……そして、惜しむようにゆっくりと消えていく。
それは伝えられなかった最後の別れを聞いたような。
「ぁ……、あ、ああ……!」
「人は死にますよ。決して変わりません。けれど、その方の思いも、感情も。今を生きる人たちが自身に乗せて次に伝えていく。その方を大切だと思う人たちが多いほどに、想いは紡がれ繋がっていく。そして逆も然り。なれば貴女を思う人たちの分。貴女が守りたい人達の分も。二倍、貴女には生きる責務があるのですよ」
「……」
「セレスティンさま? 貴女一人がすべて失ったから、何なのです? 貴女を大切に思う人たちもが全ていなくなったわけはないでしょうに」
「空虚の絶望の中で、氷のようにそこに在るだけ。本当にそれを受け入れるのですか? 彼も、そんな顔だけはやめろといったのに。ワイズ様も、最後まで貴女の事を想っていたはずなのに。それすら踏みにじるのです?」
「ぅ……、あ―――婆や。婆や……ッ」
「えぇ、良いですよ。最後の別れは大切です。今暫し、一緒に。それが済んだら今を生きる人たちのために……。おや?」
「―――――」
……。
聞こえた。
私にも、音が。
「―――、ぐ、ぁ……」
「!」
何処にもつながってないはずの物置の扉が開き、奥から倒れこんでくる影。
血まみれで、額には大きな傷があって、片腕はない。
今に命を落としてしまうのではないかと思うほどに衰弱した、男の人。
そして彼には見覚えがあった。
「貴方は……! アノール領の―――、アルベリヒ、さま!?」
「……ッ、はは。あ、ぁー、らー」
「……お邪魔で……ッ、っしたか?」
◇
「やーべぇことんなってんなぁ。雨漏りしそうだわ」
観光名所、天下のプリエール中央教会ともあろう建造が、あんまりにもひでえ有様だ。
騎士たちはまるで魂が抜けた置物同然、意気なんかかけらもないような。
どいつもこいつもしけったツラしてやがって。
水の国だから湿度もたけーのか?
「えーー、パケットリスト1、異界の者がいるかどうか……。リスト2、敵のレベルと士気の確認……」
ところでなんで俺は遺書でも書くが如く死ぬまでにやることなんて詠じてる?
『今のお前の手がどれ程を救い上げるに足る器か、測ってこい』
……。
あぁ、そうだ……。
主の言葉が、頭から離れないゆえに。
正直最初はかるぅーい出来心のつもりだった。
そもそも、主からこんな激ヤバ難易度確定の潜入指令なんか出ていない。
にもかかわらず、俺は自分の意思でここへ来た。
それは、自分に出来ることを成すために。
何せ、レイクさまはともかく他の二人は正直化け物だ。
ローグベルクの旦那。
帝国でも5指に入る使い手。
多分ヴァレット老ともタメ張れる化け物。
セルシオ卿。
帝国で言う中央兵団の団長クラスの怪物。
言っててやっぱつれぇ話だが、あの二人と比べて俺が勝ってる箇所はほぼ皆無に等しいだろう。
だが、たったの一つ、只の一つもないわけじゃない。
隠密、侵入能力。
弱者としての逃げ道、侵入経路。
誰もが剣一本で山を斬ったり海を割ったりできるわけじゃなく、それが出来ない大多数の人間、弱者の側だからこそわかることもある。
こんな俺だからこそ弱者のために出来ることがあるし、一時野盗同然に身を堕としたクズでも我慢ならない悪ってのはいる。
理由なく都市を滅ぼして罪のない民を殺す―――んなの、生きてるだけ害悪なゴミだろ。
「早い話、ゴミとクズがやり合えば世界はクリーンってな。はぁ……、やるか」
自分で言うのも何だが、俺は強くなってる。
元大陸ギルド理事で伝説級の逸話を数多く有する処刑人と、現役伝説の黒刃毒師……二人の傑物の教えを受け、確実に……、着実に。
「―――、何やつだ!!」
「おれェ!」
「……ぬォ!?」
「おれおれおれおれェッ!! ―――しゃらァ!」
「ぐ、ァッッ!?」
透明化を用いたまま警備の星芒法衛を一人昏倒させる。
士気が最低とはいえ、国軍としては上澄みも上澄み、最高峰たる騎士団の団員だ。
それを倒したなど、一昔前の、盗賊崩れみたいなまねごとをしていた時の自分が聞いたらどんな顔をするだろう。
命綱たる固有の透明化を維持したまま中央教会の回廊を歩く。
謎に小さな穴の空いた塀に隠れてコソコソ歩き、壁伝いに兵舎らしき屋根へとよじ登り、見下ろし―――最短経路でマップを確立させる。
「魔力的に……最長であと20分。それ以上は死ぬか……?」
培った危機感知とともに、マジのギリギリまで情報を集める。
聖女の居場所とかまでは流石に不可能だとして、どれだけの兵力なのか、或いは現在の間取りやら、バリケードの状態に逃げ道。
最終的に必要になるだろう情報はあまりに多いし無駄などない。
三階の間取りを把握しつつ、どこに何があるのか、金目のものとか目くらましや足止めに使える場所を。
こういうので兵の配置や巡回経路ってのはほぼ固定だ。
空き巣のプロならルートも大体わかる。
侵入からおよそ10分で確実に情報を抜き取りつつ、可能な限り人気は避けて廊下を行く。
兵士らは勿論、流石の騎士共も今の俺の隠密は殺気を出さない限り気付かないらしく、遠目にコソコソと移動してても目もくれやしない。
気付けば、警備もあまりいないような……、詰まる話さして重要じゃないだろう区画を歩いて。
収穫もなさそうだな、この辺は。
「ってーっと……。次は更に上―――、……!!」
いや死―――。
殺気。
その一言すら生ぬるいし、無論俺が出したものじゃない異物の塊が身体に叩きつけられる。
オウル師匠のそれが限界まで研ぎ澄まされた殺意の一刃だとするなら、今のは煮詰められ爛れ切ったこびりつくような死。
踏み出すのを躊躇した一歩先の大理石が腐り、崩れる。
つまりは正解だった。
「貴様、も。ハエと―――」
「一緒くたにしていい、ものでは、ないの……だろうな」
カツカツと回廊の暗がりから姿を現す影……、名は体を表しすぎだろ。
そいつは全身鎧の騎士だった。
だが、誰がどう見ても星芒法衛でも聖銀騎士でもない。
だらりと垂れた両腕、空洞が多いかのようにカチカチと空気を押し出し鳴る鎧の継ぎ目。
錆色の鎧の……騎士。
「姿を、見せろ。隠れる、意味も、ない。全て視える」
「お前に見えてても他の奴に見えてねえんだから意味はあるだろ」
だが、実際問題で魔力操作に集中したまま戦える相手では決してないのも事実。
固有の透明化を解除しつつ武器に手を駆ける。
「ローグベルクの旦那が会いたがってたぞ―――、錆騎士!!」
「……………」
黙るな。
もしかして覚えてすらいねえ?
「風呂入ってんのか!? いや入ってっから錆びんのかッ。お前来た途端さび臭くてかなわねえわ! おらよっ!!」
ひとまず全力で距離を取りつつ、手近にある飾りの調度品などを思い切り投げまくる。
それに交えて一帯の音を封じる”消音”のスクロールを幾本も投げていく。
消臭剤替わりではないが、音に気付いて来るだろう増援は少しでも遅らせたい。
「こざか、しい」
投げたものを斬るように振るわれる錆び付いた長剣―――……見た感じ、あれって天銀製だよな?
何で持ってんだ?
それにおかしいだろ、不変の金属の筈の天銀が錆び付くって。
どれだけ手入れしてねえのか、それともあいつの身体が汚すぎるだけか。
「もしかしてお前聖銀騎士団だったのか!?」
「……………」
「ちゃんと手入れしろよ」
……何で距離を詰めてこない?
奴は剣の間合いの遥か外側から、横へ大きく引き絞るように胴をねじって剣を構え。
「てかいらないなら俺にくれ―――、ッ!!」
「錆鳴り」
仰向けに床に倒れる―――これが最適解だと思った。
実際、廊下は総じて上下に割れた。
立ってた場所は斬撃の余波で全部が全部風化して崩れていく、一帯の窓ガラスが粉々に散り、その場に残留した斬撃の余波ですら俺の身体を刻む。
横一文字に額がぱっくり割れる。
頭蓋骨までは貫通してないが多分削れた。
たらりと垂れてきた血が唇に当たって最悪の錆臭さを伝える。
「―――、……や、冗談じゃねえぞ!?」
一合だって交えてねえんだぞ。
それでこのざまって……。
「読みは、良い」
「……ぅ、お」
「だ、が」
たった一瞬、崩れた赤錆の粉をまき散らして奴が距離を詰めてくる。
振り下ろされた剣は冴えわたる死の直感で何とか身をよじって回避するものの、腕跡地の肩掛けを斬り飛ばされ、そのまま思い切りに腹を蹴られる。
「騎士としては甚だ、不適格……、いまだ、弱すぎる」
「―――ご、ぼッッ!!?」
骨が纏めて割れ砕け、廊下の距離で10……20は軽く吹き飛ばされた。
てか長すぎだろ、この通路。
壁に当たって止まるとかじゃねーのか。
「ッ……、ぅ、ぐ。ならよ……!!」
俺が動けないと判断してか、剣を引き摺るようにして歩いてくる錆騎士―――無論、このまま死ぬのは御免だ。
……取り出すはレイクさまにいざって時に使えってことで持たされてた攻撃系スクロール。
もち、種類は問わず一つも惜しまず全投下。
奴が警戒にたった一瞬の停止を選択したのを確認する間もなく、固有で透明化し窓へ駆ける。
ここは三階、下は無限の世界。
盗賊の逃げ道なんてのは何もドアだけじゃない。
「愚、か。姿を消し、窓から下に―――」
上だ、よぉぉぉぉぉおお!!
普通は窓から飛び降りて逃げるって思うよな。
だから親からもらったたった一本の右手で窓枠を握りつぶさんばかりに掴み、そのまま上へと飛び上がる。
で、実際墜ちようとしてたら死んでたな。
斬撃が出遅れた右の足裏を掠め、履いてた靴がぐしゃぐしゃに消える―――仮に下に逃げてたら、同じ目にあってたのは頭だった。
「……おおおぉぉぉぉ!!」」
砕け散る窓枠、硝子―――本来けたたましく鳴る筈の破砕音はなく。
これが最初に使った便利魔術”消音”の力。
とはいえここまで派手に暴れれば当然誰もが異変には……。
「がッ、あ、うぐッ……!? ―――は、はは……」
四階のどこかへ着地……飛び散った破片の上を転がるたびにクソッタレな痛みが走る。
が、その痛みが現実へと戻してくれる。
「ぅ、ァ……」
死ぬ。
胸の骨はバキバキ、息をするたびに吐血……失血量は既に意識が朧げになるほど。
だが、そのうえで違和感がある。
錆騎士。
ヤツは本来俺が戦っていい相手じゃない―――、にも拘らず、俺が致命傷一歩手前で今も生きてるって事実。
少なくとも黒刃毒師オウルや処刑人ヴァレットといった己の師に当たる彼らはこの程度で逃げた敵を見失うようなことはない。
では、錆騎士はその実力に反して魔力探知や看破などの能力は低い?
いや、そもそも自分程度が一合、二合すら打ち合えるような相手じゃなかったはずなのだ。
それ程までに強くなったと思えるほど己惚れてもいない。
何か、理由がある筈なのだ。
―――見逃された?
では、それはなぜ。
考えている間にも意識が遠ざかる。
致命傷を免れたといっても明らかに格の違う相手との戦闘、こうなる未来は何も不思議じゃないってのに。
それなのに、ここで死にたくねえってなるのが小物クオリティ。
まあ俺の主の方も暗殺者に殺されかけてた時は「ひぃ!?」とか言いながら逃げてたし……。
「ぅ、ぁ……」
回復を待つようにうつ伏せに寝返り、止血のスクロールを探すように肩掛けを探ろうとして、それをさっき失くしたことに気付く。
絶望的か?
「……っち。まだこっからが本番だってのに、よ」
……どうせ死ぬなら。
失くした剣の鞘だけを支えに立ち上がり、血を滴らせつつフラフラの足取りで歩く。
物置らしき部屋にあった唯一の扉を開く。
そうだ。
せめて、隠れよう。
俺がどっかの部屋のタンスの中で野垂れ死んだとして、僅かばかりでも侵入者を探す人手を割けるのなら―――と。
そう思い、しかし身体が言うことを聞かず扉の先に崩れるように倒れこみ。
………。
「―――貴方……、は」
「……え」
「アノール領の、……アルベリヒ、さま?」
そこに居たのは錆騎士でも、警備の連中でもない。
でっけー棺桶につっぷす様にして、引き込まれるような蒼い瞳を泣き腫らした灰色の髪の少女。
更に優しく包み込むようにして後ろから抱きしめているのは祭服を纏った赤髪の少女。
「あ、ぁー、らー」
「……お邪魔で、っしたか?」
見間違えようはずもない、そこにいたのは聖女セレスティン。
最終的に俺たちが救出すべき、最重要人物。
………。
軽い様子見の潜入はいつしか暴風に形を変え……。
気付けば嵐に身を刻まれ、やーべえ台風の目に飲み込まれた場所に俺は居たらしい。




