第7話:平和の外側
一室だった。
幼いころから慣れ親しんだ造形と建物に、都市……。
本来何よりも安心できた天井の下が、今では何より心を踏みにじる牢獄だった。
囚われの身となった彼女は窓の外に見える空だけ、夜と朝の数だけを数え続けた。
ライトグレーの髪は、まさに暗雲の差す胸中のように。
憂う眼差しが見上げた青空を写す……それだけが自由に許されたこと。
中央の平穏に反し、彼女はこの国が破綻しつつあることを知っている。
父が崩御し、初めて外を知った時。
自分の手の届かない場所では平穏を享受している者たちの何倍もの数、苦しんでいる国民がいることを目の当たりにした。
全てを物語のように正すためにこの城を後にしたはずだったし、自分ならできると思っていた。
しかし、今では悪の存在を知りながら何もすることが出来なくなった己の不甲斐なさ、情けなさ……再び虜囚となった痛みを噛みしめるばかり。
いっそ、この窓から逃げることが叶えば。
翼さえあれば、と。
「……ぁ」
物音に、空を見上げていた彼女が振り向く。
「ごきげんよう―――宵はよく眠れていますかな、セレスティン様」
軽い音とともに開く扉から姿を現したのは恰幅も良く、にこやかな笑みを絶やさない色白の男。
聖職者として纏う祭服すらきつく貯えられた脂肪は彼が持つ力の証として以外の意味などない。
ワルダック大司教。
大陸覆うアトラ教に七人のみ存在する最高位にして、今や国王亡きプリエールの君主然と振舞う男はただにこやかな笑みを張り付けて彼女の前に歩み寄る。
「女王となるべき心の支度は出来ましたかな」
「…………」
「つれない態度だ。侍女が困っておりましたよ。困ったことがあっても頼ってくれぬと。何か要望があるのならば何なりと使っていただいていいといったはずですが」
男の呼びかけへ彼女は言葉を返さない。
当然だ。
彼女が触れ合える限りで、身の回りの侍従たちには誰一人自分が見知った相手はいない。
十数年暮らしてきた場所なのに、だ。
見知らぬ相手に……この男の息が掛かった相手に何を頼れるのか、そして要望したとしてそれが正しい形で叶うはずもないことを理解している。
「仕方がありませんな。幼少期よりの知り合いを連れてくればいいのですな?」
「……! 皆に何をするつもりですか!?」
「ほほほ……。ちゃんと話せるではないですか。ではそのままお話でもできれば、と……。おや」
僅かに心を揺さぶられたのも僅かな間。
意気を取り戻した彼女は再び大司教から顔をそむける。
「出て行ってください。私の要求は最初に伝えています。それを違えるつもりは、決して。アインスベルク・オルトルシア卿。彼以外と話すつもりはありません」
「ほほ……強情ですな、セレスティン様。果たして天銀の如き冷たい騎士に、戦う以外の事を知らぬ男に何を期待しているのか」
歩み寄った大司教との距離がわずかに半歩程となっても彼女は身を引くことはなかった。
覚悟ゆえに、気丈にふるまっていた。
振舞う、という言葉通り人心掌握や機微の変化に長けた大司教には聖女のちっぽけな強がりなどあまりに分かりやすいものだったが、同時に年端も行かない少女の意志に大司教の眉根を僅かばかり動かす力があったのも確か。
ただ、一つ。
聖女に大司教を打ち倒す力がないように、ワルダックにもまた彼女を害せない理由があった。
「その自信の根源、聖王誓約を余程も信頼しているようですな」
「……………」
「えぇ、その通り。我ら聖国正教に属する者たちは聖女という個を害することは出来ません。それが誓いであるのだから」
貴族社会において落胤などを防ぐため各国が独自に成立させてきた歴史は様々。
中でも血筋によって遺伝するという聖女らの特異な性質上、血統というのは不透明な部分が決して許されない部分の情報であった。
聖国において、国家の中枢に位置する者たちは成人すると同時に誓いを立てることとなる。
それ即ち聖女を害することなかれ。
この国のアトラ教信者である以上、誰であろうとも彼女セレスティン・エアージェラスを侵すことは出来ない。
「しかし、貴女自身がそれをお認め下さるともなれば話は別」
「……近寄らないで、汚らわしい」
更にゆっくりと距離を詰めた大司教。
吐息の当たる距離とあって、流石の聖女も僅かに半歩を下げ、それを見た男はようやく満足そうにうなずく。
大司教ワルダックにとって、今の彼女こそが望む姿。
全てを失った抜け殻でなく、折れそうで折れない心。
いや、今に折れてしまうか。
その様子こそが「良い」のだ。
目的は達したと、彼は自ら身を引き部屋を見回す。
屈んで床に残った灰色の髪を摘まみ上げる、或いは卓上の水が入ったグラスの飲み口に目を凝らす―――。
「宰相ワイズ。セルシオ卿。彼女らにも、もうすぐ会えますよ」
「……!」
「ワルダック大司教! 婆やたちに何を―――」
「まだッッ!!」
「……、ぅ」
突如として男が上げた大声に、びくりと震える肩。
そのまま震える身体。
「ふふ……」
「安心してください。まだ、ですよ。まだ。しかし、やがて真実に。殿下も、やがて自ら懇願することにもなるでしょう。どうかこの国をお救いくださいと、私にね」
言葉巧みに聖女を嘲弄する大司教は目星をつけていたグラスを手に取るまま、踊るように彼女の正面に回る。
全てが思いのままと、そのまま水を飲み干し。
「貴女が私を受け入れてくださるのであれば、すぐにでも全てお話しできますよ。お父上は教えてくださらなかったでしょう。ご自身の生まれについて。お母上は話してくださらなかったでしょう? 生まれの秘密について。当時我らが立てた誓い、そして誓約の抜け穴についても」
「方法などありません」
「聖王が。あの愚物が、遵守すべき法に穴をあけたのです。二人が真に愛し合っていたのであれば、内戦など。このようなことにはならなかった。殿下が苦しむことはなかったのに」
「もうたくさん! 出て行って……! 父は聡明で立派な王でした! 母さまは一途な方でした。そのようなことは決して……! それ以上の愚弄は許しません、母さまと父は愛し合って―――、……ぃ」
「……………」
一瞬だった。
大司教の握りこんだグラスが砕け、床に血の染みが広がる。
「ぅ、ぁ……」
「私の望む結末について」
「いずれ分かりますよ。いずれ、必ずね」
聖女が何より恐怖したのは、破片交じりの拳を握る男は確かに怒り狂っていたという事。
その上で、まるで造り物のように顔も、瞳の奥にもそれを感じさせない笑みを張り付けていたこと。
得体のしれない恐怖から聖女の心臓が大きく脈打つ、そんな中で部屋の扉が開いた。
「大司教猊下」
「―――無粋ですね」
「申しわけございません。アトラ教本教より、神使が到着なさいました」
やってきた神官の表情には緊張が宿っている。
この部屋の空気を感じ取ったというより、それ以前からのものに思えた。
「これまた、タイミングの良いことですね。どなたですか? 光明剣殿、或いは諮問司祭あたりでしょうか」
「それが……」
神官は歯切れも悪く言い淀む。
「―――竜司祭、と。そう名乗っております」
「……! ……ほう」
「りゅう、司祭……?」
それはアトラ教における多くの教育を受けた聖女ですら、己が記憶を順に手繰らなければいけない名だった。
教皇、枢機卿はたったの一人ずつ。
そしてアトラ教に七人のみ存在する大司教位。
アトラ教神殿協会連盟において、最高位とは彼らの事を指すが。
竜司祭。
その名で呼ばれる存在は本来の司祭という言葉が指す階級を超え、通常の階級の外側に座する、審問者。
大司教たるワルダックでさえ命令権は存在せず、その権力が及ぶ範囲は実質的に枢機卿にも次ぐとされる謎多き存在。
「私も直接お会いするのは初めてですな。セレスティン様。またお会いしましょう。次は共に腰を据えてお話しできるとよいですね」
「……………」
……。
大司教と神官……彼らが去った後、聖女は使わない予定の夜着を取り出すと落ちていたグラスの破片を包み始める。
やはり誰かを呼んで片づけさせるつもりはない。
しかし、より細かな破片はどうするべきかと。
「……っ」
考え交じりだったせいもあるだろう。
緊張と恐怖から戻らない震えにより、極小の破片が薄く滑らかな皮膚を破る。
指先には玉のような血が浮かび。
「………ッ」
「アイン……、兄さま……ッ」
彼女は再び肩を震わせる。
だが、たった一人の部屋。
静寂に包まれたそこに嗚咽が響いたとしても、彼女の涙をぬぐう者はいなかった。
◇
「……。一体、なんだ? これは―――なんだ」
この世の地獄か?
分からない分からない分からない分からない分からない……、意味が分からない。
僕が見ているのは何なんだ!?
荒廃しきったなどという表現すら生ぬるい、大地がひび割れ、家屋は全焼し、動物の鼓動などなく木々すらもが完全に死んでいる。
砕かれた家屋たちはここで営みが行われていたことすら忘却しているようだ。
ただ、痕跡が。
既に同じになった干からびた肉、枝のような骨……確かに積み重なる残骸だけが人の痕跡を伝えている。
「国家の一部ではないのか? 自分たちの国ではないのか? 己らの民ではないのか!? 領では、土地では? 護るべき財産ではないのか!?」
「レイクさま」
この光景を作ったのが神を何より尊び、人々の幸福を導かんとする宗教国家の政府だというのか?
本当にそうなのか?
むしろ間違いであってほしい、嘘だと言ってくれ。
だが、事実として―――。
「お前たちは……、一体」
「伯爵殿。我が主君のように貴公らしくないとは言えぬが、心を強く持て」
「……。取り乱した。謝罪させてくれ、ローグベルク卿」
「無理もない。ここに当主様が……ルクソール様がいても同じことを言うだろう。……よもやここまで聖国が腐っているとは思わなんだ」
そうだ、誰もが思う。
思ってしまう。プリエールとは信仰の国ではなかったのか?
紳士淑女の国、平和な海岸国家で娯楽と芸術の中心では? 僕の憧れた文学とはこのような……。
「これが……、今の聖国です……ッ」
「セルシオ殿」
同行者の男が転がった遺体、その一つの前で膝をつき、目を閉じ祈るように答える。
一つ一つの前で同じことをしていればとても一日そこらでは終わらないだろう。
それを当然理解して立ち上がる彼。
相応に皴の刻まれた顔、瞳の奥には憎しみと怒りが渦巻いていて、そのうえで平静を演じているのが分かった。
「到着時にお話しした通り、この都市は中央への反乱に参加していたわけではありません。何かを企てていたわけですら。ただ、必要ないと。そう切り捨てられただけ。それだけの理由」
数えで40も後半……長き時をプリエールに騎士として仕えていたセルシオさん。
これが今のプリエールの真実なのだと彼は言い。
「ワルダック一派が中央を掌握するにあたり、彼らは迅速に中央とそれ以外の切り離しを行いました。それはつまり10人に1人を生かすため、他の9人を犠牲にすること。選ばれた者とそうでないものを徹底的に区別したのです。単純に絶対数を減らすことで賄うべき食料も少なく、聖都を中心とした一部の人々はこれを知ることすらなく今も平穏に暮らしている」
「……狂ってやがる」
「いっそこの世の終わりといってもよさそうであるな。だが、なぜ人々は気付かない? その異変に。近い場所など、所詮数日の距離。今も商人や傭兵などの入国は許されているのだろう?」
「……。申し訳ありません」
言えない理由がある。
恐らくは何かしらの誓いを結ばされてるな。
同じくかつて誓いを立てたアルベリヒが苦い顔で開きかけた口を閉ざし。
果たして、彼らはいつ気が付くだろう。
己らの愛した国が、自分自身が既に残骸の山の上に維持されているのだと。
それとも気付けないのか?
「悪いのは、誰なんだ? 帝国が攻めたから……」
「ダインス卿よ。違うぞ。断じて否だ」
「えぇ、違うのです。帝国が参戦しようとそうでなかろうと、これは起きていた」
アルベリヒ含め、皆分かっちゃいるさ。
が、理解と納得はいつだってセットとは限らない。
「木を隠すなら森の中……が、森そのものを枯らしてしまえば紛れ込ませることすらできなくなる、と」
外敵に都市部へ紛れ込まれてもたまらないと。
ならば、不必要な都市そのものを壊滅させてしまえば心配すべきことはなくなるのだと、そういう意図もあるのだろう。
「上位者の精神性だな、まるで」
最初期に潜入した間者の話では、国内でも中央寄りの大都市などはどこも平穏そのものだという。
対し、現在帝国軍が本拠点としていた外周部、そしてここなどの地方都市の現状。
家を一歩でも出たらすべてが滅びてるようなものだ。
「セルシオ殿。目的地はここから更に南東だったな」
「はい」
帝国の侵攻に合わせ、作戦における中央での工作を担当するのが今回の目的。
メンバーはごく少数だけど豪華だ。
侯爵から直々に指名された隊長は僕。
傍付きのアルベリヒは当然として。
ここにオクターヴ公爵ルクソール様から命令を受けてやってきたローグベルク卿が加わり、聖国の元近衛であるセルシオさんが案内役。
以上4名。
後援の人員もたくさんいるけど、メインは僕らだ。
ちなみに僕以外は全員C級の魔物くらいなら単独でひねれる化け物ばっか。
むしろなぜ僕がここにいるのか、これが分からない。
「急ぎましょう、皆さん。早ければ明日の夕刻過ぎには到着できるはずです」
「無休で走ればっすがね」
「問題なかろう、我らならば。では伯爵、また我が背に乗ってくれ」
「あぁ、えぇ……」
帰りてぇ。
………。
……………。
崩れかけた屋台骨、戦争という狂気によって露出した闇。
荒廃した都市を抜けた僕たちは少人数ゆえの機動力と(一名が著しく下げている)平均値の高さゆえの索敵で道中を何ら問題なく走破。
一昼夜を過ぎ、夕暮れ時には中央に近い都市フィルタへと至ることができた。
厳重な警備も既に潜入している者たちの手引きで問題なく通過。
しかし厳重とはいえ、やはり商人や傭兵など、人の入りは確かに存在するらしく。
「お待ちどうさまです」
まずは腹ごしらえだと入った店には客の入りも中々。
「「……………」」
「……、見ててもたれるな」
強者の集いというべき集団は燃費も悪く、僕が退くほど喰う彼ら。
「レイク殿も食べてください。注文しかしてないではないですか」
「あぁ、適当に摘まませてもらう」
で、彼らの注文以上に僕が頼んでるのは同行者が実はもう一人いるゆえ。
知らずのうちに料理が減ってるのもそのためだ。
「内戦なんざ早く終わってほしいよなァ」
「今はこうして食料も潤沢にあるけど、それがいつまでも続くとは限らないもんなー。けどなぜか最近故郷と連絡が取れなくて、手紙も来なくなっちまった」
「食料だからな、今は何より。手紙とかは後回しなんだろ」
………。
「今も魔物に襲われてるって話もあるよな」
「気にするだけ無駄だろ。だって、それって遠くの集落とかの話だろう?」
………。
「むぐむぐ……レイクさま、普段こういうのを何て言いましたっけ」
「対岸の火事」
「そうそれ」
誰だって、自分たちがその当事者になるかもしれないなど考えることはない。
当然だ。
当たり前の日常が壊れる心配など、果たして誰がするのだろう。
………。
耳を傾けつつ、用が終わればささと店を出て。
「―――。寒暖差で風邪ひきそうですね、こりゃ」
「先に我らが見てきたものが幻影だったのでは、と。そう思えてならないほどに当たり前の暮らしがあるな」
都市はあまりに平穏だった。
住民は居住まいをただして挨拶をし、街中で共に歌を歌い楽器を奏でる。
艶のある果物や新鮮なチーズ等の乳製品はとてもよく売れているし、そこかしこから新鮮な海産物を炊き上げた香りがする。
これは、これこそが確かに僕が想像していた芸術の国の都市で……。
「お母さん、お腹すいた。頂戴よー」
「だーめ。絵なんか書いてないで、お客さんにしゃんと売るんだよ。売れたらちょっとだけ分けたげるから」
果物屋では店先で黙々と絵をかいていた少年の腹がなり、店主らしき母親は赤々としたそれに手を伸ばした少年の手を指でつついて止める。
あまりに平和な日常の様子―――本当に先日の光景が嘘のようで。
「すまない、一山貰おうか」
「毎度! 身なりの良いお兄さ……ちょっとおまけしとくよっ」
「感謝する」
おかみさんは外套に隠れた僕の顔に頬を赤らめ、サクランボに似た果物を紙袋いっぱいに盛る。
「…………え?」
「プレゼントだ」
「あ」
「おや優しい。心まできれいなんだね。―――ほら、挨拶は?」
「有難う!」
隣で様子を見ていた少年へ両掌に収まる程度のサクランボを渡す。
それでも定量よりは残ってるだろう、サービスが良すぎる。
「じゃあ、代わりにこれ……」
「む、有難う。頂戴する」
片膝をつき、今まで彼が描いていた絵を丁寧に受け取る。
………。
先の都市にもこの年頃の子供たちはいたはずで、当たり前に明日を信じていたはずなのだ。
「これは……中々前衛的な」
で、受け取った絵。
A4くらいで繊維質な紙一杯に表現されたのは子供がヒーローの似顔絵を描くあれだろうか。
大きな竜を思わせる魔物と、どこか見覚えのある、そして不思議な装いに身を包んだものたちが戦っている。
「―――。ブレザー……?」
「冒険者的には見えない格好っすね、騎士にも。ちっとだけ学生時代の服に似てますが」
情報収集なら僕の分野だと少し離れた位置で見ていた他三人、うちアルベリヒが興味を持ったのか後ろからのぞき込んでいて。
「御使い様たちだよ」
「「御使い」」
「知らないのかい? アンタら。最近の話だけど、聖都に神の加護を受けた若い人らが現れたっていうんだ。それが本当に凄い力を持ってるって言って……近頃じゃみんな御使い様とか、勇者様って呼んでるよ」
「勇者……」
それは恐らく帝国軍と一戦交えた連中と同種だろう。
凄まじい身体能力、魔術の簒奪、或いは大規模な地形改変能力といったあり得ざる力の持ち主。
「やはり聖国に秘密があるのやもしれんなッ、そしてあの騎士―――ムぐっ」
「ローグ殿、落ち着いてくれ」
「むぐむぐ……」
帝国でも5指に入る使い手たる【聖盾】ローグベルク。
オクターヴ家に仕える彼が今回作戦に参加しているのは【錆騎士】への雪辱ということもあるらしく、一連の話を聞いて高ぶってるらしい。
取り敢えずサクランボ突っ込んでおく。
しかし、異界の者、御使い……。
それこそが七支卿の正体……、なのか?
彼らの発生源、「異界の者」を呼び出しているのは聖国……。
「ねえ。あんまりおおきな声じゃ言えないけどさ、アンタら」
「……む」
おかみさんが声を潜めるように手を口元に添える。
………。
話を始めないのは耳を近づけろってことらしく、近づけたら近づけたで頬を染めている。
勘弁してくれないかな、僕既婚者なんだ。
「おおよそ募集の噂を聞いてきたんだろうけど、気を付けた方がいいよ。巷じゃ聖銀騎士団の連戦連勝とはいうけど、最近めっきり遠くの知り合いが来なくなったんだ。聞いた通りだけのことが起きてるわけじゃないんだよ、きっと。だから無茶はしないほうがいい。人間、ほどほどで良いんだからね?」
彼女はぶるりと身体を震わせると、僕らの内緒話に首をかしげていた自分の子供をきゅっと抱きしめる。
「あと、やっぱり一番怖いのは帝国さね」
もしかして長くなる? この話。
主婦特有の長話に付き合わされてるのか。
「帝国に新鋭の武器と食料を供給してるのがリーアニュクスっていう商会と、レイクアノールっていうアノール領っつうところの領主らしいんだけどね」
「ふむ……」
……知らない名だ。
「近頃じゃ帝国の悪魔って呼ばれてる。けどそれこそおかしいのさ。ほら、ちょっと前に帝国で本当の勇者様が現れたって話し合っただろ? 女性だって」
「あぁ、噂程度に……」
「なんとその旦那さんがレイクアノールなんだとさ。……おかしいと思わないかい? だって地母神さまの勇者っていえば初代聖女様と同じ加護なんだよ? そんな御方の相手が、噂通りならどんな手段も使う非道な男なんて」
「悪い人なのかなぁ」
誤解だ、誤解だ。
その男に出来るのは精々お嫁さんに抵抗することと気に入らない相手に腐った農作物を投げつける程度。
淵冥神の御使いたる悪魔、なんて。
「実は、私の出身は帝国でな。彼に会ったことがある」
「えーー!」
「その人って悪い人なのかい?」
「どうだろうな。ただ、その者が悪か善かを見極めるのはとても難しいことなんだ」
誤解は解きたいけど深くは話せないジレンマ。
取り敢えず話を長く、煙に巻きつつ親子に別れを告げた。
………。
これ、もしかしてそのうち手配書でも出回るかな?
まいるなぁ、僕ってば国外でも有名人になっちゃったのか、たはーー。
美形に書いてくれてるかは検閲が必要かもだ。
けど何か誇張して広げられてる気がするけど、聖国政府―――っていうかワルダック派を刺激するようなことしたっけ? 僕。
「恨まれるような身に覚えはないな……」
「帝国軍の支援物資全力投下してる財布役がいうのか」
「むしろなぜ恨まれてないと思うのだ?」
ちなみに大赤字だ。
戦後にたっぷりの褒章頂かないとマジで破産する。
けど、短時間で身になる話を聞けるのは流石出店のおかみさん―――。
秋までに領へ帰るためにも、この調子で色々と情報とかを仕入れて準備させてもらうとしようか。




