第四十三理― <遭遇>プロロゴ=ディ=シグエンサ
輸送船“K・Wirbelnden”船内――。
「ギャハハハーッ!」
決して広くはない通路の中、金切り声のような雄叫びが幾つも重なりあって谺する。その奇声を発しているのはクレア曰く、爵位級悪魔に仕える低級悪魔たち――インフェリア・デヴィルズだ。
黒く澱んだ空気を凝縮したような気味の悪い気配を放つそれらはボクたちの姿を見た途端に翼を持った小球体に変化し、ばっくりと裂けた牙だらけの口でけたたましく笑い始めたのだ。
勿論悪魔たちは笑うだけに留まらず、翼を羽搏かせながら襲いかかってきて、クレアはボクを守るように通路に立ち塞がり迎撃に臨んでいた。
「解放:“形成呪法”!」
壁に片手を衝いたクレアが叫ぶと、同時に通路中の壁材が激しく歪み、瞬く間に壁や天井から生えてきた無数のトゲに突撃してきた悪魔たちの大半が串刺しになった。
身体に穴を開けられて動かなくなった個体は崩れるように消滅したが、辛うじて難を逃れた悪魔たちはトゲの間を縫うように飛んで接近してくる。
「小悪魔程度で悪魔の呪典を止められると思っているのかしら。解放:“処刑呪法”ッ!」
パチンッとクレアが指を鳴らすと、その指先から青白いスパークが走り、至近距離に迫っていた悪魔を稲妻が引き裂いた。稲妻はさらに後続の悪魔たちを次々に引き裂き、蹴散らしていく。
「少しでも先に進みましょう、ミズハ。解放:“形成呪法”」
通路中に張り出した無数のトゲを元通りの壁に戻したクレアは残っていた数匹の悪魔を処刑呪法のピンポイント攻撃で殲滅しながら、通路を先へと歩き始める。
通路はL字型で左へ曲がり、その目の前にあった水密扉を開けると、コンテナ搬入口の奥にあっただろう広い空間に出た。
「これはまた随分とたくさんいるわね」
「え? 暗くて何も見えないけど……」
「これだけの禍々しい気配に気付かないなんて逆に才能すら感じるわね――――解放:“明暗呪法”」
「……ッ!?」
クレアがパチンと指を鳴らすとコンテナ格納庫内の白色灯が一斉にパッパッと明滅した。その瞬間、闇の中に潜んでいたそれらの姿を視界に捉えたボクは思わず本能に従って後退った。通路にいたのと同じインフェリア・デヴィルズ――――だけど数が全然違う。貨物がほとんどないガランとした大きな空洞内を埋め尽くすような数の靄状の悪魔たちで溢れていたのだ。
ボクは咄嗟にブローニング・ハイパワーを胸の高さで構え、引き金にかかる指に少しだけ力を込める。
「……大丈夫よ、ミズハ」
ボクの動作に何か言いたげな眼差しを向けたクレアが、ブローニング・ハイパワーの銃身を上から抑えるように手をかけてゆっくりと押し下げた。
「で、でも――」
「拳銃を使うまでもないと言っているのよ、ミズハ。数が増えたところで私にとっては似たようなものだもの。こう言うのも問題があるとは思うけれど、私と私の力を――私を造り上げたお父様の悪意を信じなさい。と言っても、さすがにこれだけの数相手に出し惜しみはできなさそうね」
そう言ったクレアは悪魔たちを見上げて冷たい笑みを浮かべ、獲物を狙う肉食獣のように下唇にゆっくりと舌を這わせた。その瞳は妖しい光を含み、まるで愉しんでいるかのように宙を漂う悪魔たちだけを捉えていた。
その刹那、クレアの視線に込められた害意の気配に触発されるように悪魔たちが一斉に蠢き始め、皮を破るように靄から球状の小悪魔に変化していく。
そして一匹が金切り声のような雄叫びを上げ始めると瞬く間に周囲に伝播し、船の外まで聞こえるんじゃないかという不快音の大合唱に発展していく。
「耳障りね」
そう呟いたクレアの手が風景を切り取るように空を切る。
「解放:“潰滅呪法”!」
瞬間、悪魔たちの様子が一変した。
急に笑うのをやめた悪魔たちは苦しむように身を捩り始め、次々と墜落しては破裂するように霧散していく。まるで空気が――空間そのものが彼らを蝕んでいるような光景だった。
「これは……?」
「空間内の構造物に圧力を加える呪法よ。この程度の小悪魔なら、一度囚われたら逃げることは不可能でしょうね。……それにしてもちょっと脆過ぎるわ。仮にも私同様悪魔の眷属なら、もう少し耐えてくれると嬉しいのだけれど」
この状況を楽しんでいるようなクレアの発言に思わず、ゾクリと背筋の辺りに寒気が走るのを感じた。さっきからクレアの内に潜む凶暴性が垣間見える度に心がざわつき、心臓の鼓動のリズムが揺らぐ。
そこで気付いた。
クレアから受け取った約束された呪縛の絆鎖の効果――装着者の正負の感情を増幅してしまうデメリット。そして今増幅されてしまっている感情は間違いなく恐怖や不安、つまり嫌悪に近いものだ。
このままそんな感情を持ち続けていたら危ない。そのことに気付けるのは今が最後かもしれない。
クレアはクレアで、ボクや久遠の友達だ。ボクが守るべき相手だ。
「……大丈夫」
「何か言ったかしら、ミズハ?」
気が付くと、クレアが至近距離からボクの顔を覗き込んでいた。
「あ、ううん、何でもないよ」
「それならいいけれど……。そうそう、はいこれ」
クレアは不思議そうに首を傾げると、手に持っていた何かをボクの目の前に突き出してきた。それは黒々と揺らめく靄のような姿で、クレアの手から逃れようと必死に藻掻いて――
「――って、うわぁ!?」
「どうかしたの?」
「どうかしたのじゃないよ!? 何それ! 何それ!?」
「インフェリア・デヴィルよ?」
クレアは何の躊躇いもなく、悪びれもせずにそう言ってのけた。しかも妙な生命体を無造作に手掴みしながら。
「何で捕まえてるの!?」
「どうせならこの子を私のファミリアーレにしようかと思ったのよ」
「ファミリアーレ……?」
「使い魔、という意味よ。低級悪魔は従属悪魔。上級悪魔と専属契約をすることでしかこの世界に存在できないのだけれど、私はそういう契約を改竄できるの」
「えっと……どういうこと?」
「……これに関しては見た方が早いかもしれないわね。解放:“逸脱呪法”」
クレアが呪法を発動させると、途端その腕の辺りから伸びた紫色の光の帯が手の内の悪魔を覆い隠していき、そこに描かれた魔法陣のような文字が明滅を始める。
その光の帯に怯えるように小さくなった悪魔に、クレアは優しげな笑みを向けて撫でるように黒い靄の表面で手を動かす。
「……可愛い子、私の物になりなさい。貴方の名前は……そうね――――同盟。貴方の新しい名前はアッレアンツァよ」
クレアがそう言った瞬間、光の帯に無数の亀裂が走り、眩い閃光と共に弾け飛んだ。そしてその内側にいた悪魔は急激に膨らんだかと思うとパンと破裂して中から細長い尻尾を持つ小球体が現れた。球体は側面に生えた小さな羽で二、三回羽搏くと何事もなかったかのようにクレアの頭の上に留まる。
「何をしたの?」
「この子の所有権を強制的に剥奪したのよ。元の所有者が何処の誰だかわからないけれど、契約書は雑だし、契約内容はめちゃくちゃ。それに私より低級の悪魔――――少なくともあの伯爵ではないわ」
「どうしてわかるの?」
「見ればわかるわ。低級悪魔は使役する悪魔によってその形も能力も変化するもの」
クレアはその悪魔――アッレアンツァを頭の上から下ろすと、その小球体状の身体を指でつついた。アッレアンツァはくすぐったそうに身を捩る。
さっきのマウスボールの時より桁違いの愛嬌振り撒いている気がするけど、この変化はどういうことなんだろう。
主が可愛いから?
「ギャヒッ♪」
鳴き声は可愛くない。
「この子はミズハに預けておくわ。ミズハをちゃんと守るのよ、アッレ」
クレアはアッレアンツァをそっとボクの肩に乗せながら、微妙に失礼なことを言い含めるように囁いた。
「もしかしてボクってこのチビより弱いの……?」
「多分ね」
即答だった。
「そうね……。やはり確かめておいた方がいいわね。アッレ、貴方の能力を知りたいのだけれど、何かしてみてくれるかしら?」
「ギャヒ?」
尻尾を前まで持ってきて、一頭身の身体ごと首を傾げて見せる。そして、そのままの体勢で待つこと五秒――――あまりの反応の薄さを不審に思ったクレアがアッレアンツァに手を伸ばした時だった。
キュルン。
アッレアンツァの正面がわずかに凹み、その凹みに小さな光球が出現した――――パウゥッ!
光球が激しい放射熱を放ち、白光線が宙を駆けた。そしてクレアの背後の壁に命中したかと思うと瞬く間に赤熱し、どろどろと液状に溶けた。
「「……」」
光線が消えると、穴の向こうに見える夜の闇にボクとクレアは思わず顔を見合わせる。
厚さ二十センチくらいはあるような金属壁をコンマ一秒で貫通するにはどれだけの熱量が必要なのか。それをこの小さな身体から放つなんて――
「少なくともミズハよりは強そうね」
「人間がこれを超えろっていう方が無理なんじゃないの!?」
「この程度ならそれほどでもないと思うけれど……」
やや不服そうに唇を尖らせるクレア。
紙縒さんみたいな魔法使いならともかく、少なくとも普通の人間には熱線を出すことなんてできない。
「……まあいいわ。いずれにしても末端でこのレベルなら、私と相対できるのは伯爵以外にいなさそうね。思った以上に簡単そうで助かったわ」
「――なぁにが簡単だって?――」
不意に頭上から聞こえた声に、ボクもクレアも咄嗟の判断で横に飛んだ。その瞬間、その空間を刺し貫いた長さ二メートル以上の金属杭が床の金属板に食い込んだ。
そしてボクとクレアは同時に天井の方を振り仰ぐ。
何処だ、声の主は……!
「いつまで上探してんのさ、貫くぞ?」
「後ろ……!?」
瞬間振り返った視界に巨大な金属杭の先端が映り込んだ。
「ギャヒッ♪」
パゥッ! と耳元で破裂音がしたかと思うと、至近距離で放たれた金属杭が瞬く間に溶けて左右へ飛び散り、同時に背後にいた人影が物凄い衝撃で壁に叩きつけられた。
「ミズハ、こっちよ」
クレアらしき手に腕を引かれ、元いた扉の前のスペースから広い空間の中央付近へと飛び退る。
敵影から少し離れると、ようやく状況が理解できた。
頭上から現れ、どうやったか背後に瞬間的に移動したその敵は約束された呪縛の絆鎖の効果で強制的にボクから離され、結果的に壁に叩きつけられたらしい。
直前にボクに向かって放たれた金属杭はアッレアンツァが迎撃してくれたのだろう。
「離れ過ぎないように下がっていてちょうだい、ミズハ」
その人影はボクが離れたのと同時に六メートル圏内から外れたらしく、罅割れた壁から剥がれて床に倒れ込んでいた。
よく見るとそれはボクと同じくらいの身長の赤っぽい黒髪を荒っぽいツインテールで縛った女の子で、跳ねた前髪から覗く気の強そうな目は忌々しげにボクを睨んでいた。
「随分と荒っぽい歓迎ね。もしかしてここの連中はみんな初対面の相手への礼節を欠いているのかしら?」
「あぁ? テメェから勝手に入ってきておいて何言ってやがる」
「そうね、私はクレア。こっちは瑞端よ。短い付き合いだろうけれど、よろしくお願いするわ」
「さらっとボクの名前まで喋っちゃったね、クレア……」
「ぐっ……!」
こっちが素直に名乗ったからか、いきなりショックを受けたような顔で後退る女の子。
逡巡どちらか迷っていた様子の女の子は、何故か頬を赤く染めるとそっぽを向き、
「シ、シグエンサ……。プロロゴ=ディ=シグエンサ」
「……ッ!?」
女の子の名前を聞いた瞬間、クレアははっと息を呑んだ。
「貴女、まさか……」
「はッ、気付いたようだな。そう、私は――」
「AAね?」
「何の話をしてやがる!」
顔を赤くした女の子――シグエンサの肩越しに出現した三本の金属杭がクレアに向かって飛ぶ。しかし、クレアはそれを軽く躱し、不敵な笑みを浮かべて余裕の表情を浮かべてみせる。
「冗談はこのくらいにしておくわ。貴女……呪術書ね?」
「けっ、やっぱテメェらも人外か」
ボクは違います。
呪術書――クレアと同種の人外で、おそらく呪われて人化した呪いの本。
もしかしたら、ラウラの供述にあったという(クレアより低級の)呪術書は彼女のことなのかもしれない。
「いいぜ、久しぶりに楽しくなりそうだ。精々遊ばせてくれよ、侵入者共ッ!」
「あら、貴女はただ遊ばれるだけよ? 私は“Creazione E Distruzione”。創造と破壊を司る悪魔の呪本だもの――――解放:“処刑呪法”」
バチッ!
「あがっ……!」
クレアの手から弾けたスパークがシグエンサの胴体を貫き、その手に生成されかけていた金属杭が中途半端な長さで床に落ちる。
「あら、瞬殺ね。解放:“束縛呪法”」
「テッ、メ……!」
瞬く間に行動不能にされたシグエンサはさらに自動鎖で雁字搦めに捕らえられ、忌々しげにクレアを睨みつける。
ボクが言うのもなんだけど、この人外(クレアよりずっと)弱い……。
「さて、面白い子は放っといて早く行きましょう、ミズハ」
「あ、う、うん……。でも、大丈夫かな、あの子。後で追っかけてきたりしない……?」
「それも厄介ね……。解放:“諦断呪法”」
クレアがシグエンサを指差して何かの呪法をかけると、シグエンサは「へ?」と間抜けな声を上げた後、急に気を失って動かなくなった。
「今何したの?」
「私たちのことを諦めさせただけよ。尤も、そんなことをしなくてもどうせ追っては来れないでしょうけれど、ね……」
クレアは何処かに視線を向けてフッと笑い、ボクの手を引いて脇の階段を上へと登り始めた。




