第四十二理― <確信>インフェリア・デヴィルズ
輸送船“K・Wirbelnden”船尾側右舷甲板――。
「貴様ら、どうやってここに……っ」
不自然に思えるほど何も見えない真っ暗闇の中を音もなく駆けた白刃が、巡回中だったらしい屈強な守衛の首筋を掠った。その途端に言葉は途切れ、瞬く間にバランスを失って力なく甲板に倒れ伏す。
“黙する死の刃”
クレアの擁する呪法の一つで、その小節表題は“沈黙呪法”。本来は“死人に口なし”――――触れた相手に傷を付けることなく魂を刈り取り、不審死へと導く呪殺の刃だったが、クレアが時間をかけて改変した結果、触れた者の意識を奪って深い眠りへと陥れる呪具として生まれ変わったらしい。
白い靄のようにも見えるそれは投げれば何かにぶつかるまでずっと飛び続ける上、副次的な効果として声とその対象の干渉によって放たれる全ての音波を遮断できるため、今回のような潜入任務向きの凄まじい優位性を発揮していた。
「やっぱり何かおかしいわね」
死んだように眠る守衛を上へと上がる階段の裏に転がしてきたクレアは戻ってくるなり解せないと言うような顔で言った。
「ボクたちのこと、だよね?」
不用意に響かないような無声音でそう返すと、クレアはこくりと頷いた。
「私たちは間違いなく伯爵に近付いている…………それは何となくわかるけれど、ここまでの衛士たちは私たちのことを知らされた様子はない。どうも乗せられてるようで気に食わないわ」
足元で淡い白色光を放っている黙する死の刃を拾い上げたクレアは、それを港の鬼ごっこの時よりもラフに着こなした特装・黒鵺の内側に隠して暗闇に紛れ込む。
「とは言え、それも多分ここまでだと思うけれど、ね」
「どういうこと?」
「ナカに、まともじゃない気配を感じるもの」
「船内に?」
船尾側左舷から侵入した後、クレアは何故か甲板上を制圧しながら左舷を船首へ抜け、右舷甲板を迂回して右舷後方から船内へ潜入する計画を立てた。
目的と制限を考えれば明らかに非効率的な気がするのだけど、少なくともボクより修羅場馴れしているクレアのことだ。何かそう判断するに足る理由があるのだろう。
当初は教えてくれなかったけど、あるいは何かが船内に潜んでいることを既に感じ取っていたからかもしれない。
「ミズハ、後ろの扉を開けてちょうだい」
「ここ?」
クレアの示した通り後ろの壁を手探りで確認すると、胴の中ほどの高さにある丸いハンドルのようなものに手が触れた。直接触るのは初めてだったけど、船舶でよく使われる気密性や防潮性に優れた水密扉だ。
「ええ、扉を開けたらすぐに後ろに隠れるのを忘れないで」
「うん、わかってる」
ボクはそう返し、ハンドルを両手で握って左回りに強く力を込める。
「くっ……んっ……」
「どうしたの、ミズハ?」
ハンドルがびくともしない。
もしかしたら逆回りなのかもと思って反対に力をかけるものの、やっぱり動く気配すらない。結局一部剥げた塗装との摩擦で手のひらがひりひりとしてくるまで踏ん張ってみたけど、ハンドルは一ミリたりとも左右に動いた様子はなかった。
「……しょうがないわね」
ふぅと短く息を漏らしたクレアは何の迷いもなくそのハンドルに手をかけ、そしてすぐに首を傾げた。
「……妙ね、確かに動かないわ。それに、この感触は固く締められてるってわけではなさそうね。まるでハンドル自体が固定されているみたい」
「どうする? これじゃ、他の入り口を探すしかなさそうだけど」
「ここから入るのが一番良さそうなのだけれど……仕方がないわね。無理に破るのも目立ってしまうし、あまり気が進まないけれどコンテナの搬入口から入りましょ」
「今さら目立つも何もないけどね」
ボクがそう言うと、クレアは「確かにそうね」と苦笑して、甲板に設けられた鉄階段を降り始めた。
船尾の大きなコンテナ搬入口に着くと、クレアは付近の守衛の配置と人数を確認し、「少し待っていて」とだけ言って、バッと飛び出した。
守衛は四人――全員が防弾ジャケットとヘッドギア着用の重武装で、その手には小銃、腰には拳銃も吊るされていた。
「何だっ!?」
真っ先に反応した右側の一人が投擲された黙する死の刃を胸に受けてがくりと崩折れる。
「敵か……!」
同僚が倒されたのに気付いた三人が振り返るまでの僅かな時間は、クレアが最も近いところに立っていた守衛の男に肉薄するには十分な隙だった。
グシャ。
手首を直角に曲げて打つように振り抜かれたクレアの手が、自分に向けられた小銃の銃身を容易に歪め、瞬く間に金属とプラスチック片に変化したそれごと守衛の手を押し潰した。
「――――ッ!」
一拍の間も置かずに男の喉にかけられたクレアの腕が、苦悶の叫び声をフェードアウトさせる。痛みのせいか強制絶息のせいか力尽きるようにがくっと崩れた守衛を下ろしたクレアは、侵入者が年若い少女だと気付いて狼狽えている残る二人に向き直った。
「くっ……!」
それで我に返った二人は同時に小銃の照準をクレアの胸の辺りに向ける。
「いきなり心臓狙いなんて、まさか殺しを看過してるのかしら。それに――」
凍えるような冷めた声でそう言ったクレアに思わず寒気を覚えた瞬間、クレアはすっと両手を正面に伸ばした。
「解放:“引力呪法”」
次の瞬間、物凄い力で守衛たちの手から引き剥がされた小銃がパシっと空中でクレアの手に捕らえられた。
「――これは何?」
一瞬にして武器を奪われた男たちは放心したものの、クレアの冷たい声に再び我に返り、同時に腰の拳銃を抜きながら手近な物陰に身を隠す。
「ポイントEに敵襲。敵は恐らくエクストラ。増援を寄越せッ……!」
無線か何かで連絡を取る声が聞こえてくる。これまでに気付かれていたかどうかは別にしても、これで敵に存在を知られてしまったのは確実だ。
ボクは一応周囲に気を配りつつ、腰のブローニング・ハイパワーを引き抜いて身を隠す。確実性はないけれど、気休めくらいにはなるはずだ。
その時、クレアの物憂げな溜め息が聞こえてきた。
「これは何、と言っているのだけれど、もしかして話が通じていないのかしら」
クレアの手の中で小銃がバキバキと音を立てて破壊され、その足元でガラクタの山になる。能力を使っているのか、それが素の握力なのかはわからないけど、少なくともやっぱり人型の生物が出していい値ではない気がする。
「ベネリRxにサイレンサーを付けるだなんて……ありえない。全然わかってないわ。美しいフォルムが台無し……」
「構わん、撃てっ!」
右側の守衛が声を張り上げると、ぶつぶつと何かを呟いているクレアに向けられた二丁の拳銃が火を噴いた――――パァンッ!
銃弾はわずかに動いたクレアの左腕すれすれを掠めるように過ぎる。
「解放:“銃弾呪法”」
クレアが命じるように言った途端、小銃の残骸からマガジン二つだけが浮き上がり、クレアの呪法の力を受けて撃ち出された二発の銃弾が物陰から覗く守衛たちの拳銃の銃口にクリーンヒットし、銃身を粉々に打ち砕いた。
「ぐァッ……」
「……チッ、退け!」
「行かせるとでも思っているの?」
クレアの姿が逃げようとする守衛たちの間にいつのまにか移動し、すれ違いざまになびいた髪に守衛たちの視線が泳ぐ。
「解放:“束縛呪法”」
じゃらじゃらと金属音を立てて甲板から生え出た鎖が退避しようとする二人の足に絡みつき、瞬く間にその動きを封じてしまった。
「くそっ……」
忌々しそうに舌打ちした男たちはがちゃがちゃと身体ごと鎖を揺するものの、勝手に締まっていくそれらの鎖から逃れることなどできるはずもない。
「化け物め!」
尤もな感想だけど、負け惜しみにしか聞こえないのは相手が悪い人だからなのか。具体的にこの人たち伯爵の下で何をしているのかはわからなくても、少なくとも銃刀法違反ではあるから問題ないと思う。
こっちも一応不法侵入だけど。
「あ、もう出てきても構わないわよ、ミズハ。むしろ私の傍の方が安全ね」
「え、あ、うん」
一応ブローニング・ハイパワーは抜いたまま物陰から出ると、守衛の二人はボクの顔を見て、ぎりっと歯を軋らせた。
「まさか女二人でここに来る奴がいるなんてな……」
「ボクは男だよ!?」
「「何ぃッ!?」」
揃って驚愕の声を上げた二人の背中に、クレアが徐に振り上げた束縛呪法の鎖が打ち下ろされ、二人は痛みで身悶えする。
「やっぱり初対面の相手には大抵間違えられるのね。それでこそミズハよ」
「ボクのアイデンティティなの!?」
「可愛いと褒められているのだからいいじゃない?」
「男が可愛いって言われて嬉しいと思う……?」
「ミズハ次第ね♪」
クレアはそう言って手の中に黙する死の刃を出現させると、縛られている二人の首筋を撫でるように振るい、その意識を音もなく刈り取った。
「さて、ここにいるのはまずいでしょうし、早く中に入っちゃいましょう。解放:“増幅呪法”!」
クレアがボクの手を引きながら身を低くしてそう叫んだ瞬間、足元で眠る二人を縛る鎖が増えながら周囲へと自在に伸び、いつのまにか忍び寄っていたらしい増援の守衛たちを次々と捕らえていく。
中には躊躇いなく発砲してくる人もいたが、ボクとクレアの周囲を高密度で取り巻いている金属鎖に銃弾はすべて弾かれ、そうしている間にも足を掬われて鎖に動きを封じられている。
向かうところ敵なし――――絶好調のクレアさんだった。
「ちゃんと付いてくるのよ、ミズハっ」
「うんっ」
コンテナ搬入口の横に設けられた通用扉から中に入ると、そこは薄暗い明かりにぼんやりと照らされた淡いライトグリーンの通路だった。
「目が暗闇に慣れてしまったわね」
クレアの第一声に頷いて返す。
まだかなり暗いはずなのに、今まで真っ暗な場所にいたせいかここは随分と明るく見えてしまう。物の輪郭だけでなく距離感や明暗色の区別がつくようになったのは大助かりだった。
「そうそう。少しいいかしら」
クレアに続いて一歩目を踏み出そうとしたその時、不意にクレアは振り返って、ボクに向かって左手の平を差し出してきた。
「えっと、何?」
「ミズハ、左手を出して」
「え?」
ボクが言われるがままに手を差し出すと、向かい合ったクレアは手探りで指を選び、やがて薬指を何かに通した。クレアが手を放した後で触ってみると、どうやら指輪のようだった。
「ッ!?」
一瞬呼吸が止まっていた。
「……何これ?」
「アネッロ・ディ・フィダンツァメント。日本でも通じるようにするならエンゲージリングと言い変えるべきかしらね」
「エンゲージ……って婚約指輪!?」
「ええ」
それなら着けるべきなのはクレアのはずで、ボクが着けられる代物ではないはずだ。少なくとも性別的には。
「と言っても、この指輪にそういう意図はないから気にしなくていいわ。あくまでも私のページに記された呪法の一つだもの」
「じゃあこれも黙する死の刃と同じ呪いの道具なの?」
「約束された呪縛の絆鎖。これを着けている間は私以外誰もミズハには近づけないわ。その本質が病んだ愛情からの独占欲に起因している辺り、とても呪本らしいのだけれど。ただし感情の昂りには気を付けなさい。私への正負の感情を増幅してしまうデメリットを持っているから」
「正負の感情?」
「特に好意と敵意、つまり愛情と嫌悪ね。本来の使い方なら、これで『私を愛さなければ誰にも愛されない』状態になるのだけれど、感情が強ければ強いほど不可侵領域は広がるわ。何れにしてもこの場合のメリットは適用されるから今はどちらでも構わないけれど、嫌悪よりは愛情の方がペア行動には向いてるかしらね」
それはもう言うまでもなく。
「ちなみに不可侵領域の最低半径は六メートルだから、その範囲外はそれで何とかするのよ、ミズハ」
クレアが指したそれ――手に持っていたブローニング・ハイパワーに視線を移すと、ずしりとその重みが増した気がした。
「構える必要はないわ。これはおそらくだけれど、ここから先には人間はいないはずだから」
「いない?」
「ええ、少なくともこれだけの数の“インフェリア・デヴィルズ”が集まる船内に入ろうなんてマトモな人間なら考えないはずよ」
クレアの言葉と声色に何かを感じ取り、ボクはふと通路の先に視線を遣った。薄暗く、不気味に静まり返った通路――――その奥で何かが蠢いている。
ガンッ。
思わず後ずさったせいで、肩を後ろの通用扉にぶつけてしまう。でもボクは通路の奥にいたそれから目を離すことは出来なかった。
黒い、ただ黒い蠢く者――――でもわかる。アレは人間と根本的に相容れない。近寄りたくないと本能が告げるほどの、まるで漆黒の闇を形にしたような邪悪な存在だった。
「あ、あれ、何っ……!?」
「言ったでしょう? 悪魔の中の劣等種――低級悪魔。名を持たず、故に決まった形を持てない邪悪なだけの存在よ。勿論私の敵ではないけれど、これで決まりね。連中は爵位級の悪魔に契約で縛られ、命令通りに仕える愚直なイヌ。この先に間違いなく――」
――伯爵がいる。
設定変更についてのお知らせ(変更点は二つです)
・クレアの名字(ティストルツィオーネ→ディストルツィオーネ)
・クレアの著者(レド=ミカエル→レド=カマエル)




