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終極限界のクレアツィオーネ  作者: 立花詩歌
第一章『チェインド・ドラゴン』
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第四十一理― <警告>心配は杞憂に

 ミズハとクレアが特殊部隊(ナイトクリーチャーズ)から逃れて輸送船“K(カー)Wirbelnden(ヴィアベルンデン)”に潜入した頃、特失課行空(ゆきそら)支部“吼える流星(ハウリング・メテオ)”事件の捜査本部はその対応に追われていた。


監視班(QE)より緊急連絡。PaG(パグ)両名が“亡霊船(ゴーストシップ)”に侵入したようです」


 執務室で部下の女性補佐官から報告を聞いていた黒スーツに帯刀の女性――宵闇(よいやみ)黒乃(くろの)室長は眉間の皺を押さえながら、誰へとなく呆れるような深い溜め息を吐いた。


「連中の反応は?」

「表面上は大きな動きはないようです。現場の即時対応しか確認できていませんが、気付いていないわけではないでしょう。本作戦に支障が出るのは確実かと」

「QEに、余計なことはせず、そのまま今の任務に専心しろと伝えろ」

「了解です」


 女性補佐官が部屋を出ていくと、黒乃は脇に控え立つ副室長――ハルトムート=ヴォルケンシュタインを凛然と睨み付けた。


「あのGrimoire(グリモワール)は我々の手に余ると言っただろう、ヴォルケンシュタイン。まったく、副室長ともあろう貴様が情報流出とは情けない。貴様の経歴は称賛に値するが、それ故の慢心癖は自覚しろといつもあれほど言っているだろう。そんなことだから、貴様はいつまでも私に勝てんのだ」

「返す言葉も見つからんよ。責任逃れをするつもりもないがね」


 とは言え黒乃に内包された絶対能力のことを考えれば、本当の意味で彼女に勝てるものなど数えるほどしかいないのだが。


「左遷だの解雇だので誤魔化せる責任など下らん。責任よりも責務を果たせ」


 ハルトムートの神妙な一言に眉をピクッと瞬間引き攣らせた黒乃は、その言葉を冷笑と共にばっさり切り捨てた。


「上が何と言おうと貴様は私の部下だ。貴様のやるべきことは他でもない今ここにある。不測の事態に備えて作戦を練り直せ。これで成果を出せなければ、此度の失態……高くつくと心得ろ」

「ああ」

「それで別動部隊はどうなっている?」

「そろそろ定時報告が来るはずだが、九分前に作戦開始を告げている。既に動いているはずだ」


 ハルトムートがそう言った途端、執務室の扉が開き、一様な黒スーツの男性――特失課における人間の構成員(サポーター)の一人が中に入ってきた。


「失礼します、室長。あぁ、副室長もいらっしゃいましたか」

「どうした、巡裏(めぐり)


 巡裏、と呼ばれた部下はハルトムートにも軽く頭を下げ、やや躊躇いがちな様子で黒乃に向き直った。


「それが面倒なことになったようで」

「……何があった?」

「フランス大使館のリュジニャン特殊例外管理官から緊急通信です」


 部下がそう告げた途端、黒乃のこめかみがピクリと瞬くように引き()った。


「あの蛇女め……。緊急でもない用件で緊急回線を使うなと伝えろ」

「一介の通信担当でしかない私に無茶言わないでください、室長。そんなことして先方怒らせでもしたら、それこそ始末書どころか丸飲みにされますよ」

「飲まれる前から呑まれておいて、よくもそんな口が叩けるものだな。仕方ない……ハルトムート、貴様が行け。どうせ今回の件だろうが、そもそも向こうで対処できなかったお鉢がこっちに回ってきているだけだ。口先三寸で丸め込んでしまえ」

「この際だ。舌でもとぐろでも好きな方を巻かせておく」

「それはいいな」


 ハルトムートのジョークに口の端を微かに持ち上げるような薄い笑みを浮かべた黒乃は、黒服について部屋を出て行くハルトムートを横目で見送ってすぐにデスクの上の携帯端末(PAID)を取り上げた。


「“クラッカー”に繋げ」


 黒乃が自分のPAIDの統制人格――クリスにそう命じると、一秒と待たずに音声通信が繋がりスピーカーから電波障害のノイズのような音が漏れ始めた。


「聞こえるか、クラッカー」

『えー、こちらアプリコット、こちらアプリコットー。通信状態極めて最悪でーす』


 向こうから聞こえてきた緊張の欠片もない声に、黒乃は再び呆れたような溜め息を吐きデスクに腰掛けた。


「貴様、何のためにコードネームがあると……まぁいい。報告しろ」

『せっかちですねぇ。まぁ、構いませんけど。えっと、作戦域一帯に電波偏調の簡易術式を確認しましたが、構造自体は魔法に疎いボクでもわかるレベルで単純でしたからね。逆探知(ギャクタン)さえできりゃ、ボクレベルの融機生命体(リビングマシン)ならこのぐらいの芸当は朝飯前ですよ。っても式心(コア)が何処にあるかまではまだ特定できてませんから、ボクには通信が通じる程度に把握しとけばいいんじゃないですかね。話が通じるとは限りませんが』

「貴様とはいつも話が通じていないから、そのことはまったく心配していない」

『なかなかの信頼度で何よりですね♪』


 アプリコットが弾むような声色でそう返してくる。


「貴様はそのまま式心(コア)を探して破壊しろ」

『えー、これからチェリーさんと遊びに行く約束してたんですけど。大気圏外に』

「ツッコミは放棄する。だがちょうどいい、チェリーも暇なら引っ張って来い。貴様らの遊楽より国際問題に隣接するこの案件が優先だ。貴様も組織人なら理解しろ」

『はっは、それこそ()()()()()()


 口調こそそのままだったものの、アプリコットの一言は重い響きを含んでいた。


『日本がどうとか国際問題がどうとか、そんなどうでもいいことはまさしくどうでもいいんですよ。ぶっちゃけ面倒事は()()()ですが、ボクができることなんざ他の連中にだってできるでしょう。そんな面倒でもないことにわざわざ付き合いたくはねえっつーか。特に今回の作戦は頭数が必要なわけでもないんですし』


 例によって正論と性格破綻の入り交じったような台詞に閉口しかけた黒乃だったが、すぐにPAIDを耳に当て直して切り返す。


「今は不測の事態だ。貴様の汎用性は特失課の切り札(ジョーカー)でもある。勝手な行動は許さんぞ」

『くっくっ♪ 勝手はお互い様でしょう。人を道具(カード)扱いして、勝手に切らないでくださいよ』

「物の喩えで揚げ足を取るな。わかったら式心(コア)を探して破壊しろ。やることさえやれば休日は好きにしろ」

『いやはや人使い荒いですねぇ。この人でなしー』

「人ではないがそれがどうした」

鈍刀(なまくらがたな)ー』

「次の休みは返上しろ。命令だ」

『はーい♪』


 まったく堪えている様子のないその一言を最後にアプリコットとの通信は切断された。黒乃は結局何処からが本心で何処からが遊びなのかわからないまま、待受画面に戻ったPAIDを複雑な面持ちで見つめる。

 アプリコット=リュシケーという人外は微細な自律機械の集合体という構造上非常に高い汎用性を発揮するため、擁する行空(ゆきそら)支部だけでなく周辺各地への緊急支援任務に就くことも多い。謂わば、彼女は行空支部の他支部への影響力と周辺の不穏分子への抑止力を裏付ける象徴的存在である。(ゆえ)に実力に基づく絶対の上下関係が存在する特別遺失物取扱課という組織において、その序列に縛られない稀有な存在として君臨していた。

 単純な戦闘能力のみに縛ればアプリコットよりも黒乃の方が高く、だからこそ黒乃はアプリコットの上司に当たる室長という立場にあるのだが、そう言った理由からアプリコットが命令を受諾するかどうかの確証がない。

 唯一の欠陥はその掴みきれない性格と汎用性の高い“気まぐれ”であり、能力面で信用は出来ても総合的に信頼はできない、という部下としては何とも扱いづらいタイプなのだった。


――()()()()()()()()()()()()


 澄んだ声が執務室に響いた瞬間、黒乃の腰に帯びられた妖刀“闇桜”が消失し、同時に黒乃と同じ容姿を持つ姉妹刀――闇桜(やみざくら)影乃(かげの)が黒乃の正面に姿を現した。


「お前が人型(そっち)になるのは珍しいな、影乃」

「人に化けるのって疲れるでしょ~? でも、たまには外で遊んでるのもいいかなーって」

「お前もわかっているだろうから一から説明をする気はないが、今はそれどころじゃない。暇ならお前も仕事をしろ。無論、私が前線に出張る事態になったら、刀に戻ってもら――――コラ、影乃」


 長い話でも始まったと思ったのか、『仕事』というワードが出た辺りで影乃は既に太刀形態に戻っていた。


「お前も一応序列十二位。引き篭もってないでたまには仕事をしろ、給料泥棒」


――黒乃姉さんが私の分までやってしまうから~。


「何を言う。逆だ。お前がやらないから私がやる羽目になっているんだろうが」


――向き不向きがあるんだもの~。私がやってもどうせミスして姉さんがチェックするんだから、最初から姉さんがやった方が早いじゃない~?


「お前はもし私がいなくなったらどうするつもりなんだ……」


――私たちは不壊の妖刀“桜花双刀(リヒティーリューゲ)”。(ふた)振りで一つの刀だもの。いつまでも二人一緒に決まってるもの。


 影乃のやや真剣味を帯びた声色に、黒乃の表情に陰が落ちる。しかし不意にコンコンと執務室のドアが叩かれ、黒乃の表情が仕事モードに戻る。


「誰だ」

「『特務C班(クラックポット)所属、不動律(ふどうりつ)巫女(みこ)

と私は所属と名を答える」

「呼んだ覚えはないが……入れ」


 黒乃が許可すると、カチャと静かにドアを開いた巫女(ミコ)はまるでこそこそと隠れるように素早く部屋に入り、後ろ手で静かにドアを閉めた。

 その態度を不審に思った黒乃は腕組みをして、ミコの意図を探るように観察する。


「ヴォルケンシュタインなら電話の応対の後に戻るはずだが、それ以外に何か用か」

「『ミズハとクレアをどうなさるつもりですか』

と私は単刀直入に訊ねる」


 ミコはいつも以上に感情の薄い瞳でまっすぐ黒乃を見据えながらそう言った。


「どうする、とはどういう意味で言っている」

「『二人の処遇』

と私は答える。

『彼らは今や民間人ではありません。経緯はどうあれ、彼らがしていることは組織の意向に反する行為……組織として何らかの処罰は免れないでしょう』

と私は自身の考察を述べる」


 その言い方からミコの意図を大体察した黒乃は少し考えるような素振りを見せると、キュッと唇を引き結んでミコと目を合わせた。


「その際、契約を違えたこちら側にも責任はあるが、結果的にこうなった以上、緊急対応の過程で責任を問う可能性もなくはないだろう。だが、それがどうした」

「『彼らに危害を加えることは許さない』

と私は警告する」

「警告?」


 その単語がミコの口から出た瞬間、黒乃はふと笑みを零しそうになるのを咄嗟に堪えた。


「貴様、誰に向かってそんな口を利いている」

「『特失課行空支部戦能序列第一位、宵闇黒乃執務官』

と私は室長の立場を明確に告げる。

『ただし、彼らに危害を加えることは許さない』

と私は再度警告する」


 ミコの戦能序列は第百八位。

 文字通り桁違いの実力差がある黒乃にも、ミコは怯むことはなかった。


「……情が移ったか。それとも別の意図か。だが、そういうことなら安心するがいい。確かに一刻も早く彼らを止めなければならないが、何も敵と見做すわけではない。拘束の過程でちょっとした怪我ぐらいは負うかもしれないが、大事にはなりえん。さっきも言ったが、事情はどうあれこちらにも非はあるのだ」


 黒乃はそう言ったものの、その予想に反してミコは揺れる素振りすら見せず、無言のままで(きびす)を返した。入ってきた時と同様静かにドアを開け、素早く廊下に出てゆっくりとドアを閉め始める。

 そして――


「『それさえわかればいい』

と私は謝意を示す」


 ミコは最後にそれだけ言って、ドアを完全に閉め切った。

 それを黙って見送った黒乃はデスクからゆっくりと腰を上げる。その表情に棘はなく、寧ろ何処か優しげにも見える――――普段の彼女を知る者にとっては稀有な表情だった。


――何を考えているの、黒乃姉さん?


 影乃の声も楽しげにからかうような調子だった。


「上官に対する態度としては間違いだが、あの直情的な実直さは悪くはない。そう思わないか、影乃」


――どうせまた思い出していたのでしょ~? 私たちの唯一無二のマスターのことを。


「あの人も、そういう人だったからな」


 黒乃が昔を懐かしむように目を細めると、一筋の涙がその頬を伝った。珍しくも慌ててそれを手の甲で拭った黒乃は目を閉じて一人微笑むと、現状に立ち返って再び唇を引き結んだ。

 そして、手にしたままだったPAIDに視線を落とす。


「為すべきことを成せ、だ」


 そんな呟きを残し、黒乃は闇桜を帯びて執務室を後にした。

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