第四十理― <侵入>こうして第一の夜が幕を開けた
夜も更け、日付も変わろうとしていた頃――――人工浮島上の港湾施設“名次港”の一画に、物陰に潜む二人分の人影があった。
「もう追っては来れないみたいね……」
その内の一人――クレアは無声音でそう呟くと、安堵を漏らすように息をついた。
余裕に見えて人並みに緊張はしていたのか、クレアはナイトクリーチャーズから奪った黒のギリースーツ――“黒鵺”の胸元のジッパーを少し引き下げ、引っ張るようにして中に空気を送り込む。
「あわわ……」
少し危うげな光景に思わず目を塞ぐと、驚いたように息を呑んだクレアから「そう言えばミズハは男の子だったわね」との酷い台詞を頂戴した。
「さすがの特殊部隊もこれ以上は無理……か。いくら専門戦闘職って言っても、所詮は人間。本陣に潜り込むには限界があるみたいね」
「その本陣に未だに残されてる人間もいるんだけどね……」
仮設ガードレールの脚を安定させるコンクリートブロックの裏に張り付くように身体を縮こませ、先程からずっと『見つかりませんように』と祈っていたもう一人の人影――すなわちボクがぼそりと愚痴ると、耳聡く聞き逃さなかったクレアがジトッと責めるような目を向けてきた。
「ミズハはこんな危ないところに、か弱い女の子一人で行かせる気なのかしら?」
「クレアがホントにただの人間の女の子だったら、その言葉に説得力があったね」
武装した特殊部隊の人たちを何だかんだ一人で撒いてしまう呪いの本は、常識的に考えて全然か弱くない。
「あら、確かに私は異常性こそずば抜けているけれど、身体的な能力自体は人とそれほど変わらないのよ? 大怪我だってするし、傷によっては自己修復が間に合わずに壊れてしまうことだってありそうだもの」
「ありそう?」
クレアの言葉に含まれたメタファーに気が付いたボクが聞き返すと、クレアは「そうなったことがないからわからないわ」と苦笑しながらそう言った。
「私はミズハが思ってる以上に自分自身のことを知らないのよ。私が今の私――受呪者として生まれた時には、もうお父様はいなかったから」
少し寂しげに目を伏せたクレアはふと顔を上げ、目の前に見えている目的の輸送船“K・Wirbelnden”に視線を戻す。
夜とは言え、船とその周囲には不自然なほど明かりがなく、辺りは闇夜に溶け込むように真っ暗になっていた。その暗さは、目を凝らしてやっと船のシルエットがわかる程度に船の存在感を希薄にしていた。
ボクとクレアは物陰を伝いながらさらに船へと近付いていき、目と鼻の先に船体を捉えた辺りで再び物陰に腰を降ろした。
「ビンゴのようね」
物陰から様子を窺ったクレアが呟く。
その視線の先――船のタラップがある辺りに、おそらく見張りなのだろう人型のシルエットが立っていた。
それは身長二メートル近い大男のようで、口に火のついていないタバコのようなものを咥えたまま微動だにしない。そしてその隣にはビニール製ブルーシートの被せられた、軽自動車より一回り小さいサイズの何かが鎮座していた。
見張りの人に気付かれずに船に近付くことは――――不可能だ。
「行くわよ、ミズハ」
「ホントに行くの……?」
「当たり前じゃないの。何のためにここまで来たのかわかっているでしょう?」
ラウラとエステルさんのためだ。
でもこれで本当にあの姉妹のためになっているのかと言われればわからない。クレアが自分の目的を果たすために暴走してるような気がしないでもないのだった。
かといってここまで来ると、着いていく以外に選択の余地はないだろうけど。
「ねぇ、クレア。やっぱりやめに――」
「幸い見張りは一人だけのようだし、早く船の中に入っちゃいましょう」
聞いてすらいなかった。
クレアはボクにここで待ってるよう指示を出すと、物陰を音もなく伝いながら、少しずつ大男との距離を詰めていく。
そして、大男との距離が十メートルほどの位置まで辿り着いた時だった。
ぽぅっ。
突然、大男の咥えていたタバコに小さな火が点った。ライターやマッチで火を点けるような動作はなく、大男も微動だにしていないまま、ひとりでに火が点いて微かな煙を靡かせ始めたのだ。
そして――
「不審者……か」
――何事かぽつりと呟いた男はタバコを指先で挟むと上を仰ぎ、静かに煙を吐き出した。次の瞬間、何の予兆もなくクレアのいる方向に振り返る。
「何処の者だ」
「……」
クレアは沈黙で応えると、『その場で待機』という意味のハンドサインを示した。
「答えないならそれもよし。大方の予想は付いているし、であるならば此処まで来て退く相手でもあるまい」
余裕に満ちた落ち着いた声が低く響き、大男が一歩、また一歩とクレアの隠れている場所に近付いてくる。
その時、ふと男が立ち止まった。
一瞬攻撃の直前兆かと思って身構えたが、男の取った次の行動は予想外のものだった。
「気のせい……か」
思わず『えっ?』と声を上げるところだった。と言うのも、クレアが見える少し手前の位置まで近付いていた男がくるりと背を向けてそう呟いたのだ。
まさか何の根拠もなく、偶然にも程があるこのタイミングで妄想寸劇――もとい見かけによらないお茶目な一面を見せただけとでも言うのか。やや信じ難いけど。
クレアも一瞬呆気にとられたような表情になり、のこのこ元の場所へと戻っていくという色々と反応に困る姿を見せた男の背に訝しげな視線を送る。
『どうするの?』
ハンドサインでクレアにそう訊くと、『何を言っているの。いずれにしても倒さなければここを通れないでしょう?』と呆れたような視線を向けられた。
『私が前に出るから、ミズハは極力存在を気取られないよう留意しなさい』
ジェスチャーでそんなことを伝えてきたクレアは、同じくナイトクリーチャーズから奪った完全消音器付89式5.56mm小銃を腰だめに構えていつでも立ち上がれるようにスタンバイする。
「殺しちゃダメだよ、クレア……!?」
無意識の内に可能な限り声量を抑えていたものの、思わず声を上げてしまった口を自ら咄嗟に塞ぐ。
「ミズハの前で殺しなんてできないわ。久遠に怒られてしまうもの」
ボクの見えないところではどうするの、と思わず聞き返したくなる答えだ。ボクの何か言いたげな視線をどう感じたのか、クレアは口元に穏やかな笑みを浮かべた。
「心配無用よ。私を誰だと思っているの」
奇しくもボクの聞きたかった答えをはぐらかすような一言で締めたクレアは音もなくスッと立ち上がり、同時に跳ね上げるように立姿勢で構えられた89式5.56mm小銃が微かな射撃音と共に火を噴いた。
パパパパッ……!
銃弾は全て男の脇腹を掠るような弾道を通り、その向こうに鎮座するブルーシートをかけられた何かに当たってギギンッと金属音を響かせた。
「くっ、一度気付かない振りで油断させ、初弾を華麗に躱して後の先を決める予定だったのだが……」
敵ながら色々とツッコミを入れたくなる台詞を発した男は脇腹を抑えながらも再び振り返り、懐から引き抜いた自動拳銃をクレアに向けた。
パァンパァンッ!
一回の引き金を引く動作で二発の銃弾――――二点バーストだ。
男の応射を物陰に屈んで躱したクレアはころんと転がるように物陰から飛び出しながら伏せ撃ち姿勢になり、今度は男の右足首を掠るように撃つ。
「ぬぅっ」
パァンパァンッ!
体制を崩しながらも男は撃ってくるが、その時にはクレアは既に同じように転がって物陰に身を隠している。
それを確認した男は右足をやや引きずり気味に立ち上がり、背後のブルーシートをひっ掴み、引きずるように取り払った。
その下に隠されていたものを見て、クレアは目を大きく見開いた。
「そんなっ……WARHOUND!? どうしてこんなところに……!」
クレアの瞳が動揺で揺れる。
ブルーシートの下から現れたのは、ボックス状の機械だった。
クレアがウォーハウンドと呼んだそれはモーターのような駆動音を上げると、角の部分が外れるように現れた四本の足でググッと胴体を持ち上げて動き出した。
それは素人のボクが見ても、一目で危険物だと――――もとい兵器だとわかった。
何故ならその機械の上部にベルト給弾式のマシンガンが据えられていたからだ。
「もう見つからないようにとか言ってられそうにないわね……」
クレアが先んじて前に飛び出すと、ブルーシートを放り出した男が再び拳銃をクレアに向け、牽制のためかその足元を撃つ。
しかしクレアは軽く地面を蹴って飛び上がると、そのまま空中で一回転して危なげなく男の目の前に着地した。
「くっ……」
男は狼狽の様子を見せたものの、相手が華奢な体躯の女の子であることを再確認したのか横薙ぎに腕を振るった。
「女性には優しくするものよ、坊や」
身を屈めて腕を避けたクレアは冷たい目で男を見上げ、同時に男の右足首の銃創を思いっきり蹴りつけた。
「ぬぐっ……!」
すごく痛そうです。
こうして見ていると、クレアの動きは人並外れて身軽だった。よくよく思い出してみると、最初に出会った時にも自転車でぶつかりそうになったその瞬間にスピードを落とすことなく飛び乗ってくるという曲芸をやってのけているのだ。変な言い回しになるけど、身体の正確な動かし方を知っている、ということなのだろう。
ガヅンッ。
89式小銃の銃床での後頭部を一撃したクレアは、怪我への配慮か気を失った男を支えるように地面に横たえ、同時に男の手から自動拳銃を取り上げる。
その時、突然視界を赤い光が横切った。マシンガンの銃身に付けられたレーザー照準器の光だ。
「そこから一歩も動かないで、ミズハ!」
クレアは咄嗟にそれだけ叫ぶと、ウォーハウンドの上部に据えられていたマシンガンに拳銃を向ける。
パァンパァンッ。
発射された二発の銃弾はマシンガンの横に付けられたハの字型の金属プロテクターに阻まれ、弾かれた銃弾は闇に消える。
そしてクレアの姿を捕捉したウォーハウンドはマシンガンの銃口をクレアに向け、間髪入れずに引き金を引いた。
――――しかし、その銃口から銃弾が撃ち出されることはなかった。
「解放:“銃弾呪法”」
クレアが笑うようにそう言うと、無数の小さな炸裂音が連なってマシンガンの銃身が力尽きるように下がり、ガシャンと呆気ない音を立てて動かなくなる。
「後は……!」
目の前の差し迫る危険を排除したにも関わらず気を抜く様子のないクレアは、ウォーハウンドの横に飛び込み距離を詰める。
次の瞬間、聞こえてきたボボッという小さな破裂音に、ボクは思わず頭を下げた。直後、激しい熱源が頭上を掠め、すぐにそれがウォーハウンドから放たれた火炎放射であることに気付く。
しかし、次の瞬間その炎は流されるように消え、ドボンッと思いの外大きな水音が聞こえてくる。
「もういいわ」
クレアの声におそるおそる顔を上げると、ウォーハウンドは何処かへ消え、軽く手のひらを叩くようにして肩を竦めるクレアの姿が視界に入ってくる。
「……落としたの?」
「落としたわ。手っ取り早いもの」
あんな明らかな重量物をどうやって海に落としたのかは聞かないでおこうと決めた。
「可能な限り戦闘音は抑えたつもりだけれど、妙に静かね。まさか気付かれていないということはないでしょうけれど」
腑に落ちない、という表情で首を傾げたクレアは足元に落ちていた男のタバコを拾い上げ、その先端に灯る赤とオレンジの中間色のような火を興味深げに眺める。
「篝火を下敷きにした探知術式……。でもこれがあったのなら私たちの存在に確信を持っていたはず。それなら何故あんなことを……? 作為的な何かを感じるわね……」
眉を寄せて何やらぶつぶつと呟くクレア。聞こえてくる言葉の端々に不穏な響きを感じるものの、おそらくボクには考えの及ばない部分なのだろうからと諦める。
しばらくじっとクレアを待っていると、その視線に気付いたのか、クレアは悪い考えを振り払うように首を振って船のタラップを上がり始めた。
「ここから先は、ミズハも気を抜かないことね。勿論、何があっても私が護り通してあげるけれど、ミズハの協力があった方が“確実”よりも“確定”に近づけるものね」
ボクはクレアの言う通りに持ち銃――――FNブローニング・ハイパワーを引き抜くと、先行するクレアの見様見真似で構えながら、ゆっくりと船内部への侵入を始めたのだった。




