第三十九理― <隠密>特失課は契約を違えた
名次物流海上基地。
海浜公園から直線距離南東二キロ。突き出た半島沿岸の内海に浮かぶ超大型浮体式海洋構造物――所謂人工浮島を丸ごと利用した、行空含め周辺地域の物流を一手に引き受ける巨大施設だ。
その敷地内には空輸と海運両方の施設が立ち並び、その大部分が昼夜問わず陸海空の流通経路を確保している。
そして、日曜日の夜十時。
ボクとクレアは、そのメガフロートの南端に位置するコンテナ集積場兼特殊輸送船用埠頭――第十六発着場にいた。
正確には忍び込んでいた。
第十六発着場は、このメガフロートでは数少ない夜間操業をしていない区画。夜八時頃には全ての作業を終了し、区画全体が完全に沈黙する。
海沿いに設けられた導灯以外の明かりも落とされているため辺りは暗く、曇っているせいもあって物の輪郭以外はほとんど見えなくなっていた。
ボクがクレアに手を引かれるままに貨物の空コンテナの陰に身を隠すと、同時に十メートルほど離れたコンテナ街の十字路に数人の黒い人影が姿を現した。
「この辺りにいるはずだ、探し出せ」
ややくぐもった無声音の命令が、微かに耳に届く。聞き覚えのない、少し年のいった男性の声だった。
黒いアサルトライフルと闇に溶け込むような漆黒のギリースーツで武装した六人のその一団は安全確認を済ませると、互いに頷き合って音もなく十字路を散開していく。
「敵は六人、二人こっちへ来るわ。隠れるわよ、ミズハ」
慣れた感じでコンテナに背を預けて、様子を窺っていたクレアは無声音でそう耳打ちしてくると、器用に足音を殺しながらコンテナ街の奥の方へと歩き出した。
ボクはクレアに追いつくと、
「もうこんなのやめて戻ろうよ、クレア。皆に怒られるよ……!」
「何を言っているの、先に裏切ったのは向こうよ。私たちは悪くないでしょう?」
心外とばかりにそう言ったクレアは隠れていたコンテナの逆側の角から追跡者たちの様子を窺い、ボクの手を引いて奥のコンテナの陰へ早足で移動する。
ホント、どうしてこうなったんだろう――――話は夕方にまで遡る。
午後五時頃――。
ボクはテレビで毎週放送しているらしいアメリカの長編アクションドラマを見ながら、夕食の材料の買い物に出ている久遠の帰りを待っていた。
しているらしい――――と言うのは、実は今週から見始めたドラマなのだ。
元特殊部隊の主人公が引退後、アメリカの密輸取締局に雇われ、兵器の密輸入をしているという内通者からの情報を元に洋上のタンカーへ潜入する――――という話らしいのだが、一話から見ていないせいかさっぱり内容が掴めない。
テレビ自体もあまり好んで見る方じゃないし、もう見るのやめちゃおうか――――と思い始めた頃だった。
ガチャガチャッ、キィィ。
どたどた。
バァンッ!
「ミズハ、今すぐ打って出るわよッ」
突然、鍵も使わずに部屋に飛び込んできたクレアが息巻いた様子でそう言った。
服装はいつもの真っ白なワンピース姿だったけど、何故か一度頭から水でも被ったみたいに生乾きだった。いつもはさらさらと流れるような金色の絹髪も湿っているように一筋ずつ纏まってしまっている。
思わず「何があったの!?」と聞きそうになったが、寸前で巫女に言われていた「しばらくは平常心を保つ練習をすること」という言い付けを思い出し、喉元まで出掛かっていた言葉を飲み込む。
「あの……クレア、こないだ合い鍵渡したんだから、それで入って――」
「そんなの今はどうでもいいでしょう?」
「いくない」
これ以上無茶な使い方したら、ホントにドアの鍵壊れちゃいそうだし。壊れてると言えばもう壊れてるけど。
「――って、今は? 何かあったの?」
「とにかく早く出掛ける用意をして。事情は行きながら話すわ」
「う、うん……」
クレアは躊躇いなくテレビを消し、ボクは言われるがままに外出の準備を始める。
気を利かせたクレアが廊下に出て扉を閉めたのを見て、ボクは部屋着にしているTシャツとスウェットパンツから、ウインドブレーカーとカーゴパンツに着替えて短い廊下に出る。
すると、玄関で待っていたクレアが『早く早く』とばかりに手招きしてきた。
「ちゃんと帯銃してる?」
「ごめん、ちょっと待って。ホントに何処行くつもりなの!?」
さすがに堪えきれずにツッコミを入れると、クレアは帯銃帯付きの自動拳銃――FNブローニング・ハイパワーを差し出して、無言でにこりと笑ってみせる。
逆らうとヤられる。
直感的に従う方が賢明と判断したボクは、ホルスターをウインドブレーカーの中に吊って、携帯電話と特失課専用端末、PAIDをポケットに入れた――
「何を言っているの。二つとも置いていきなさい」
――ところで、侵入してきたクレアの手に素早く抜き取られてしまう。
「何を言ってるのはこっちの台詞だよ……」
「事情があると言ったでしょう? 携行装備の確認だけしたらすぐに出るわ。あまり時間がないのよ」
結局クレアに押し切られて家を出たボクは、表に止めてあったH2SUT――最初にクレアと出会った時、自動拳銃OA-93のフルオート射撃の盾にされたのと同じ多目的車両の助手席に押し込まれる。
アメリカ車というからてっきり左ハンドルかと思っていたら、イギリスや日本など右ハンドル主流の国への輸出用に右ハンドルの車両もあるのだとか。
日本車に比べると随分と燃費が悪いらしいそれを気に入っているクレアに詳細事細かに聞かされたから、よく覚えている。
「クレア、こんな車運転できるの……?」
運転席に乗り込んできたクレアにそう訊ねると、
「あら、私を誰だと思っているのかしら? 姿は若いままで変わらないけれど、これでもミズハの十倍以上長く生きてるのよ。車の運転くらい――」
不敵な笑みを浮かべたクレアは慣れた様子でエンジンをかける。するとまさに轟音とも言える大きな音を響かせ、車体が息を吹き込まれたように揺れ始めた。
「そう言えばクレア、日本に来るのは初めてだし日本の運転免許なんて持って――」
「――身体で覚えたわ」
「無免許だよね、やっぱり!?」
クレアがハンドルを切りながらアクセルを踏み込むと、Vortec6000V型8気筒頭上弁式エンジンが吼え猛るような唸りを上げ、同時に大きな車体がUターンするように回りながら動き始める。
「クレアも知ってると思うけど、無免許運転は思いっきり道路交通法違反だよ!?」
「あの半人半機の娘も言っていたでしょう? 私たち特失課は法の下の無法者なんだから大丈夫よ♪」
「それはもしバレても誤魔化せる裏技があるってだけで、違反は違反だからね!?」
そうこうしている内にもクレアの運転するハマーは大通りへ出て、海浜公園のある沿岸道路に向かって傾斜を下り始める。
「……伯爵の居場所がわかったのよ」
ハンドルを繰りながら、クレアは急にトーンを落とした声でそう言った。
「伯爵の?」
「つい小一時間ほど前に、また要人邸宅の襲撃があったのよ。今回は偶々“死屍涙々”――釘十字神流が護衛に当たっていたから死傷者は出なかったみたいだけれど」
前からずっと思ってたけど、いくら人外と言っても、あんなルーリャちゃんより小さい子がどうしてそんなに強いんだろう。
「その時に特失課の擁する人工衛星が伯爵の姿を捉えたらしいわ。特失課では今、特務C班を中心に伯爵捕縛のための準備が進められてる」
「え? でもそんな連絡受けてないよ?」
「それが問題なのよ。特失課は私との約束――いいえ、契約を違えたの」
クレアと特失課の間で交わされた契約と言えば、未成年竜族少女略取事件の捜査にボクとクレアを他と平等に参加させること、というあれのことだろう。
確かに特失課が作戦行動のことを伝えなかったら、約束を破ったことになる。
「何かの間違いじゃ……。もしかしたらこれから連絡が来るかも――」
「来ないわ」
クレアはきっぱり言い放った。
「副室長、だったかしら? あのいけ好かない吸血鬼が言っていたもの。“PaGは使うな。現状戦力のみで秘密裡に遂行する”って」
「パグ?」
「あら、知らなかったの? 行空支部上層部で使われている私たち二人の暗号名よ。多分何かの頭文字を取った略称ね」
PaG……プロクター&ギャンブル? さすがに意味がわからないか。
坂を一番下まで降ったハマーは海浜公園の横を通り、沿岸道路を南下し始める。
「じゃあ、今は何処に向かってるの?」
「何を言っているの。伯爵の居場所がわかったと行ったでしょう?」
「え゛、まさか……」
クレアは不敵な笑みを浮かべると、無言で海の向こうに見える人工浮島――通称“名次港”を指し示した。
――そして今に至る。
ボクたちが悪魔伯爵ハルファスの姿が確認されたという停泊中の大型輸送船――K・Wirbelnden号を探してメガフロート内を動き回っていると、ボクらの行動に気付いて止めに来た特失課の擁する特別隠密部隊に見つかって追い回される羽目になったのだ。
しかし対人外の訓練を受けているナイトクリーチャーズにとってもクレアの総合能力は想定の範囲を超えていたようで、最初に見つかった時は瞬く間に撒いてしまった。
それでも逃げられる場所も隠れられる場所も限られてしまう浮島の上、ナイトクリーチャーズは微かな痕跡からボクとクレアの動きを読んで追い掛けてきたのだ。
「クレアって何と言うか……凄い場馴れしてるよね。修羅場馴れ」
「私は呪われた呪いの書。昔から修羅場には事欠かないわ♪」
笑いながら言えることなのだろうか。
クレアは小さな休憩所のような小屋の前で立ち止まって辺りを見回した。
そして、そのドアを一度開いて中を確認すると、今度は閉め切らずに鍵が引っ掛かるようにして止める。
「こっちよ」
クレアは小屋から離れてその正面のコンテナに歩み寄ると、静かに地面を蹴って高さ三メートルほどのコンテナの上に一息に飛び乗ってしまう。
「ミズハ、手を伸ばして」
端から腕を垂らすようにして腹這いになったクレアの手に垂直跳びで掴まると、やはり普通の十代の女の子の腕力ではありえない抜群の安定感で、ボクの身体はコンテナの上に引っ張り上げられる。
「ミズハは軽くて助かるわ」
大鳥瑞端、体重四十八キロ。
「男としては確かに軽い方だけど、物としては普通に重いんだからね……?」
クレアの身体能力の基準値がおかしいことを再認識しつつも、ボクは直方体の貨物コンテナの上に伏せ、辺りを確認する。
コンテナの上は意外にも狭く感じたものの、隣接して横に並べられたコンテナの上には二段目が積まれ、奥の方にもコンテナ街は続いている。一見単純な通路構造だけど、隠れられそうな場所は思いの外たくさんあるようだった。
クレアに次はどうするのかを聞くため、伏せたまま身体の向きを変えると、クレアは人差し指を唇の前で立てて微笑む。
ちょうどその時、眼下の小屋の後ろに置かれたコンテナの陰からクレアの言っていた通り二人分の人影が現れた。
「89式5.56mm小銃……随分とナメられたものね。私をあのくらいで生け捕れるとでも思ってるのかしら」
「ボクは見つかったらすぐにでも投降したいレベルの装備だよ……」
角を曲がるなり、銃口の向きと視線を固定したまま身体ごと向きを変えて周囲を見回す動作――安全確認を再び済ませた二人は無言で頷き合うと、二手に分かれた。そして一人分の人影はやや姿勢を低くして、目の高さに構えたアサルトライフルの銃身を左右に揺らすように索敵しながら、小屋の前に進んでくる。
そして、開いた痕跡のある小屋のドアの前で立ち止まった。
周囲を警戒するように一度見回した人影は、わずかに開いたドアの隙間に銃身の先端を引っ掛けてキィィとドアを開け、すぐに小屋の中に銃を向けた。
その隙を狙い澄ましたクレアは少し身を乗り出し、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「――解放:“振動呪法”」
無声音でそう呟いた途端、眼下で小屋の中を覗いていた人影がぴくっと大きく身震いし――――ぐらっ。
どうっ。
人影は急によろけて倒れたかと思うと、以降はぴくりとも動かなくなる。
「クレア、何やったの……?」
「ちょっと脳を揺らして脳震盪を起こさせただけよ。今の内に装備を奪っちゃいましょう♪」
クレアはそう言うと音もなくコンテナから飛び降り、その人影から89式5.56mm小銃を取り上げ、さらに携帯していた拳銃も帯銃帯ごと奪って自身の太ももに着け始めた。
「修羅場馴れ……」
ボクは、クレアがその人を小屋の中に隠して戻ってくるまでの一分にも満たない時間、呆れながらもクレアの手際に魅入っていた。




