第三十三理― <断罪>鎌とネズミと吸血鬼?
放課後――。
六限目の授業の直後、帰り支度をしていたボクのところに小さな訪問者が現れた。それは気が付いた時にはもう足元にいた。
「ハムスター……?」
机と窓際の壁の間。ついさっきまでカバンが置いてあったその場所に、十センチくらいの大きさのハムスターが後ろ足立ちして、ボクの方を見上げていた。
額の一部の毛が赤い――何というか変なハムスターだった。
それ以外は普通に見えるけど、普通じゃない気がする。確信があるわけじゃなく、普通か普通でじゃないかのどちらかで言えば後者の方という曖昧すぎる第一印象だ。
たっぷり十秒ほどハムスターと見詰めあったボクは静かに椅子を引き、徐にそのハムスターに左手を伸ばす。
そして、二十センチほどまで近づいたところで一度様子を見てみるものの、特に逃げる様子を見せないハムスターを手のひらで掬うように拾い上げた。
手の中でころんと引っくり返ったそのハムスターはもぞもぞと四つん這い姿勢に戻ると、ボクの手の匂いを確認するように鼻をヒクつかせて嗅ぎ回る。
少しくすぐったくなったボクが右手のひらにハムスターを移すと、またころんと横倒しになったハムスターはもぞもぞと起き上がり、同じように嗅ぎ始める。
「可愛い……」
綺麗な胡桃色の毛並みを撫でながら、小動物特有のコンパクトなもふもふ感に思わず口元が緩む。
ところでこれ、誰の飼ってるハムスターなんだろう。毛並みも手入れされているようで汚れもないし、これで野良ハムスター(?)ってことはないだろう。
「大鳥、それハムスター?」
「え?」
ハムスターに和みつつも、それらしい挙動をしている人がいないかと見回していると、突然後ろから声をかけられた。
振り返ろうとした瞬間、思わず硬直する。いつのまにか後ろの席の女子がボクの肩越しに手元を覗き込んでいたのだ。
その距離十センチを自覚した瞬間、ボクはガタンと音を立てながら座っていた椅子ごと後退って距離を取る。
「何でいきなり逃げんの?」
「ご、ごめん。びっくりしちゃって……」
不服そうに眉を顰める彼女の名前は御星朱乃。
普段はかなりの無愛想で、誰とも関わろうとしない一匹狼。授業中もよく居眠りをしていたりと学校からすれば所謂素行不良な人だ。
ただポニーテールという活動的な髪型のイメージに違わず運動が好きなようで、体育の授業だけは生き生きとした彼女の姿を見ることができる。その割に部活に入っていないのが少し気になるけど。
また二‐Dの御星朱里さんの双子の姉で、案外世話焼きで面倒見のいい一面も持ち合わせているためクラスの中でも好感度は高い。
御星さんが話しかけてくるなんて珍しい――――なんてことを考えてよくよく思い出してみると、この席になってから話すのは初めてだったことに気が付く。
「何で学校にハムスター?」
御星さんが頬杖をついて首を傾げる。
「あ、この子ボクのペットじゃ――」
「それはわかってるよ。アタシ、さっきから見てたし。どう見ても大鳥、飼い主の反応じゃなかったし」
「み、見てたんだ……」
ハムスターで和んでいるところも見られていた、ということに気付いたら、急に恥ずかしくなって頬が熱くなる。
「あ、ち、違っ――」
何故か顔を真っ赤にした御星さんが、さっきのボクのように椅子をガタンと揺らして、後ろに下がった。
「前だからってだけで、それだけで……」
目線を窓の外の方に逸らした御星さんは何事かぶつぶつと言っていたものの、ハムスターがボクの手から御星さんの机に飛び降りた途端、何かを吹っ切るように首を振って、ハムスターに視線を向けた。
「ハムスターが学校に入ってきた場合はどうすればいいのかな……」
「どちらにしろ教師に言わなきゃダメでしょ。すぐ持ってったら?」
そう言いながらも、御星さんの目は机上を興味津々で動き回るハムスターの動きを追っていて、一度もブレていなかった。
何となく、その様子を見守る。
食い入るようにしてハムスターの動きを見つめる御星さんの机の下に下ろされた腕が何度も不自然に揺れる。
「……もしかして触りたいの?」
ピクッ。
御星さんの肩が跳ね、全身が引き攣って硬直したような反応を見せる。
「ち、違くて……お、美味しそうだなー、とか……っ」
「食べるの!?」
「あっ、いやっ、そうじゃっ――」
テンパって既に何を言ってるのか自分でもわからなくなってるらしい御星さんが、立ち上がろうとしたのか腰を浮かせた瞬間、不意に横から伸びてきた誰かの手が机の上のハムスターを掴み上げた。
振り返るとそこには――
「私が預かる」
何処か怒っているような表情の巫女がそこに立っていた。
その右手にはたった今掴み上げられたばかりのハムスターが、逃げ出そうとしているのかじたばたともがいている姿があった。しかし、思いの外強く掴まれているのか逃げられないようだった。
ガタッと音がして、御星さんが立ち上がった。見上げると、こちらも眉を吊り上げて怒っている様子だ。たぶんミコのハムスターの扱い方に怒っているのだろう。
「おい、不動律――」
「何」
「――っ……!?」
普段は物静かで、存在に気付かないくらい大人しく振舞っているミコの強い口調に、御星さんが一瞬怯んだ。
その瞬間――――パシッ。
突然、ミコがボクの手を掴んだ。
「行こう、大鳥」
腕を驚くほど強い力で引っぱられ、咄嗟に既に準備は終わっていたカバンを掴む。
「ご、ごめん、御星さん。また明日っ」
「お、大鳥っ……」
教室から引きずり出される寸前――――後ろから聞こえてきた何か言いたげな声に教室の中を振り返ると、最後に見えた御星さんは少し悲しげに伸ばしかけた手を下げる姿だった。
一度戻ろうかとも思ったものの、ミコはいつのまにかボクの指に指を絡めるように握っていて抜けようにも抜け出せない。そのままボクを職員室棟まで連れてきたミコは、周囲の目はまったく気にもせずに屋上に向かう階段を上がっていく。
まださっきのハムスターは捕まえたままだ。
「なんや修羅場か。別に不純異性交遊は禁じられてへんけど、痴話喧嘩なら人目につかんところでな」
職員室に戻る途中らしい二‐Dの担任の月蜉蝣薄羽先生とすれ違い、注意なのか野次なのかよくわからない台詞を投げかけられる。
ボクが「そういうのじゃないんです」と返そうとする暇もなく月蜉蝣先生は足早に去ってしまい、ミコもボクを引っ張ってどんどん階段を上っていく。
「ミコ、何で怒ってるの……?」
「『怒っていない』
と私は心中を客観的に評する。また、
『無闇に人と接触しないで下さい』
と私は警告を発する」
ミコの喋り方が『特失課モード』に変わる。
「人とって、もしかして特失課関係? そんなこと一度も――」
「『ミズハに言っているわけではない』
と私は誤解であることを説明する」
そう言いながら屋上に通ずる扉の前に立ったミコは、乱暴に扉を開けて誰もいないことを確認したかと思うと、右手に掴んでいたハムスターを屋上の壁に叩きつけた。
ぶにゃ、と鳴き声だか擬音だかを上げたハムスターはそのまま下に落ち、ころころぽてんと転がった。
「えっ、ちょっ、ミコ! 動物虐待はダメだよ!?」
「『動物ではない』
と私は断定する。
『人払いは張りました。元の姿に戻らなければ私の鎌の切れ味をお見せしますが――』
と私は丁重に脅迫する」
そう言った瞬間、ミコの手の中に刃渡り一・五メートルはある大きな鎌が現れ、瞬く間にそのハムスターに向けて躊躇いも止める暇もなく振り下ろされた。
ガツッ!
鎌の先端が、屋上に突き立った。
しかしその狙いはわずかにズレていて、その刃の二センチほど隣にはハムスターが後ろ足で立ち、咄嗟に身体を横に引いて避けた、ような格好をしていた。
「『――副室長』
と私は一拍空けてその正体を明かす」
「いや、何。噂の新人を見ておきたかっただけなのだがね」
突然、存在感のある低音ボイスが厳かに響いた。
その声に合わせるように後ろ足だけで立つハムスターがミコを、そしてボクを見上げた。
「『それでそのような格好で?』
と私は言外に安易な行動を責める」
冷ややかな目をハムスターに向けたミコは、さらに追撃を仕掛けるかのように鎌を後ろに引き、横薙ぎの構えを取る。途端、慌てたように壁際に後退ったハムスターは、周囲に目を泳がせた。
「ふ、普通の鼠や蝙蝠で来るよりは、見つかった際の騒動が小さいだろうという判断の上で、同じ齧歯目のゴールデンハムスターにしてみたという事情がだね……」
その答えを聞いてわずかに顔を顰めたミコは、構えていた鎌を徐に下ろし、刃を背中側に向けて足先で固定する。
「しかし鼠の視点というのはこれで案外利点も多いのだが」
「『例えば?』
と私は興味本位で問いかける」
「うむ、実は先ほどから君の履いている下着が見え――」
ザグンッ!
鎌の黒刃が一閃し、壁際のハムスターの身体が上下で真っ二つに分かれた――――が、その瞬間に炭のように真っ黒になったその輪郭が崩れ、黒い煙のようなものに変化したそれはぞわぞわと広がり膨らみ、人の形を形作っていく。
そして瞬く間に黒一色に色彩が生まれ、三十代半ばぐらいの長身の男がそこに出現した。
すらりとした体躯を黒のスーツに包み、整えられたあごひげが特徴的なその男は、さっきの姿の名残のようにそのくすんだ金髪の前髪の部分が変色して赤くなっている。
「初めまして、だな。大鳥瑞端くん。私の名はハルトムート=ヴォルケンシュタイン。君のことは写真で見てはいたのだが、なるほど確かに。これでは書類の備考に記されていた通り、女性と間違えられてもおかしくはないな」
「その書類にそんなこと書いたの誰ですか……」
しげしげとボクの顔辺りを中心に観察するハルトムート副室長の後ろで、再び大鎌を振りかぶるミコの目から怪しい光が漏れる。錯覚ではなく、本当に。
「『テクス』
と私はミズハの要望通り容疑者の名を挙げる。また、
『小動物に変化して、人の下着を覗いた蛮行を綺麗に流さないで下さい、副室長』
と私は断罪の用意を開始する」
「用意っていうか既に完了してる!?」
思わずそう叫んだ瞬間、ミコが物凄い速さで鎌を振り下ろした。同時にハルトムート室長の姿が再び黒い煙のように変わり、素通りした鎌がボクの目の前を上から下に通過する。そして黒い煙は風もない屋上でゆらゆらと動き始め、ミコから数メートル離れた位置で再び元の人の形を取り戻した。
「別に減るものでもないだろう。私は先に戻るが遅れるなよ、不動律巫女」
「『勿論』
と私は命令を受理する」
鎌を消滅させたミコがさっきまでとは一転した態度でそう返すと、ハルトムート副室長は好意的なものではない薄い笑みを浮かべ、再び黒煙となって空中を漂い、柵をするりと通り抜けて何処かへ飛んでいく。おそらくさっき言っていた通り、特失課に戻るのだろう。
「えっと、副室長さんって……人外、だよね?」
「『彼は“血の大公”、所謂吸血鬼』
と私はミズハの問いに答える」
呪本、機械、ドラゴン、クラーケン、神の末裔、黒い鳩に続いて、遂に吸血鬼まで現れました……。




