第三十一理― <試験>ボクは考えるのをやめた
「なんでみんな集合してるの……? っていうかここは何処なの?」
特に説明もなく連れてこられたボクは、とりあえず辺りを見回す。
幅十メートル、奥行き三十メートルほどの長方形の細長い中庭だった。
中央の小さな円形広場と十字に交差して建物の中に通じる扉へ導く赤レンガの歩道。円形広場の円周には小さな花壇があり、それ以外の部分は芝生が敷かれている。
小綺麗に纏まってはいるけれどこれといって特徴はない、何処か学校のような施設の中庭。そんな印象の場所だった。
ボクと紙縒さんは、その長い方の歩道の片側、その中ほどに立っていた。
しかしそんな普通の場所――――中央の円形広場の前に、およそ普通とは言えない面々がボクを待っていたかのように左から巫女・テクス・リリス・ミルア・ラウラ・ルーリャ・不夜城先生・クレア・久遠の順に並んでいた。
そしてボクの視線は、ごく自然にその内の数人――――普段とは違う格好をしていたリリス、ラウラ、久遠に引き寄せられた。
まず、リリス。
いつもは行空高校の制服に薄黄色のカーディガンを合わせている彼女は、肌に密着するような白いスーツの上から、肩・腕・脚・胸・腰に、鋭いフォルムの蒼銀二色の機械装甲を装着していた。その背後にも太いコードで繋がれた細長い機械が一対浮いている。
たぶん、あれがリリスさんの本来の戦闘スタイルなのだと直感した。初めて会った時に何もないところから色んな武器を出してきたように、リリスさんは現代科学とは次元の違う科学技術を駆使している。あの機械装甲も、おそらくそういう技術の産物なのだろう。それを身体に装着することで、自身を兵器化してしまうのだ。
次に、ラウラ。
普段の彼女が着ているのは少し古風な印象を受けるドレス風の洋服。
でも今は胸・肘から先・腰・脚を白い鱗や甲殻で覆ってそれ以外は素肌という随分と露出の多い鎧のような姿だった。その背中では大きな翼が緩やかに羽搏き、その足元では鋭いトゲのようなものが先端についた尻尾がゆらゆらと揺れている。
その姿は昨日の騒動でも見た覚えがある、半竜人化擬態という姿だ。久遠が不夜城先生と話していた時に耳にしていた言葉を、後でクレアに教えてもらったのを憶えている。
確か竜族が竜として住みにくくなった頃、人の姿に擬態するようになった一部の竜族が人の姿を取る利便性を戦闘にも生かすことができないかと編み出した人化擬態技術の亜種、という話だった。なんでも当時はドラゴンにも匹敵する伝説上の怪物がたくさんいて、今でこそ強力なイメージばかりが残っているドラゴンでも戦いに敗れることはままあったそうだ。それでも半竜人化擬態を用いるようになってからは、竜の強大な身体能力やブレスを小回りが利く人の身体で行使する彼らを恐れるものは多くなったのだとか。
そして最後に久遠。
今日も学校に来ていたはずなのに、赤い着物に着替え、黒っぽい帯を締めていた久遠は、背中のカラスのような黒い翼を控えめに広げていた。
カラスと形容しておいてなんだけど、その翼はカラスよりずっと羽根の数が多い精緻な造形になっている。話を聞いた限りは、鳥というよりはやっぱり天使や神の翼に近いのだろう。神の力を失い堕とされた神、というフレーズだけ見ると何となく堕天使をイメージするけど、堕とされた先が地獄ではなくこの世界だったというだけで、ある意味近いものなのかもしれない。
ちなみに、こう見えても『特失課に入りたい』と思うようになってから結構勉強はしているのだ。とは言っても世界中の伝承や伝説を調べてみたり、クレアに話を聞いたりする以外にやれることはなかったけど。
特失課が扱うような情報は基本的に隠蔽されてるだろうから当然だ。
「ここは特失課の施設のひとつよ。ちょっとした研修施設みたいなものだけど、私の飛天式で飛びやすい場所だったってだけで今は特に関係ないわ。さ、こっちに来て、ミズハ」
紙片を持った手をひらひらと振って招く動作をした紙縒さんは、一人ですたすたと皆の方に寄っていく。見ると、たった今使っただけの『式紙・飛天式』の紙片は、いつのまにか無数のシワが入ってくしゃくしゃになっている。
もしかしたら紙縒さんの式紙は使うとあんな風になってしまうのかもしれない。
結局これは何の集まりなんだろう――――と思いつつも紙縒さんの後ろに附いていくと、皆のところまであと三メートルほどのところで、突然紙縒さんが足を止めた。
ボクも、思わず立ち止まる。
「――ミズハ…………ううん、大鳥瑞端」
紙縒さんは、振り返ることなくボクに背中を向けたまま静かにそう言った。
「は、はいっ……」
さっきから何となく感じていた緊張がフルネームを呼ばれた時点で急激に高まり、背筋が強張るのを感じながらそう答えると、紙縒さんはすっとボクの方に身体を向けた。
何処となく鋭い視線が、ボクを射抜く。
「ここに、貴方がこっち側に関わるようになってから出会った人が九人、私を含めて十人いる。この十人の中で、貴方にとって一番大切な――かけがえのない相手は誰?」
「大切な……?」
「ええ、最も大事な一人だけを選んで。三分だけ待つわ。いい? 一人よ」
「う、うん……」
何処か気恥ずかしさも覚えながら、全員の顔を一度だけ流し見る。
「くー、かな」
ボクがすぐにそう言うと、久遠は嬉しそうに頬を染めた。
「理由は?」
紙縒さんにそう言われて、ボクは思わず押し黙った。
久遠を選んだ理由はある――――けどこれは言えない。本人にも、他の人にもこれだけは言えない。でも理由らしい理由は、他に何も思いつかなかった。
「理由なんて、大事だから以外にない。ボクにとって、くーは特別だから」
少しだけ、ぼかすような言い方に留める。唯一の理由を、こんなところで言いたくはなかったから。
でも大事だと言った相手に隠し事をしている後ろめたさを思い出してしまったボクは、もう久遠の反応を窺うことができなかった。
「そう……。じゃあ、これでどう?」
ボクの目が、紙縒さんが背中に挟んでいたらしい拳銃――FN ブローニング・ハイパワーを引き抜く瞬間を捉えた。
そして、その銃口が久遠に向けられるまでも――
「またね、久遠」
――捉えた。
パァンッ!
ブローニング・ハイパワーが甲高い銃声を響かせ、次の瞬間、久遠の左胸からパッと赤い華が散った。銃声の余韻は空へ抜けるようにあっけなく消え去り、嘘のように静かになった中庭にブローニング・ハイパワーから弾き出された薬莢が赤レンガ歩道に落ちたカラーンッという乾いた金属音が響く。
目を大きく見開いた久遠の瞳孔がぐるぐると危なげに揺れ動く。その視線は自身の胸に一度降りると、銃口から硝煙を吐き出すブローニング・ハイパワーを経て――――ボクに向けられる。
声も、出せなかった。
久遠の身体がぐらりと傾き、何の抵抗もなく地面に倒れる。そしてその身体の下から、じわじわと赤く濁った液体が染み出してきて、みるみるうちにその面積が広がり始める。
「え……?」
思考が停止する。
「今、彼女の左心室から繋がる大動脈を撃った。火喰鳥は人外だけど、耐久能力はそれほど人と変わらないみたいだし。この出血量なら、たぶん当たったと思うけど、何れにせよこれで久遠は十中八九すぐに死ぬでしょうね」
紙縒さんが、ぴしゃりと言い放つ。
銃を持つ手は震えることもなく――躊躇いはまったく感じられないほど自然に下ろされていた。
「死ん――――死……!?」
ようやくボクの頭は、現状を――現実を理解した。
久遠の身体からどんどん血が流れ出していく。
「動かないで」
パァンッ!
駆け出そうとした瞬間、紙縒さんに足元の地面を撃たれて思わず萎縮する。
「まだこっちの話は終わってないわよ、大鳥瑞端。昔から特失課入りを望む一般人はこうやってその覚悟を試された。任務のために大切な相手でも犠牲にできるか、身近な者の屍を踏み越えて尚も前に進めるか。これは、それを問うための特別遺失物取扱課流の通過儀礼――――“無力難題”」
紙縒さんの持つブローニング・ハイパワーが、ボクに向けられる。
「ちなみにこの銃は昨日現場で回収しておいたアンタの持ち銃よ。この儀式が終わったら正式に返してあげるわ」
儀式……!? 儀式って何なの――――と無意味に混乱する思考を切り捨て、ボクは紙縒さんと紙縒さんの手のブローニング・ハイパワーを睨みつける。
今はとにかく、久遠の元へ……!
その時、紙縒さんの目が一瞬揺れ、背後に並んでいる他の八人の方に意識が移った――
「リリス、ボーダーお願い。……って!?」
――瞬間を狙って、ボクは射線から外れるように身体をズラしながら紙縒さんに肉薄した。
驚いたように目を見開いた紙縒さんの唇がキッと引き結ばれる。
パァン! と突然、耳元でブローニング・ハイパワーが銃声を轟かせた。ボクが予想外の行動を取ったせいで、咄嗟に撃ってしまったのだろう。でもその銃弾はボクの肩のずっと上をすり抜けていき、その間にボクの腕が紙縒さんの銃を持つ右手を捉えた。
「なっ……ちょ、ミズハ!」
紙縒さんが焦ったような声を上げる――――けど、もう遅い。
ボクは紙縒さんの腕を捻りつつ、紙縒さんが軸足として重心を乗せていた左足に足を引っ掛け、すり抜けざまにさらにその手を捻ってブローニング・ハイパワーを取り上げた。
ドサッと紙縒さんの倒れる音を聞き流したボクは、ブローニング・ハイパワーを芝生の上に投げ捨てながら久遠に駆け寄り、その前にしゃがみこんで抱き起こす。
地面に突いた膝が生温かい血溜まりにべちゃりと浸り、鉄のような匂いを空気中に巻き上げた。
久遠の着ていた鮮やかな赤い色の着物は別の濃い赤色に染まり、その左胸に空いた穴からはまだどくどくと血が流れ出している。押さえても――――止まらない。
何をしたらいいのかもわからない。
どうすれば、久遠を助けられるのかもわからない。
何もかもわからない。何でこんな――
「おい、もう充分だろ、紙縒」
その時、テクスの何処か叱責するような声がその空間に響いた。
「『私は元からこの試験方法には不服があった』
と私はブリーフィング時の主張をもう一度蒸し返す」
「……鬼畜」
「だーッ、もう、んな続けざまに責めなくてもわかってるわよ! ラウラ、アンタ日本語で喋りなさいよ、フランス語はわかんないわよ! そもそも私の責任じゃないでしょ、これは――――ッ!!!」
ミコとルーリャの声がテクスに続き、紙縒の怒声が響いた。
そして思わず顔を上げそうになってふと久遠の顔を見ると、その綺麗な黒髪共々血に塗れた顔は――――微笑んでいた。
「みっくん……!」
「ッ!?」
次の瞬間、後ろから聞こえるはずのない人物の叫び声が聞こえた。異常な展開に思考がまたフリーズしたボクは、思わず無造作に――無意識に振り返る。
途端、どんっと胸の中に何かが飛び込んできた。
「ごめんなさい、みっくん! ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……ごめんなさい……っ」
「くー!?」
制服姿の久遠がボクに半分抱きつくようにしながら、目からぽろぽろと涙を零していた。
その時、急に腕の中が軽くなったように感じた。
と思うと、さっきまで久遠だと思っていたその人がむくりと起き上がった。
「あー、もうっ! こんな役二度とやりたくないっ。真似事とはいえ、じゃんけんで負けたぐらいでどうして友達の姿した友達を殺す体験しなきゃなんないのよ!」
「いや、それ言ったら死なないとは言え友達に銃撃ち込まれるボクはどう反応したらいいんですかね?」
血を大量に吸っているらしい着物を着崩しながら血の海から起き上がったその人は、久遠の声のまま――――だけど、何処かで聞いたことのあるような喋り方でそう言った。
「アンタは死なないから、別にいいでしょうが」
「何度も言ってますけど、致命傷は死ぬほど痛いことには変わりないんですからねー♪」
「なんで嬉しそうに言うのよ、ドM?」
さらさらと、久遠の姿をしていたその人の輪郭が砂のようになって崩れていく。
そしてその次の瞬間には、やっぱり何処かで二度ほど見たことのある人物――――地球儀破壊爆弾の人、ことアプリコットさんが目の前に立っていた。こっちにピース突き出したポーズで。
黒髪は茶髪に変わり、黒い瞳は赤い瞳に変わり、さっきまで全身に被ったようになっていた大量の血は完全に消え失せている。
「これ……どういうことなの……?」
ボクは若干泣きそうになりながらも、何とかそれだけ搾り出した。




