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終極限界のクレアツィオーネ  作者: 立花詩歌
第一章『チェインド・ドラゴン』
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第二十五理― <後悔>空を駆ける竜は地に落ちた

 いつ以来かしら……。

 この姿を――この忌まわしい姿を誰かに見せるなんて、もう二度とないと思っていたのに。してや私が呪術書として使われることなんて、百年と十一年前に最後の主人を()()()時にもうありえないと思っていたのに。

 まさかそれも人助けのためだなんて、こんなことは初めてだった。

 呪うことに傾倒し呪うことに特化したせいで、憎悪・嫉妬・怨恨・羨望・憤怒・忌避とあらゆる陰鬱な感情を受け止め続け、私はその度に修復不可能なまでに歪んだ結果を持ち主の望むままに与え続けてきた。

 望むまま、に……。

 私を手にし、そして実際に使用した所有者オーナー七十一人。

 その中で本心からその結果を望み、結果を目の当たりにしても一抹の後悔すら覚えなかった者はほんの一握り。

 それ以外は自らが願ったはずの結果を受け入れず、全てを私に責任転嫁した。

 物言わない本に何をしたところでその歪みつつも正当な結果は変わらないし、私は彼らの望み通りにそれを実行しただけ。

 いな、私には実行を拒否することはできないし、実行できるだけの条件を自ら揃えて呪術を行使したのは彼らだ。

 私の力がそういうものだと知っていて、私の本質なかみがそういうものだと理解した上でそれを実行に移した。

 私の存在が悪い、それも一理。だからこそそれ以上に彼らが悪い。

 私にとって弱者は守るべき存在で、愚者は愛すべき存在だ。だから私はいつだって弱者と愚者の味方だった。

 そう。私はいつだって()()()()の味方だった。

 弱者にこそ力を貸してきたし、愚者にこそ知恵を貸してきた。()()()力に逃げたのは彼らだし、()()()知恵にいざなわれたのは彼らだ。

 そして一度私を――甘い匂いを放つ呪術()を逃げの手段として使った彼らは堕ちていく以外に道はなく、そのほとんどは当時はただの呪術書だった私の自己防衛の無意識によって呪殺された。

 そう、繰り返すけれどこんなことは初めてなのだった。

 自分のためではなく他人のために私の力を使おうとする人。害するためではなく守るために私の力を使おうとする人。

 大鳥おおとり瑞端みずは

 勿論もちろんそういう人間がこの世の何処かにはいるのだろう、と何となく察してはいた。わかってはいた。

 でもこれが初めてだった。

 私にとっては、彼が初めてだった。

 同時に嬉しかった。

 こんな人間もいることが、反例が現れて初めて確信を持てることが嬉しかった。


 ――だから、つい()いてしまった――


 私は、ああ――なんてことを……。

 殺してしまう、ミズハを。

 私のせいで、殺してしまう。

 私を信じてくれた人を、初めて見つけた反例を私が殺してしまう。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。力を貸すだなんて、全てをゆだねるだなんて――。

 ――そんなことは不可能なのに……。

 考えればすぐにわかることだった。

 私は呪詛じゅその書。悪意と害意に反応して発動する凶悪な魔本。


 悪意も害意もない今のミズハに、私の力を行使できるはずはないのだから――――。





「これがクレアの……」


 ボクは独りでに空中に浮くその本『Creazione E Distruzione』にゆっくりと手を伸ばし、その指先で表紙に触れた。

 途端――――カッ……!

 触れた部分から閃光がまたたき、驚いて腕を引く。するとすぐに光は止み、本はふわふわと浮いたまま少しずつボクの方に近づいてくる。

 その時、


『大丈夫よ』


 突然、その本がわずかな光を帯び、頭の中にクレアの声が響いた。


『大丈夫だから、触りなさい』


 そんな声が聞こえると、本は再び淡く光った。

 どうやら喋っている間だけ、本が淡い光の膜みたいなものに包まれるみたいだ。

 ボクが恐る恐る背表紙を掴むように触れると、再び触れた部分から目映まばゆい光が漏れた。

 透明感のある白光――――だけどやっぱりそれは暖かい光ではなく、何処か寒気を覚える冷たい光だった。クレアに大丈夫と言われていなかったら、すぐに手を放していたかもしれない。そう思えるぐらい清浄さとはかけ離れているように感じた。

 呪術に特化させているとはいえこれが魔導書の原典なのかと思うと、今までにRPGロープレ等から得ていたイメージは全て捨てることになりそうだった。


Creazione(クレアツィオーネ) E() Distru(ディストル)zione(ツィオーネ)――これが私の本名で本質で……本性よ』


 『クレア』は、再びうっすらと光を放ち、頭の中に声が静かに響く。その声色は何処か沈み気味で、心なしか元気がないように聞こえた。


「この状態でも喋れるんだね」

『ミズハはホントにリアクションが薄いわね。私としては話が早くて助かるけれど』


 もう何でもアリって一度思うと、ちょっとやそっとじゃ驚かなくなる。特に目の前に出された時は、こういうものだからって納得しちゃうのが早々癖になっていた。理屈で考えるには知識が足りないし、それなら理屈抜きで飲み下しておくしか選択肢がなかったりするのだ。


「これは?」


 ボクは表紙の右下端に書かれた『Red Chamael』の手書きの文字に触れる。


『……レド=カマエル。私を作った()()()の名前よ』


 著者ということだろうか。


『……日本語で言うなら、表題は“創造と破壊”になるかしら。大層な名前が付けてあるけれど、実質的には人に害為す呪法が数多く記された――――ただの危険物ね』


 クレアは自嘲気味にそう言うと、続けて『使い方、なんて説明できるようなものはないけれどサポートはするわ』と言ってボクをうながしてくる。少し遅れたかも、とボクもうながされるままに玄関で靴を履き直し、古いアパートらしく自然に閉まりきっていなかったドアを押し開ける。

 その時、手元でまた『クレア』が微かな淡い光を帯びた――


『――()()()()()、ってことも……』


 ――気がした。


「クレア、今何か言った?」

『いいえ、何も言ってないわ』


 見間違いだったみたいだ。多分急に薄暗い外に出たから部屋の明かりか街灯の明かりが本を照らして一瞬だけ光って見えたんだろうと思考放棄もとい結論付けて、『クレア』は両手で抱えたままなかば飛び下りるように階段を駆け下りる。

 そしてルーリャとラウラの二人、そして一際目立つだろうヴィーヴル・エステルの姿を探す。

 右も左も、正面にもいなかった。

 あれ? と三人の行方がわからなくなった時、


「こっちですのッ!」


 ルーリャちゃんの声が頭上から聞こえてきた。

 咄嗟とっさに空を仰ぐと、ほぼ同じタイミングで入れ違いにゴシック調のエプロンドレスのスカートが、もといルーリャが上から降ってきた。同時に勢いを殺すためか先行して地面に到達していた触手がボクの両肩に絡み付き――――ぎゅるんっ!


「……ってちょっとぉ!?」


 ボクを中心に触手を使って螺旋回転しながら、すたんっとルーリャがうまく着地した。落ちてきたルーリャの運動エネルギーを回転を加えられた状態で受け取ったボクの両肩は強制的に螺旋回転に巻き込まれ、構えすら取れずにべちゃっと背中から地面に叩きつけられる。

 幸いだったのは『クレア』が下敷きにならずに済んだことぐらいだった。

 と同時に必然的に上を向いた視界に、上空で飛び回る小さな影と大きな影が飛び回りながら何度も接触し、火花を散らしている所謂いわゆる非現実的な光景が飛び込んでくる。

 勿論もちろん小さい影は槍のようなものを構えたラウラ、大きい影はヴィーヴル・エステルだ。


「遅いですの! 一体全体何をやってっ――――あの女はどうしたですの?」


 その視界にひょこっと顔を出したルーリャが、腰に手を当てた仁王立ちでボクを見下ろしてくる。

 そしてボクが一人なのを見て、はて? と首を傾げたルーリャは、すぐにボクの抱えていた『クレア』に気付いてきょとんとした表情を浮かべた。


「ルーリャちゃん、とりあえずパンツ見えてるけど」

「ですの!?」


 そんな時でも語尾の『ですの』は健在なのか。

 まったく意識していなかったらしいルーリャは、バッと触手でスカートを押さえて飛び退くと、茹でダコみたいに顔を真っ赤にしてボクを見下ろしてくる。


「――って、大鳥オートリさんはどうして事も無げにそれを言えるんですの!?」

「見た目ボクよりずっと子ど――幼いから……?」


 起き上がりながら素直にそう答える。


「私は十六歳だと何度言えばわかるんですの!? 今絶対子供って言おうとしたですの!」


 そうは言われても、それを意識するには色々とクリアしないといけない障害がありそうだった。


「どうして私だけ意識しなきゃいけないですの! 不公平ですの!」

「あ、そうだ。一応、これがクレアだよ」

「軽くスルーしないでくださいですのッ!?」


 両手とエプロンドレスのスカートを押さえていた二本の触手を天に突き上げたルーリャはそう叫ぶと、突然ぴたりと動きを止め、ぎぎぎっと調子の悪い機械みたいに顔だけボクの方に戻した。


「――ってあの女、原典だったんですの!?」


 不謹慎だけど、この子面白い。


「知らずに当てにしてたの……?」

「き、聞いたような覚えがですのっ……。あるですの! 知ってるですのっ」

『前に見た時から薄々思っていたけれど、悪い意味で楽しいわね、この子』


 クレアのボソッと呟くような声が頭の中に響いた。


「ひ、光ったですのっ!」


 ババッと、ルーリャの後ろで触手が動く気配がする。


「これは大丈夫、それよりエステルさんを早く何とかしないと……」

「それはそうですのッ! むしろそれが本題ですの!」


 むしろも何もそれ以外には副題もなかったと思う。


「先ほど応援の連絡が来たですの」


 ルーリャはそう言って、ポケットから取り出したPAIDペイドをボクに見せてくる。

 そこには四ケタの数字が並んでいた。

 ――05:52――

 さらに一ケタ目は一定時間毎に数字が小さくなっていき、それに合わせて二ケタ目も少しずつ減っていっている――――特失課の応援が来るまでのカウントダウンだ。


あと六分ぐらいならたせられるかな」

「わからないですの。正直さっきの直接接触で私じゃ時間稼ぎにもならないことは確定してるですの。今は半身人化擬態プレ・エクストレームのラウラが何とか拮抗を――」


 グシャッ……!

 ルーリャが空を見上げた時、物凄い速さで降ってきた何かが地面に叩きつけられた。同時に何かが潰れるような音がして、足元にビチャッと液滴が飛び散る。

 ボクとルーリャがそれを確認するより早く、もうひとつ降ってきた細長い金属棒が近くに落下し、地面にぶつかってガラガランと派手な金属音を響かせる。

 それはラウラの持っていた槍と鎚の一体化した武器だった。

 そして最初に落ちてきたのは、()()()だった。さっき着ていた服とは違う、全身に露出の多い鱗状の鎧のようなものを着けていたが――――それは確かにラウラだった。

 上空から地面に叩きつけられたせいかその前に付けられていた傷なのか身体中の裂傷やあざが酷く、地面に蜘蛛の巣状に広がった亀裂にはおびただしい量の血溜りができていた。


「ラウ……ラ……?」


 ルーリャの呟きが、小さく漏れる。

 同時に上空から街全体を震わせる程に大きな、しかし悲痛で痛々しい感情の込められた咆哮が響いた。


大鳥オートリさん、ラウラを頼みましたですの……。私はあのお馬鹿ドラゴンを引き摺り下ろしてやるですの……!」


 ガンッと重い音がしてアパート前のコンクリートが砕け、ルーリャの姿が掻き消えた。

 一瞬だけ残る青白い残像――――それを思わず目で追うと、ルーリャが跳躍の経由に使ったらしい電柱が中心辺りで砕けて折れた。さらに上に視線を向けると、ルーリャはホバリングしていたヴィーヴル・エステルの眼前にまで飛び上がっていた。


「クレア、ルーリャちゃんが時間稼ぎをしてくれてるからその間にラウラちゃんを助けよう」


 ラウラに駆け寄りつつ、ずっと抱えていた『クレア』に改めて視線を落とす。

 でも、クレアの返事はなかった。本が光ることも。


「クレア? クレアが使ったって言ってた蘇生の魔法があるんだよね」

『あれ、は……一時的にしか……』


 途切れ途切れのクレアの声が、頭の中で響く。その声は、震えていた。


「一時的でも今はそれしかないよっ。とりあえず早く……どうすればいいのっ?」

『私……私は……』


 聞こえてくるクレアの声は段々と震えが増し、何処か感情的になってきた。


「クレアッ、どうしたの、クレア!?」

『私は……なんてことを……、こんな……!』


 その声は、あの時と。

 海浜公園でボクが一般人ノーマルだったと気付いた直後と同じ感情が――自己嫌悪と後悔がそれとわかるほどに込められていた。

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