第二十一理― <参考>でもあまりにも外れ過ぎていた
放課後。
ボクは事前に連絡しておいた待ち合わせ場所で空を見上げなから、衣笠紙縒さんを待っていた。
職員室棟の屋上だ。
すぐ下が職員室であり、放課後という時間帯も相俟ってボク以外は誰もいない、相変わらずの静けさだった。
あるのは、少し強い風の音くらいだ。
(来ないな……)
時刻はもうすぐ四時半を回る。返信はあったから気がついていないことはあり得ないし、もしかして何かあったのだろうか。
そんな不安が募ってきた頃、後ろの扉の方からガッと謎の音が聞こえてきた。
振り返ると、扉がカタカタと揺れている。いや、反対側から開けようとして開けられないみたいだ。風のせいだろう。
「ちょっと待っててっ」
一枚隔てた向こう側にいる誰かにそう声を投げ掛けつつ扉に近付き、ノブに手を掛けると扉を強く引く。
(あれ……?)
確かに重くはなっていたけど、思ったより軽い抵抗に驚きながら扉を開ける。
その向こうには、何故か息切れしている様子の衣笠さんが膝に手を突いて休んでいた。
「ど、どしたの、衣笠さん」
そんな姿でも何処となく気品を感じる可憐な衣笠さんにどきりとしながら、なんとかそれだけ訊いてみる。
「はぁ……はぁ……。ううん、何でもないわ。康平と一回帰ってから支部に寄って、その後だったからちょっと急いで来たのよ。ありがと、助かったわ」
狗坂康平。
衣笠さんの幼馴染みで、彼女と付き合っているとかいう噂も立っているなど彼女の知名度に付随する形で有名人だ。
何回か見かけたこともあるけど、特別個性的な特徴を持っているわけでもないようだったのにその割には存在感が大きい、という印象を覚えたのを憶えている。
「もしかして迷惑だったかな……。ごめんなさい、また別の日でもよかったのに」
「いいのよ、気にしないで。それと私のことは紙縒でいいわ」
「え、でも……」
「関わりの薄い人だけ名字で呼ばせるようにしてるのよ。だから特失課関係者は例外なく名前で、ね。わざわざフルネームで呼ぶ連中もいるにはいるけど」
衣笠さんはそう言いながらベンチに歩み寄り、ストンとそこに腰を下ろす。
「じゃあ紙縒さんって呼ばせて貰うね」
「それでいいわ」
猫を被っていない――というか自然体の紙縒さんは前に会った時の少しキツいイメージがあったけれど、今日の彼女はそうでもないみたいだ。
「それにしても、紙縒さんって意外と非力なんだね」
隣に座りながらボクがそう言うと、紙縒さんは扉の方をちらっと見て、
「……まさかそれ、馬鹿力のイメージがあったってことじゃないでしょうね?」
ジト目。
「あ、えっとそういうつもりは――」
「どうせあの馬鹿が何か言ったんでしょ。別にいいわよ、もう……」
紙縒さんは悲しげに目を伏せると、しゅんとした様子で項垂れてしまう。泣きそうと言うほどではなかったけど、落ち込んでいるのは歴然だった。
「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど……。テクスから紙縒さんが一トンのメイスを使うって聞いてたからつい……」
「一トンじゃなくて九百八十キロよ」
「使うところは否定しないの!? その桁と単位になると二十キロなんてあんまり変わんないよね!」
「それ以上になるとさすがに持てなくなるのよ――――片手じゃ」
「片手基準!?」
「そんぐらいじゃないと化けモノ共の相手なんか本気でやってらんないのよ」
あれ? 紙縒さんの語調が少し変わった気がする。具体的には言葉の中に若干の苛立ちが混じってきたというか――。
「っていうか本題に入るわよ。メールにも書いてあったけど、アンタ、ホントに特失課の採用試験受ける気なの?」
「あ、うん、そのつもり……だけど」
「……アンタが?」
さっきとは違う意味で視線が痛い。
「やっぱり無理かな……?」
「別に無理とは言わないわよ。私はまだアンタのことは書類上と人伝の話でしか知らないけど、確率だけなら決して低くはないだろうし。そうなるとやっぱり戦技審査が問題でしょうね」
「戦技?」
「戦闘能力・戦闘技術審査のことよ」
巫女が言っていたのと同じだ。
「ミズハみたいな一般人から理解側になった連中が一番落とされるトコね。銃や剣とかの武器の扱いも現代日本じゃ慣れているわけもないし、魔術なんかは存在すら知らなかったんだから精通しているなんてありえないし」
「紙縒さんは通ったんだよね?」
「ううん。私は、まぁ特例みたいなものよ。受けたのは人物審査だけ」
人物審査だけ……?
「どういうこと?」
「私、人外に襲われたことがあるのよ。ミズハは憶えてる? この街で五年前に起こった、二十八人もの人が行方不明になった連続失踪事件のこと」
「うん、一応……憶えてる」
「当時は随分と騒がれて、表向きはまだ未解決にはなってるけど、実態は受呪者が起こした無差別連続殺人事件よ」
「受呪者……!? ってことは呪いの……?」
「えぇ――」
紙縒さんは突然立ち上がると、ボクの方に向き直って「立って」と言った。
ボクがとりあえずそれに従うと、紙縒さんはポケットからシワも折れもない縦に長細い長方形の一枚の紙片を取り出し、同じように取り出したボールペンでその紙片に何かを書きつけると、
「『絶式』式動」
ピンと立てた人差し指と中指でその紙片を挟み、目の前に掲げてそう言った。
途端――
「あれ……?」
――急に、ここから離れなきゃいけないような気がし始める。そして咄嗟に駆け出そうとした時、紙縒さんに後ろ襟を取られて引き止められた。
「手を出して」
大人しく従うと、紙縒さんはその真ん中やや上寄りに『絶』の一文字が書かれた紙片を、差し出したボクの手の甲にそっと置き、その手をゆっくりと上げるとその紙に――ボクの手に唇を付けた。
「なっ、なにっ、をッ……!」
思わず手を引いて背中に隠すと、紙縒さんは一瞬きょとんとした表情を見せると、くすりと笑った。
「今使ったのは人払いのための術式――つまり魔法よ。私のこれは式紙って言ってちょっと……じゃないレベルで特殊だけどね」
「人払い……?」
そう言えば最初にクレアと会った時、特失課がそれを使っていたとクレアに聞いたことがある。
「これを見られるとマズいしね」
その時――――ガツンと重厚な音がした。
紙縒さんの手に突然現れ、屋上に微かなヒビを入れているのは柄の付いた白銀色の光沢を放つ金属塊――――持ち主の手にはそぐわないほど無骨な形状のメイスだった。
言葉を失っているボクを前に、紙縒さんは片手で軽く持ち上げて見せたそれを横に翳すと、
「――『喰式“黒壷”』式動――」
紙縒さんの目が、刃のようにすーっと鋭くなった。
次の瞬間、メイスのやや上に黒い小球が現れ、ぼこぼこと脈打ちながら瞬く間に肥大化する。
「これがその犯人、殺人器“黒壷”よ。今は私の使い魔として縛ってあるからコイツ自身の意志では何もできないけど」
気がつくとそこには、何か黒々としたモノに覆われた巨大な壷が浮かんでいた。
「これが……あの事件の犯人……!?」
「実際には人じゃなくて元人間って言った方が正しいんだけどね。この壷に同化してる意志はこの壷の本来の所持者だった殺人鬼“黒子御影”。黒子御影は所謂猟奇無差別殺人犯。頭のネジのハジけた男でね。生前には既に呪われてた。コイツを危険と判断した当時の特失課に殺された後も、こうして壷に残って同じ事を繰り返すくらいにはイカれてた」
初めて見るボクが珍しいのか、黒壷は表面のうねうねと黒いモノを全体を揺らしながら、紙縒のメイスの近くを回っている。その拍子に見えたのは、まるで膜のようにぱっくりと開いたその中に並び立つ無数の牙のようなものだった。
思わず――――ぞっとする。
「さっき、人外に襲われたって言ってたよね? まさか……」
「そのまさかよ。当時十二歳だった私は、路地裏で人を襲った直後のコイツを見ちゃったの。今思い出すだけでも吐きそうになるけど、話の主旨は別になるから置いておいて、結果だけ言えばその時私は一般側から理解側になって、特失課というものを知った。その時に勧誘されたのよ。特失課で働いてみないかってね」
「…………十二歳のか弱い女の子を?」
「結果だけ見ればね」
特失課っていったい……。
「でも勧誘されたってことは何か理由があるわけだよね?」
「黒壷から逃げたのよ」
「えっと……?」
説明を下さい。
「正確には黒壷から逃げ切った、だけどね。特失課が黒壷を捕縛するまで、夕方から夜にかけての四時間ぐらいの時間をちょっとした車並みの速度で浮遊移動する黒壷から逃げ切ったの」
「四時間!?」
「昔から運動も得意だったからなんだけど、その身体能力を買われたってことね」
ちょっと実感湧かないけど、多分凄まじいこと言ってるんじゃないだろうか。
「…………小回りが利いて空も飛べる車から四時間逃げ続けるのと同じってことだよね?」
「…………まぁ、そんな感じよね」
ボクと紙縒さんの間に静寂が漂う。
「――ま、まぁ私のことはいいのよ。とにかく特失課に入りたいなら、誰かに戦い方を教えてもらう他ないわ。でも私は使う魔法は特殊過ぎるし、メイスの近接戦闘も基本的には身体能力頼りだから私に教えられることは何もないわ。力になれなくて悪いわね」
紙縒さんが蠢いていた黒壷をメイスでこつんと小突くと、黒壷はしゅるしゅると小さくなって煙のように消えていった。そしてそのメイスも紙縒さんの手の中でパッと光って消える。
これも魔法なのだろうか。随分と便利そうだけど。
「ううん、話を聞けただけでもよかった。後は他の人に当たってみるよ」
「そ。話だけならいつでもいいから呼んでいいわよ。ただし康平は特失課とか理外側のことは何も知らないからそれだけは気をつけてね」
「うん、了解」
ボクの答えに微笑んだ紙縒さんはうーんと伸びをすると、
「それじゃ、帰るわ。頑張ってね」
そう言って、最後にウィンクをして帰っていった。
また一人になったボクはベンチに腰を下ろして、紙縒さんから聞いた話を反芻しながらこれからのことに考えを巡らせる。
「戦い方か……」




