第二理― <邂逅>そして日常はまたズレ始める
「さて……と。私はどうしようかしらね」
ミズハたちより先に家を出たクレアは、十分後、色々と思考を巡らせながら海の見える方に向かって坂道を下りていた。
日本に来た彼女の当初の目的は、自分と同じ境遇を持つ呪役者“死屍涙々”を探すことだったのだが、奇しくも昨日の時点で既に見つかってしまった、それどころか二、三言葉を交わしてもいる。
故に、今のクレアにとっては釘十字神流という存在は、さほど優先度は高いものではなくなっていた。
居場所さえ――いることさえわかっていれば、再び会いに行くことはさほど難しいことではないからだ。
しかし理由としてはむしろ、それ以上に優先度の高い事柄が浮上した、と言った方が今のクレアの心中に近いのだが。
(街を色々見て回りたいから……か。我ながら今さらな言い訳よね)
ミズハに言った言葉を思い出し、クレアはつい苦笑する。
初めて訪れる街だから興味を持つ、そんなことを今さら思えるほどクレアの過ごしてきた歳月は短くもない。
別に長く生きているから精神的に達観しているというわけではなく、むしろ本質を呪われ、この身でこの世に生まれてきた時点からこの人格・性格は概ね停滞している。
遊びが好きでお遊びが好きで、弱者は守り強者は挫き、愚者は愛し賢者は憚る。クレアは生まれた時からそんな性格だった。
(……この街、やっぱり何かいる)
クレアは、この街に来た時から耳鳴りのような感覚に悩まされていた。
言うなれば、耳鳴りよりは耳騒き。耳元で何かがざわざわと蠢いているような感覚がずっと続いていたのだ。
クレアはそれと似たような感覚を何度も経験したことがある。人ならざる者――つまり人外と一定範囲内まで接近した時に感じる、共鳴のような現象だ。
摂理内包は摂理内包、呪役者は呪役者、本質的に近い存在同士が強く共鳴し合うが、違う存在同士でも反応はある。理外側が間接的に一般側を識別できるのも、元々はこのシステムのひとつの形だ。
しかし世界を色々と渡り歩いてきたクレアでも、これだけ多数の共鳴反応は1度しか経験がない。
基本的にこの感覚は、一度接触すれば消える。昨日特失課で接触した数十人を除いてもまだこれだけの反応。しかも同じ感覚を得た米国の秘密研究都市と違って一般側もいる街であることまで考えに入れれば、既に異常といえる部類だった。
(一応、拠点に結界だけでも張っておくべきかしら……)
そんなことを考えている内に、クレアは坂道の一番下――――例の海浜公園にやってきていた。
クレアがミズハと出会い、リリスたち特失課と大立ち回りを展開した場所だ。
(たった一日で、綺麗に直されてる……。この辺りはさすが表立たない裏組織ということかしら?)
むしろ裏立った表組織と言うべきか、とクレアは考えなしだった考えを改める。
そして手際の良さに目を瞬かせつつも、“人払い”をかけられていたあの時と違って通行量の多い道路を渡って、海浜公園の中に足を踏み入れた。
(改めて見てもいい公園ね……)
公共の場所が綺麗かどうか、これだけでその国の国民性がはっきり表れている。今までにクレアが渡り歩いてきた国々でもこれほど清潔な公園は数えるほど――――公共施設どころか、路上にごみを捨てるぐらい当たり前という地域すらあった。
(和の心、というやつかしら。それとも武士道? いずれにせよ、悪くない国ね。ミズハも優しい人だし……)
クレアは興味深げな視線を周りに向けつつ、比較的広い敷地の中に歩を進める。
朝という時間帯もあって、クレアの周囲に人影はなかった。とは言え、この海浜公園はそれなりの広さを誇る敷地。死角はそこかしこにあるのだが。
自然と足が軽くなるのは、やはり気分がいいからだった。普段はあまり好きではない潮風の香りも心地よく感じるくらい、クレアは気分が高揚していたのだ。
――――しかし次の瞬間、クレアはぴたりと足を止めた。
(この音……)
きぃ……きぃ……。
(何かしら……?)
金属同士が擦れ合い、軋むような音。決して不快というほどではないが、やはり聞いていて心地いい音ではない。
(誰かいる……っ)
唐突に人の気配を察知したクレアは、急な挙動で音と気配のする方に振り向いた。身体に続いて髪が流れるように風にそよぎ、視線が泳ぐように一点を向いて止まる。
きぃ…………きぃ…………。
揺れるブランコの金属鎖の音だ。
その板に腰掛け、ブランコを微かに揺らして音を聞いているかのような表情をする一人分の人影。
それを視界に捉えた瞬間、さっきまで感覚で捉えていたノイズのひとつが消えた。
そして同時に少女の方もクレアの存在に気づいたようにピクッと肩を震わせ、瞑っていた目を見開いてパッと顔を上げると、綺麗な碧眼をクレアに向けた。
「……あなた、誰……?」
クレアは眉をひそめる。
「フランス語かしら? ごめんなさい。わからないの」
「……イタリア語?」
「あら? 日本語も話せるのね?」
「少し。昔、日本の大蛇竜、見たことある」
少女はブランコから立ち上がると、クレアをジッと見つめた。クレアも少女をじっと見つめ、観察する。
寝癖がついたように外ハネする金髪。透き通るような碧眼。ぼんやりと虚空を穿つような目つきには、力の抜けた外面とは正反対に威圧感を感じる。
身体は華奢だが、クレアはそれが少女の本質でないことには既に気づいていた。
「貴女……鏃翼竜ね?」
ドイツの伝承で、大きな蝙蝠のような翼に、鱗に覆われた鷲のような前足と獅子のような後ろ足、鰐のような顎に鋭い牙、鏃のような尾を持った有翼のドラゴンだ。
「ん……」
少女は、クレアが『リンドヴルム』という言葉を使った瞬間、わずかに表情を曇らせた。そして否定するように首を振る。
「でも私には、リンドヴルムにしか視えないのだけれど」
「違う。私……ヴィーヴル……」
ふぅん、とクレアは興味深げに息を吐く。しかしすぐに、特別追求するほどのことではないかなと思い直した。
むしろリンドヴルムにせよヴィーヴルにせよどちらもヨーロッパの竜族。ただでさえ本来人のいる場所にわざわざ降りてくることの少ない種が日本にいること自体の理由に興味が湧いていた。
「貴女がそう言うのならそうなのでしょうね。私はクレア=理=ディストルツィオーネ、わかるかどうかはわからないけれど、呪われた呪術書よ。貴女の名前を聞いてもいいかしら?」
クレアがそう訊ねると、呪術書という言葉で再びピクッと反応を示した少女は、
「ラウラ……」
ぽつりとそれだけ名乗り、すっと手を前に差し出してきた。
クレアがそれを握手ととり、手を差し出そうとした直前――――
「お前……」
その語気が殺気を帯びた。
次の瞬間、人間離れしたクレアの人間離れした動体視力が、横薙ぎに振るわれた巨大な槍を捉えた。
「……どういうつもりかわからないのだけれど、貴女にそんなものを向けられる覚えはないわよ?」
クレアはその少女、ラウラの細い腕に支えられた巨大な武器――長柄のハンマーの穂先に槍の刃を取り付けた時代遅れのルツェルンハンマーをこわごわと眺める。
「お前はあの時の……」
「フランス語はわからないのだけれど」
わけがわからない、というジェスチャーで手を振ってみせるクレアを睨み付けたラウラはグルグルと身体の周りで回した巨大な槍鎚をクレアに向けて構えると、
「黙れ。行くよ《ラメ・デ・ガルグイユ》」
クレアに向かって、地面を強く蹴って間合いに踏み込んできた。




