第一理― <不安>人外も人並みの少女
朝――――。
驚くほどに爽やかないい目覚めだった。
初夏の穏やかな暑さで火照った身体を窓から入ってくる澄んだ風が冷ましてくれる、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてこないのが残念なくらいのシチュエーション。
床で寝たとは思えないほど眠気も疲れも取れていて、掛け布団代わりのタオルケットの感触も心地よかった。
寝起きからまるで一時間ほど起きていたかのように頭の中もすっきりしていた。
だからだろう。
ボクはいっそう混乱していた。
「おはよう、ミズハ♪」
目が覚めて、『どうして風が吹き込んでくるんだろ……』という疑問を端緒に目を開けると、窓際で振り返ったクレアの姿が視界に映り込んだ。
「どうしてクレアがここにいるの!?」
「あら。玄関から入ったのだけれど、いけなかったかしら?」
ちょうど窓を開けたところらしい。
クレアは人差し指を唇の下に当て、何のことかわからない、という表情で白々しく微笑んだ。ボクは誤魔化されないけど。
「うん、くーがまだ寝てるのに気付かなかったら何も問題はなかったかも」
ないかと言えば嘘になるけど。どちらにしろクレアがその場を誤魔化せるだけで事実は変わらず、『どうやって鍵を開けたのか』という根本的な疑問は解決していない。
語尾が跳ねているところを見ると機嫌がいいみたいだ。何があったのかはわからないけど、上機嫌になると不法侵入なんてボクの母親だけにして欲しい。
「それでどうやって入ったの?」
というわけで疑問を直接ぶつけてみた。
「昨日はボクもくーも、ちゃんと施錠は確認したんだけど」
「確かに世情に疎いと日常会話から入るコミュニケーションは難しいと思うわ」
「ちょっと待って、何か違うよ変換が!」
「あら? そうだったかしら。やっぱりまだ日本語は慣れないみたいね」
「むしろ日本語を熟知してないと出来ないボケだったけど!?」
一昨日日本に来たばかりだとは到底思えない口達者ぶりだった。
「それはそうと、昨日の夜中に電話が鳴っていたようなのだけど」
「電話?」
「ええ、昨日こっちの部屋に携帯電話を忘れていったでしょう?」
「忘れていったというか置いてった感じだけど……」
そう言って手渡してくれた携帯を確認すると、確かに新着が入っていた。
この番号は、昨日の夜登録しておいたばかりのミコのものだ。かなり常識人だと思っていたけど、時間は――
「2:38……」
――思いっきり非常識な時間だった。
かけなおそうか迷ったものの、この時間にかけたら、ミコと同じレベルで非常識な子になってしまう。それにさすがに、こんな朝早くから電話をかける気にはならなかった。
「クレアはどうしてボクをこんな時間に起こしたの?」
「私はいつもこの時間なの」
「…………クレアって結構巻き込み型?」
「どういう意味かしらね?」
「ほら昨日といい今日といい……ってごめんなさいッ!」
笑顔で詰め寄ってこないで怖いからっ!
久遠を起こして三人で朝ごはんを食べ終わると、ボクと久遠は学校に行く支度を始める。今日は平日の月曜日、台風でも大雪でもないから当然学校はあるのだ。
「私はどうすればいいのかしら?」
「そんなこと、ボクに聞かれても……」
綺麗にメイキング済みのボクの部屋のベッドの上に少し崩れたような形で正座し、首を傾げるクレア。
やっぱりクレアは、意外に細々とした性格みたいだ。
「こんなところでよければしばらくはボクの部屋にいていいけどね。外出したいことがあったら、鍵も渡しておいてもいいし」
「あら? 私がこの部屋のものを全て持ち去ってしまう可能性は考えなかったのかしら? 防犯意識は重要よ?」
「いや、えっと……。その台詞を言う時点で大丈夫だと信じたいけど……」
「えぇ、冗談よ。今日のところはこの街を色々見て回りたいから、ミズハたちが帰ってくるまで出掛けてくるわ」
そう言ってベッドから下りた、クレアは座っていた所を手でさっと撫でて整えると、くるりとボクの方に向き直り、
「それじゃあ私は先に出るけれど……」
「うん、気をつけてね。昨日の今日だし」
「それはどっちにかしら?」
トラブルに巻き込まれないようにと巻き込まないように、二つの意味でそう言ったのが見透かされていたみたいだ。
「えぇっと……どっちも」
「正直ね♪」
幼馴染みとお母さん、ボクの嘘なんか一瞬で看破する二人に囲まれて育ったからいつのまにか嘘なんてほとんど使わなくなった。
だからある意味、変にアドリブに弱いというか――――臨機応変に動けないところがあるんだけど。
「それと、ミズハ。これは訊いておきたいのだけれど……」
「うん?」
「私はここに戻ってきていいのかしら?」
声色は少し不安げだった。
「昨日はああは言ったものの、私がミズハに迷惑をかけたのは事実だもの」
「頼ってもいいのってこと?」
「はっきり言われてしまうと少し弱いわね。でもその言いたいことはその辺りよ」
「うーん……。確かに初めて会った時の状況は特殊だけど、それを流せば日本に来てトラブルに巻き込まれてた外国の人を助けたってだけの話だよね?」
まぁ、ボクも巻き込まれた側だけど。
「そうとも言えるかもしれないけれど……かなり無理がないかしら?」
「まぁ、ボクは気にしてないってことだよ。こう見えて、ボクもトラブルには慣れてるからね。主にお母さんのせいで……」
最後だけ思わず声が小さくなる。
「そう……それじゃあ今のところはお言葉に甘えておくことにするわ」
フッと安心したように笑ったクレアは、
「行ってくるわね、ミズハ」
最後にボクにそう言って、玄関のドアから出ていった。
そういえばこれからのクレアの処遇(?)については、特失課の人は何も言ってなかった気がする。
さっきはああ言ってみたけど、クレアもこのままボクの部屋でずっと、というつもりはないだろうし、クレアは特失課に頼る、あるいは管理されるつもりもなさそうだから、近い内にも出ていくのかもしれない。
(やっぱり後で唯一番号を知っているミコに電話をしたほうがいいかな)
そんなことを思いながら、久遠と壁信号(アパートの薄い壁を叩いて向こう側に知らせるだけの合図)で示し合わせて家を出ると、そこに思いがけない人物が立っていた――――。
「よぅ、ミズハ。遅かったじゃねーか」
「テクス!?」
ボクと同じ制服を着たテクスがそこに立っていた。
思わず久遠にバレたかと思って隣を見るけど、手間取っているのか久遠はまだ出てきてなかった。
「馬鹿、今は轍って呼べ。一応、普段の名前はそっちだ」
「そっか。普通の生活もしてるんだね」
「ったりめーだ。学校行くんだろ、一緒に行こうぜ、っつってもこれも仕事なんだがな。詳しいことは昼休みに話すぜ」




