第十一理― <終幕>“一日”はこうして終わった
自己紹介を終えたボクたちは知り合った直後の少し緊張気味の空気の中で久遠 (くー) の用意してくれていたビーフストロガノフで粛々と夕食を済ませ、食後に久遠の淹れてくれたコーヒーを片手に久遠・クレアと二人の同世代の女の子と共に部屋の真ん中に置いた小さなテーブルを囲んで座っていた。
久遠は誰かを心配すると別のこと、主に料理や勉強をして悪い方へ考えないようにする癖がある。そして料理に関しては、普段はあまり作らないようなものに手を出してさらに気を紛らわそうとするのだった。今回も、例に違わずその傾向、つまりすごく心配させてしまったということだ。
(……ちゃんと埋め合わせ考えなきゃ)
ボクの部屋のドアを筆頭に各所にガタが来ている代わりに家賃が安めのやや怪しげなアパートの一室。築二十年という話だったけれど、外観だけを見てももっと歴史がありそうな気がする。
それでも何だかんだお風呂とトイレは分かれているし、間取りも1Kのカウンターキッチン方式。ベランダも意外と広くて、割と使いやすい七帖半。風情があると割り切ってしまえば、セキュリティ以外は学生の身ならそこそこ優良物件なのだった。現にとりわけ貧乏という方でもない久遠が学校からお世話されたところを引き払ってわざわざ引っ越してくるくらいだった。
普段は一人でもて余している広さのボロアパートだけど、三人もいるとちょうどいい広さに感じる。それに久遠が来てくれる度に思っていたけど、部屋の中に華があるだけで空気が大きく違う。
ともすると自分の家だってことも忘れてしまいそうだった。諸々の家事が趣味らしい久遠が甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれるから、家と言うよりは自分の部屋で家主は久遠、という感覚の方が正しかった。
我ながら情けないと思う。
「それでみっくんとクレアさんはどんな関係なんですか?」
久遠が率直に切り出すと、クレアは「そうね……」と前置きして思案顔になった。
左手は膝に、右手はコーヒーカップを胸の前辺りで自然に捧げ持ち、やや上向き加減に虚空を仰ぎ見る。ただそれだけなのに妙に絵になっていた。
「……関係としてはやっぱり他人が今のところは妥当なのかしら。被害者と加害者でもあるかもしれないわね」
「被害者と加害者?」
急に不穏当な言葉が出たからか、久遠の表情がさっと曇った。
「どういう意味ですか?」
やっぱりボクの方に訊いてくるよね。でも今回に限ってはクレアの方に訊いて欲しかったかな。アドリブには弱いんだ。
「えっと……被害とか加害ってほど大したことじゃないよ。今朝ちょこっと曲がり角でぶつかったぐらいのことだから」
かなり誤魔化しの入った言葉になったけど、本当のことを言うわけにはいかないからやむを得ない。こうなることなら言い訳を考えておけばよかった。
「今朝……ですか」
ぽつりと呟いてジッと俯く久遠を見ていると、ずきんと胸が痛んだ。
そういえばボク、必ず行くって朝の約束破っちゃったんだった……。
どうしようもなかったとは思う。不可抗力だった、それは紛れもない事実だと思ってる。それでもせめて特失課の建物に着いた時に電話を借りて連絡をしておくべきだったな、と今さらになって後悔した。
「それでクレアさんはどうしてみっくんのお家に来たんですか?」
「実は私、昨日の晩にイタリアからこの国に来たのだけれど、早々に置き引きに遭ってしまって困っていたの」
むしろ外国で日本人旅行者が陥りそうな言い訳を淀みない口調で言ってのけた。
「昨晩はどうされたんですか?」
「途方に暮れていたところを親切なお婆様に泊めていただいたの。やっぱり日本人は優しいわね」
「警察は……?」
「日本警察とアンバシャータ……ええと、日本語では大使館、でよかったかしら。連絡は済ませてあるから大丈夫よ」
「はい、大使館で合ってますよ」
まるで事実であるかのように坦々と並べられたクレアの話に「大変でしたね」と返しつつ、それでも何処か違和感を覚えたらしく不思議そうな表情で首を傾げる久遠。対してクレアは澄ました顔で一人コーヒーに口をつけ、『素晴らしいわ……』と驚いたように呟いている。
何て言っているのかはわからないけど、称賛の意図がその語調に含まれていた。久遠の淹れてくれるコーヒーは美味しい、という事実をボク以外の口から再確認できてよかった。
「私、ちょっとお皿洗いしてきますね」
今気がついたかのように立ち上がってぱんっと手を叩いた久遠は、つまずきかけながら慌てたようにキッチンに入っていく。
「置いておけば後でボクが洗っとくよ?」
「大丈夫ですっ。みっくんに任せるとお水使いすぎちゃいますから」
「う……」
言い返せない。何度かそのことで久遠や母さんから注意は受けているからだ。
それに、何となくやっぱり久遠も気まずいんだろうな、と思った。家の中に、他の誰かがいる感覚、ボクも今朝会ったばかりだけれど、久遠はついさっきだからボクよりその感覚が強いはずだ。
巧妙に隠してはいるけれど、やっぱり緊張の裏に警戒が見え隠れしている。何処か、少し違う意味での警戒が含まれているような気もしたけど。
「……で、さっきの何処から何処までが嘘なの?」
「え?」
久遠には聞こえないよう少し顔を寄せて小声でクレアに訊ねると、クレアはボクが何を言っているかわからない、という表情でボクの方に顔を向けた。
「え、じゃないよっ!?」
「強いて言えば、九割方になるかしら」
「何処が本当なの!?」
「あら、昨日優しいお婆様に泊めていただいたのは本当よ? とても気のいい方だったわ」
キッチンの方から久遠の鼻歌が聞こえてくる。ちょっと前に流行った、ぐらいならまだ納得できたんだけどどうして選曲が『君が代』なんだ……。もう少しマトモな選曲はなかったのかな。
「みっくん、君が代を馬鹿にしちゃダメですよっ」
「うん、まぁ一応国歌だか――ちょっと待って今どうやって心読んだの!?」
「みっくんの考えてることくらいわかります。幼なじみですから」
「幼なじみって間柄にそんな一方的なオプションはないよ!?」
テレパシーなんかに目覚めたら、それこそ人外側の存在になりそうだ。理解側じゃなくて人外側の方で。意外と理解が早いな、ボク。
「クレアさん、今日はみっくんのところに泊まる気なんですか?」
そんなことを話している内に水仕事を終えて戻ってきた久遠はクレアにそう訊ねた。思い切ったような表情を見る限り、どうやらずっと聞きたかったのはこれみたいだ。
「えぇ、そのつもりだけれど」
しれっとそう答えるクレア。
「ダメですっ。幼なじみとしてそんな破廉恥なことは認められませんっ!」
「あら、そんなことを軽々しくするように見えるのかしら?」
「えぅっ!? そ、そういう問題じゃないんですっ」
何を想像したのか、かぁーっと頬を真っ赤に染めた久遠がクレアに詰め寄る。
「私の部屋、隣ですからっ。クレアさんを私の部屋に招待しますっ。みっくんに女の子と一つ屋根の下なんてまだ早いですからっ! 男女七歳にして同衾せず、です!」
「どっ……って、くー、それ意味わかってて使ってるんだよね!?」
「一緒のお布団で寝ることですっ! みっくん、お布団一つしか持ってないじゃないですか!」
「別に同じ布団では寝ないよ!?」
まだ早い、という言葉と、男女七歳にして同衾せず、のふたつがさりげなく相反してることについては無闇にツッコまない方がいいんだろう。
それにアパートって少なからず一つ屋根の下だから、久遠も範囲内にいることになるかも。
(あれ? そういえば、別に久遠の提案に乗らない理由はないよね……?)
個人的にもそっちの方が助かるかも、色んな意味で……と思った時、急にポケットの中で携帯が震えた。ファントム・バイブレーション現象ではなさそうだ。
「ちょっとゴメンね」
二人に断って立ち上がり携帯を取り出し、、少しキッチンの方に寄りながら確認すると着信だった。
(……? 誰だろ)
見たことのない番号に少し考え、通話ボタンを押す。
「もしもし」
耳に携帯を押し当てて電話に出ると、
「『こんばんは、ミズハ。不動律巫女です』
と私はまず挨拶と共に名乗ります」
不気味なほど明瞭な声でそんな答えが返ってきた。
「何で番号知ってんの……?」
「『調べる方法はいくつかあるけど知りたいか?』
と私は――」
「あぁ、うん、やっぱりいい。それより何か用かな?」
「『警告しておく』
と私は端的に用件を伝える」
「警告?」
まるで牽制するように身を乗り出しながら何かを話し合っている様子の久遠とクレアの方に視線を一度泳がせ、カウンターキッチンの中まで移動する。
「トップ……って事は聞いたけど」
「『そちらではない』
とミズハの推測を否定する。
『クレア=理=ディストルツィオーネを一般人、火喰鳥久遠と二人だけにしてはいけない。その意志がなくとも、クレア=理=ディストルツィオーネは人外側であり、火喰鳥久遠は一般人。再びミズハと同じ事態が発生する可能性を否定できない』
と論拠を提示する。さらに、
『ミズハはクレア=理=ディストルツィオーネと火喰鳥久遠が同じ室内で一晩過ごす事態を避けるため、尽力すること』
と現状唯一の戦力であるミズハに協力を要請する」
「その割に命令形だよね……?」
「『強制はしない、が協力を拒否する場合の対処がどうなるかは私にもわからない』
と私は言外に危険な判断を抑止する」
結局これも断ることはできそうになかった。
できるかどうかはわからないけど……と何とか声を絞り出して返事をすると、ミコは『その時は別のプランを特失課総出で検討する』というような返事を最後に電話を切ってしまった。
――――それから、『クレアにはボクの部屋を丸々貸し、ボクは久遠のところにお邪魔する』という結論に何とか誘導することに成功するまで一時間もの時間を費やした。




