第九篇 最初の屋根
――『亡国の侍 異世界転移譚』第九話「はじまりの村」連動
セルマが初めて自分の家の戸を閉めた日、吹雪が来た。
まだベズラス村に、家が一軒しかなかった頃のことである。
採掘場で働く者たちは、谷口に荷車を並べ、幌を張って暮らしていた。石を切る時間には賃金が出ても、自分の家を建てる時間までは出ない。
石工だったセルマは、仕事を終えたあとの薄明かりで壁を積んだ。
土台から屋根まで、四か月。
最後に内壁を立て、寝床と竈のある部屋を分けた。
欲しかったのは、大きな家ではない。
夜になれば、自分の手で閉められる戸があればよかった。
その戸を初めて閉めた直後、外で何かが裂けた。
幌布だった。
谷を抜けた風が杭を引き抜き、荷車の上へ張られた布を一枚、夜空へさらっていく。
続いて二枚目。
雪が横向きに吹き込み、火の消えた声が上がった。
セルマの戸が叩かれた。
「子供だけでも入れてくれ」
採掘頭が立っていた。
背後には毛布をかぶった親子がいる。
セルマは戸を開けた。
親子が入る。
次に老人が二人。
濡れた毛布を抱えた女。
足を怪我した採掘夫。
竈のある部屋は、すぐに人で埋まった。
「ここまでだ」
採掘頭が言った。
「残りは荷車の陰へ移す」
戸の外には、まだ何人もいた。
寝床との間に立つ内壁さえなければ、あと十人は入る。
だがその壁は、セルマが十二日かけて積んだものだった。
寝台も、衣装箱も、冬の食料も向こう側にある。
これを崩せば、この家は一部屋になる。
自分だけの寝床はなくなる。
外で、三枚目の幌が裂けた。
セルマは壁際に置いていた槌を取った。
「何をする」
「広くします」
内壁の上段へ槌を入れる。
一つ目の石が落ちた。
床へ転がり、雪に濡れた靴へ当たった。
「その壁は、明日戻せないぞ」
「明日まで持てばいい」
二つ目を外す。
三つ目。
壁の向こうから寝台が見えた。
中にいた者たちも手を貸し始めた。石を受け取り、壁際へ積んでいく。
内壁が半分まで低くなると、外で待っていた者たちが入ってきた。
最後に採掘頭が戸を閉めた。
◇
吹雪は三日続いた。
セルマの寝台には、熱を出した子供と母親が寝た。
セルマは竈の前で、衣装箱へ背を預けて眠った。
食料は皆で持ち寄った。
一つの鍋へ豆、干し肉、根菜を入れ、薄いスープを人数分に分けた。
四日目の朝、ようやく風が止んだ。
外へ出ると、幌の多くは破れ、いくつかの荷車が雪へ埋まっていた。
無傷の屋根は、セルマの家にしかない。
「地面が緩むまで、この家を借りたい」
採掘頭が言った。
「皆の家を建て直すまでだ。代わりに、春になったら最初にお前の家を建てる」
セルマは戸口から中を見た。
内壁は崩されたまま。
竈には誰かが火を足し、濡れた靴や手袋が周囲を埋めている。
「この家は?」
「これだけの人数が入れる場所は残す」
もう、自分の家ではないということだった。
セルマは少し考えた。
「次の家には、内壁を二つください」
「一つで十分だろう」
「一つは、また崩すかもしれません」
採掘頭は返事をせず、短く笑った。
雪に埋もれた谷口で、屋根から一本だけ煙が昇っていた。
その下には、セルマのものではない靴が、戸口から壁際まで並んでいた。
*
この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、
『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。
第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/




