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侍の知らない世界で  作者: Lambzono


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第八篇 爪の値段

――『亡国の侍 異世界転移譚』第八話「岩を裂くもの」連動


 ベルドは、岩を裂く爪を三日かけても売れなかった。


 長さは男の肘から指先ほど。


 色は濡れた炭のように黒く、根元は人の手首より太い。大きく湾曲した先端には、青灰色の石粉がこびりついている。


 北の谷に棲む岩裂き。その長い前脚に四本ずつ生え、垂直の岩壁へ食い込む鉤爪だ。


 ベルドは市場の露台へ赤い布を敷き、その中央に一本だけ載せていた。


「岩をも裂く魔獣の爪だ。剣へ仕立てれば、鉄鎧など紙も同然」


 初日に来た鍛冶師は、爪の背を小槌で叩いた。


「刃にはならん」


「まだ削ってもいない」


「削る前だから分かる。中が粗い。薄くすれば割れる」


 二日目に来た収集家は、爪を裏返した。


「ほかの七本は?」


「一頭から一本しか取れない」


「片脚に四本あると聞いたが」


「残りは岩へ食い込んだまま折れた」


「では、これは一番弱い爪では?」


 収集家は何も買わずに帰った。


 三日目の昼には、赤い布を見ても足を止める者がいなくなった。


 厩の主人が二度、こちらを見ている。


 日暮れまでに角鹿二頭分の預け賃を払えなければ、荷車ごと市場の外へ出される。爪の仕入れに銅貨七枚を使った。せめて五枚を取り戻さなければ、南へ帰ることもできない。


 ベルドは値札を銅貨十二枚から十枚へ書き直した。


 その時、白い石粉を頭巾に載せた女が立ち止まった。


「これ、本当に岩裂きの爪?」


「疑うなら、この石粉を見ろ。岩壁へ刺さっていた証だ」


「値は」


「銅貨十枚」


「四枚」


「帰れ」


 女は帰らなかった。


 爪を持ち上げ、曲がりを横から見る。先端ではなく、厚い根元へ指を沿わせた。


「刃にする気か」


「こんな曲がった物を?」


「では、何に使う」


「楔」


 女は市場の端を指した。


 石工の露台に、太い円柱のような石が置かれている。胴の中央を一周するように、細い亀裂が走っていた。


「臼石か」


「二枚取れる。あの亀裂を割り広げられれば」


「鉄の楔を使え」


「三本折れた」


 ベルドは黒い爪を見た。


 剣にはならない。


 飾るには一本足りない。


 だが楔にして欠ければ、銅貨四枚の価値すらなくなる。


「試していいなら五枚」


 女が言った。


「折れたら?」


「買わない」


「虫がよすぎる」


「なら十枚で、ここへ置いたまま南へ帰ればいい」


 厩の主人が三度目にこちらを見た。


 ベルドは爪を赤い布で包み、抱え上げた。


「一度だけだ」


     ◇


 女は爪の先端を、臼石の亀裂へ差し込んだ。


 その置き方を見て、ベルドは眉を寄せた。


「向きが逆だ」


「刃じゃない」


 湾曲した内側を亀裂へ沿わせ、厚い根元を上へ向けている。


 女は長柄の槌を振り上げた。


 一撃目。


 高い音が市場へ響いた。


 爪は折れない。臼石も割れない。


 二撃目。


 黒い先端が僅かに欠けた。


「やめろ!」


「今、入った」


 女は爪の根元へ指を当て、亀裂の広がりを確かめた。


 三撃目。


 音が低く変わった。


 臼石の中央から、白い筋が走る。


 女が槌を横へ置き、爪を左右へ揺らした。


 石は音もなく二つに分かれた。


 黒い爪だけが、片方の亀裂へ深く刺さっている。


「岩を裂いた」


 ベルドが呟いた。


「爪だけじゃない。亀裂と、打つ場所と、槌が要る」


 女は爪を抜いた。


 先端は指の爪ほど欠けていたが、曲がりも太さも残っている。


「欠けたから四枚」


「裂いたから六枚だ」


「試す前は五枚だった」


 二人は黒い爪を挟んで睨み合った。


 日暮れの鐘が鳴った。


「五枚と、挽きたての粉を一袋」


 女が言った。


 ベルドは銅貨を数えた。


 仕入れ値には二枚足りない。


 だが厩代を払い、南へ戻るだけなら足りる。


「粉は二袋だ」


「一袋半」


「決まりだ」


     ◇


 翌朝、市場を出る前に石工の露台を見ると、黒い爪はすでに別の石へ打ち込まれていた。


 槌が落ちるたび、爪の背から白い粉が舞う。


 その隣では、二枚に割られたうちの一枚が臼台へ据えられ、ゆっくり回り始めていた。


 細かな穀粉が、石の縁から絶えずこぼれている。


 ベルドの荷車には、その粉が一袋半積まれていた。


 黒い爪は、赤い布の上にあった時より短く見えた。


 それでも槌が落ちるたび、岩の方が先に割れた。


     *


この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、

『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。

第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/

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