第十篇 南へ開く門
――『亡国の侍 異世界転移譚』第十話「北から」連動
ベンノは、完成して三日目の門へ斧を振り下ろした。
「何をしている!」
村長の怒声が飛ぶ。
樫の横木へ、刃が食い込んだ。
北門は、ひと月をかけてベンノが組み直したものだった。去年、灰牙狼に羊を三頭奪われた。もう二度と通すまいと、太い材を選び、仔羊二頭を売って鉄の蝶番を買った。
その門を、今、自分で壊している。
「開けるんだ」
「見れば分かる。なぜ壊す!」
「横木が歪んで抜けない」
「そうではない!」
北の丘から、地鳴りが近づいていた。
最初に現れたのは岩角鹿だった。
十頭、二十頭ではない。丘の斜面を埋めるほどの群れが、土煙を上げて駆け下りてくる。
その脇を、灰牙狼が走っていた。
鹿へ牙を剥くこともない。
鹿も狼から逃げようとしない。
さらに後ろでは、地面が細長く盛り上がっていた。土を潜る獣まで、同じ速さで南へ向かっている。
「射手を呼べ!」
村長が叫んだ。
村人たちは羊を小屋へ追い込み、扉を閉めた。女たちは子供を抱えて石造りの倉へ走る。
門を閉じ、壁の内側でやり過ごす。
それが正しいはずだった。
だがベンノは、北門の外を見ていた。
囲いから逃げた一頭の羊が、道の真ん中で立ち尽くしている。
先頭の灰牙狼が迫った。
羊は動けない。
狼はその喉へ食らいつくことなく、わずかに進路を変えて走り抜けた。後続の狼も同じだった。
「こいつらは、腹を満たしに来たんじゃない」
ベンノは斧を引き抜いた。
「なら、なおさら門を閉じろ!」
「閉じれば、ここが壁になる」
北門の先には村の中央路があり、そのまま南の牧草地へ抜けられる。
だが門を塞げば、群れは石壁へ突き当たる。押し寄せた獣は左右へ散り、家々の間へ入り込むだろう。
ベンノはもう一度、斧を振り下ろした。
乾いた音とともに、横木が割れた。
「南門も開けろ!」
誰も動かなかった。
ベンノの息子が、最初に走り出した。
それを見て、二人、三人と続く。
ベンノは割れた横木を蹴り落とし、門扉を押した。片方は開いた。もう片方は凍った地面に引っかかっている。
地鳴りが大きくなる。
岩角鹿の角が見えた。
ベンノは門扉と柱の隙間へ身体を入れ、肩で押した。
「開け!」
蝶番が軋む。
買ったばかりの鉄が、柱の木を裂いた。
門扉が外側へ倒れた直後、岩角鹿の群れが通り抜けた。
風のようだった。
鹿の蹄。
狼の灰色の背。
土の下を走る何かの盛り上がり。
獣たちは互いに争わず、倒れた門扉を踏み越え、開かれた南門へ殺到していく。
一頭も村へ残らなかった。
◇
地鳴りが遠ざかったあと、村人たちは倉から出てきた。
北門は壊れ、牧草地は踏み荒らされていた。冬越し用の干し草も、半分が泥に沈んでいる。
それでも、潰れた家はなかった。
怪我人もいなかった。
「門を作り直さねばならんな」
村長が言った。
ベンノは返事をしなかった。
地面へ屈み、残された足跡へ手を触れる。
岩角鹿の蹄跡と、灰牙狼の足跡が、ほとんど重なっていた。
息子が北の丘を見上げた。
「何から逃げていたんだろう」
丘の向こうには、何も見えない。
鳥の声さえしなかった。
新しい鉄の蝶番だけが、裂けた柱に残っていた。
そこから先には、鹿と狼の足跡が並び、ただ南へ続いていた。
*
この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、
『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。
第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/




