第十一篇 一台分の道
――『亡国の侍 異世界転移譚』第十一話「旧街道」連動
採石場が閉じる日、サナの荷車だけが山に残っていた。
荷台には、砦町の窓枠になるはずの白い石が載っている。
割れも曇りもない。
これを麓の検量所まで無傷で運べば、ひと月分の賃金が出る。南へ向かう荷運び隊へ加わり、新しい働き口を探すための金だった。
「最後の一台だ。急げよ」
石切り場の親方が言った。
「日が落ちれば検量所を閉める」
サナは手綱を引いた。
荷馬が一歩ずつ坂を下る。
採石場道は、石を運ぶためだけに造られた道だった。片側は山肌、もう片側は崖。曲がり角では荷車一台が通れる幅しかない。
登る空車が、下る石車へ道を譲る。
それが長年の決まりだった。
だが三つ目の曲がり角で、下から鈴の音がした。
小さな荷車が坂を上ってくる。
御者台には治療師が座り、その隣で採石場の少年が息を切らしていた。
「止まって!」
少年が叫ぶ。
「坑道を塞いでいた支柱が倒れた! まだ一人、下敷きになってる!」
サナは荷車を止めた。
すぐ後ろは急坂だった。白い石を載せたまま戻れば、馬ごと崖へ引かれる。
前へ進むこともできない。
道幅は一台分しかなかった。
「そちらが下がって」
サナは治療師へ言った。
「二つ先に待避所がある。決まりでは、登りが譲る」
「そこまで戻って、また上る時間がない」
「こちらには石がある」
「こちらには、まだ息のある人がいる」
治療師の声は静かだった。
サナは荷台を見た。
白い石の代金がなければ、南へ出る荷運び隊には加われない。
採石場は今日で閉じる。
明日から、ここに仕事はない。
「石を下ろせないの?」
少年が訊いた。
「下ろせるさ」
サナは崖際を見た。
「割ってよいなら」
荷台から道へ落とせば、石はまず無事では済まない。割れた石は建材として扱われず、瓦礫の値しかつかなかった。
治療師は急かさなかった。
坑道で待つ男の血だけが、今も流れている。
サナは荷車の留め縄へ手をかけた。
何度も結び直してきた、石運びの結び目だった。
短刀で縄を切る。
白い石が傾いた。
「押すのを手伝って」
少年が荷台へ飛びついた。
二人で石を押す。
石は荷台の縁を越え、道へ落ちた。
鈍い音がした。
白い表面を、端から端まで亀裂が走る。
もう一度押すと、石は二つに割れた。
サナは小さい方を崖際へ転がし、大きい方を山肌へ寄せた。空になった荷車を待避所まで引き戻す。
「通って」
治療師の荷車が脇を抜けた。
少年は何か言おうとして、やめた。
鈴の音が坂の上へ遠ざかっていく。
◇
サナが割れた石を検量所へ運び終えた時には、日が沈みかけていた。
検量役は亀裂へ指を入れ、首を振った。
「瓦礫二個」
「元は一枚だった」
「今は二個だ」
渡された銅貨は、約束の三分の一にも満たなかった。
南へ向かう荷運び隊の席代には足りない。
サナは銅貨を受け取り、何も言わずに検量所を出た。
採石場道へ戻ると、空が暗くなっていた。
崖際へ寄せた小さな石が、道の端から少し張り出している。このままでは、夜道を通る車輪が乗り上げる。
明日には閉じる道だった。
それでもサナは梃子を使い、石を土へ埋め直した。
崩れかけた路肩へ噛ませる。
土を踏み固めると、道幅が半歩ほど広くなった。
やがて、上から鈴の音がした。
治療師の荷車が下りてくる。
荷台には、脚を板で固定された男が寝ていた。顔は青ざめていたが、胸は動いている。
荷車の車輪が、埋め直した白い石の上を通った。
崖へ寄ることなく、曲がり角を抜けていく。
サナはその場へ立ち、鈴の音が聞こえなくなるまで見送った。
翌朝には、採石場の門が閉じられる。
けれど山腹には、一台分より半歩だけ広い道が残った。
*
この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、
『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。
第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/




