第四篇 古い膝
――『亡国の侍 異世界転移譚』第四話「癒しの街」連動
ハルムは新しい義足で中庭を一周し、若い装具師へ丁寧に頭を下げた。
「実にいい脚だ。軽いし、足首もよく働く」
木と革で作られた脚は、使い古した義足より一回り細かった。
膝は滑らかに曲がり、足首に収められた小さな石が、石畳の傾きに合わせて角度を変える。
「もう一周、歩いてみてください」
「喜んで」
ハルムは杖を持ち直した。
一歩。
二歩。
三歩目で、新しい膝がハルムの身体より先に折れた。
肩が前へ落ちる。
隣を歩いていた孫のニコが、慌てて背を支えた。
「大丈夫?」
「ああ。脚は悪くない」
ハルムは体勢を戻し、新しい膝を撫でた。
「少し、若すぎるだけだ」
装具師は留め革を締め直した。
膝の動きを一段重くし、もう一度歩かせる。
それでも同じだった。
新しい脚は正しく動いている。
ただ、採石場で長年片側へ重心を寄せてきたハルムの身体は、もう正しい歩幅では歩かなかった。
「慣れるまで、時間が必要です」
装具師が言った。
「そうだろうね」
ハルムは笑った。
「脚の方に、老人の歩き方を覚えてもらわないと」
寝台の脇には、古い義足が立てかけてあった。
表面は煤け、脛には幾筋もの補修跡が走っている。足先も半分ほど別の木へ替わり、元の形を残しているのは膝の周りだけだった。
「古い方はこちらで処分します」
装具師が手を伸ばす。
「それは持って帰りたい」
「まだ使うつもりですか」
「もう履かないよ」
ハルムは穏やかに答えた。
「ただ、捨てるなら自分の家で捨てたい」
装具師は困った顔をした。
古い義足の脛には、深い亀裂が入っている。持ち帰れば、使いたくなるかもしれない。
ニコは床から古い脚を持ち上げた。
「父さんが作ったから?」
ニコの父親は、採石場の崩落で亡くなっていた。
顔はもう、ぼんやりとしか覚えていない。
それでも夜遅くまで木を削っていた背中と、刃物が板を滑る音だけは残っていた。
「それもある」
ハルムは認めた。
「だが、思い出だけなら箱へ入れておけばいい」
古い膝へ手を置く。
「この膝は、私が急げないことを知っている」
装具師が古い義足を受け取り、作業台へ載せた。
革帯を外し、脛の覆いを開く。
亀裂は膝の下から足首近くまで伸びていた。
だが、膝を通る軸に割れはない。
何度も油を差され、角を削られながら、継ぎ目だけはまだ滑らかに動いた。
「ここだけなら使えます」
装具師が言った。
ニコが顔を上げる。
「新しい脚へ移せる?」
「寸法が違います。新しい脛を切って、穴を開け直さなければなりません」
「失敗したら?」
「新しい脚まで使えなくなります」
ニコは祖父を見た。
ハルムはすぐには答えなかった。
新しい義足を撫で、次に古い膝へ触れる。
「このままでも、よい脚だ」
装具師へ向かって言った。
「だから、無理に壊す必要はない」
「無理かどうかは、作る者が決めます」
装具師は古い膝の寸法を測り始めた。
◇
作業は日暮れまで続いた。
新しい脛を膝の下で切る。
古い軸に合わせて穴を開け、薄い金属の筒を噛ませる。
足首の石へ続く革帯も、長さを変えて通し直した。
ニコは部品を押さえ、ハルムは邪魔にならないよう窓際で待った。
時折、古い膝が曲げられる。
そのたびに、こつ、と小さな音がした。
完成した脚は、不格好だった。
脛と足首は新しい。
膝だけが黒く、何年分もの油を吸っている。
「歩いてみてください」
ハルムは義足を着け、中庭へ下りた。
一歩目。
新しい足首が石畳の傾きを拾う。
二歩目。
古い膝は、ハルムの腰が前へ移るまで折れなかった。
三歩目も、身体より先へ行かなかった。
中庭を一周する。
今度は一度も転びかけなかった。
「どう?」
ニコが訊いた。
ハルムは足元を見て、ゆっくり笑った。
「待っていてくれる」
風が干し布を揺らした。
腕や脚の形をした影が、白い壁を渡っていく。
ハルムは中庭の端まで歩き、そこで立ち止まった。
新しい足を一度。
古い膝を一度。
石畳へ、異なる二つの音が続いた。
そのどちらも、ハルムの歩く音だった。
*
この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、
『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。
第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/




