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侍の知らない世界で  作者: Lambzono


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第二篇 十一枚目

――『亡国の侍 異世界転移譚』第二話「仮初めの左腕」連動


 十二人いた。


 数え直しても、生きているのは二人だった。


 ノアは崩れた標柱の陰で息を殺し、観測板へ最後の数字を書き込んだ。


 針は振り切れている。


 石の温度も、地面を流れる力も、獣から漏れるはずの魔力も、どれ一つ教本の範囲に収まらない。


 誤測定。


 そう書けば、きれいに終わる。


 だが測定器は三台とも同じ値を示した。


 壊れているのが器具でないなら、壊れているのは目の前の方だ。


 焼けた草地の向こうで、黒い獣が頭を上げた。


 狼に似ていた。


 大きさ以外は。


 毛の隙間を走る黒い筋が、呼吸に合わせて脈打っている。前脚を置くたび、土が浅く沈んだ。


 その足元には、調査隊の外套が散らばっていた。


 持ち主は、もう数えなかった。


「先生」


 ノアは隣へ目をやった。


 白髪の賢者は、倒れた石板にもたれていた。


 脇腹の傷は深い。血を止める術を使おうとするたび、指先の光が消える。


「アルヴァン先生」


 返事はない。


 気を失っている。


 ノアは観測板を伏せた。


 逃げるなら今だった。


 草地の南には、砦町へ続く旧道がある。荷を捨てれば、若い自分だけなら走れるかもしれない。


 先生を置いていけば。


 ノアは立ち上がりかけた。


 黒い獣の耳が動く。


 すぐに身を低くした。


 胸の内側で、心臓が二度、強く鳴った。


 姉からもらった青い紐が、手首に巻かれている。


 測量具を失くすから、と出立の朝に結ばれたものだった。


『数字を忘れても、道具だけは持って帰って』


 姉は笑っていた。


 ノアは紐をほどいた。


 観測板の穴へ通し、アルヴァンの帯へ結ぶ。


 一重では緩む。


 二重にして、引いた。


 幼い頃、姉に教わった結び方だった。


 観測板の裏へ、短く書き足す。


 ――器具三台。数値一致。誤りなし。


 その下に帰還者を書く欄があった。


 ノアは一人分だけ記した。


 アルヴァン。


 自分の名を書く余白は残っていた。


 書かなかった。


 腰の警戒筒を抜く。


 蓋を回すと、内部の石が赤く灯った。


 砦町へ危険を知らせる道具だ。空へ打ち上げれば、あの獣にも見える。


 ノアは先生の杖を拾い、手の届く場所へ置いた。


「帰ってください」


 聞こえていない相手へ言う。


「僕より、説明が上手いでしょう」


 黒い獣がこちらを向いた。


 ノアは石陰から飛び出した。


 警戒筒を空へ向ける。


 赤い光が尾を引いて上がった。


 獣の目も、同じ色に染まる。


 ノアは北へ走った。


 砦町とは逆だった。


 背後で、土を抉る音がした。


 振り返らない。


 枯れ草が脛を切る。靴の中へ血が流れた。


 十歩。


 二十歩。


 地面が震える。


 それでも走った。


 姉の紐は、もう手首になかった。


     ◇


 どれほど経ったか。


 赤い光は消え、草地に再び暗さが戻った。


 崩れた標柱のそばで、アルヴァンの指がかすかに動いた。


 帯に結ばれた観測板が、石へ触れて乾いた音を立てる。


 一度。


 少し間を置いて、もう一度。


 遠くで、獣が吠えた。


 それとは別の方角から、誰かの足音が近づいてきた。


 ゆっくりとした、片足を庇わない歩き方だった。


 やがて、鞘の中で鉄が鳴った。



     *


この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、

『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。

第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/

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