第一篇 地図の駒
――『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」連動
新吉は、兵の顔を一つだけ彫った。
米粒ほどの目を二つ。鼻は刃先で浅く起こし、口の端をわずかに上げる。
兄は笑う時、右だけ口角が上がった。
そこまで彫ったところで、頭の上から声がした。
「それは、何ですか」
新吉は小刀を取り落としかけた。
振り向くと、仏蘭西人の砲兵将校が立っていた。長い外套の肩に雪を載せ、片手には濡れた地図を抱えている。
「兵の駒です」
「顔があります」
「兵には、顔がございます」
相手は意味を取りかねたように瞬いた。
モーリス・ヴァルクール。
日本語は奇妙だったが、聞き返す時に笑わない異国人だった。
新吉は膝の前へ並べた木片を隠すように座り直した。
明朝の軍議までに、歩兵の駒を二十。砲兵を六。騎兵を四。
形を揃えて作れ、と命じられている。
「全部、同じ形にしてください」
「兄も木古内へ参ります」
ヴァルクールは黙った。
「砲兵です。ですから、どの駒が兄か分かるように」
新吉は顔を彫った駒を摘まみ上げた。
「これだけ、印をつけようと思いました」
ヴァルクールは地図を畳の上へ広げた。
海岸線と山道。その上へ、新吉がすでに作った駒を並べていく。
「お兄さんの隊は、どこですか」
「こちらです」
新吉は木古内の南を指した。
ヴァルクールは顔のある駒をそこへ置いた。
すると、それだけが人に見えた。
隣の駒は、ただの木片だった。
「この人にも、兄弟がいるかもしれません」
ヴァルクールが隣を指した。
「こちらには妻。こちらには子供」
一つずつ指が移る。
「全部へ顔を彫りますか」
新吉は答えなかった。
二十の顔を彫る時間はない。
それに、顔を知らない。
「駒は、同じでよいです」
「人まで同じということですか」
「逆です」
ヴァルクールは、顔のある駒を盤上から外した。
「顔を知らなくても、帰る道を考えられるようにする。そのための地図です」
彼は懐から細い紙片を出した。
砲隊の名と人数が、小さな字で書かれていた。
「名前は、こちらへ残します」
新吉は紙を受け取った。
兄の名があった。
駒にはなく、紙にはある。
それが正しいのか、新吉にはまだ分からなかった。
ヴァルクールは立ち上がり、濡れた外套を脱いだ。
「二十個。高さも幅も同じに」
「一つくらい違っても、動かすには困らぬでしょう」
「暗い部屋でも、誰が触っても、同じと分かるようにします」
「なぜです」
「私がいなくても、使えるように」
異国人はそう言って、別の部屋へ去った。
新吉は彫りかけの顔を見た。
小刀の背で削る。
目が消え、鼻が消え、兄の癖に似せた口元も消えた。
残った木屑が、畳へ落ちた。
◇
夜半過ぎ、二十個目ができた。
同じ長さ。同じ太さ。同じ丸い頭。
新吉は一つずつ掌へ載せ、目を閉じて確かめた。
十九個目だけ、木目のせいでわずかに左へ傾いている。
作り直そうとした時、襖の向こうで声がした。
軍議がまだ続いているらしい。
「遊撃隊は街道ではなく、山側へ」
片腕の剣客の声だった。
地図の上で、駒が動く音がする。
次に、ヴァルクールの声。
「退く道も残します」
「敵の後ろへ出れば、退く必要はありますまい」
「あなたたちは、いつもそれです」
低い笑いが起きた。
新吉は襖を細く開けた。
机上には、自分の作った駒が並んでいた。
同じ形の兵たち。
その間を、墨で引かれた細い線が海まで続いている。
兄の隊からも、一本。
新吉は襖を閉めた。
左へ傾いた十九個目を捨てず、残りと同じ箱へ収める。
駒の下には、一枚ずつ名を書いた紙を敷いた。
朝になると、雪はやんでいた。
地図の上では、誰もまだ死んでいなかった。
*
この世界を、侍・伊庭八郎の側から描く本編は、
『亡国の侍 異世界転移譚』第一話「剣と銃」から。
第一話:https://ncode.syosetu.com/n5318ml/1/




