第60話 美咲への答え(前)
木曜日。
残業。
フロアに二人きりだった。
今週は障害が少なかった。
月曜日の全社朝礼で、女性代表として挨拶させられた。
「神代さんかっこよかったですよ」と三好に言われた。
「普通のことを言っただけだ」と返した。
NIAが「OL適応率、過去最高値を更新しました」と言った。
消した。
保存されていた。
そういう一週間だった。
今日は少し、静かだった。
美咲が資格試験の勉強をしていた。
俺は翌週の作業計画を確認していた。
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二十一時。
美咲が伸びをした。
「先輩」
「ん」
「少し休憩していいですか」
「まあ」
「コーヒー買ってきます。先輩も飲みますか」
「ありがとう」
美咲が少し止まった。
「先輩、今ありがとうって言いましたよね」
「言った」
「自分から言いましたよね」
「言った」
「嬉しいです」
「まあ」
美咲が自販機に行った。
少し経って、戻ってきた。
コーヒーを二つ持っていた。
俺の机に一つ置いた。
「先輩」
「ん」
「聞いていいですか」
「内容による」
「先輩」
美咲は少し間を置いた。
「私のことを、どう思ってますか」
「後輩だ」
「後輩以外で」
俺は少し止まった。
30話で同じことを聞かれた。
あの時は「また今度」で逃げた。
今度は逃げないと決めていた。
「……うるさい後輩だ」
「それだけですか?」
「近すぎる後輩だ」
「……それだけですか?」
凛は少し止まった。
「……うるさくて」
「はい」
「近すぎて」
「はい」
一拍。
「それでも」
「先輩」
「……いなくなったら困る後輩だ」
美咲が少し固まった。
フロアが静かだった。
空調の音だけが聞こえた。
美咲はしばらく、俺を見ていた。
「先輩」
「ん」
「それって」
「まあ」
「後輩以外の何かですよね」
「……まあ」
「ちゃんと言ってくれませんか」
「……まだ少し」
「まだ?」
「……言葉が足りない」
「どのくらい足りないですか」
「……少しだ」
「少しなら」
「うん」
「今日言えますか」
凛は少し考えた。
「……今夜、帰り道に言う」
「今夜」
「まあ」
「約束ですか」
「……約束だ」
美咲はしばらく、凛を見ていた。
それから、ゆっくり頷いた。
「分かりました」
「まあ」
「待ちます」
「……まあ」
「今夜中ですよ」
「……分かってる」
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「今夜、帰り道に言うと約束しました」
「……まあ」
「四度目の宣言です」
「……まあ」
「NIAに、奏さんに、美咲さんに、そして今日また」
「……うるさい」
「逃げ道はありません」
「……分かってる」
「保存しました」
「するな」
「それと」
「何だ」
「いなくなったら困る後輩だ、と言いました」
「……まあ」
「それは」
「うん」
「好き、という言葉の前置きですよね」
「……黙れ」
「保存しました」
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作業を続けた。
二十二時。
フロアを出る準備をした。
二人で廊下を歩いた。
エレベーターに乗った。
一階に降りた。
ビルを出た。
夜の空気が冷たかった。
十二月だった。
並んで歩いた。
駅に向かった。
美咲は何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ。
今夜、言う。
そう決めていた。
美咲も分かっているようで、静かに歩いていた。
夜道。
街灯の光が続いていた。
「いなくなったら困る後輩だ」
それだけでは足りなかった。
今夜は、ちゃんと言う。
……言える。
今夜は、言える気がした。




